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たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

西日本豪雨その5 <真備の死者9割が自宅で 高齢で2階上がれず>などを読んで

2018-07-22 | 災害と事前・事後

180722 西日本豪雨その5 <真備の死者9割が自宅で 高齢で2階上がれず>などを読んで

 

今朝は少し寒さを感じて目が覚めました。温度計を見ると25度でしたか。寝るときは30度くらいあったので、5度下がると少し冷えを感じるのかもしれません。これもわが家は180度空間が広がっていて遮るものがないことと、谷底からの冷風が深夜になると効果的になるからかもしれません。江戸時代の武家屋敷を調査した記録によると、少なくとも風通しをよくすることと湿気がこもらないようにする工夫が家の配置や材料などで配慮されていたように思います。農家も高持百姓の屋敷はそういった配慮がしっかりできていたように思います。

 

現代の住宅造りは、残念ながら大手デベロッパーの分譲地でも日当たりや内装に配慮されても、暑さや湿気対策は、電気エネルギーを使って人工的に対処するのが本流のようです。私は30年くらい前に自然エネルギーを利用した住宅造りを学んで以来、できればそうありたいと願ってきましたが、実際に自分でできたのはほんのわずかです。

 

さて住宅や施設の建設、配置を考えたとき、バリアフリーや高齢者・障害者対応が次第に普及しつつありますが、防災とか、災害時対応といった視点は十分ではないことが大災害が起こるたびに話題になります。

 

今朝の毎日一面記事<西日本豪雨真備の死者9割が自宅で 高齢で2階上がれず>は想定外の出来事でしたが、少し考えればありうることであったと思いました。

 

記事は<西日本豪雨による岡山県倉敷市真備(まび)町地区の浸水で、亡くなった人のほぼ9割が自宅で見つかっていたことが県などへの取材で分かった。被害を受けたのは高齢者に集中しており、足が不自由な人も多い。発見場所は寝室や居間、台所などで、ほとんどが1階で水にのみ込まれたとみられる。>と、死亡者の9割が自宅で、ほとんどが1階で溺死、しかも高齢者・障害者がほとんどというのです。

 

そのため、記事は<上階に逃げる「垂直避難」ができない災害弱者が犠牲になった可能性が高い。>と指摘しています。

 

<毎日新聞の取材では、死亡したのは多くが1人暮らしのお年寄りや2人暮らしの高齢夫婦で、車椅子を使うなど体が不自由な人も目立った。>とも言及されています。

 

自宅をバリアフリーにしている家は最近普通に見かけるようになりました。そして高齢者や障害者の多くは1階を居住場所としていると思います。しかし、今回のような短時間で起こった堤防決壊と洪水に遭遇すると、1階は安全とは言えません。本来は、気象予報が的確に認知されて対応していれば、適切な避難場所に移動する、あるいは移動させることが望まれる方たちだったと思います。

 

NHKの日曜討論では「西日本豪雨今被災地で何が必要?災害から命をどう守る」ということが専門家同士で議論されました。気象予報が相当正確になり、かなり早い段階で今回の異常事態を察知し、気象庁としては順次的確に情報をTVなどの媒体だけでなく、個別に自治体に伝達したとのことです。治水計画がもっと早く整備されていれば防げたという議論もありましたが、そのような側面を否定しないものの、それだけで対応できるとは思えません。

 

単純に欧米の堤防整備比較するのは、昔、下水道普及率を誤解を招く進捗率で推し進めた国交省と同じような愚を犯す危険があると思います。だいたい、氾濫原に安易に土地利用を推し進める一方、リスクをほとんど開示しないあり方にこそ、基本的な問題があると思うのです。空き家や未利用地を残しつつ、災害リスクの是非を十分検討しないまちづくりを見直す必要があると思うのです。

 

災害時の場合、とくに避難所が問題となっています。同じ毎日3面では<西日本豪雨福祉避難所3県253人 計れぬ需要>が取り上げられています。

 

これは自宅にとどまって溺死という不幸な結果となった災害弱者にとって、今後も問題となる重要な点ではないでしょうか。

 

<西日本豪雨で被害が大きかった岡山、広島、愛媛の3県では災害弱者向けの「福祉避難所」は15~19日現在、46カ所で開設され、計253人が利用。ただ、病院や介護施設に入院・入所せず、在宅で生活している場合、利用ニーズを把握するのは困難で、相当数の災害弱者が孤立している可能性がある。>

 

福祉避難所自体、必ずしも周知されていないと思います。福祉避難所の解説では<高齢者や障害者、妊産婦ら特別な配慮が必要な被災者向けに、災害時に開設される避難所で災害救助法に基づき自治体が公共施設や福祉施設などを指定する。事前の協定で福祉施設に協力を求める動きが広がっている。>とされています。

 

