たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

農地の適正な取り扱い <ある「非農地」の取り扱い>をめぐって少し考えてみる

2018-05-01 | 農林業のあり方

180501 農地の適正な取り扱い <ある「非農地」の取り扱い>をめぐって少し考えてみる

 

ものごとは理想的な姿を追い求めると、それと相容れない実態にどう対応するか、難しい問題に直面しますね。それは体に関わる医療や介護もそうですし、資本主義の根幹の一つ、通貨や株式、最近は仮想通貨なども問題が百出でしょうか。そして生活の基盤ともいえる不動産となると、これまた難問続出でしょうか。

 

そのうち不動産に関わる問題としては、建物で言えば空き家、土地で言えば耕作放棄地や荒廃森林などがよく話題になっているようにも思えます。でも後者の土地問題は古来からあったように思います。来年の改元の話から日本最初の元号はの質問に、「大化」という答えが正しいかが問われて久しいかもしれません。

 

その大化の改新の実態も諸説紛糾しているようですが、たとえば公地公民なんてものがあったのか、あったとしてもどの程度実現したのかいまでは検証しようがないかもしれません。それにしても逃散は相当あったようで、そうなると放棄地は累積していたでしょうね。

 

農地制度は農地が国の基礎といった岩盤というか母岩というか、そんな感覚で現在の農地制度の基礎ができあがったのかもしれませんね。戦前はある種、漸進的に都市計画的な土地利用規制が東京を震源にして緩やかに広がっていたのではないかと思いますが、戦後初期は一挙に崩れてしまったと思うのです。なによりも食べるものが先決ですから、住宅地の中にも空き地があれば農産物の生産に使われたのだと思います。

 

そういえば高野山も戦前、農地や民間の土地はなかった(金剛峯寺から借地した商業施設はありましたが)ように思うのですが、戦後初期は食べ物がないのですから、引き揚げ者もあれば、僧侶も自分で食べるものを生み出さないといけないわけで、森林地も含めて一部はのうちになったのではと推測しています。

 

余談が長々と続きましたが、そろそろ本論に入ります。ある土地が農地法の規制対象となると、戦後の度重なる農地法改正でその規制がかなりフレキシブルになったとはいえ、転用許可や所有権移転、使用権設定の規制はいまだ厳しいものがあります。

 

それを逃れる便法はどこの社会にもあるように、農地の世界もご多分に漏れず、過去いろいろな事件で中には裁判で解決と言ったこともあります。なお、江戸時代の農地をめぐる裁判は相当な数だったと思われますが、それは現代の農地法とは様相を異にするものでしたね。

 

また脱線しそうになりました。元に戻って、農地であることが農地法の対象となるわけですので、農地でないと、こういった厳しい規制を受けなくてもいいので、そのような当事者の要望もあって、長い農地法慣行の中で、非農地証明という形で認めてきたわけですね。

 

農地法上はそのような明確な根拠規定がないのです。農地法は2条で定義規定を設けていますが、その1項本文に「この法律で「農地」とは、耕作の目的に供される土地をいい、「採草放牧地」とは、農地以外の土地で、主として耕作又は養畜の事業のための採草又は家畜の放牧の目的に供されるものをいう。」と農地の定義を定めています。

 

この農地かどうかは、私の狭い知見での推測ですが、農地改革の時、一番問題にされたのではないかと思います。GHQの強い指導で、地主層で構成されていた帝国議会は反対しきれず、しぶしぶ大胆な農地改革を認めましたが、他方で、実際の農地改革を実施していく際、農地かどうか(山林は対象外でした)が争われ、当時の農地委員会が裁定するのですが、全国各地で膨大な裁定例がでたと思います。その実態はよくわかっていませんが、そのうち、農地でない、あるいは小作でないといった取り扱いが実情に反してなされた数が少なくないのではと思います。

 

そのことは別にして、当時、わが国の行政の中で、西欧型の独立行政委員会という独自の制度が教育、独禁法、そして農地の3つの分野だけ認められたのは不思議なことだと思っています。その農地委員会、現在は農業委員会となり、長く農家選出を中心とした得意なメンバー構成で運営されてきました。ようやく農業委員会法改正で、現代の土地利用を反映する形で、多少とも広範な民主的な選出制度に今夏からスタートするので、その運営に少し期待しています。

