アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

バルト海のリゾート、ソポトを散策し、新しい港湾都市グデーニャでタンゴを踊る。(そしてまた「旧式」電車で7時間・・・)

2016-07-26 12:52:28 | 日記

高校生のお姉さんと一緒で嬉しい娘。

グデーニャ滞在3日目は、バルト海随一(?)という呼び声の高い、ソポトの散策から始まりました。


夏になると有料になる桟橋から見たソポト


近いとこんな感じ

19世紀から観光地として栄えたソポトは、一時はナチス・ドイツに併合され、ソビエト赤軍によって街が破壊されたこともあったそうです。
でも戦後また観光地として復活し、ポーランド以外のヨーロッパの国の人たちも訪れる、東欧きっての高級リゾート地らしい。


お店やレストランが並ぶプロムナード、「モンテ・カジノ」、結構な人混み。


「ゆがんだ家」


バルト海のビーチ。見えるのは、ランドマークの一つ、グランドホテル。砂浜がきれいですが、海は寒そう・・・

私たちが訪れたのが日曜日だったせいか、かなりの混み具合でした。
タクシーで行って正解でした。車で行ったら駐車スペースがなくて困りそう。


マリーナもあるよ。


ザピェカンカと呼ばれるバゲットを半分に切ってトーストしたサンドイッチ。これは半分の長さです。

曇り空ですが、サングラスが必要な眩しさです。歩いていると、皮膚がジリジリ焼けてくるのが感じられ、日焼け止めを置いてきたことを
激しく後悔。海辺は日差しが強いですね〜。


なんと白鳥が!


ピエロさん。

一通り歩いた後、ソポト駅から電車に乗って15分くらいでグデーニャ駅に移動しました。


モダンなソポト駅。


箸寿司?お寿司屋さん、結構あります。

グデーニャは、13世紀にはその名前が漁村として記録されている古い町で、一時ドイツになったり、またポーランドに戻ったり、これまた
動きの激しい町ですが、現在の姿は1920年代にポーランド政府が計画して作ったものだそうです。
グダンスク、ソポトと並ぶ三都市のひとつですが、ぐっと新しい印象です。


曲線のある建物が、モダンなグデーニャ様式のもの。超シンプルなアール・デコ??


観覧車がある桟橋エリア。ちょっと横浜みたいな・・・??


子供の遊び場もたくさんあります。後ろに見えるのは新しくできたホテル。

ワルシャワ郊外に住んでいる同級生夫妻は、帰路につきましたが、グデーニャでは、他の同級生がジョインしました。
グダンスク在住だったので、寮生活は共にしなかったけれど、仲が良かった人だそうですが、会うのは大学卒業以来らしい!


少しずつメンバー入れ替わり同級生交歓。


子供用メニューのチキン唐揚げセット

ご飯を食べた後、砂浜にある子供の遊技場で娘がひとしきり遊びました。


砂が細かくて綺麗です。ポーランドの「ダイヤモンドビーチ」のひとつだとか。

娘が一緒になって遊んだ子どものお母さんと話したら、スエーデンから休暇できたとのこと。飛行機で50分でこれるし、
スエーデンからすると物価がものすごく安いポーランドは、安全だし、人気があるのよ、と話していました。
さらに北海道のパウダースノーがスエーデン人にも人気だということでした(笑)。


スエーデンの姉弟

トルコとかエジプトなど中東の治安が危ぶまれる中、ポーランドがEUの中では安全で物価が安いので、
西欧や北欧の人たちのバケーション地になっている、という話は他でも聞きました。


シーソーするところも、砂浜。

なぜか海が目の前にあるのに、「寒いよ〜」と聞いていたので足を海につけることさえしませんでした。バルト海に触れなかった
なんて、なんだかもったいなかったなあ、と今になって後悔してます(笑)。


ミロンガにて。

グデーニャ滞在、最後の夜はアルゼンチンタンゴで締めました(笑)。

日本のタンゴ友達が紹介してくれた、グデーニャ在住のオーストラリア人でタンゴの先生に連絡したところ、「ちょうど日曜日の夜に
いいミロンガがあるからおいで!僕も行くよ!」と誘ってくれたのでした。


グデーニャからの帰りの電車、少しだけ座席とお手洗いが新しいけれど、やっぱり旧式でエアコンなし。


こんな電車です。日本でいうと、鈍行って感じ(笑)??