ここで注意を要するのは、<事前の協定で福祉施設に協力を求める動き>です。成年後見の仕事をしていると、老健施設に入所する場合や特養施設に入所するといった場合に、その手続が相当厳格に行われていることがわかります。事前に相当な要介護度や健康チェックをして、さらに入所後のさまざまな事態を想定して、慎重な手続が行われています。そのようにして入所している人の中に、災害時という入所者の安全対策を第一に考えないといけないとき(重度の認知症や障害のある方などが入所されていると、その対応だけでも大変なことが想定できます)、緊急時とはいえ、突然、その方の状況が十分把握できない状態で入所してもらうということは、施設側にとっては相当リスクを受け入れることになるでしょう。

 

そのようなリスクを回避ないし軽減するため、事前に自宅で療養介護されている方を災害時受け入れる準備をしておくには事前協定が望ましいことは確かでしょう。

 

災害時、一旦避難所にいってもらい、その場で福祉避難所への移動してもらうといった選択は、担当者にも、災害弱者にも、必要以上のストレスとなるでしょうし、リスクも増大するでしょう。

 

そのようなケースが記事で紹介されています。<中野さんは変形性膝関節症などを患う。4年前に左膝に金具を入れる手術を受け、布団では寝起きができない。豪雨があった6日午後7時ごろ、同居の次男らと近所の小学校の避難所に向かったが、体育館に続く階段が上がれず、ベッドもなかった。近所の病院内のベンチで一夜を明かした。

 2日間友人宅で過ごした後、普段からデイサービスを利用しているホーム職員から声をかけられ、福祉避難所に入った。カーテンで仕切られたベッドで寝起きし、昼間はレクリエーションにも参加。「何かあればすぐに職員が駆けつけてくれるので安心」と話す。>

 

幸い移動時に豪雨被害に遭遇しなかったですが、障害のある方が一般の避難所で過ごすことは容易でないことは明らかです。福祉避難所自体が知らされていない、あるいは数が少ないことに問題があるでしょうし、災害発生以前に対応しておくべきことだったと思うのです。

 

一般の避難所では多くの多様な災害弱者が生活できない、「震災関連死」となるリスクも大きいでしょう。毎日記事で紹介されている事例では例外的な取扱を受けていますが、自宅で溺死した少なくない割合の方は、福祉避難所の存在を知らなかった、あるいは身近になかったために、あきらめて自宅にとどまった可能性もあると思うのです。

 

行政の状況を毎日記事は<愛媛県では少なくとも西予市が19日現在で1カ所開設し、80代の男女3人が利用。保健師が一般の避難所を巡回し、支援が必要な人がいれば福祉避難所に移す態勢を取る。大洲市では介護老人保健施設が被災後に13人を受け入れたが、元々満床だったこともあり、数人は断らざるを得なかったという。>

 

真備町のある倉敷市ですが、<岡山県倉敷市は、市内の介護施設など10施設を福祉避難所として開設したが避難者は29人(18日現在)。「本当に必要な人が入れなくなる」との理由で積極的には広報しておらず、保健師らが一般の避難所を巡回し、対象者に福祉避難所への移動を勧めている。だが、在宅避難者まで手が回らないことがあるという。>悲しい現実ですね。

 

基本的には災害時に福祉避難所への移動を個人単位で制度化する仕組みが、財政的にも施設的にも、また利用可能性のある人たちやそれを支援する人たちにも、用意されていないことが問題でしょう。

 

専門家の意見は参考になります。

<東京都文京区で危機管理課長を務め、災害弱者対策に詳しい日本大学の鈴木秀洋准教授(行政法)は

「福祉避難所は災害の度に機能不全を繰り返している。指定や協定の増加のみが注目され、開設の道順が改善されていないからだ。指定避難所へ避難後、保健師などが該当者を選別し、福祉避難所に移動・搬送する制度設計は、災害時に不可能だ」と指摘。>

 

<その上で「自治体は平時から介護申請等を受けており、地域で利用想定数の概算は可能。福祉避難所を第1次避難所として開設したり、事前周知と訓練を徹底したりする対策は最優先だ」と提言する。【花澤葵、高山梓、木島諒子】>

 

1時間が過ぎました。この辺でおしまいとします。また明日。


西日本豪雨考その4 <酷暑、人手不足に拍車 求むボランティア>を読みながら

2018-07-21 | 災害と事前・事後

180721 西日本豪雨考その4 <酷暑、人手不足に拍車 求むボランティア>を読みながら

 

昨夜もかなり暑かったです。被災地は昼も夜もとりわけ暑さが厳しいでしょう。酷暑に輪をかけるのは水がない電気が来ないなどインフラが復旧していないことですね。さらにいえば、自然の川の流れがあると少しは温度が下がるのですが、それすら土砂で埋まったままのところもあるというのですから、大変さが尋常でないことが想像できます。

 

被災に遭った人は他に行くところがないし、自分の本拠を取り戻すために、それでも頑張っているのでしょう。それを助けるのがボランティアだと思うのですが、連休中でもさほど多くないですし、平日になるとぐっと減っているというのですね。残念ですね。

 

