あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

今年もあと少し

2005-12-30 22:28:54 | 日記
 今年も、残すところあと一日となってしまった。今、書いているのが、今年最後のブログの更新となりそうです。

 今年を振り返ると言っても、あの9・11ショックからまだ抜け出せないままに今年が終わってしまいそうだと言ったところが、正直なところでしょうか。
 今年前半にあったことが、ほとんど意識のなかから吹っ飛んでしまったような気がします。日本代表のWカップ予選突破もはるかかなたの出来事になってしまって、いまいち気分も盛り上がってこなくなってしまった。
 この状態は、まるであのハリー・ポッターシリーズの「アズカバンの囚人」に出て来る”吸魂鬼”―ディメンターによって魂を吸い取られてしまった抜け殻のような状態に似ているのではないだろうか。(恐るべしディメンター=小泉マジックである。)

 前の記事で「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の映画のことにちょっと触れましたが、(※この映画の感想はココログのほうにアップしましたのでそちらをよかったら御覧になってみてください)悪(ヴォルデモート)と闘うハリーの勇気が描かれるあのシリーズや、今年ヒットした映画「チャーりーとチョコレート工場」(原作「チョコレート工場の秘密」)で描かれているストーリーに物足りなさを感じたとしたら、それは、私たちを取り巻いている「がらくた文化」によって毒されて、瑣末なことばかりにこだわるあまり本質を見失っているということだと思う。ハリーの勇気や、貧しくてもまともなチャーりー少年のことをつい皮肉っぽい目で眺めてしまうとしたら、それは「きょうだい主義社会」(「大人とは・・」の記事参照)のそうとう重症な病にかかっていること間違いなしなのです。そして、良質の子どもの本を読むことが、そこから抜け出す最良の処方箋だと私は思っています。私自身も自分のために子どもの本を読み続けています。そうすることが、吸魂鬼の影響から逃れる唯一の道のような気がするのです。
 「ゲド戦記」の訳者清水真砂子さんは著書 「幸福の書き方」 の中で、こう述べられています。

 子どもたちに人生の初めから、「人生は生きるに値しない」なんてそんな物語をどうして手渡せましょう。意味という意味が解体に向かわせられている時代に、それに拍車をかけるものを手渡そうとするなんて、それはもう罪悪だとさえ思います。(同書80ページ)

 と述べられたあとに、民族文化映像研究所、姫田忠義さんの

 「文化というのは、私たち人間の生きる力がなえた時、弱まった時、くじけそうになった時に、私たち人間を支えて、生きる力を強めるものだ、とわたしは定義したい」 (同書81ページ)

 という言葉を紹介しています。
 そして、

 今という時代を生きのびるということは、そういう根拠のあるよろこび、そういう明るさをどこまで持ち続けられるか―へこたれずに、・・・・(85ページ)

 とも、


 お正月休みに、もう一冊くらい読めるかな・・。
 
 では、皆様よいお年をお迎えくださいませ。