アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

出発ならず、まだプチェムクフ村に・・・。

2016-08-02 06:13:52 | 日記

途中の町、ホチャヌフで一服。

出発前に、「念のため、車を整備に出しておいたから」と一番上の義姉が言い残してフランスに旅立ちました。が、整備が終わらず、私たちは、まだ出発できていません(笑)。彼女がいない間に、車を使わせてもらうことになり、1週間くらいあちこち回ろうと思っていたのですが。


ヴィジュアルはソフトクリームですが、メインは、ナチュラル・アイスクリーム、新鮮な果物を使ったアイスクリームで美味しい。あちこちでナチュラル・アイスクリームの看板を見かけます

最初の予定では7月末に帰国するつもりでしたが、状況が変わり、帰国を9月半ばに延長しました。が、また変更があり、私だけ8月下旬に帰国することになりました。なので、ポーランド内を見る予定もくるくる変わります。夫が友達に連絡をすると「うちに遊びにおいで、泊まりなさい」と言ってくれるので、また予定が
変わります(笑)。さらに「そんなレンタカーなんかしないで、私の車を使いなさい」など、皆さんいろいろ親切に言ってくださるので、予定がさらに変わる(笑)。


ホチャヌフ、小さい町ですが、綺麗に手入れされていて可愛いらしい。

ということで、まだ2番目の義姉のお家におり、ついでに近くのお城、Zameck Grodiec、グロジェツ城に連れて行ってもらいました。ここはユースホステルにもなっていますが、あちこちまだ修復中で、半分壊れたまま(?)の13世紀のお城です。


入り口はこんな感じ


周辺にある古城マップ


向こう側に1500mちょっとの山脈があるのですが、この写真だとよくわかりませんね・・・


窓のあるあたり、一部ユースホステルになっています


城壁の内側にある、お手洗い、というか、穴


内部。結構ランダムに家具が置いてある


ステンドグラスは新しいものらしい


中庭を見下ろす


お堀の周りにはちょっとした遊び場になっています

こういうお城や小さな町の作り(教会とか市庁舎を中心に広場がある)を見ていると、当たり前ですが、ヨーロッパにいるんだなあと
思います。逆に言うと、私の無知もあり、「うわ、これがポーランド!」という感じがしない(笑)。クラコフとかワルシャワといった、もっと
大きな街に行くと感じるんでしょうかね??


帰り道、結構な数の風力発電が見えました。

「ポーランドに来て、どう?日本とすごく違うと思う?」と、シドニーで8年暮し、日本にもちょっと遊びに来たことのあるプチェムクフ村の甥っ子に
決まれました。


近くのボーリング場。東京よりレーンが短くて狭いような・・・?

「う〜ん、風景は確かに違うよね。日本は山がちだから、だいたい田舎に行くと山が見えるけど、ここは平べったいし、田んぼでなくて麦畑がある、とか。でも、プチェムクフにいると、祖母の実家のある山梨や祖父の実家の宮城の田舎に行ってるような感じがするのよね。車がないと生活できない、とか、時間の流れがゆったりしてる、とか。パッと見たポーランドの人たちは、オーストラリアよりも日本に近い感じもする。ちょっと遠慮がちな感じとか」

ただ、話を聞くと痛ましいことが多いのです。遠い歴史の話を持ち出す以前に、数十年前までプチェムクフ村はソ連軍に占領されていたので「ここから先は入れなかったんだよ」とか、「よく爆撃練習をしていて、音がうるさかった」とか。恐ろしいことにこの近くに核爆弾もあったらしい・・・!


全部でレーン3本です

夫の里帰りにくっついてきているので、私にとっては初めての国ですが、よく接する人々は、前からよく知っている人がほとんどです。そのせいもあり、
違和感が少ないのかもしれません。一人で放って置かれたら、特に田舎のこの辺りは英語はあまり通じないし、ホームページもポーランド語しかなかったりするところが多いので、かなり戸惑うんだろうなあ・・・。


養蜂家の「エコミュージアム マヤ」(ミツバチマーヤから来ているらしい)にて

近所にある「エコミュージアム」という名前の、個人でやっている資料館のようなところに連れて行ってもらいました。実際にその仕事をしている
人が個人でワークショップをしたり、資料館を作っているところをエコミュージアムと呼ぶそうです。

ヒースの花の蜂蜜はとても栄養価が高くて、値段も高く他の蜂蜜の2倍する、とか、ポーランドで養蜂場を最初に始めたのは修道士だとか、いろいろな
お話を聞きました。ついでに、この辺りで日本人が来たのは2度目だと言われました(笑)。この辺出身のポーランド人男性が、
日本の車の会社で働いて、日本人女性と結婚して、連れて帰ってきたことがあるそうです。

そのあとで、義兄に「プチェムクフ村に来た日本人は君が初めてだ!」と言われ、なんだかちょっと嬉しくなりました(笑)。