では自分がいけばと自分自身に問いかけるのですが、間違いなく足手まといになり、熱中症で救急搬送されるのが落ちではないかと思うのです。体力に多少自信があったのはもう数十年も昔。当地に来て大鎌を使って草刈りをやってきましたが、夏場は早朝4時から1時間か2時間がいいところ、長くて7時か8時まで、それ以降になるととても太陽のエネルギーに抗しきれません。

 

被災地では、日中、埋まった土砂の運び出しですから、私ならすぐにダウンすることが目に見えています。

 

ところで、東京オリンピックのマラソン開始時刻を朝8時から7時にしたとかで、酷暑対策と言うことですが、7時、8時では、2時間半近いレース時間を考えれば、あまり大差がないように思います。4時スタートならある程度効果があると思いますが、そうなると交通機関やスタッフなどの体制が整わないのでしょうかね。小池知事は今朝のTV番組で総合的な対策を講じるとのことで、それは是非とも効果のある対策であることを期待したいです。

 

話が少しずつ横にそれてきましたが、ボランティアという言葉を聞いて、ちょっと古い話を思い出しました。30年くらい前でしたか、第二東京弁護士会が「プロボノ」という制度を設け、会員弁護士に委員会活動などに積極的に参加する仕組みを作ったのです。当時、バブル絶頂期みたいな頃で、たいていの弁護士は業務が忙しいとか、金儲け?やゴルフが忙しいなどで、弁護士会が行っている公益目的の委員会活動などに参加しない人が増えていたのですね。

 

当時、「プロボノ」活動といってもピンと来ませんでしたが、要は弁護士会活動に参加することを推奨する制度化の一つだったのですね。その頃、東京弁護士会でも、たしか出席率がよければ、皆勤賞みたいな形でなにかカードを交付するようになり、私もいただきました。当時は私は弁護士会オタクみたいで、仕事の半分以上の時間を費やして弁護士会に入り浸りでしたが、別に好きでやっているのでプロボノともボランティアとも、そんな意識は有りませんでした。それに弁護士会以外の公益的な活動もかなり関与していましたので、それを含めると、一体普通の弁護士業務の時間はどのくらいだったのでしょうと思ってしまいます。

 

このプロボノとボランティアの意義について、ちょっとウィキペディアで調べると、前者は<プロボノ(Pro bono)とは、各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。また、それに参加する専門家自身[1]。>とのこと。さらに<プロボノとはラテン語で「公共善のために」を意味する pro bono publico の略[2]で、最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指した。弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などが含まれる。現在も弁護士の業界において、もっとも浸透している。>そうなんですね、おそらく第二東京弁護士会が最初に使い出したのではないかと思うのですが、そんなに弁護士の中で広がっているとは知りませんでした!?

 

ではボランティアについては、英語圏では異なる意味で使っているようですね。<ボランティア(英: volunteer)とは、自らの意志により参加した志願兵のこと。反対語は「強制徴募」。>とあくまで軍人というか兵隊というか、軍事的な意味合いで使われてきたようです。ただ、十分検証できていないようですので、一応の意味としておきましょう。

 

これに対し、わが国の場合、<日本語の「ボランティア」は日常生活や大災害時における自発的な無償の利他行為をする人、あるいはその行為を指すだけのことばとなっている。>とされています。

 

私の記憶では、80年代後半に起こったエクソン・バルディーズ号油汚染事故のときに、全米各地や欧州から多くのボランティアが参加して海鳥の救済や油の除去作業に参加したことが大きく取り上げられ、その頃からボランティア参加というのが北米でも話題になるようになった記憶です。

 

わが国では、上記北米のボランティア参加を取り上げた頃、わが国にはそのような意識があまり育っていないような解説があったように記憶しています。ところが、阪神淡路大震災のときに史上最大規模のボランティアが参加して復旧作業などに携わったことから、それ以降はどこで災害が起こっても、ボランティア参加が自然に生まれてきたかと思います。

 

さてようやく本題に入ろうかと思います。

今朝の毎日記事<西日本豪雨酷暑、人手不足に拍車 求むボランティア>によると、<

西日本豪雨の被災地では、まだ大勢がボランティアの力を求めている。14~16日の3連休の後、平日にはボランティアの人数は減ったが、この週末は再び増えることが期待される。一方で交通事情の悪い現場を抱える自治体にはボランティアが入りにくく、偏在は続きそうだ。>

 

重機が入って作業できるところだと、必ずしも人力のボランティアに頼る必要が大きくないと思いますが、今回の被災では、自宅の中が土砂に埋もれてしまう事態になっていますので、畳や家財道具を持ち出したり、床上、床下の泥などを運び出すのは、人海戦術に頼らざるを得ないでしょう。とりわけボランティアの手を借りたいはずです。

 

ところが<広島、岡山両県社会福祉協議会によると、3連休の中日だった15日は5000人を超えるボランティアが活動したが、17日以降は4分の1程度に減った。>と、最大で5000人、平日だと1200人あまりと、いずれにしてもさほど多いとは思えません。

