アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ワルシャワ、期待していたよりずっと素敵!ミロンガも行きました。

2016-08-10 06:32:24 | 日記

ワジェンキ公園でゴーフル(ベルギーワッフル)を食べる

「ワルシャワは、第2次世界大戦でかなり爆撃を受けたから、ほとんどが新しい建物で面白くない」と、
いろんな人から聞かされていました。


ワジェンキ公園。

でもね、ワルシャワ初日、まず訪れたワジェンキ公園、広々としてとてもきれいじゃあないですか!


ワジェンキ公園。

実はワルシャワをほとんど知らない夫が「ワルシャワで観光というと、まずワジェンキ公園ってみんな言う」というので
行ってみたのです。


ワジェンキ公園。

お天気の良さも手伝って、気持ちのいいことこの上ない。歩いていると、かなり日差しが強くて、ジリジリしてきます。


ワジェンキ公園。リスが餌をもらいに子供に近づいてる。

リスもあちこちチョロチョロしていて、ちょっとニューヨークのセントラルパークみたい?
「ワルシャワ、思ったより、いいね〜!」と、ポーランド出身の夫。初ポーランドの私と同じレベルのお上りさんです(笑)。


ヴィラヌフ宮殿

17世紀にイタリア人建築家によって建てられ、18世紀に拡大されたという、バロック様式の夏の離宮ヴィラヌフ宮殿。
ちょっとヴェルサイユ宮殿を思わせる庭園もあり、これまた歩いて楽しい。


ヴィラヌフ宮殿。


ヴィラヌフ宮殿。


ヴィラヌフ宮殿

屋内は写真禁止だと思ったら、フラッシュ禁止だけだったので、慌てて撮った、天井絵。天使の足が一本だけ飛び出しています!


旧市街にあるワルシャワ王宮(右のピンクの建物)

実はワルシャワの旧市街は世界遺産に指定されています。
世界中に数多ある世界遺産の中でも極めて例外的な存在だそうで、それは、街自体が持つ歴史的価値ではなく、第二次世界大戦中灰燼に帰した街並を「レンガのひび割れ一つに至るまで」忠実に蘇らせたワルシャワ市民の「不屈の熱意」が評価されて登録が決まったという唯一の史跡群だから・・・。


ワルシャワ王宮内。

ワルシャワ王宮の中を見学していたら、とある親子に話しかけられました。


ワルシャワ王宮内。

日本が大好きで何度も訪れたというオーストラリアに住むポーランド出身のお父さんが「ここの床は私の父が作った(復元した?)んですよ。
今回娘を連れてフィレンツェやヴェルサイユ宮殿を回りました。天井絵や飾ってある絵画や調度品は、あちらの方がここよりずっと優れていますが、
床に関してはワルシャワ王宮が断然素晴らしいと思います」


話しかけてきた人のお父さんが張り直したという床


このお父さんのお話がさらに続きます。
「父は何度もこの床を作り直した、と話してくれました。二条城の鶯張りの床のように、キューキュー音がしてしまったから。結局真ん中あたりを周辺部より10センチ以上高くすることで、音が鳴らなくなったそうです」


新世界通り

こういう人たちの努力、熱意が集まって、戦争で80%以上破壊された街が見事に復元されたんですね・・・。


聖アンナ教会。白くて四角いのが、ヨハネ・パウロ2世の展覧会

ローマ教皇だったヨハネパウロ2世とポーランド、というテーマの路上展覧会(?)があったので、ざっと見てみました。


クラクフ郊外通り

ポーランドがキリスト教になったのが966年、今年で1050年目の記念の一環らしいです。
共産主義から民主化に至る精神的な支えがカトリック教会だったというポーランド、反骨精神、反体制のシンボルでもあったわけですね。


大統領官邸

ヨハネ・パウロ2世がまだ学生(?)だった時に、同級生のイタリア人が「ナチズムや共産主義を他の国でなくてポーランドが経験したのは、
ポーランドがその試練に耐えられる国だったからではないか」と言ったことに、ヨハネ・パウロ2世が深く同感した、というような
ことが書いてありました。カトリック的な精神があったからこそ、ナチズムや共産主義以前の、分割統治で国がなくなってしまう
ほどの受難にも耐えられた、ということでしょうか・・・。


文化科学宮殿。共産主義時代の象徴だそうで、独特の存在感

「ワルシャワは結構アルゼンチンタンゴが盛んだよ。行くなら、ここのミロンガがいい」とグデーニャであったオーストラリア人のタンゴの先生が教えてくれた
ミロンガに親子三人で行ってみました。親子連れはもちろん私たちのみ。ついでに踊れない人は夫だけのようです(笑)。


結構混んでるミロンガ

テーブルについてすぐに英語で話しかけてくれた60代くらいの男性と女性のカップル曰く、「ワルシャワにはアルゼンチンタンゴを踊る人は千人くらいいるけど、
みんな知ってる人とか踊らないんだよね」。確かに私を誘ってくれたのはその男性のみ(笑)。

仕方なく娘と遊んだり、夫とおしゃべりしていたら(!)話しかけてくれる女性たちが結構いました。
「男性が少ないし、若い女の子と踊りたがるの。だから私みたいな年齢の女性(60代くらいか??)はなかなか誘ってもらえないわ。ワルシャワもクラコフも同じ。でも娘が住んでいるイギリスのリバプールに遊びに行って、そこのミロンガに行った時はみんなが誘ってくれて最高に楽しかったわ!」

男性が少ないのは、アルゼンチンタンゴの世界的傾向よね〜、と私とその女性のおしゃべりは続くのでした・・・。