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「やくざの人権」論議はポイントがずれているのでは?

2015-12-10 17:41:47 | 社会
このプログで一番人気の記事は、一貫して司忍山口組組長へのインタビュー記事(http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/8f4140aab492628f14087b6740c46a92?fm=entry_awp)である。もちろん私がインタビューしたのではなく、産經新聞が行ったものを転載したものである。

日本の新聞は記事をデータベース化して検索させる際、多額の費用を取るところが多いので、記事の丸ごと転載は彼らにはマイナスだろうが、一般人にとっては大きなプラスである。

それはさておき、暴力団に対する規制が厳しくなるにつれて、暴力団擁護の論陣の強くなっている。それはもっぱら暴力団構成員に対する金融機関や住居面での締め付けについてで、構成員が普通の市民生活ができないとか、子供たちが差別されている、といったことが取り上げられている。そのような議論の前提として、「やくざ」組織なるものの存在や、やくざという「人」の存在を、あたかも日本社会に歴史的に存在し続けた、正当な一個の社会集団・階層と見なす立場がある。

それは真っ当な議論だろうか。

司組長は先のインタビューで、やくざ組織は社会に受け入れられない被差別者や、社会不適合者を受け入れ、訓練して、一定の秩序に統率する役割を担っていると主張している。また組織の維持運営は「生業」によって行われており、ドラッグ等には関わっていないと主張している。まずこの後者の主張が明らかな嘘であることは誰もが知っていることである。そして前者に関しても大きな問題がある。確かに暴力団には被差別や在日朝鮮人等、日本社会で差別されてきた人々が多く含まれている可能性が高い。元公安調査庁部長だった菅沼氏等は、会津小鉄会幹部の話を根拠に相当数がそのような出身であると述べている。(https://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40)

しかし日本社会の差別の問題や、社会不適合者への対応は、日本の政治と市民が社会的に実現すべき課題である。まずこれが原則である。現実には日本社会は差別の厳しい社会であり、現実に存在する差別を見て見ぬ振りする社会である。だからこそ克服すべきであり、そのために努力してきた多くの人々の歴史がある。

しかし日本の政治とかなりの市民が、差別を容認し、自分に関係のない問題として放置してきたことも事実である。その意味では日本社会の暗黒の現実が組織として実現したのが暴力団組織だ、ともいえよう。そしてそれが明らかな犯罪行為によって富と権力を掌握する組織であることが、問題なのである。そしてその富と権力が多くの場合保守権力やそれを支える企業集団と結合しており、日本社会の市民的変革を阻害してきたことが問題である。差別されたが故に暴力団組織にはいった人がいる場合、彼らはその組織の一員であることによって、差別を生み出す構造の強化に加担することとなる。

実は日本の治安・公安組織は暴力団の殲滅には本気ではなかった、というのが私の個人的な見立てである。彼ら治安機関は現体制、すなわち保守的(対米従属的)戦後体制の維持を任務としており、反保守勢力と対峙する暴力団組織の存在は願ったり叶ったりである。最近はなくなったが、かつては市民のデモや学園紛争で必ず、右翼と称する暴力団が殴り込みを欠けてきた。組合がストを打てばスト破りに動員されるのも彼らである。またかつて長崎の本島市長がピストルで撃たれたことがあったが、このようなことをする人材を見いだすのに、暴力団はうってつけの組織だろう。

最近暴力団への規制が厳しくなってきたのが事実であれば、私はそれはいいことだと考える。暴力団構成員は組から抜ければ、普通の市民として人権を保障されよう(容易ではないし、そこで差別に直面するだろうが)。暴力団は市民的自由と人権を破壊することによって維持される組織だからこそ問題なのである。実際商店や企業を「守る」からみかじめ料を出せ等というのは、そのような脅威をもたらす暴力団組織が消滅すれば一切不要になる話である。

それからもう一つ指摘したいことがある。もし司組長や菅沼氏がいう通り、日本社会の被差別者が暴力団の人的基盤だとすれば、そしてそれを適宜統制するのが暴力団の社会的役割で、それ故日本社会に存在する根拠があると主張するのであれば、それは江戸時代の弾左衛門による関東支配と代わらないということである。あの時も幕府の統制化におかれていたが、今ももしかすると治安・公安組織の統制化にあるのかもしれない。身分制封建社会の残滓を、そして社会差別の構造が見事に維持されている実例かもしれない。

いずれにせよ、暴力団組織の解体は正しい。構成員はそこから抜けて生きる道を作るしかない。そして社会と政治はそれを要する責任を負う。形式だけの「正論」だと笑われようが、日本社会の進むべき道はここにある。


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