 

しかも、寸断された交通事情と酷暑のためボランティア一人が活動できる時間は限られています。

<広島県呉市は、広島市と結ぶJR呉線や高速道路が不通で一般道は渋滞が激しい。市ボランティアセンターは「市外から来てもらって午前9時に受け付けをするには、何時間も前に出発してもらわなければいけない」と説明し、自治会への協力要請など地元住民によるボランティアを重視。連日の猛暑で1回の活動を3時間程度に抑えており、人手不足に拍車をかける。>

 

災害ボランティア>の項目をウィキペディアで見ると、過去の災害では多くのボランティア団体が詰めかけて、連携がとれなかったり、主導権争いで一時収拾がつかない事態になったこともあったようですが、今回、それ以前の段階かと思われます。

 

ところで災害対策基本法はボランティアについて次のように規定しています。

(国及び地方公共団体とボランティアとの連携)

第五条の三 国及び地方公共団体は、ボランティアによる防災活動が災害時において果たす役割の重要性に鑑み、その自主性を尊重しつつ、ボランティアとの連携に努めなければならない。

 

ここでは、まずボランティアをしっかり認知し、そのうえで災害時の連携を行政に求めています。この制度が生きるには、災害発生以前から、行政がボランティア組織と連携をとるべく体制づくりをしておかないと機能しないと思うのですが、全国的に見てそれができているところは少ないのではないかと思うのです。だいたい、内閣府の防災情報のウェブサイトを見ても、支援するような情報が見当たりません(ざっと見たので見過ごしていたら失礼)。

それは次の82項第13号に「ボランティアによる防災活動の環境の整備」と定めているのですから、当然、各自治体は積極的に環境整備しておくべきなのですが、今回の被災道府県内の市町村でこういった対策を講じていたところはどのくらいあるのでしょう。今後、検討してもらいたいものです。

 

第八条 2 国及び地方公共団体は、災害の発生を予防し、又は災害の拡大を防止するため、特に次に掲げる事項の実施に努めなければならない。

十三 自主防災組織の育成、ボランティアによる防災活動の環境の整備、過去の災害から得られた教訓を伝承する活動の支援その他国民の自発的な防災活動の促進に関する事項

 

こういった行政の対応と異なり、事業者側にも検討してもらいたいと思うのです。たしかボランティア休暇といった制度を設けた企業が以前、紹介されていたことがあったと思います。事業者側はより積極的にボランティア活動を支援する仕組みを用意することを検討してもらいたいと思うのです。それでこそCSR(corporate social responsibility)を果たしたと言えるのではないでしょうか。

 

それは、社員の採用、労働条件、給与など全般において、ボランティア活動を評価するシステムもあるでしょう。あるいは企業自体としてどうボランティア活動にどう取り組んでいるかを評価するシステムもあってよいと思います。さらに取引先企業がそのような視点から取引の開始、継続などに影響するような仕組みもあるでしょう。

 

それにはボランティア参加を認識・評価する受け入れ側のシステムも必要になるでしょうが、簡易なプログラムを作っておけば、さほど難しいことではないように思うのです。むろんプライバシー保護への配慮が必要ですが、それこそ行政が支援する仕組みづくりをしておくことかと思うのです。

 

思いつきでいろいろ書きましたが、ボランティアは自主的・主体的であって、別に評価されることを期待して行うものではない、そこに神髄があるのかもしれません。でも被災地の現状を見ていると、制度的な手当も検討していいのではと思うのです。

 

これにておしまい。また明日。


西日本豪雨考その3 <緊急報告 西日本豪雨/下 ダム放流「人災では」>などを読みながらつらつらとふと考えてみる

2018-07-20 | 災害と事前・事後

180720 西日本豪雨考その3 <緊急報告 西日本豪雨/下 ダム放流「人災では」>などを読みながらつらつらとふと考えてみる 7月22日補足

 

昨夜の上弦の月、薄赤銅色に染まり、なかなかの情緒を感じました。むっとした暑さは仕方ありませんが、それでも少し和らぎました。というか、谷間の底の方から少しひんやりした風が吹き込んできて、夜になっても30度近い温度をさほど感じないほどでした。

 

谷底には(それほど深くありませんが)、小さな小川が流れていてそこから少しひんやりした風が吹いてくるのかしらと思うのです。以前、鎌倉に済んでいた頃、滑川から50mくらい離れたところでしたが、とても涼やかな風が吹いてきて、おそらく若宮通りとかと比べると数度は温度が下がっている印象でした。まちのよさはそこに流れている川のよさと関係すると、どこの都市・まちにいっても思うのですが、ふとそんなことを思い出しました。

 

ところで、災害になると川は別の顔を見せますね。愛媛県の肱川は西日本豪雨で、上流のダム操作も影響して、悲惨な状況になりました。

 

さてこの件については、連日のように報道されていて、私も取り上げようかと思いつつ、情報不足で二の足を踏んでいましたが、とりあえずこれまでの情報などを少し見ながら、書いてみようかと思います。

