たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

歩く権利を踏まえて <わが国のコモンズ的利用形態を考えてみる>

2018-05-02 | 心のやすらぎ・豊かさ

180502 歩く権利を踏まえて <わが国のコモンズ的利用形態を考えてみる>

 

私はこれまで多くの先人からさまざまな知見を学んできたように思います。きちんと自分のものにできないまま、いまは田舎でのんびり暮らしに日々をおくっているわけですが、ま、それも人生かと思うのです。

 

このブログも日々何をテーマに書こうかと、思いつきで決めているわけですが、ふとそういった先人の知見を思い出しながら、時折記憶の範囲で書いてみるのも一興かと思うのです。

 

亡くなられた平松紘氏との交流も短いながら、有益だったように思うのです。20年くらい前にふと手に取った『イギリス 緑の庶民物語』に魅了され、あるときからなんどかお会いするたびに話に花を開かせた記憶があります。その後いろいろ著作をいただいたのですが、お礼するまもなく突然他界され、残念な思いです。

 

同じようにイギリスのナショナルトラスト制度などに強い関心を持たれ、話すといつまでも語り続ける木原啓吉氏でした。私が事務局となって呼びかけた集まりに快く参加していただき、熱心な討議の一員になってもらいましたね。また、ある狭い仲間の集まりが終わって東京に帰る電車の中で一緒になり、ずっと話し続けたり、別の機会では翌日の大会原稿を徹夜で書き上げる真摯で熱情あふれる姿は思い出深いです。木原氏も物故者となられて久しいですね。

 

イギリスのコモンズというか、ある種共同利用なり共同所有のあり方を異なるアプローチでお二人が研究されてきたように思うのです。

 

その中で、今日は歩く権利を中心に、少し書いてみようかと思うのです。それは多少、田中陽希の日本百名山一筆書きに影響されているのかもしれません。彼は歩くという単純ともいえる行為を通じて、それだけで多くの感動や共感を得ているのではないかと思うのです。いや、それに値する行動だと思います。たしかに大谷翔平の二刀流は桁はずれた能力であり、偉大ですが、陽希さんのやり遂げた行為も十分賞賛に値する行為と思います。

 

この歩くという単純な行為は、人間にとって本質的な、人間であることのよって立つ根拠ではないかと思うのです。むろん障害や病気で立てない人は、自分の足で歩くことができないかもしれませんが、別の形で歩くことを常に希求するでしょう。その歩くことの価値を「歩く権利」は庶民の立場にたって法制度化したもので、それは現代的にも将来的にも意味のあることではないかと思うのです。

 

陽希さんは、歩く行為を通して、日本の多様な自然を体感し、またTVを通じてその一端を紹介してくれました。それだけではありません。彼は、自然が持つ多様な豊かさ、脅威をも、その微細な自然の一部を通して歩くという形での自然との接触により、つぶさに表現してくれたように思うのです。

 

舗装路と林道の感触の違い、いや広葉樹林と針葉樹林の地層の違い、湿原や湿地と岩場の違い、沢沿いの岩場と絶壁のような岩場の違いなど、それぞれの対象に応じて足の運びやストックの使い方など、あるいはアイゼンの使用などを通じて、私たちに歩くことの深みを感じさせてくれているように思うのです。

 

そして近世以前、イギリスを含む西欧の庶民も、日本の庶民と同様に、歩くことが唯一の交通手段であったとき、その歩く場所が限られていたのです。特定の貴族や富裕層が大土地所有で、庶民は限られた空間でしか歩くこと、そして自然を享受することができなかったわけです。

 

そこで立ち上がった庶民が訴えたのは、イギリス国土(UKでしょうか)を自由に歩くことができる権利だったのです。それは庶民にとって余暇を楽しみ、人生を楽しむために不可欠の事柄だったのです。それだけ歩くということは、多様な自然と触れ合う貴重な事柄だったのです。そのような考え方は、北欧でも別の表現で確立しています。たとえばスウェーデンでは「アッレマンスレット」とか、フィンランドでは「ヨカミエヘンオイケウス」とか。

 

ではわが国には似たような制度はなかったのでしょうか。入会権がそうだというかもしれませんが、私は似て非なるものと思っています。コモンズの場合は似ているかもしれません。私もイギリスでいくつかのコモンズ利用しているところを訪ねましたが、これまたわが国の入会権(実際は多様ですので一概にはいえないでしょうけど)とは同じではないように思った次第です。

 

話を戻して、歩く権利に近いものはあるか、というと、役行者や空海は自由に闊歩していますね。しかし彼らのような全国各地を修行僧のように渉猟することは庶民の歩くこととは異質のものですね。西行や芭蕉のように自由に各地を歩けたのも、時の権力者の庇護があったからかもしれません。

 

では庶民が自由に歩くことができたか、おそらく困難だったと思うのです。わが国では庶民の歩く権利といった自然を堪能したりするための意識が生まれなかったのではないかとつい思ったりしています。これは誤解ではないかとも思うのですが、はっきりしません。

 

近世で歩いていた人は、ほとんどがなんらかの行き先に目的を持っていたのではないかと思うのです。名目とはいえ、伊勢参りや出雲参りなどもそのひとつでしょう。

 

ただ、かすかに庶民の歩いた痕跡と思えるのが里道です。里道は全国各地に幅広く縦横に山であったり谷であったり、農地であったり、至る所、寸断されたり、破壊されたりしつつも、いまだ各地に多くの痕跡にとどまらず、今も利用されているところがあります。

 

こういった里道の復活再生によって、歩くルートを、そして地域の歴史と風土の復活と絆を見直しても良いのではと思うのです。カジノIRといった問題の多い施設づくりに邁進する現政権や一部地方の動きは、庶民の立場とは隔絶した位置に立っているように思えて仕方がないのです。

 

歩くことがそれだけで健康にいいことはすでに常識です。それを自然を保全し、自らの健康を保全、改善するために、歩く道を整備することはわずかな予算で多大な効果をもたらすように思うのです。道作りでは里道を利用したり、中には荒廃した、あるいは耕作放棄した農地、林地の提供を受けながら、多数の健康保持、いわば予防医学の手段として効果覿面ではないかと思うのです。その結果、無限大に増大する医療費や介護費といった財政負担の増大を押しとどめる効果は計算すれば容易に算出できるでしょう。

 

といった夢想的なことを考えながら、今日はこの程度で終わりとします。また明日。