先の東日本大震災で、石巻市の大川小学校児童108人中、七割の子供が津波で流され死亡、あるいは行方不明というニュースを昨夜聞いた。
言葉にもならない…。これほど悲しいニュースを今まで私は聞いたことがない。
普段なら大変な出来事であるが、今回の震災があまりにも大きかったため、これほど悲しいニュースもあまり表沙汰になっていないようにも思える。
想定外…。
震災後、何度この言葉を聞いただろうか?
しかし、想定外と言う言葉はそう何度もでてくる言葉ではないはずであり、今回の震災のように何度も「想定外」という言葉がでてくるということは、実はそのような出来事は決して想定外ではなく、自然の中、長い歴史の中では、珍しい出来事ではないのではないか?
私にはそう思えるのである。
過去の日本の歴史の中でも、日本各地で数百年前のレベルで、やはり、大きな津波があったことが記されているのである。
しかし、それらはあまりにもスケールが大きく、正直、それらの震災はにわかには信じがたかった。
しかし、今回の東日本大震災を実際に体験してみると、それらは決して眉唾ではなかったことが痛いほどよく分かった。
信じられないほどの災害は、定期的にやってくるのである。
私は、このような「信じられないほどの災害」の記録は、後世にしっかり残していかなければいけないと思う。
私が生まれ育った和歌山の地も、災害が多い場所である。
私の曽祖父のお姉さんに当たる方は、約100年前の明治時代中期にあった集中豪雨で亡くなっている。
このときの雨も信じられないほどのもので、皆さんにも分かりやすく、大雑把にいうと、板敷、足尾エリアのある八郷盆地が20m以上水没するほどの雨量だったらしい。
しかし、この水害のとき、あちこちに点在していたお寺が、それぞれのお寺の階段の何段目まで水が来たか、正確に記録を残していたのである。
この記録は今になって重要な資料となり、コンピュータ解析技術の発達のおかげで、100年前の水害の正確なデーターを再現することに成功したそうだ。
そして、そのデーターは今後の治水工事等の貴重な資料になったらしい。
このように、「記録」を残すことは大変重要なことだと思う。
そして、人は年月が重なると、そのような大変な災害の記憶も薄らいでいき、やがては忘れられてしまうようになる。しかし、そうなってはいけないのである。
どんなに月日がたとうとも、災害は定期的に「必ずくる」ものであるので、決してその記憶を風化させてはいけないのである。
私の実家の檀家寺には、先に紹介した水害の時の記録を残した石碑が建っている。
昨年、この石碑を父親と見ていたとき、石碑の一部が割れて読めなくなっていたが、それをみながら父親は、「この石の割れは、先の南海大地震の時に石碑が倒れてついたもの」と教えてくれた。
それを聞いた時、あらためて私は「災害は定期的に必ずやってくるもの」と感じた。