あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

卒業式

2006-03-28 01:54:54 | 教育
 23日に小学校で兄の学年の卒業式があった。
 
 最近の卒業式というのは初めてなので、自分達の頃とは大分違うなと、最近の小学生は大変だなと(卒業証書をもらう前に、ひとりひとりがひと言ずつ―宣誓と言うのだろうか―言ってからやっと証書をもらえるという、私だったら、どえらく緊張してしまうだろう七面倒くさい手順があるのだ)思いました。そんな親の心配をよそに、皆しっかりと卒業証書をもらっていったのですが、兄のクラスの生徒たちの多くが、自分にとってクラスの友だちがいかに大切だったか、支えだったかということを、心から発表していたのが、クラスのよい雰囲気を表していて、とても好ましかったです。そして代表による答辞とかも無くて、卒業生全員による”別れのことば”が、やはりひと言ずつ発表されました。それに対して、4,5年生が同じように送る言葉を発表して、そして卒業生、在校生一緒に唄を唄うんですが、子どもたちの歌声にはどうにも弱くって、思わず泣きそうになりました。その時は何とかこらえた涙も、クラスでのお別れの時の、担任の先生の涙には、生徒たちも保護者たちも皆、涙々でした。5年生、6年生と二年間子どもたちを見守り、教え育ててくれた先生には、その出会いが、息子達にとってどれだけ貴重で得難い素晴らしいものであったかと思うと、只々感謝の気持ちで一杯です。「 すきなひととわかれるのはつらいんや 」と言って、二年間ずっと発行し続けた学級通信(クラス全員ひとり残らずこの通信でとりあげられた―わが子に関して言えば、彼が落ち込んでいるであろう時に励ますように通信に載せてくれたことを思い出します)の名前「SABOTEN通信」にちなんで、皆に小さなさぼてんの鉢が配られました。(最後の通信の内容は、通信の命名の秘密を語りながらのさりげない子どもたちへのエールでした。彼ら全員しんとして最後の通信を読んでいました。この通信の内容の濃さを思うと、この発行だけとっても頭が下がります。)

 思えば、この学年の(今のクラスとは違いますが)兄のクラスは4年生の時に、”学級崩壊”と呼ばれる荒波の時期があったのですが、卒業式のあとで行われた保護者と担任の先生方によるお祝いの会で、この時荒れていた中心人物の生徒のお母さんの、「息子は、あの時のことを振り返って、あの時の自分はもういない。自分はうまれかわった、と言っています」という言葉を聞いて、親にとっても辛かった時期ですが、あの大波を乗り越えて今の彼らがあると、今となっては禍転じて福となす、とでも言った気持ちになりました。会では、わがクラスの担任の先生に対して、お母さん方より「先生大好き!」「私も大好き!」「その願いはかなわんよ」「じゃあ愛人一号ということで」などという発言も飛び出して大いに盛り上がりました。

 彼らがこれから出会うであろう山や谷はさらに高く、さらに深いでしょうが、彼らの前途にこのような幸福な出会いがあることを只々祈らずにはおれません。
 そして、今は只々感謝しています。

 ところで、卒業生退場の時に流れた唄は、「さくらのはなびらがどうしたこうした」とかいうたぶんいまどきのヒット曲だと思いますが、誰か曲名をしらないでしょうか。ボーカルは男性です。「舞い散る」だったかなあ。


※ココログのほうに映画「チャーりーとチョコレート工場」の感想をアップしましたので、よかったらのぞいてみてください。