 

715日付け毎日記事<緊急報告西日本豪雨/下 ダム放流「人災では」>は、被災した住民の立場から問題を取り上げているようです。

 

77日の被災状況について、<この日朝、地区中心部を流れる肱(ひじ)川があふれ、ユリ子さんら59~82歳の男女5人が死亡、約650戸が浸水した。複数の住民によると、午前6時半ごろから川は一気に増水。津波のような濁流が押し寄せ、同7時半ごろには住宅の屋根まで水が及んだ。>と氾濫が突然、起こったことを伝えています。

 

その要因をさぐるかのように、記事は<気象庁によると、このときまでの24時間雨量は同市で観測史上最大の347ミリ。約3キロ上流の野村ダム(総貯水容量1600万立方メートル)は、午前6時20分から、緊急的に流入量とほぼ同量を放流する「異常洪水時防災操作」を開始。その水量は、直前の毎秒250立方メートルから一時、最大7倍近くに達した。>と累積降水量とダム放流を一挙に7倍にしたことを指摘しています。

 

さらに混乱を招く自体があります。ダム管理事務所からの放水通告、市の避難指示の時刻について双方で違うのです。

 

<地区の約5100人に避難指示が出たのは、7日午前5時10分。>この点は一致するようですが、市側は<市関係者によると、その約3時間前の午前2時半ごろ、ダムの管理所長から市役所野村支所長に「7時45分に過去最大の毎秒1000立方メートルを放水する」と通告があったという。>

 

これに対し国側は<国は最初の連絡で「6時50分に放水開始予定」と告げた>と食い違っています。

 

もう一つ問題は市の避難指示が住民側にそれ自体が十分伝わっていなかったか、伝わったとしても正確に理解できるように伝わっていなかったおそれがあります。

その点記事は<市は避難指示後に計3回、各戸に配置されている防災無線と屋外放送で住民に避難を呼び掛けた。だが、ダムの放流を知らせるサイレンや放送は雨音でかき消され、無線は呼びかけ続ける形ではなく、20~30分おきの計3回。気付かなかった住民もおり、消防団は戸別訪問で地区を回った。>この消防団員による戸別訪問だと、相当時間がかかったはずでしょうね。

 

ダム放流操作の問題が指摘される中、国側の説明はほぼいつものようなものでした。

<ダムを所管する国土交通省治水課は、「避難指示が出てから操作までの70分間、川への流量も少なく道路への浸水もなかった。避難行動に貢献できた」と回答。四国地方整備局の長尾純二河川調査官は、「ダムの容量を空けて備えたが、予測を上回る雨だった。規則に基づいて適切に運用した」と説明する。>

 

専門家の意見は、この問題の要点を簡潔に伝えています。

<京都大防災研究所の角哲也教授(河川工学)は、予測を上回る降水時のダム操作の難しさを「ちょうど良く運用するのは神業」と表現。「ダムを操作する現場の切迫感を、いかに早く住民に伝え、避難行動につなげてもらうかが大事」とし、非常時にどう動くのか日ごろから想定しておく重要性を訴える。>

 

しかし、これはダム放流後に起こった災害についてよく言われることで、いつの間にか忘れ去られ、同じことを繰り返しているように思うのは私だけではないでしょう。

 

ではダム管理者の対応についてどう考えれば良いのでしょう。

改めてダム管理者の意見を聞いてみましょう。

712日付け愛媛新聞記事<愛媛豪雨災害 野村・鹿野川ダム 適切操作を強調>では、野村ダムの貯水率と放流量の推移をグラフで示して、<野村ダム(西予市)の48時間の流域平均雨量が計画の約1・2倍の419ミリに達するなど、想像を超えたことを明らかにした。鹿野川ダム(大洲市)も同約1・1倍の380ミリだったが、ともにダム操作は適切との認識を強調した。最大時間雨量は野村53ミリ、鹿野川47ミリだった。

 洪水に備え野村では4日から、鹿野川では3日から事前放流したと説明。両ダムで実施した異常洪水時防災操作について両市との連絡体制を取っていたとした。>

 

要するに、ダム操作規定に則り適切だったとの見解です。ここでのポイントは、どのような操作規定のどの内容に適合しているかといった議論は書かれていません。

 

ではダム操作規定はどうなっているかというと、野村ダムも上流の鹿野川ダムも、当該規定をネット上で検索しましたが、見つかりませんでした。

 

とはいえ、多くは標準的な操作規定にそれぞれのダム諸元などを当てはめているくらいで、詳細の規定を用意しているわけではないと思います。

 

その<ダム操作 標準操作規程(滋賀県)>を見ると、一般的な状況での流水の貯留と放流の方法と放流時の措置と洪水時の特則が基本的な枠組みで、それは個別具体的な気象条件に対応するようなものではありません。

 

