ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

宇部新川

2022-12-29 12:25:24 | 生活
宇部新川とはJR宇部線の駅である。石炭記念館を後にした筆者はときわ公園入口前にバス停を見つけ、次の目的地の宇部新川駅行きのバスに乗り込んだ。宇部市・小野田市の海沿いは、瀬戸内工業地域の中核をなすにも関わらず、鉄道交通の便がよくない。新幹線や山陽本線の主要駅からは離れていて、JR小野田線・宇部線を使って行かねばならず、地図を見れば一帯は陸の孤島のような感がある。それでも中心部である宇部新川駅は、地図だけ見ればけっこうな盛り場で、出張者や工業労働者の憩いの場になっているようだ。筆者はひょんなことから宇部市周辺へ行くことになったので、この盛り場へ行くのを楽しみにしていた。

この町探訪の記録は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。

①街を歩く
バスを降りた筆者は宿探しのついでに町を散策してみることにした。まだ日が高い。宇部新川駅から南東へ伸びる商店街は、もともと夜の町ということもあるのか、加えてコロナや猛暑の影響もあってか、閑散としている。野良猫がアーケード商店街真ん中でのんびりと寝そべっていたりして風情がある。地図で見ると酒場が密集するこのエリアも、店舗の二階が住居になっている建屋が多く、生活者のための駐車場などのスペースもたくさんあって、町に生活臭が強いのがまた風情を与えているようだ。時折見られる小じゃれたバーは、近くにある山口大学の学生らをターゲットにしたものだろうか。


②ビジネス旅館駅前
歓楽通りの入り口付近に“山田屋別館”という風情豊かな安宿が見つかったのだが、残念ながら閉店しているようだ。次に新川駅の南西方向にいかにもな安宿、“ビジネス旅館駅前”が見つかった。町役場のような入口の階段を上がるとすぐに町役場の受付のようなフロントがあって、『風呂やトイレは共用だが大丈夫か』と確認される。まるで町役場のような内階段を上がると長い廊下があり、部屋が並んでいる。すれ違う宿泊客はやはり作業員風・船乗り風の中年男ばかりで『こんにちわ!』と気持ちのいい挨拶が交わされる。部屋は小さな冷蔵庫とテレビがあるばかりで、タコ部屋の雰囲気があって風情を感じる。2階には小さな食堂や洗濯物が干せる大きなベランダがあったりして社員寮のような雰囲気もある。テレビには期待の通り24時間無料でやや古めのエロ放送が流れていた。部屋も風呂屋もトイレも清潔で、決して悪くない。


③鮨処たつみに入る前
やっとこさ酒場町に灯がつく時分になったので、再び町へ出かける。大通りから逸れる小路に粋な雰囲気の酒場がちらほら見える。最初に行ってみた魚介を推す酒場は予約でいっぱいで入れないとのことだ。コロナ禍でもなかなかに栄えてるようでうれしい気持ちになる。隣の建屋にある焼き鳥屋に入るも、ここもずいぶんな人気店のようで、30代独身日本式サラリーマンが一人で入るには相応しくないようだった。バイトの姉ちゃんに『90分の時間制限でお願いします』と言われて気分が冷めたので、焼き鳥数本とハイボールを飲んで店を出た。熱心に焼き鳥を焼いていた大きな坊主頭の大将は、筆者の気分を察したように表まで出てきて扉を開けて送り出してくれたのだった。


そして入ったのが鮨処たつみである。おつまみが充実した嬉しい鮨屋で、このわた、葉わさび、ゲソ酢味噌にクジラベーコンを瓶ビールや東洋美人でしっぽり愉しむ。眼鏡の坊主の大将は黙々と調理を続け、客と話さない。お付きのまだ若い2人の子分は大将の動きを察して材料をサッと準備している。大将が奥に入った隙に『大将、怖いの?』と冗談半分に尋ねるも、子分らは『いえ!大将は怖くないですよ!』と全否定された。最後に上握りをいただきました。カウンターだけの居心地のいい鮨酒場で、宇部新川で嬉しい思い出ができました。

