アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ピロギ・ゼ・ヤゴダミ(ブルーベリー餃子)、3度目のサマーキャンプ、元軍人さんのお宅訪問 

2016-07-14 11:42:33 | 日記
ほとんど餃子といっていいポーランド料理ピロギに、いろんな具、チーズとマッシュポテト、ザワークラウトにきのこ、などを入れて食べることは知っていましたし、夫が日本でも作ってくれましたが、ブルーベリーのピロギは初めてでした。


舌が紫になります!

グオグフの街で、量り売りの定食屋さんみたいなお店に入り、そこでブルーベリー入りの餃子(?)、ピロギ・ゼ・ヤゴダミを食べてみました。


これで250円くらい。左に餃子みたいなものの上に薄紫のソースがかかっているのが、ブルーベリー餃子。

ブルーベリーの実がぎっしり詰まっていて、ほんのり甘いサワークリームとブランデーとブルーベリーを煮詰めた薄紫色のソースを絡めていただくと、
予想よりフレッシュなお味です。


セルフサービスで、好きなものを好きなだけ取ります。

写真のお皿に上の方にある、茶色っぽい穀物は、カーシャ・グリチャナ。
香ばしい味でややバサバサしてるけれど、割と好きかも、と思い、後で調べたら、なんと蕎麦の実でした!
この時はきのこソースをかけていただきましたが、他にもいろんなソースをかけて食べるらしい。


後ろに見えるのは、第2次世界大戦で壊された教会。そのまま記念碑になっています。


グオグフの街は、11世紀まで歴史を遡れるほど古い街で、ドイツやオーストリア、ロシアなどに占領され、第2次世界大戦で98%破壊されたそうです。
旧市街にあるカラフルな町並みは、戦前の建物を復元した「新しい」旧市街とのこと。


彫刻の女の子に触ろうとする娘。

ポーランドは、16世紀から17世紀にかけて、「海から海まで」(バルト海から黒海まで)の広さを誇るヨーロッパ最大の国の一つだったのに、18世紀には隣国に分割占領されて、一時は国がなくなってしまったという歴史があると聞きました。
この街の歴史を見ても、それがわかります。


OKパークの屋外

二日前は34度だったのに、今日は雨で15度くらい。娘は「OKパーク」という名前の室内外遊技場のサマーキャンプに3度目のお出まし。


なぜか黄色くなっちゃいましたが、ホールの一つの内部

サマーキャンプの先生は、ポーランド語ができない娘を快く引き受けてくれます。


フルーツの飾りを作りました。

1度目も2度目も、「おたくの娘さんみたいにみんなお行儀が良かったら私の仕事は楽なのに」と言ってくださって、
親はびっくり!

義姉の家ではみんなに甘やかされ、わがまま放題だし、スコットランドのホストファミリーにもBossy! (エバってる!)と
笑われていた娘なんですけど(笑)。


お絵描きや折り紙も教わったらしい。

あ、でも、そういえば、東京の保育園でも娘は「いい子」らしいから、「公の場」限定で外ヅラがいいタイプなのかなあ?


公園のようなお庭。

昨日は、夫の親戚で「ジェネラル」というあだ名の元軍人さんのお家にお呼ばれでした。
軍隊の階級はよくわからないのですが、第11装甲騎兵師団長で、陸軍のトップにレポートしていたというから
かなりのお偉いさんだったのでしょう。チャーミングで温かい人柄のご夫婦で、さぞかし部下からは慕われた
のだろうと想像します。


まずはビールで喉を潤しながら、おしゃべり。

元軍隊の幼稚園だったおいうお家は、お庭がちょっとした公園のような広さで、外観はあっさりした建物ですが、
中はいろんな勲章やこれまで集めたアンティークが所狭しと飾られた博物館のようでした(笑)。


娘が触っているのは手回しの「蓄音機」。

一通りお家を見学したあとに、3コースの遅めのランチというか、ポーランドでの正餐、オビアドをご馳走になりました。
金の縁取りの素敵な食器に、野菜8種類のポタージュから始まり、マスタード・ポーク、中華風チキン、さやいんげんにグリーンサラダ、そしてもちろんポテト。

デザートはクリスタルに山盛りのさくらんぼ、ラズベリーとブルーベリーのタルト、ポーランドの伝統のお菓子だというシュークリームみたいなもの、
さらにカスタードクリームを巻いたお菓子。


ハンモックで遊んでます。後ろ白いのバーベキューの火起こし台(?)

もう夜は食べられないな、と思っていたら、なんと、そのあと7時半くらいにはお庭でバーベキューが始まりました!!

立派なソーセージに、スコットランドのハギスのような黒いソーセージ、ビーフステーキ・・・お腹はち切れんばかり(笑)!!

「午後にお邪魔するってことは、昼と夜のご飯もいただくのがポーランドでは普通なの?」と後で夫に聞いたら「普通は昼だけだよ。大歓迎して
くれたってことだよ」。


ジェネラルの帽子をかぶって。

66歳だという、この元ジェネラルは、冷戦下の軍隊にいたので、進級の為に何度もモスクワの士官学校に行かされたそうです。
なのでロシア語が堪能。1989年以降は、今度はNATOに加盟したので、英語を1年勉強させられたそうですが、
いつも通訳がついていたので上手くならなかった、と笑っていました。


グオグフ市庁舎前の女の子の彫刻に抱きついて、「ラブ」。

敵と味方がひっくりかえる経験をした「元ジェネラル」ですが、冷戦、そしてそのあと10年ちょっとで引退したので
戦地には行ったことがなかったそう。

夫の甥の一人は士官学校卒業の軍人で、イラクに1度、アフガニスタンに2度赴いたそうです。ポーランドはNATOに加盟してるから、
なんですね。

日本では、軍隊の話は、すでに亡くなった祖父の思い出話しか聞いたことがありませんでした。
ここポーランドにいると、すごく近く感じます・・・。