そこまで具体的な気象情報との連携の上で、操作することはいままで想定されてこなかったのではないかと思うのです。また、上流の鹿野川ダムと下流の野村ダム、それに放流先の肘川水系全体の流量を把握しつつ、操作するような仕組みができあがっていなかったのではないかと推測します。

 

現在のダム管理者にフリーハンドを与えるような操作規定では、今後異常気象が発生しても同様の問題が起こりかねないと危惧するのです。

 

その点、本日付愛媛新聞記事<愛媛豪雨災害 四国整備局河川管理課長 一問一答>は、少し国側に変化を感じました。

 

<―ダムの操作に問題は。

 経験したことがない洪水の中で綿密に操作規則に従って操作できた。大きな洪水への課題はあったと思っており、検証の中でいい対策を練っていきたい。>とか

 

<―どのような規則の変更が考えられるか。

 野村ダムがなぜ中小規模(の洪水に対応する規則)になったかというと、下流に堤防整備ができていない箇所が残っているからだ。中小規模想定を生かしつつ、大規模でも壊滅的にならない手法として、容量や流量の変更は検討の余地がある。容量を増やした分、うまく流す規則に変えないといけない。>とか

 

ところで、今回安倍首相の指示?で、第三者検証委員会でしたか、設置されましたが、多くのデータがあるので、それを公開して、ダム操作のあり方を、降雨量の予測や貯水量、放水量など推移を具体的に検討して、より洪水発生を回避する安全の立場に立って、放水時期・量を考えてもらいたいと思うのです。むろん、流域住民に対しても、放流量によってどのようなリスクが具体的に発生するかを事前に周知することも大事でしょう。

 

さて、私なりに<野村ダムの任意期間ダム諸量検索結果 201875 10>と<鹿野川ダムの任意期間ダム諸量検索結果 201875 10>を検索して、検討してみました。

 

これは興味深いダム放流の操作内容です。降水量との関係でも、貯水率との関係でも、気になります。今日は時間がないので、分析もできていませんが、いつか考えてみたいと思っています。それは専門家がしっかりこれらデータを見て、合理的に説明できる必要があると思います。7日に流入量を前部放流すると決めるに至った後の措置が合理性があったかというこれまでの議論の前に、それ以前の段階をしっかりと検証し、より具体的で適切な操作方針を立ててもらいたい(それに不足する情報があれば収集することも義務化すべきではないかと思うのです)ものです。

 

勝手な見方で、1時間あまりかけて書き上げたものですから、見当違いがあれば私の至らなさです。ただ、上記のわずか6日間の雨量、貯水量、流入量、放水量、貯水率の時間ごとのデータは、なぜそうしたのか、あるいはそうしなかったのか、公開の場で検討してもらいたいと思うのです。

 

今日は雷さんが元気に活躍しています。帰りをそろそろ急ごうかと思います。本日はおしまい。また明日。


(補足)

722日付け読売記事<ダム放流、国「ルール通り」住民「計画性ない」>では、<国土交通省四国地方整備局によると、二つのダムでは豪雨に備えて4日から事前放流を行い、通常の約1・5倍の貯水が可能になっていた。だが、7日に入っていずれのダムも水位が限界に近づき、水があふれ出る恐れが出たため、流入する量とほぼ同じ量の水を放流する「異常洪水時防災操作」を実施した。>とルール通りを国が改めて指摘しているようです。

 

しかし、そのルールがどのような前提で、どのような放流量・貯水率を定めているのか、具体的なデータを示されておらず、隔靴掻痒の感をぬぐえません。抽象的な議論を繰り返さず、具体的なルールを示して、説明して、住民の理解を得るよう努力してもらいたいものです。

 

ところで、上記ブログで引用した両ダムの75日~10日(4日からもデータは入手できます)では、放流量は控えめで、貯水率は一番低いのが7621時で、69.4%です。異常時を想定して貯水率をもっと下げておくべきであったかどうかを、丁寧にぎろんしてもらいたいものです。そのときの貯水量6969×10³m³です。それが77日8時には13414×10³mとなっています。わずか11時間でです。いや正確に2時間前に貯水率が100%となっています。この間の降水量は累積140mm以上ですから、異常豪雨であったことは確かですが、それはずっと以前に気象庁が最高度の緊張感をもって予報していたのではないでしょうか。このような異常豪雨は特別警報制度を設けた平成25年度にダム操作においてもどのように見直されたのかも検証されるべきでしょう。

 



西日本豪雨考その2 <水上バイクで来たヒーロー 15時間かけ120人救う>などを読みながら

2018-07-19 | 災害と事前・事後

180719 西日本豪雨考その2 <水上バイクで来たヒーロー 15時間かけ120人救う>などを読みながら

 

今日もなにかと雑務が重なり、いつの間にか6時を過ぎ、用があって7時前に出ないといけないので、30分でブログを書き上げないといけません。どうなるか、水上バイク並のスピードで?仕上げることにしたいと思います。

 