缶詰や冷凍食品を使った絶品ブイヤベース

2022-12-21 15:13:21 | 食材
缶詰や冷凍食品を使った絶品ブイヤベースとは、筆者が開発した簡単ブイヤベース料理である。現在筆者はコネチカット州に長期出張中であり、“スタジオ”と呼ばれる、ベッドもキッチンも一つの部屋にある、日本でいうとことろのワン・ルーム・マンションに暮らしている。狭いキッチンで思うように料理がしにくく、どうしても外食や出来合いの総菜ばかりを食べる日々で、さすがに飽きてきたところだった。そしてこのブイヤベースを発案したのいね。

この料理の特長は以下の通りだ、参考にしもらいたい。

①ベースのスープはプログレッソの缶詰
ベースとなるスープは出来合いの缶詰である。筆者が使うのはプログレッソシリーズの“ベジタブル”もしくは“ハーティー・ミネストローネ”だ。どちらも野菜がたっぷりで、且つマカロニが入っているので仕上げの食感が楽しくなる。ベジタブルはシンプルなトマト主体のスープで、人参・セロリ・グリーンピースにコーンやジャガイモの欠片が入ったもので、誰でも食べやすいブイヤベースになる。ミネストローネは野菜の種類が減り、Kidney beans、日本で言うところの金時豆がたっぷり入っていて、やや中南米風、ソウル・フード風な玄人向けなブイヤベースになる。


②材料その1 冷凍エビ(未加熱・殻付き)
メインとなる具材のひとつが、冷凍のエビである。エビは米国人にとってポピュラーなシーフードの代表格で、価格は安くないが米国人向けのスーパーで冷凍エビが容易に手に入る。これがメインの具材のひとつになるのだが、ここで注意したいのが未加熱・殻付きであるべきだという点だ。米国冷凍エビには既に加熱処理された真っ赤なエビの、殻まで向いた、まるでエビを知らない味音痴のための商品が並んでいる。こんな旨味や香りを搾り取られたエビをブイヤベースに使うのは無知のなせる業であろう。必ず“未加熱・殻付き”を選びたい。


③材料その2 イカの缶詰、イカ墨入り
もう一つのメイン具材がイカだ。イカもまた米国人が口にする魚介のうちのひとつだが、一般的なスーパーで大々的には売られていない。ヒスパニック客をターゲットするコーナーで、スペインの“GOYA”という名のブランドのイカ缶詰がある。いくつか種類があるのだが、“プレミアム”と銘打った少々高めの缶が、イカの大きさがしっかりしているのでお勧めだ。この缶詰の嬉しいのが、イカ墨入りであるということだ。イカ墨のコクがブイヤベースの味に劇的な効果をもたらすので、エビよりむしろ重要な材料といえる。


④調理法・味
全ての材料を鍋に入れて煮るだけである。まな板包丁要らずの簡単レシピだ。エビを冷凍のまま用いる場合は弱火でじっくり加熱する方がよい。辛党の30代独身日本式サラリーマンは、ホットソースで辛味を付けてもいいだろう。



この絶品ブイヤベースは本当に美味しい。トルティーヤ・チップスをディップして食べてもよく、ビールや赤ワインとの相性が抜群なので大変お勧めである。ただ自炊にしてはコストがかかる。プログレッソの缶詰が4ドル弱、冷凍エビが1回分で5~6尾入れるのでだいたい2ドル程度だろうか。GOYAのイカプレミアムは4ドル弱なので、一度で食べてしまうと10ドルほどの高価なおかずだ。それでも旨すぎて食べきってしまう。さて、カタールでのW杯サッカーが終わり、森保ジャパンは惜しくもベスト16の壁を破ることができなかった。しかしサッカー選手にはイケメンが多い。たとえ筆者のテクニックが超一流だったとしても、あのイレブンと並んで写真に写るのは気後れしそうだ。きっと劣等感からのハングリーよりも、自己肯定感の連続の方が成功をもたらすに違いない。

ハーレム地区のブラウンストーンハウスに泊まってみる

2022-12-19 22:03:54 | 生活
ハーレム地区のブラウンストーンハウスに泊まってみるとは、筆者の2022年サンクスギビング連休におけるマンハッタンでの宿泊先に関する記録である。米国では民泊システムが充実しており、いくつかの大手サイトがある。とはいえ外国人にとってはなかなか懸念要素が多く、筆者のような小心者にとって利用のハードルは低くなかった。だが筆者は今回のコネチカットの長期出張で、それら民泊システムの利用に自信をつけたため、マンハッタンハーレム地区への旅行では思い切って、ブラウンストーンハウスに宿泊してみることにしたのだ。


