赤松と言えば「吹筒花火の里」と言われるほど有名ですが、どうしても残しておきたいのが、文政四年の「意匠」と掘り筒(竹で巻いた大筒)に赤松独特の「点火台」です。
また、制作過程から点火までの様子紹介や、文化財としての継承に、先駆的に全国伝統花火サミット開催・NPO法人の設立などが評価されています。
赤松と言えば「吹筒花火の里」と言われるほど有名ですが、どうしても残しておきたいのが、文政四年の「意匠」と掘り筒(竹で巻いた大筒)に赤松独特の「点火台」です。
また、制作過程から点火までの様子紹介や、文化財としての継承に、先駆的に全国伝統花火サミット開催・NPO法人の設立などが評価されています。
地元では「テンテコテン」と呼ばれる神踊りがあります。
それに使われるのが画像の締め太鼓(天保年間?)なのですが、各地域に2~3個はあると思われます。
2個✖15在所=30個(調べたことなし)
これらも大切に保管しておきたい物の一つです。
赤松座という人形浄瑠璃座が明治時代にありましたが、その人形頭に三千良作と書かれた頭が六頭残されていました。
その人形師の三千良の素性は未だに解明されていませんが、作風の素晴らしさに現代の名工である人形洋さんも驚かれたのでした。
これらの頭も含め、大事に保存しておかなければならない宝なのです。
赤松には沈下橋などとも言う潜水橋が二橋ありますが、以前には危険だからということで撤去話が出たこともありました。
しかし、これらは生活橋であり必要なのです。
また、付近の景色にもとけて情緒をかもしだしています。
画像の橋は対岸の鉄塔工事の時に掛けたようで、田圃作業にも使われていたようです。
これも、後世に伝承していかなければならない義民物語りの史実と、匿い屋敷跡周辺の田圃等の石垣類です。
画像は、県道沿いにある記念碑と、山奥にある匿い屋敷の墓石と想像図です。
棚田の石垣や史跡の石垣も残しておかなければいけない遺産です。
義民 要左衛門で紹介したことのある庄屋跡の石垣、神社境内の石垣等、高瀬・新発谷の棚田、などが挙げられます。
タイトルの用水は、隣村の雄(おんどり)地区に用いる用水で、赤松の高瀬地区にある雄堰から導水しているもので、現在も使われています。
現在は、コンクリートでしっかりとしたものですが、建設当時は大変な工事であったと思われます。(赤松「舞ヶ谷」ダム横を流れていています。)
画像の右横上を流れており、ここより200m上流に雄堰があります。
また、赤松トンネルの左側(旧 R195号線)に向かいますと、記念碑も建っていますが 殆んどの方は見逃しているのです・・😅
画像下流には、小さな潜水橋もあり 風情のある場所です。
このような雄用水(堰)などの記録も、残しておかなければならない地域遺産です。
先日から赤松遺産となるものを考えていたら小山の溜池が浮かびました。
これも候補の一つにピッタリかも分かりません。
小谷の堰き止め池(湖)になっていますが、昔なら大事業だったことでしょう。
それで、地域の方々の世話人名が彫られた水神さんが祀られていますが、これに気づいている方は現在殆どありません。
それは現在用水として使われなくなり放置されたままで、地域の方に聞いても誰も認識していませんでした。
18日の(土曜日)は、赤松地区の「廃品回収日」です。
パレットは前日に置いてありますので、指定場所に乗せて置いて下さい。
12時(正午)までに持ちこんで欲しいのですが、地域単位で相談の上、共助作業でお願い致します。
赤松地区以外の方は、絶対に持ち込まないで下さい。