 

再び元に戻って、農業委員会が結局、農地か農地でないかを決めています。なぜか、農地法にはどこにも明記していません。農業委員会法も同じですね。農地委員会が担った実績によったのでしょうか。あるいは農地か農地でないかの判断は、農家出身で主に構成される農業委員会がその判断者として適切とみたのでしょうか。それはわかりません。

 

しかし、過去の裁判例をみますと、いかにも問題のある土地について、非農地扱いしたり、逆に農地として扱ったりして、その合理的基準があいまいと思わざるを得ない事例があります。

 

それはさておきウェブ情報などでは、行政書士がたとえばある地域ではこのような場合に非農地証明が可能だといった(むろん農業委員会は地域の実情を反映した判断をすることも役割ですから、地域によってはある程度異なることを前提としています)記事を掲載しています<非農地証明申請ってどういう手続き?

 

たとえば

1.        農地法施行日(昭和271021日)よりも以前からすでに農地以外の用途で利用されていたと認められる場合

 建築物等(仮設物を除く)の敷地として相当のもので、かつ、建築後一定年数以上経過しており、農地への復旧が容易でないと認められる場合

2.           道路敷(進入路・その他日常生活上必要不可欠な通路等)として利用しているものであり、かつ、転用から一定年数以上経過しており、農地への復旧が容易でないと認められる場合

3.           自然災害により農地として復旧困難となった場合

4.           不耕作状態が続いたことにより森林・原野化し、農地への復旧が不可能となった場合>

 

上記1.の場合は、転用規制以前の行為ですし、農地復旧の可能性が乏しい場合(裁判例では費用対効果を無視したような判断をしているものがあり、可能性がないなんていう場合は堅固な建築物が建っているような場合しかないのではと思ってしまいそうです)、当然でしょう。

 

しかし、2.ないし4.になると、結構微妙でしょうね。

 

上記ウェブではさらに<このように昔から農地以外の利用をしてきた場合や建物・道路敷地になっていて農地への復旧が困難な場合は証明を受けられる可能性があります。>となっています。

 

では昔からとはいつか、その証明はどのようにするかは、簡単ではないと思われるのです。

 

<固定資産税評価証明書(建築物の場合は建築年月日が記入されたもの)

※ 航空写真や建物登記簿で利用状況を証明できる場合>

といったことを取り上げていますが、前者は現在、20年くらい前まで遡ればいいほうではないでしょうか。いや40年、50年、さらに古い時代まで遡った記録があるという課税担当部署があればいいのですが、疑問です。

 

といって、20年程度まえの課税記録で、建物がありその敷地として、農地と分離して宅地課税されていたといった証明ができても、それはここでいう昔からとはいわないでしょう。

 

航空写真も探せば見つかるかもしれませんが、戦後初期や昭和40年代頃までだと、建物を識別できるほど鮮明な写真は少ないように思います。

 

役立つのは登記簿ですが、地目が農地に建築確認を得ることはできても、法務局での受理は無理ではないでしょうか(当時はおおらかだった?)やはり未登記というのが普通ではないかと思います。

 

そういった意味で有効な証明手段に困ることになるでしょうね。

 

で、私が言いたいのは、一定の証言や建物の構造から築40年以上とか50年以上というのは鑑定できると思われるのです。そのような証明手段でも、非農地との扱いを拒む理由に乏しいと思うのです。むろん当該土地が農用地とか農業利用を目的とした土地利用を予定している地域では当然、厳格であってしかるべきですが、これが住宅街であればそのような厳格な取り扱いは、農地の適正な利用・監督の趣旨にも反しないものとして、処理されるべきではないかと思うのです。

 

と今日ある事件を通してふと思ったのです。かなり適当な議論となりました。いつか非農地問題をしっかりと扱いたいと思いますが、いつになるやら・・・・

 

今日はこれにておしまい。また明日。