アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

3・11のこと

2012-03-12 20:20:29 | 日記
昨日は3月11日、大地震があった日からちょうど1年経ちました。
私たちが今、東京でなくてシドニーに住んでいるのは、この震災があったためなので、いろいろな思いがこみ上げてきます。
都心で慰霊祭のイベントもやっていたのですが、う~ん、ちょっとパスかな、といつもの通りに散歩にでかけました。



ちかくのビーチでは、コンサートをやっていました。



ミュージック・イン・マーチ、というテーマで、再来週まで毎週日曜日、いろんな音楽のコンサートがあるようです。
ちなみに昨日はソウルでした。


母親グループの仲間がつくってくれたよだれかけ。ちょっとカウボーイ風!?お弁当つけまくりで食事中の娘。

去年の2月にシドニーで挙式をし、3月には東京に帰って6月に出産するつもりで、3月上旬に香港経由で東京に
帰るフライトをとりました。3月9日に香港につき、3月12日には東京に出発する予定で、3月11日は
レパルスベイでお買い物を楽しんでいたのです。


う、ちょっとこの味は・・・とためらう(?)娘。

さんざん安物買いを楽しんだあと、タクシーにのると、「日本の人?地震あったね、大変だね」と運転手さん。
英語がわかりにくいので、聞き流していたのですが、何度か「ツナミ」を繰り返すので、香港人の友達に
電話しました。
「ちょうどホテルにメッセージを残したところなの。大変よ、ツナミで空港が閉鎖されているみたい」

ええ~!?

なんだか信じられませんでした。すぐに東京の実家に電話をしましたが、何度かけても通じません。

どうやら、本当に大きな地震が起きたみたいだ、と事態の深刻さが少しずつ感じられてきます。


なんだかなあ、とでも言いたげな娘。

何度かかけて、やっと叔母の家に偶然つながりました。これはラッキーでした。
とりあえず東京の家族はみんな無事で、家も、中にあるものもそれほど壊れていないらしいし。

そこから、結局香港に5週間滞在し、様子をみていたのですが、何しろおなかの赤ちゃんは待ってくれず、
どんどん大きくなります。飛行機に乗れる時間も限られています。一度香港から出たら、もうそのあとは
動けないでしょう。

シドニーにするか、東京にするのか。


砂にも大分なれてきた娘。

はっきり言って、シドニーはいやでした。街自体に魅力を感じないし(10年くらい前、はじめてシドニーを訪れた時、
もう2度とこない、と宣言したくらい、好きじゃなかったのです!)
家賃は高いし、物価も東京より高いものが多いし(生鮮食料品は安いかもしれませんが)、
出産も、国民保険がない私は私立病院しか選択肢がなく、そうなると数百万円はかかりそう。
要するに経済的な理由です。

おりしも夫が経営していた会社がうまくいかなくなり、会社のみならず、マンションなどの不動産、車などすべて
処分してしまったところでした。


砂遊び、楽しいぞお~。

東京なら、住むところはあるし、ビザの心配なく、私も仕事ができます。夫はオンラインで
仕事をするようになったので、どこでもできる。そして、私自身の家族や友達もいる。病院も決めてある。

でも・・・震災のあと、時間が経つにつれ、どんどん情報が混乱してきますし、隠されていた情報などもでてきました。
いったいどういうことになっているんでしょう?
東京はあぶない、とくに赤ん坊にはよくないから、シドニーに戻りなさい、とたくさんの友人たちが心配して
アドバイスしてくれます。選択肢があるんだから、と。


ぐお~~!!

両親ともじっくり話をしました。
生まれてくる赤ちゃんを最優先に考えなさい。
放射能の危険性は、何とも言えない。何十年もたってみないと答えはでない。
でも、経済的な理由で、より安全な選択肢があるのに、それを選ばなかったとしたら、あとで後悔するかもしれない。
できるサポートはするから、シドニーに戻った方がいいと思う。
こう言われた時には、本当にありがたいと感謝の気持ちでいっぱいでした。

4月14日にシドニーにもどり、しばらくは夫の姉の家に居候をして、住処を探しました。
前にも書きましたが、空き部屋率1%なので、大変です。ビザの申請もしなくちゃいけないし、
病院も決めなくちゃいけない。つわりはたいしたことなかったけれど、臨月が近づくと
胸焼けで気分の悪い日が多くなりましたが、物件見学をしなくてはいけません。車探しも
しなくちゃいけない。(ところで、中古車もとても高いのでびっくりしました!)

どんどん大きくなるおなか、でも物事は遅々として進まず、このままじゃ、何もととのって
いないまま、赤ちゃんが生まれちゃう。。。

5月になり、医者の姉が手伝ってくれて、とてもいい公立病院に決まりました。
仮ビザもおりたので、国民保険が使えるようになったのです。
5月も終わりになって、やっとマンションが決まり、中古車もとてもいいものが見つかり、
6月あたまに引っ越しをし、同じ月の16日に娘が生まれました。



大雨の日、自然分娩で、といわれ、それじゃあ、とばかりにヒプノバージングで水中出産で、、、と
いろいろ計画したのに、緊急帝王切開となりましたが、おかげさまで、無事に大声をあげて元気に生まれてきました。

私の遠縁が仙台に住んでいて、家が流されたり、大変な思いをしたようですし、まだまだ被災地の
問題は解決していません。私たちがシドニーに戻ってからの大変さ、など比較するのも申し訳なくて、
自分たちの状況に「大変」という言葉を使うのもおこがましく思えます。

日本にいなくてラッキーだった、と言ってくれる人もたくさんいます。

そしてラッキーだったと思います。
同時にたくさんの被災者の方々の困難や悲しみを思うと、言葉を失います。
亡くなった方のご冥福と、被災地の一刻も早い復興を心からお祈りします。



娘のために、と、たくさんのいろんな人にサポートしていただいて、シドニーに戻ることにしました。
おかげさまで元気ですくすくと育っています!とってもありがたいことだと感謝しております!