ポーランド人女性と結婚して、ポーランドに住んで3年半になるという彼とおしゃべりしながら、二人で一致したのは「ポーランドって
思ったよりずっといい国!」ということでした(笑)。二人とも、「元共産圏だし、なんだか暗くて貧しい、悲しい国」のイメージを
密かに持っていたんですねえ。


コンパートメントには私達以外、細身の男性一人だったので、ゆったり。

「特にグデーニャは新しくてきれいで、割とみんな英語を話すし、ポーランド人って実はオーストラリア人みたいにとてもフレンドリーなんだよね」
とブリスベン出身のタンゴの先生。ヨーロッパの他の国々で教えることが多い、つまりポンドとかユーロ、たまにドルで稼ぐことが多い彼に
とって、ポーランドはとても物価が安い国なので、お得感が高いらしい。


6時間乗った後、ジョンナグーラ駅で乗り換え。

そういえば、プチェムクフに住む義姉が、ご近所で最近結婚したカップルの旦那さんがドイツでずっと仕事をしていたイタリア人なので、ドイツの年金をもらってポーランドで暮らしているので、とてもゆったり暮らせている、と話していたのを思い出しました。


あらら、今度は新しい電車でエアコン効いています!短い距離なのが惜しい(笑)。

冬は寒いけど、夏は良さそうだから、言葉の問題はあるけど、若い人は結構英語話すし、ポーランドで年金生活するのもいいかも、なんてちょっと夢想したりして(笑)。ただ、日本の年金はドイツより悪そうですが・・・!


ピカピカの車内(笑)

今回あった夫の同級生の奥さんたちはお医者さんとか歯医者さんなど、医療従事者が多かったです。

実際にお会いしたのはそのうちの二人の奥さんでしたが、がん治療専門医である一人の奥さんが
「ポーランドの医療はひどいと思う。特に一般医は自分が儲けることしか考えていない。だって、ある地域がその医者に割り当てられて、
そこにいる人数分の予想医療費を先に医者に渡すのよ。だから治療しなければしないほど、医者の儲けになるわけ。一番いいのは新興住宅地で若者が
たくさんいるエリアの担当になることね。そうしたら人数分のお金をもらえて、若いからあんまり医者にかからないでしょ?手術とかもね、公立病院だと無料
だけど、すごく長く待たなくちゃいけない。私立はすぐにできるけど、すごく高いし。医者も看護婦も数が足りないから、なかなかこのシステムが変わらないのよ」


コンピューター用に電源まであります!

義姉の一人も、「ここの医者はなかなか検査してくれない」と嘆いていました。検査すると費用がかかるので、医者の儲けが減るから、なんでしょうねえ・・・。

医者や看護婦さんは、イギリスとかドイツで働いたほうがずっと稼げるので(ただし英語とかドイツ語を習得し、その国の試験に受からなくてはいけない)、
国外流失が多いようです。年取ってからの病院事情は大切なので、う〜ん、ポーランド隠居生活は、やっぱり無理かしら・・・??

森の散歩の後、バーベキュー。

2016-07-26 09:21:19 | 日記

3本足の猫ちゃん。この辺りの有名人(猫?)らしい。交通事故にあったんだ、と飼い主の男の子が
この後で説明してくれました


二日酔いの次の日は、みんなゆっくり起きて、近くにある森を散歩することになりました。


線路と住宅の間の道を歩き始めます。

お世話になっているお家から歩いてすぐのところに散策路がありました。
最初は住宅地や線路に挟まれた道をダラダラ歩きます。


青い桑の実。


赤い桑の実。


白い実。糖尿病の薬になるとか?

いろんな色の実があったり、野生のさくらんぼがあったり、つまんで食べるのも楽しいです。


軽く押すとプチっと開いて、丸くなる、マメ科の植物??