水上バイクをイメージすると、若い人ならかっこいいと思うかもしれませんが、私はどうも苦手です。たしか30年くらい前でしょうか、東京湾の荒川河口左岸で、当時、自然海岸を模倣した公園作りをしていました。私は荒川を下って東京湾というより東京港を周遊するカヌーのパドリングを楽しんでいました。

 

そのとき見た風景は、水上バイクのスリリングな、アクロバット的な航行でした。砂浜では子供たちも遊んでいたと思いますが、とても危険に感じました。私は幸い、水上バイクが身近に迫ってくるという経験をしたことがありませんが、もしカヌーなりカヤックの近くまで猛スピードで迫られると、その波の影響もあって、カヌーだと転覆するリスクも大きいと思います。

 

だいたい音も相当な騒音をまきちらしますね。そういったことで、当時から水上バイクについては、川であったり、海辺であったり、さまざまな場所で衝突があって、他の水遊びに興じる人、あるいは漁民も含めて問題視してきたと思います。むろんすべての乗り手が問題と言うことではないと思いますが、あのスピードと回転力などは運動神経を競う、あるいは誇示したい人にとっては魅力的な乗り物なのでしょう。

 

ともかくわたしにとっては厄介な、問題の多い乗り物と映ってきました。しかし、それも乗り手次第であって、私の偏見にみちた考えを訂正しないといけない状況が当然ながら現れました。

 

朝日記事<水上バイクで来たヒーロー 15時間かけ120人救う>は、まさに若者の主体的で能動的な活動が、水上バイクという格好の乗り物を使って多くの人を短時間に救うという快挙を成し遂げたというのです。

 

漂流物がたくさんあり、浸水家屋に近づくのは、どのような乗り物でも簡単ではありません。むろん水上バイクでも相当の腕前でないとかえって危険でしょう。でも果敢に彼らは冠水した中に閉じ込められた多くの人を救い出したのですから、素晴らしいです。

 

その代償の被害も受けたようですが、感謝のことばで生きがいを感じたようです。

<水上バイクは傷だらけになった。燃料は何度も補充した。必死に救助を続け、最後は全身がつって動けなくなった。後日、避難所で炊き出しのボランティアをしていると、救助した高齢者から次々と感謝の声をかけられた。「それだけで、やってよかったと思った」>

 

ところで、この情報の前に、毎日が<西日本豪雨「見捨てたりしない」命救う無名のボート>と中年男性チームの活躍を報じていました。この後の続報がなかったので、名前も顔も知られないまま、救いの神となったようです。これもすてきですね。しかも手こぎボートではなかなかはかどらなかったと思いますが、中年チームもやるなと思った次第です。

 

とはいえ、やはり本職の活躍こそ、必要ですね。

毎日記事<茶一色、懸命の救助=孤立の病院、患者らボートで-西日本豪雨・岡山県倉敷市上空>は、大量の孤立者を救助しています。日本中、どこでも冠水は起こりえるとの前提で、体制を整備する必要があるでしょう。

 

今回は、冠水時の救助方法について、3つの記事を取り上げました。最後は自衛隊や消防の大型ボートの活躍ですが、個人のボランティア的な活動も大事です。それをなんらかの形で応援できる制度が可能か少し考えてみたいと思います。

 

そもそも水上バイクがどのようなところでも航行可能かというと、通常は先に挙げたように問題があるため、各地でさまざまな規制をしています。たとえば<河川利用について  木曽川上流河川事務所>もその一つ。あるいは琵琶湖でしたら、<プレジャーボートの航行規制について>と。

 

でも災害時の冠水地帯ではどうでしょう。はっきりした規制対象とならないように思います。といって誰でも入っていっていいかというと、場合によっては公的な救助に支障を来すこともあるでしょう。今回はたまたまうまくいったのですが、それが大勢となって錯綜したら、かえって公的救援を阻害するかもしれません。

 

といって、まったくだめというのもどうかと思います。とりわけ冠水当初は、公的な救済も間に合わないと思われます。ある種、暫定的な救済措置としてこういった水上バイクやてこ後ボートの利用を促すことも意味があるように思うのです。

 

昔、たとえば、荒川下流域、あるいは江戸川の低地部分は、洪水が頻発し、その対処として、○塚と土地の名前が残るほど、少し高台に家を建てたり、その軒には洪水時に利用する船をかけておいたそうです。堤防工事だけで洪水対策が可能とは思えません。洪水をある程度前提にして、対処するさまざまな施策を考える時期ではないかと思うのです。

 

時間となりました。30分はすぐですね。今日はこれにておしまい。また明日。


西日本豪雨考その1 <論点 西日本豪雨の教訓>などを読みながら

2018-07-18 | 災害と事前・事後

180718 西日本豪雨考その1 <論点 西日本豪雨の教訓>などを読みながら

 

ある交通事故の内容証明郵便をなんとか差し出すことができてほっとしたら、もう7時近いのです。内容自体はあまり時間を要するものではなかったのですが、電子内容証明郵便の出し方がどんどん変わるため、すぐに忘れて、あたふたして、IT技能というより、もっと低レベルの知識がないため、もたつきました。以前は簡単だったのに、どうもややこしくなってきた印象です。