この宿泊の詳細は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①ブラウンストーンハウス
ニューヨークやボストンの下町通りには3~5 階建ての赤茶色い石やレンガ造りの細高い住居が隙間なく並んでいて、そのファサードのデザインの古風な美しさと都会的な香りで都市のアイコンのような存在になっている。このスタイルの家屋の歴史は古く18世紀後半から始まり、曲線やドーム型を多用したロマネスク建築風や直線的なギリシャ風・・といった時代ごとの建築様式のトレンドがファサードに反映されている。だが入口が通りの高さより半階~1階分高くしてあるのは共通で、階段手摺のデザインなども隣近所と競い合うようにそれぞれ異なっているので、歩くだけで面白い。



②民泊サイトの利点
歩くだけで面白いのに、民泊サイトでこの家屋に泊まれることが分かった。セントラル・ハーレムの125番通りから数ブロック北側の通りである。統一化されたデザインのホテルでなく、そこに住む人の生活が分かる家屋に泊まれるというのが民泊の魅力のひとつだ。30代独身日本式サラリーマンの旅は観光地へ行っても現地で孤独だし、帰ってから同僚に『この前、自由の女神を見に行ったんだ!』と話しても、『えー!でも一人ででしょ。』という何気なく刺さる言葉が返ってくるので、こういった地味なところで点数稼ぎをしておく必要がある。それにホテルに比べて人件費やサービス料がかからない分、価格が安い場合が多い。そのうえキッチンが使えるのも(孤独に食堂に行かなくて済むから)魅力なのだ。


③ブラウンストーンハウスの中
民泊サイトは紹介文によく目を通さないと、自分の想像と違って困ることがある。長距離バスターミナルからタクシーで現地まで移動し、ホストに連絡を取ると家屋から大柄な黒人男性が現れて部屋を丁寧かつフレンドリーに案内してくれた。正面入口を入ると内階段がある。それを上ると各階の正面側と奥側にドアがある。筆者の部屋は4階の正面側で、内階段のドアから入るとほぼベッドのみの小ぢんまりした部屋がある。部屋にはもう一つドアがあり、そこを出ると短い廊下を挟んでバスルームと階下へ降りる階段がある。よくよく話を聞けばホストはこの下の階に住んでいて、ホスト宅の一室を間借する形式になのだという。ブラウンストーンハウスは数世帯が入るアパート形式の建物で、筆者の宿の場合は1、2階と3、4階の奥側と正面側で計4世帯が入れる造りになっている。想像するに奥側の部屋は窓が一つもない空間になっているはずだ。外観はアイコニックな雰囲気だが、やはりもともとは下町庶民のアパートである。当然エレベーターなどないので、階段の上り下りに支障のある人は暮らすことが難しい。



とはいえ部屋は快適だった。今は富裕層の宅になっているはずのブラウンストーンハウスの内装は洗練されてきれいだし、ホストはプライベートを尊重してくれた。時折階下から聞こえるテレビの音や話し声も、何だか学生の下宿先に居るような心持になって悪くない。ただ階下のホストの部屋で暖房された空気が部屋にやってくる影響か、すこぶる暑いので、こちらは冷房を使わなくてはならなかった。とにかくそこそこ貴重な経験をすることができた。部屋には宿泊者の書置きノートがあったので、日本語で感謝の意を記しておいた、誰か見てくれるだろうか。

石炭記念館

2022-12-19 00:33:09 | 生活
石炭記念館とは、山口県宇部市にある石炭に関する博物館である。2022年夏の一時帰国休暇、伊勢市を後にした筆者はすったもんだの挙句に山口県宇部市へと向かっていた。最初の目的地が石炭記念館である。“カーボンニュートラル”が高らかに謳われる昨今、石炭は目の敵にされ、さらに発電量が一定でない太陽光発電の激増により日中は火力発電の採算が取りにくくなり、石炭火力発電所の新設は難しい状況にあるという。だが石炭による蒸気機関や製鉄技術の発明でニンゲンの生活は格段に豊かになった。そんな石炭の博物館が宇部市にあると聞きつけて、30代独身日本式サラリーマンが暇つぶしに赴いたのである。おりしも2022年夏の日本は猛暑による電力需要が高まっており、政府はコクミンに節電を訴えかけていた。


