ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

岡山の辣豆瓣

2024-04-14 02:02:41 | 食材
岡山の辣豆瓣とは、台湾製の豆板醤商品である。“醤(ジャン)”、つまり麹と食塩を利用した発酵調味料は、東アジアの食生活に大きな影響を与えたが、その起源は東南アジアの貧しい土地で、雨期に獲れる川魚の保存を目的としたものだと、そのむかしYouTubeに落ちていたNHKのドキュメンタリーで見たことがある。一方で唐辛子が東アジアに広まったのは、大航海時代以降の15世紀と、比較的最近である。つまり豆板醤やコチュジャンなどの唐辛子が入っているジャンは、『けっこう新しいジャン!』とも言えよう。日本人が、日式醤(味噌)に唐辛子を混ぜる行為をしなかったのは、肉食文化が薄かったからだろうか。などというジャンダンギ(醤談義)はここまでにし、ここでは岡山の豆板醤を紹介する。2024年の4月の初旬は台湾でけっこうな地震起こり、北米でもマグニチュード4前後の地震が連発し、そして楽しんごさんが入籍した。


この豆板醤の特長は以下のとおりだ。参考にしもらいたい。



①中華系スーパーで楽しい醤めぐり
今更だが、北米の中華系スーパーの調味料コーナーは魅惑的である。特に東アジア諸国に国力が付いてきた昨今は、富裕層を対象にしたこだわりを見せる商品が増え、(円安の影響もあるのだろうが)時には日本の商品より高級なものまで見るようになったので、興味深い。醤もまた様々な商品が並ぶ。とはいえ調味料は買う勇気はなかなか持てないものだ。何故ならそれは、あらゆる食材の中でもアイデンテティに触れる非常にナショナルなものであるからだ。未知の調味料には遺伝的な忌避感がある。加えてたいていの調味料はそれなりに量があるので、遊び半分には手が出せない。なので調味料コーナーは、その魅惑とは裏腹に、基本的には素通りなのだ。



②岡山の辣豆瓣
ただし岡山の辣豆瓣は違った。市民の購買意欲を煽る鳳凰だの竜だのが描かれた大げさなデザインの瓶詰が並ぶ醤コーナーで、岡山の辣豆瓣はまるで薬局で与えらる飲み薬のような無味乾燥なシンプルさがあり、逆に目を奪われる。その安っぽいプラスチック容器に貼られた白いラベルには文字のみが並び、唯一の絵柄デザインは“岡”と“山”の間の印鑑風の屋号で、事務的な雰囲気が漂う。その屋号やラベルの内容をよく見ると、“岡山”は商品名、ブランド名のようなもので、製造会社は聯合食品工業という会社のようだ。さて、実はこの岡山ブランドにはいくつかの種類があり、辣豆瓣は“唐辛子入りの豆板醤”である、つまり『新しいジャン!』というわけだ。別に唐辛子の入っていない“豆瓣醤”という商品もある。



③使い方と味
似非30代独身日本式サラリーマンは、モツ肉に練り込むつけダレとして利用したり、鍋物に二さじほど入れたりして楽しむ。ソラマメのコクが濃厚で、上品な甘辛さが食欲をそそる。この辣豆瓣にはニンニクが入っていないので、食後の胃もたれ感がないのも魅力である。



さて、『岡山って何なのだろう』と思って調べてみると、それは台湾高尾市の岡山区のことであった。ガンシャンと発音する。ここは豆板醤が特産品なのだと言う。大日本帝国統治下の1920年に、付近の“大崗山、小崗山”という名の山から、岡山(おかやま)と言う名の日本軍の飛行場が設置されたことが、地区の名の由来のようだ。また、豆板醤が名産である理由は“たびこじれ”というサイトにヒントがあった。たびこじれさんの記事によればこの岡山地区の豆板醤は、1949年に政府とともに来台した四川の人たちによって持ち込まられたものだという。蒋介石は台湾へ移る前に、共産党との闘いに敗れて南京から四川省の重慶へ遷都し、その後成都から飛行機で台湾へ亡命している。そのときのメンバーによってもたらされたのが今の岡山の豆板醤の由来という訳だ。“食に歴史あり”である。永遠の少年楽しんごさんは、7日連続でサイゼリヤでの食事を投稿した。

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