地神さんの祠は、赤松の各在所に あるのではと思われます。(調査したことなし)
農業の神さまで、主は徳島・淡路・香川あたりでしか見られないそうです
五角形の柱があり、「天照大神・倉稲魂命・埴安姫命・少彦名命・大己貴命」が刻まれています。
美波町の(旧:日和佐)町内では約30ヶ所にあるようです。
全国的に無いのなら これも貴重な遺産かな・・?
地神さんの祠は、赤松の各在所に あるのではと思われます。(調査したことなし)
農業の神さまで、主は徳島・淡路・香川あたりでしか見られないそうです
五角形の柱があり、「天照大神・倉稲魂命・埴安姫命・少彦名命・大己貴命」が刻まれています。
美波町の(旧:日和佐)町内では約30ヶ所にあるようです。
全国的に無いのなら これも貴重な遺産かな・・?
石仏で一括りにしても良いのですが、各種沢山あり ぼんやりしてしまうので 分けて紹介します。
先ず赤松には、お地蔵さんが数ヶ所にあり、画像のようなお地蔵さんは二ヶ所(傍示の坂・仏の坂)と思われますが・・?
また、六地蔵が二か所(流矢・阿地屋)あります。
昔は山に囲まれ、山越えで四方に行き来していたため、多く残っているのではと思われます。(まだ私の知らない地蔵さんがあると思います。)
まだ、こんなものが残っていました。
神社の神輿倉にそれらはあったのですが、文政六未年と書かれています。
おそらく神社には馬場があるので、祭りに使われたりしたのでしょうか・・?
他に矢なども残されています。
番茶づくりで必要なのが揉念機ですが、人力方式の茶摺り舟もあります。
こうした道具類の、番茶づくりに必要な一連化した物も、残しておきたいものです。
物は違いますが、ワラで縄をつくる縄編み機も最近は見たことがありません?
我々が子供頃には、普通にあり見たものが、失われていくことは悲しいものです。
「えぇ!」と思う町民までいますが、こんな片田舎の小さな村に ”新四国八十八ヶ所” 巡りができる場所があるのです。
赤松には お寺が二ヶ寺ありますが、その一つ「龍宝寺」に それがあるのです。
そして、元あった猪の谷は、龍宝寺横(200m)にある小さな谷で、今も痕跡が確認できます。
赤松小学校玄関前に建っていた、二宮 尊徳(たかのり)こと金次郎さんの像も、後世まで残しておかなければなりません。
現在はヘリポートの片隅に移設され、廃校となった赤小校舎に向く位置に移設されています。
ところで、赤松の金次郎さんは本が破れるほどに勉学に励みました。📖
☟廃校前の二宮像です。
石の矢じりを、石鏃(せきぞく)と言うそうです。
これが、赤松でも発掘されていたようですが、実物は見たことがありません。
詳しいことは分かりませんが、圃場整備を行ったときの事前調査で出たのでしょう?
おそらく、石鏃は埋蔵文化財センターあたりに保管されているのかも知れません。
これも縄文時代の遺産として取り上げておきます。
板碑も赤松には4家にあり、A家のは明徳年間のものです。
面白いのが、ここの家は源氏なのに、周辺は平家ばかりなのです・・?
板碑は二枚あり立派な小祠に納められています。
他に、T家・S家・U家にもあるのです。
こんなのを思い出しました、それは石斧(せきふ)です。
以前の分析では弥生期のものとされています。
これは、出土したN宅で保管されており、行事の時にお借りして披露しています。
これが現在の赤松の中で、一番古い赤松遺産かも・・?
平家の落人を祀ったと言われる「七人塚」というのが赤松には4ヵ所あります。
これも不思議な遺物の一つですが、ある家では若宮さんとして祀っています。
また、圃場整備や道路工事などで消し去られたのもあるかも知れません・・?
☟下の七人塚は日浦地区のものです。