この記念館の特長は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①アクセス~ときわ駅から
石炭記念館は、“ときわ公園”という遊園地や動物園などがある広大な公園の中にある。このときわ公園は電車からのアクセスが良いとは言えない。最寄り駅のJR宇部線の常盤駅から適当なバスを期待して思い降りたものの、ロータリーもない無人駅で取り付く島もない。『小川の蜜カス』の黄色い看板が貼られた電柱が並ぶ緩やかな上り道をずんずんと歩く。結局この炎天下、ときわ公園にたどり着くのに30分ほども歩いたのだ。公園入口には大きな建屋があり、何故かそこには焼き肉屋が入っていて、これがそこそこ繁盛していた。筆者はその入口のロビーでしばらく涼んだのちに公園へ入場した。

②アクセス~ときわ公園入口から
ときわ公園は“常盤池”という大きな人口池(東洋のレマン湖と呼ばれるらしい)をぐるりするようなかたちになっていて、公園入口から石炭記念館までもけっこう距離がある。入口から階段を降りると小児用のプールが営業中で、若奥様たちで賑わっているのを尻目に看板が示す石炭記念館の方向へ歩く。途中に現代アートが点在していたり、小さな囲いにみすぼらしい白鳥が一羽飼われていたりする。そしてカラスが多いのも印象に残る。石炭記念館はもうすぐだ。

③石炭記念館へたどり着く
蒸気機関車を通り過ぎ、最後の上り坂を上れば石炭記念館が見えてくる。それはコンクリート造の昭和の市役所のようなソリッドな建物で、テレビ局のような電波塔が上に伸びている。前庭には炭鉱で使われた台車やトロッコ、巻き上げ機などの機械が置かれて雰囲気がある。昭和の役所のような扉を押し開くと、またまた昭和の役所のような受付がある。なんと入場は無料だ。



④展示
石炭について、炭鉱について、炭鉱夫の暮らしについてなど、科学や歴史・民俗と広い範囲で捉えた展示が充実する。特に再現された坑道は迫力があって実際に働く人の気分が味わえる。長く展示内容を更新していないせいか、とにかく全体的な昭和臭が素晴らしい。特に子供を対象とした、トロッコに乗ってモニター映像を見る展示は、映像のアニメが絶滅危惧種的な昭和で、“ソ連”などの表記も出てくる。もしかしてあのテレビはブラウン管だったかも知れない。これはこのまま残したい。また、実際に当時炭鉱で働いていらっしゃた木下さんが(現在は語り部ボランティアをされているとのこと、御年90を超えていらっしゃる)、炭鉱夫の悲哀を歌った短歌がところどころに飾られて趣を感じる。牛蒡木固による止水方法の説明も興味深いものだった。電波塔のように見えたのは展望台だったが、これは上がらずに博物館を後にした。



石炭記念館に十分満足した筆者は猛暑の中を再び歩いて公園入口へ戻る。焼き肉屋のある建屋から、再びときわ駅へ向かってテクテク歩いていると、右手の遊園地がある方に公園入口がもう一つあって、そっちの方が記念館にはずいぶん近いことが判明した。来るときは見過していたのだ。しかもその入口にはバス停があり、次の目的地の宇部新川まで行けることが分かった。日本の石炭産業は石油へのエネルギーシフトや海外との価格競争に敗れた影響で、昭和後期に次々と閉所することになる。その労働環境の劣悪さによる犠牲者も多く、労働組合運動へとつながっていった背景もある。それにしても、東洋のレマン湖って本当に呼ばれているのだろうか。

Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)