 

さてもうすぐ7時なので、今日も簡潔にブログを仕上げたいと思います。テーマはあまり思いつかず、見出しのものにしました。

 

サンデー毎日記事では<西日本豪雨「政府の人災」だ! 「災害有事」初動遅れた官邸側近の浅はか 「待ったなし」政府の組織改編>と与党の対応を問題にしています。ま、たしかにカジノIR法案とか、公選法改正法案とか、あまりにひどい国会審議かと思う中で、政府対応も気になります。ただ、政府批判もいいですが、別の見方もあってもよいかと思います。

 

毎日朝刊記事<論点西日本豪雨の教訓>は、<雨量増加、温暖化の影響も 木本昌秀・東京大大気海洋研究所副所長>、<危機感、住民に伝わらず 牛山素行・静岡大防災総合センター教授>、<新たな防災の制度設計を 柳田邦男・ノンフィクション作家>と3人の識者の見解を並べています。

 

それぞれ異常な雨量増大という気候変動の観点、行政の危険広報は適切だったが、住民に周知されていない点、大規模自然災害に対する国家的な中央機関の創設とともに広域的な地域組織の設置といった組織論と異なる議論を展開しています。

 

他方で、同じ毎日朝刊記事<西日本豪雨危険地盤、対策前に崩落 警戒区域指定急務>も注目したい点です。そこに掲載された写真には、山頂付近の緑豊かな山肌が随所にカミソリではぎ取られたような痛々しい裸地が露出し、中には土砂崩れが下方に連続して、山麓の集落を襲って土砂で覆ってしまった状態が浮き上がっています。

 

そこでは<77人が死亡した2014年8月の広島土砂災害の後、災害リスクの高い土地を警戒区域などに指定する動きが進んでいるが、対策が完了しない中で被害に見舞われた。異なるメカニズムによる地盤の崩壊が同時多発的に起きていたことも判明し、住民への周知も含めた土砂災害対策の重要性が増している。>と指摘されています。

 

<警戒区域や特別警戒区域の指定の前提となる危険箇所の基礎調査>が、完了したところもありますが、今回災害が多発した広島県、岡山県、愛媛県は未了でした。

 

この基礎調査が完了したからといって、安全対策が直ちに講じられるわけでないことは、他の類似の危険地区の例を見れば明らかです。こういった調査自体が、なかなか土地所有者の理解を得られないこともあるでしょう。まして警戒区域などの指定がされると価値が下がることを心配して、容易に指定に至らないこともあるでしょう。

 

住民の意識の変革も必要であると思うのです。災害列島日本、それは日本列島誕生以来、わが国が持って生まれた特徴、特性と考える必要があるように思うのです。

 

私見では、江戸時代までは、あるいは場合によって戦前までは、体験の言い伝えが生きていて、災害は多様であって、いつ襲われるか分からないとの意識が相当あったのではないかと思うのです。

 

それが西欧化とともに、法制度も移入し、土地利用に関する各種法制度ができあがっていく中で、所有権制度を必要以上に絶対化し、土地利用の規制をさまざまな観点で怠ったことにより、緩い土地規制に適合すれば、自由に開発ができ、どこにでも住めると言った意識がいつの間にか生まれてしまったのではないかと思うのです。

 

むろん今回のような異常豪雨が頻繁に起こるといったことは、最近の温暖化の影響もあるでしょう。しかし、気候変動でいえば、小氷期があったり、干ばつ・日照りなどはもちろん、火山噴火や大地震・大津波など自然災害は縄文期から頻繁にあったはずです。

 

やはり人間の記録として意識化できるのはわずかな体験でしかないのかもしれません。

 

ちょっと話は変わりますが、当地に来てある防災訓練に出たことがあります。その防災訓練が一体どのような意味を持っているのか、参加してよく分かりませんでした。災害は多様です。災害に応じた避難の伝達、避難路、避難先が違ってくるはずです。そういった具体の災害を想定した訓練が行われていないと思わざるを得ないのです。

 

大津波を想定した訓練が行われても、地震の時、豪雨のときはどうするかなど、実践的に行われているのでしょうか。日常の用事で忙しくて、災害訓練ばかりに応じられないというのかもしれません。しかし、災害時こそ、共同作業が不可欠です。災害弱者というか、障害のある方や高齢者など、支援が必要です。

 

それは一方的な災害警報では役立たないことは明らかです。地域に住む住民の特性に応じて、そういった伝達も、避難方法も、避難先も、日頃から訓練していないと、制度をいかに作っても対応できるはずがありません。

 

そして再び、土地所有のあり方にも災害リスクをしっかり斟酌して抜本的に変えていく時代が迫ってきていると思うのです。

 

30分と思っていたのが少し過ぎてしまいました。またいつか書いてみようと思います。今日はこの辺でおしまい。また明日。