あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

現代人のすききらいの観念性=子どもっぽさとか

2008-10-30 23:22:57 | 日記
 以前、作家の故宇野千代さんが、雑誌「クロワッサン」連載記事で、自分より若い世代の”食べ物のすききらい”について、「なにかをきらうそのきらい方が観念的なのよ」と評していて、私も、こと食べ物のすききらいに限らず、現代では、経験に乏しく観念的になりやすい若者だけでなく、大人のすききらいも、総じて”観念的”だと思う。例えば、バタークリームのケーキと生クリームのケーキでは、バタークリームは”ダサい”ので絶対生クリームだとか、ワサビは食べれないとか、ソース味はちょっととか、ソース顔よりおしょうゆ顔だとか、男も眉毛は濃すぎない方がいいとか、ほんとにどうでもいいじゃんそんなことって感じで、どうでもいいことに異常にこだわられると「ふ~ん」としか言えない自分がいます。すききらいとか好みとかは個性のひとつだと考えておけばいいと思うので、そういう嗜好は普遍化しようと力説する(他人に強制する)ほどのものではないと思う。「ドン・キホーテ」のサンチョ風に四字熟語を使って言うと、そんなことは「不易」ではなく「流行」ではないかと思う。

 最近、「あの勝海舟が「源氏物語」を読んでいたらしい。ちょっと彼の趣味ではないので驚いた。」という新聞記事を見かけたけれど、「源氏」も「枕草子」もどちらも女性作家らしく母性原理のぷんぷんする作品である。「源氏」の「雨夜の品定め」も文中で女の品定めしているのは男性だが、それを書いているのは女性(紫式部)だし、「枕草子」は、まるで「これ超かわい~い!」の世界である。昔から、そういう細部にこだわって、色々なことを細かく気を使って生活していくのが女性なのだろう。時々、そういうのがしんどくなる。自分にもある性質なのだが、意識的に、そういう部分が強くなりすぎないように気をつけている。「どうでもいいじゃん、そんなこと」と、意識的にいいかげんになるようにしている。そうしないと、自分も、母性過剰な現代日本のバランスの悪さにのみ込まれて、さらに母性を過剰にする方向に行ってしまう、どうでもいいことにこだわって、自分も周囲も息苦しくさせてしまうからだ。そういう時、私は、我が家のふたりの少年を参考にしている。彼らの”抜けっぷり”を見ることで、かなりバランスを取らせてもらっている。


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