旧式の電車の中で。
ヴロツワフから6時間くらい、ポーランドにとっても旧式の電車に乗って、グデーニャに着きました。一応1等車に乗ったのですが、一つのコンパートメントに6席あり、エアコンがありません。お手洗いは、一応水洗ですが、穴が開くと下の線路が見えます(笑)。大学生の頃、つまり30年くらい前にフランスからスペインに電車で行ったのですが、その時の電車を思い出しました。
途中の景色。
グダニスク連帯と書かれた元造船所。この後ソポトを通り、グデーニャにつきます。
それでもコンパートメントには私たち3人と割と細身の若い女性が一人だったので、暑かったけれど、割とゆったりと座れました。他のコンパートメントを見たら、
かなり体格のいい人たちが6人座っていて、いかにも窮屈そう&暑苦しそう・・・。
グデーニャ駅の構内。新しくてきれい。
グデーニャの駅も街も新しくてきれいで、海沿いのせいか、とても開放的な雰囲気です。「第2次世界大戦の直前にポーランドが計画して作った都市だから
道路も広いし、建物もモダンなんです」と駅のプラットフォームまで迎えに来てくれた夫の大学の同級生。
グデーニャ駅前。
グダニスク、ソポト、グデーニャの3都市(Tricity)は、切れ目なく海岸沿いにつながって、3つ合わせて100万人弱くらいらしいです。
横に長いせいか、とても広く都市に感じられます。ただ、歴史も雰囲気もこの3都市、全く違う、と3都市をざっと見て回った後に
よくわかりました。
泊めていただいた同級生の住むエリア。
グデーニャの郊外にがん治療専門医の奥さんと高校3年生の娘さん、小学2年生の息子さんと四人で暮らす、駅に迎えに来てくれた夫の同級生宅に4泊させていただきました。
新しい、とご本人たちはいうけれど、それでも義姉の住むグオグフの郊外よりは古く、つまり家やお庭は少し小さめで、四角い箱のような形の家が多く、
でも綺麗に塗り直されたり、改築されていて、雰囲気のあるモダンな感じの建物が多い住宅地でした。
お散歩した後。
ハムやチーズにトマトやピクルスにパンというコラチア(簡単な夕食)の後、娘さんが焼いてくれたケーキに、最近旅して好きになったという
ハンガリーのトカイワインをいただき、夫と娘さんの通訳を介して、おしゃべりしながら、最後の方でわかったのは、なんと奥さんは次の日、
24時間勤務のシフトがあるということ!
そんな大変な日の前に、初めて会う夫の同級生家族三人ももてなしてくださるなんて、と大恐縮。
朝食時に同級生宅に来たもう一人の同級生。
次の日の朝、ゆっくり起きると、テーブルにはハムやチーズやいろんなお魚を使ったサラダ(日本人の私のためらしい!)に卵、いろんなパンなどが
たくさんのお皿が並んだ立派な朝食の用意がされていました。近くに住むというもう一人の同級生が遊びに来ていて「朝食は王様のように、昼食は王子様のように、夕食は貧者のように、というのがポーランドの食事だ」と話してくれました。オランダとかドイツの朝食みたいな感じですかね。
この同級生は、空気で膨らますマットレスを貸しに来てくれたそうです。ソファベッドに三人で眠るには狭いだろうという配慮。うう、皆さんをお騒がせして、なんだか申し訳なく、同時にとても温かい気持ちになりました。
グダニスク工科大学
早めに眠りについた次の日は、夫が卒業したグダニスク工科大学の中を見学するツアーから始まりました。ワルシャワ郊外に住む、他の同級生も
奥さん連れで参加し、ついでに私たちがお世話になっている同級生宅に2泊するとのこと。彼らは8歳の息子さんの部屋を使うことになり、
息子ちゃんはご両親の寝室に嬉々として移動(笑)。
昔のままだという大講堂で、同級生、同僚生たちと娘。
ホストの同級生が、今、大学に勤務している他の同級生たちに連絡をして、夏休み中だけれど特別に教室や研究室を開けて見せてくれる
ようにアレンジしてくれたのです。
昔の研究室にもあったという1904年の電気パネル(っていうの??)
研究室に残った同級生や、今は偉くなった、昔の助手の先生などもいらして、当時の同級生、あるいは学生寮で同室だった同窓生たち、つまり今はおじさんたち(笑)、昔話に花を咲かせていました。夫が11年ぶりに里帰りしたので、みんな集まってくれたみたいです。
研究室にいる、元同級生の一人。日本の会社が置いていたっという富士山のカレンダーを見る娘。
私が理解した範囲の話ですが、どうやら工科大学 Polytechniqueは5年で、卒業すると修士号がもらえるらしい。当時、普通の大学Universityも医学部以外は5年で、卒業すると修士になったそうです。最近は3年で終了し、学士号をもらう短い大学もあるとのこと。
夫がいた学生寮。
「同じエンジニアリングを勉強しても、大学Universityを卒業した人は、ただのエンジニアだけど、工科大学を卒業すると、マスター・オブ・エンジニアを呼ばれる」と鼻息荒く夫が言っていたので、大したことらしい(笑)。
グダンスクの造船所跡。電車からも見えました。造船所は閉鎖されたけれど、記念としてクレーンなど残してあるそう。
グダニスクは、ポーランドの民主化、そして大きな意味での東欧の民主化のきっかけを作ったと言える「連帯」が始まった、造船所のあるエリアです。連隊長、ヒゲのワレサさん、の顔がすぐに浮かぶ人は私の同世代か、その上でしょう(笑)。
グダニスクの旧市街の運河。
都市としてのグダニスクの歴史は中世にまで遡り、様々な国に占領されたり、いろんな国の人を受け入れたり、また一時は独立した自由都市でもあったと言う変遷の多い街です。旧市街の運河のあたりは、個人的にはちょっとデンマークを思わせましたし、旧市街の街中はドイツの街のようで、とても綺麗でした。
旧市街。
ブレイクダンスを見る。
アイスクリームを食べる。
琥珀を得るお店がたくさんあるマリアツカ通り。
あれこれみながら歩いていると、結構時間がかかります。お腹がすいてきたので、「魚とジャガイモ」という名前の
ベイクドポテトのお店でランチ。
小雨だけど、テラス席で。
ベイクドポテトと言っても30だか40種類くらいあります!私はお魚、娘はポテトパンケーキを注文し、夫の注文したベイクドポテトを
味見させてもらいました。
娘が頼んだプラツキ・ジミナチャーナ、ジャガイモのパンケーキ、サワークリーム添え。
夫が頼んだ巨大なベイクドポテト。メキシカンスタイルの辛いひき肉が中に入り、上にサワークリーム、彩りにレッドカラント。
私が注文した魚のフライ、クリームソースにグリンピース、ベイクドポテト。ここにもレッドカラント。
さらに散策を続けたあと、再びホストの同級生宅に戻りました。私たちが一休みしている間に、家の主人は、ハムやチーズやニシンの酢漬け、ピクルスなど、いろいろと小皿を用意して、ウォッカを飲む準備(笑)。
少しずつ夜は更け・・
とっくに夜中すぎてます(笑)。
私たちが持参した日本酒から始まり、ワインに行き、もう一人の同級生の奥さんが作ったという96度のスピリタスを使ったラズベリー酒(推定アルコール濃度30度から40度)に移った時点で、ラズベリー酒を作った奥さんと私、子供達は撤退。同級生達は朝4時までウォッカで乾杯し続けたそうな・・・。
次の日は、さすがにみんな二日酔いで、昼過ぎまで寝ていました(笑)。