2022-12-18 05:05:51 | 食事
Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)とは、筆者が2022年のマンハッタン探訪の3日目の夜に訪ねたアフリカ食堂である。どう発音するのかわからないため仕方なくアルファベット表記にしている。前回の記事にて気が付いたとおり、ハーレム地区に点在するアフリカ郷土料理は主に奴隷時代の後に米国へ移り住んだ人々の文化であり、ハーレム古来の文化を味わうにはやや的外れである。やはりソウル・フードが相応しいのだろうが、ソウル・フードはニューオリンズで既に一応体験済みなので魅力が少なく、再度ローカルアフリカンレストランへ来てしまったのだ。ハーレムの雰囲気に慣れてきたため、足取りは軽い。


この食堂の詳細は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。



①立地
Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)は、セントラルハーレムをアダム・C・パウエル通り沿いに6、7ブロック北上したところにある。この付近は4~5階ほどの高さの四角くて茶色い住居ビルが並び、通りに面した1階には食堂や小さなグローサリーストアなどが入っている。観光客風の人は歩いておらず、ローカルな雰囲気があって、ストリートファッション風の黒人男性が座っていたり、立ち話をしている。そんなファイナルファイトな雰囲気にはやはり慣れないので、彼らとはなるべく目を合わせないようにして歩く。



②中に入る
Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)の店内は奥行きがあり、手前側が客席になっている。中央付近のモニター下の卓では4,5人の屈強な若者黒人がいた。そのモニターには大御所風の黒人シンガーが、アフリカのどこかの宮殿のような場所をバックに体をくねらせながら歌っている。曲調は米国R&Bというよりはアフロ・ミュージックだ。木目調の内装やアフリカ風の置物で割とお洒落な雰囲気を出そうとしているのは見て取れたが、使用していない冷蔵棚に乳母車が雑然と放り置かれていたり、食事を詰まらせた人の救助法を表示したポスターがやけに古びていて怖かったりと、残念な部分も多い。



③注文する
奥のカウンターにはお尻の小さいアフロヘアの黒人美人店員がおり、大御所風の黒人シンガーのBGMに合わせて口ずさんでいる。筆者は過去にDMVなどで、黒人女性に非道く高圧的な態度で接されて傷ついた経験があるため怖気ついた。メニューを見つつマゴマゴしていると、たいていの黒人女性店員はあからさまにイライラした態度を見せつける。そうすると筆者の脇はみるみるうちに湿り気を帯びるのだ。だが、実はこんなこともあろうと予めウェブサイトでメニューを確認し、注文する品を決めておいたのだ。 “サカ・サカとフライドチキンを頼むよ”そう知った風に注文するも、『え!貴方、サカ・サカを知っているの!?』なっどという暖かいリアクションなどはなく、冷めた表情で『20分後にできるわよ』と言われる。待っている間に厨房の奥を覗いていたらば、やはり給食当番の恰好をした大きな黒人女性がのっしのっしと言ったり来たりしている。尚、酒類の販売はないようなのでテイクアウトで注文する。




④サカ・サカ
店のメニューではサカ・サカは、“ラム肉と魚とオクラが入った芋の葉っぱのシチュー”と説明されている(ちなみに米国の食事メニューはたいてい“魚(fish)”とだけ表記され、魚種(鱈なのか鯰なのか)が不明なことは多い)。持ち帰ってアルミの容器を開けてみれば見た目は緑色のシチューである。ラム肉や魚は細切れにされていて、トロトロのスープのような状態になっている。これがたいそう美味だ。脂っこさのないあっさりとした塩味で、それでいて細切れのラム肉・魚(たぶんティラピア)の風味がよく効いて嬉しい臭みがある。オクラのトロトロの食感が嬉しく、白米とも相性がよくどんどん口の中に放り込んでしまう。赤いワインと共にいただくのがよいようだ。『サカ・サカ美味い』と思って調べると、もともとはコンゴ共和国発祥の、キャッサバの葉のシチューということらしい。



Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)のサカ・サカは“芋(何芋かは不明)の葉のシチュー”と表記され、キャッサバの葉のシチューはMborokheという名の別の商品がある。Chez Maty Et Sokhna (Keur Sokhna)はどうもセネガルの郷土料理のようで、国によって様々なサカ・サカがあるようだ。筆者はセネガル料理との出会いに感謝を覚え、満足なマンハッタン探訪最後の夜を孤独に過ごした。これからもいろんなサカ・サカを食べてみたい。渡辺徹が亡くなる二日前のことである。