アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

大好評の紅茶豚、折り紙&日本語の名前書き、そして無事に東京に戻りました!

2016-08-24 22:50:50 | 日記

折り紙の「鶴」を教えています

最後の最後にちょっとした「文化交流」をして、おかげさまで無事に東京に戻り、暑がっております(笑)。


5歳児が後ろにくっつきながら、折り方の説明中。

おそらくことの起こり(?)は、義姉が会長をしている「第3大学(地域で定年した人たち対象に行う講座やイベント)」の集まりで、「うちの義妹が
日本人で、たまたま東京から来ている」という話にでもなったのでしょう。
好奇心旺盛なおばさま方が集まっているらしいので「じゃ、その人に日本の話をしてもらおうじゃあないの」→「日本っていうと、やっぱりオリガミ?」→「じゃ、折って見せてもらおう!」みたいなノリだと想像してます。だって帰国するちょっと前にいきなり言われたんですから(笑)。


参加者の名前をひらがなとカタカナで書いています。

当日になって「あとね、みんな自分の名前を日本語で書いてもらいたいらしいんだけど、いい?」と聞かれました。
もちろん、おやすい御用です(笑)。お習字下手でも、わかんないだろうし!

そういえば、グダンスクでは「日本語であなたの名前書きます」という屋台(?)がありました。
話してみると日仏のハーフの若者で、日本語は流暢ですが、お習字は要練習(笑)。それでも筆を使って、台紙に貼られた和紙にひらがなで
書かれた文字、ついでにサイン代わりに朱色の印章を押されると、なんとなく「それっぽい」感じがするのです(笑)。
ちなみに一枚5ズロテ(130円くらい)。


興味津々。でもへたっぴーで申し訳ないです・・・

まあね、私もアラビア文字で自分の名前を綺麗に描いてもらえたら嬉しいし、香港で花文字で自分の名前を書いてもらったことあるし、
同じような感覚なんでしょうね。ただ、私が書いたのは超シンプルなので申し訳ないのですが・・・


娘もオリガミを「教えて」、自分の名前を日本語で「サイン」してます。

折り紙で私がすぐにできるのは「鶴」のみ。
まあ、でもね、全部で1時間だと聞いたので、折り方説明して、日本語の名前を書いてあげたら終わりだな、
と簡単に考えておりました。


「本当は人の名前を書いてあげたかったの、でも自分の名前しか書けないから」と娘。

しかし、普段は手が覚えていてやっていることを、改めて言葉で説明しながら、さらに通訳が入り(夫が英語からポーランド語に通訳してくれました)、
ゆっくりデモンストレーションするのって難しんですね〜!
途中で逆に折ってしまって、鶴が開かなくなり、パニックしました(笑)。


まずはケーキとコーヒーから始まる、第3大学です(笑)。

また、途中で娘が「私の方がもっと簡単なやり方を知っている!私が教えたい!」と癇癪を起こして、泣き叫び、途方に暮れてしまいました・・・。
が、さすがそこは皆様、お孫さんがいらっしゃる方々なので、すぐに「おばあちゃんモード」になってくださり「ああ、そうなの、上手ねえ、
教えてちょうだい。あなた、名前もかけるの?じゃあ、あなたのサインを日本語でちょうだいね〜」となだめるのもプロ級、さすが!


一通り終わると今度はワインです(笑)。

1時間の予定が、間にいろんな質問があったり、おしゃべりがあったり、鶴も何度かやり直したりで、結局2時間半くらいかかりました。
10人くらいかも、と言われていたのですが、蓋を開けたら20人以上集まっていて、さらに11歳の男の子やそのおじいさん、15歳くらいの
女の子までいて、賑やかでした。

最後にみなさんからお礼の素敵な銀のペンダントとイヤリングをいただき「第3大学のためにありがとうございます!いつでも大歓迎なので、
また来年も再来年も来て欲しいです!」と言ってくださり、なんだかいい気分(笑)。