小さな黄色い花をつけた植物の、細長くて小さなインゲン豆みたいな実を押すと、プチっと開いて、種が飛び出し、サヤがくるりと
丸くなります。プチ、くるり、が楽しくて、やめられなくなりました(笑)。


保存林の中。

しばらく歩くと、保存林が始まります。いきなりひんやりするので「暑い日にはもってこいの居場所」だそうです。
数日前の豪雨で、倒れている木もたくさんありましたが、ここから移動してはいけないらしい。


コウモリが冬眠する場所になってしまったらしい建物の説明。


気分は「ドーラの大冒険」!

2時間ほど歩いたでしょうか?大人たちは、やっとアルコールと眠気が抜けてきたようです(笑)。


家探し中のカタツムリ、あるいは、単にナメクジ??


お花がたくさん咲くお庭を通って、帰ります。

さて、お家に着いたら、今度はバーベキューの準備。
すでにお肉やソーセージは用意してあったので、近くの「よろづやさん」で、お野菜や果物、お酒などを調達します。


さくらんぼやトマト、他にもいろんなベリー類が並び、教会のバーベキューのお知らせが貼られている店頭。


ガラスケースに入ってないケーキの周りに、ハエがぶんぶん飛んでます・・・


お野菜、いろいろ。

他にも洗剤やシャンプー、クリームなど、日用品が一通り揃う小さなお店でした。
小学生の頃、ええと、40年ほど前ですね(笑)、祖母の実家に遊びに行った時に、こういうよろづやさんがあったような気がします。
あ、そういえば、10年以上前、「東京都」御蔵島に行った時にも、よろづやさんがあったなあ・・・。
でも、ここはグデーニャという都市の郊外で、それほど田舎じゃあないんです。


お庭でバーベキュー始まりました。


たくさんのソーセージ!

ガスでなくてコールのバーベキューなので、火を起こすのに時間がかかります。
空気を入れるマットレスを貸してくれた、近くに住む同級生が「焼き係」として参加してくれたようです。


ハギスみたいな、ブラックソーセージ。

どんどん焼いて、どんどん食べます。
ソーセージが何種類も、さらに牛肉や鳥のモモも焼きます。


ナイフを入れると、マッシュポテトが弾け出る、ジャガイモのソーセージ!

ジャガイモのソーセージ、というかマッシュポテトをソーセージ形に成形したもの、というのは話には聞いていましたが、初めて
食べました。まあ、ひき肉入りマッシュポテトって感じですかね。

さっき買ったお野菜は、さぞかし美味しいグリルになるだろうと楽しみにしていたら、あらら、そのまま台所に放置(笑)。
もろに「ザ・お肉」(と、ジャガイモのソーセージ)なバーベキューです!


ギター曲集を見ながら、思い出の曲を歌う。

夜も更けてきて、いい感じにみんな出来上がってきたら、今度はギターを引っ張り出して、合唱大会(?)。
ジョニー・キャッシュやレナード・コーエンのポーランド語版や、娘がわかりそうな「マクドナルドさんの牧場」(だっけ?)
などを経て、大人たちが妙に盛り上がって歌っていたのは、聞いたことがない曲の数々。

「これは大学生の間で流行っていた反体制の歌で、一般には知られてない曲だよ」と教えてくれました。

寮生活の思い出話で、夏休み中に、二人部屋に七人「違法に」泊まり込んで、監視役の人に怒られ、それでも黙って泊まり込んだ話を聞いていて、
それがどれほど面白くてすごい話なのか、よくわかんないなあ、と思っていたら、同級生の一人が、
「当時は共産主義下だったから、今と全然ちがうんだよ。特に戒厳令があったりしたクレイジーな時代だったんだ」と解説をしてくれました。

80年代に学生時代を送った彼らは、まさにポーランド激動の時代を経験したんですね。
国のシステムがひっくりかえるのを目の当たりにしながら、寮生活を一緒に送った人たちの絆はそれこそ強いんだろうなあ・・・と、
ポーランドとは真逆の、日本の80年代後半にバブリーな大学時代を過ごした私は、ぼんやりと想像しておりました。