ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

洗濯機を運ぶ

2023-10-02 08:45:58 | 生活
洗濯機を運ぶとは、筆者が大学院を卒業して長屋を出る際に、洗濯機をタカハシに譲った時の思い出話である。“ランドロマット”の記事を書いている時にふとこの出来事を思い出したのだ。大した経験ではない。だが米国の駐在員用アパートメントでは洗濯機は乾燥機と共に部屋に備付になっていることが多く、自分用の洗濯機を購入することはほぼない。よって洗濯機を自力で持ち運ぶことなど滅多にないだろうから、まぁ貴重な経験ともいえる。それに人の優しさや社会の厳しさをも味わった思い出深い一日の話なので、ここに記録しておこうと思う。2023年9月の日本は円安が進み、ついには1ドル150円に到達しそうな状況にある。


この思い出の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①洗濯機を運ぼう。
筆者は大学院を卒業し、就職のために上京することになり、長く暮らしたコスモビルを出ていく段取をしていた。一方タカハシは地元の企業への就職を決めたのを機に、ついに実家を出て一人暮らしを始めることにしていた。『女子を連れ込むのだ』と意気込んでいたが、いかんせんタカハシには金がない。そこで筆者の使い古した電子レンジと洗濯機を、タカハシの新居へ運んでしまう計画を立てたのだった。タカハシの新居はコスモビルからは30㎞ほどある。苦学生だった我々には『軽トラを借りる』などという発想はなく、バスと地下鉄を乗り継いで向かうことにした。“駅員や運転手に驚かれて怒られるかも知れないが、苦学生の引越しだと説明すれば分かってもらえるはずだ“ ”断られたら断られたときよ“と楽観的な気分でいた。



②バスに乗る。
タカハシがどこからともなく台車を用意してきたので、それに洗濯機を載せてタカハシがゴロゴロと押し、筆者は電子レンジを抱えて市役所前のバス停でバスを待った。やがて目的地行きのバスが来て扉が開くと、『えぇえーっと?! それ運ぶんですか!!??』と予想どおり運転手に驚かれた。筆者らは真面目な貧乏学生気取りで、しかし敢えてハキハキ口調で、『はい。引っ越ししなくてはならず、でもお金がなくて、それでどうしても載せたいのです』と答えると、『・・・一応荷物の制限はあるんですが・・ いいでしょう・・』と受け入れてくれた。実は筆者とタカハシの、“昭和ハンサム笑顔”と“純朴メガネ浪人生風貌”のコンビは、どこからどう見ても安全で、第一印象が良いのである。ちょうど車いす用のスペースが空いており、そこに洗濯機の載った台車を置かせてもらい、洗濯機の上に電子レンジを置いて、バスは走りだした。『もしも車いすの方が乗車された場合はそこで降りてもらいます』と言われた。そりゃあそうだ。



③ロープを持った男たち
町の中心部へ向かうバスは降りる客より乗る客の方が多く、だんだんと社内が混雑してきて周囲の目が気になり始める。そしてとあるバス停に止まると、ニ、三人のバス会社の係員がドカドカと乗り込んできて、周りをきょろきょろした後に筆者らを見つけて近づいてきた。『何や、洗濯機かー』と呆れたようにぼやき、『固定させてもらいます』とロープを取り出して手摺に洗濯機を縛り付け始めた。どうやらバスが混雑してきたために、安全のために運転手がバス会社に一報入れたようだ。筆者とタカハシは、とにかく『すみません、すみません』を繰り返す“低姿勢作戦”で難を乗り切った。当時のバス会社の人々は、ルールを盾にして貧民苦学生の思いを簡単に無下にするような冷たい人々は少なかったようだ。ビル群立ち並ぶ町の中心部でバスを降りたった筆者とタカハシは、ニンゲンの優しさに触れたような心地で不思議な高揚感があり、このまま地下鉄もすんなり行けるに違いないと強気になっていた。




④地下鉄の改札にて
バリアフリー化の進んだ地下鉄駅では、エレベーターを使えば洗濯機をコンコースまで運ぶことは簡単だ。切符を買って、自動改札までゴロゴロ台車を押し進める。そこには明らかに“不審者”を見咎めるような顔つきの駅員が待ち構えており、筆者は咄嗟に『まずい』と思い、電子レンジを抱えてタカハシより先に改札を突破してみた。その閻魔様のような駅員をちらりと見れば、彼の眼は、明らかに後方で洗濯機を押すタカハシに注がれていた。タカハシは駅員に捕まり、5分ほどの押し問答の末にぷりぷりと憤慨しながら洗濯機と共に改札を通過してきた。タカハシの談によれば、その駅員からは“ふざけとんのか”“えぇ訳ないやろ”などとおよそ非論理的な口撃に遭い、それに対して“ふざけてはいません”“荷物を運んでいるだけです”と毅然と対応したところ、“次は許されんからな”という意味不明な悪態の後に通過を許されたのだという。『結局ゆるすんかーい!』という突っ込みを入れずにはおれなかった。



ホームで駅員の悪口を言いながら地下鉄を待っていたらば、ふいにさっきの閻魔駅員とは別の若い駅員が、車いす利用者用の段差スロープを抱えて階段を降りてきた。3月の昼下がりのホームは閑散としていて乗客は筆者らしかおらず、車いす客は見当たらない。『タカハシ、世の中は捨てたもんじゃぁないぜ。さっきの閻魔駅員たぶん悪い人じゃない。きっとあの若い駅員に“おい、あの兄ちゃんらの乗車手伝ってやったれ”って言ったんだと思うな』とタカハシに伝え、ウキウキと彼の応対を待った。そしてついに電車がやってきて、若駅員は一番前の車両から降りてくる車いす客をいそいそとサポートしはじめ、筆者とタカハシはその隣のドアから『よっこらっしょ!』と台車を自力で車両に運び込んだ。タカハシの新居の窓からは青空と古城が見えた。世界は今ほどにはオープンではなく、SNSで何でもかんでも拡散されることのなかった時代の話だ。

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