後ろのレンガの建物が「第3大学」の教室。

その前日に、夫の家族を招いてのディナーだったのですが、そこで作った紅茶豚が義姉たちに大好評。
「第3大学」の終わりに義姉が「昨日作ってくれた日本の豚の料理がとても美味しかったので、レシピも教えてもらいましょう!」というので、
cookpadからの引用そのままのレシピをお伝えしました(笑)。

必ずしも日本料理とは言えないかもしれませんが、まあ、お茶でお肉を茹でる、という発想がショッキングで面白かったようです。
一見ローストしている風なのに、食べてみるとしっとりと柔らかいのも驚きだった様子で、みんな一生懸命メモ取っていました!
今週末のプチェムクフ村では、たくさんの家族のテーブルに紅茶豚が出そうな気配・・・(笑)


15人のはずが10人のディナーになりました。

普段から、家族総勢10何人で集まる習慣のある義姉たちの家には、巨大な鍋釜がゴロゴロしていますし、お台所も表キッチン、裏キッチン、
さらに一人の義姉の家にはスモーク用の第3キッチンまであります(笑)。


私と夫が作る、はずが義姉たちに頼りっぱなしでした

チキンドラムスティックのパイン缶煮も作りましたが、ドラムスティックの大きさが日本の3倍(笑)。それを35本、大きなパイン缶を
3つを知るごと入れても、まだまだ余裕の鍋がたくさん。だって、他にジャガイモとか人参、野菜をゆでるだけでなく、スープも作らなくちゃ
いけないから、大きな鍋やフライパンなどはいくつあっても足りないんですねえ。


義姉たちが作ってくれたプラムのクランブルケーキとアップルケーキ、美味しかった!

普段からろくに料理をしていないせいもありますが、今回いくつか日本っぽいお料理、そして普通のポーランドのスーパーで手にはいる材料で
できるレシピを探しながら、改めて、日本のお料理はお砂糖(みりんも甘いでしょ?)をたくさん使うんだなあ、と驚きました。

もともとはデザートってあんまり食べないですよね、日本では。すでにお食事でたくさん甘い物取っているんですよね、気がつくと。
お魚もお野菜も、煮物ってなると甘辛の味付けがメインだし。


腹ごなしの散歩。

「第3大学」は今週末、サイクリング1泊旅行で古城を見学するそうです。皆さんスタミナあります!「日本もそうみたいだけど、ポーランドも
定年した後は、女性の方がぐんと元気いいねえ」と夫と二人で話しておりました。


もう一度、義父のお墓詣り。

最後にまた義父のお墓に行き、今度はちゃんとたくさんのロウソクをともしてきました。
今回は前回のような「サイン」(?)はなかったようですが、最後にご挨拶できた気がして、よかったなあと思います。


最後の朝ごはん

夫と私だけでクラコフ旅行している間、一人で過ごした娘は、ちょっと里心がついたらしく「ママと一緒に日本に帰る」と言い出しましたが、
数日一緒に過ごしたら「う〜ん、やっぱりお友達とも遊びたいし、もうちょっと後で帰る」(笑)。


ヴロツワフ空港で、別れのコーヒー(?)

夫と娘は9月中旬に帰国予定ですが、もしかしたら少し早まるかな?


浮き輪、気に入ってます〜!

あ〜、それにしても7月頭から今まで、おかげさまでよく遊びました!
夫や夫の家族やお友達にすっかりお世話になって、大感謝です!
本当にいろんな人たちのお世話になって、なんだか30年以上も前に経験した、高校時代のAFS交換留学生だった時のようです。


バランス〜!

そう、今回は家族3人で、高校の時のホストファミリーにも会えたし、通った高校も見てきたし、また夫の大学や同窓生、幼馴染にも会えたし、
これまでの人生がぐるっと一巡した感じがします。


最後に風船ガムでバイバイ!

さて久々の時差ぼけ、どのくらいでなおるでしょうか??