ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

GAKUラーメン

2020-11-15 22:25:15 | 食事
 GAKUラーメンとは、バモント州バーリントン市にあるラーメン屋である。2020年10月の終わりのとある日に、筆者はバモント州に出没した。特に用事はなかったが、行ったことのない町へ行ってみようと思ったのだ。ハートフォード市からはひたすら91号線を北上し、ホワイトリバージャンクションで89号線に乗って北西へ走る約4時間のドライブだ。高速道路から眺める10月終わりのバモント州は、紅葉の見ごろは過ぎてしまった感があったし、生憎天気は雨模様だったのだが、それでも全体が黄色くなった山並みは圧巻で、フロントウィンドウから見えるひらひらと落ちる枯れ葉が、車のスピードに合わせて眼前に迫り、そして通り過ぎていくのにはたいへん風情がある。


このラーメン屋の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①バーリントン市の様子
チャンプレイン湖畔の町バーリントンの繁華街は大きくはないが、スキーやアウトドア客の基地になっているためか活気がある。特にチャーチストリート・マーケットプレイスと呼ばれる歩行者天国になった通りには土産物ショップやレストラン、アウトドアブランドのお店がずらりと並んでいてコロナ禍においても賑わいがある。ところどころにオブジェとして天然の岩が置かれていて、それに腰掛ける人々や、よじ登って遊ぶ童らは楽しそうだ。歩く人々のほとんどが白人で、なぜか髪を青や緑に染めたヘビメタ風の白人をよく見かけた。GAKUラーメンはこの通りの南はずれにある。


⓶内装・客
内装はお洒落な前衛的なバーのような作りで、アジア人が無理やりアジア風にした巷のラーメン屋とはまるで違う。つまり提灯や暖簾などがぶら下がっていたり、やたら日本人形や水墨画が飾られたリしておらず、店員は白人だ。コロナの影響でテーブル数が減らされ収容人数が少ないため、筆者は入り口で待つことになった。ガラス壁一枚隔てた向こう側の小さな丸テーブルでは30代独身風白人男性が一人、熱燗をちびちびやりながらラーメンを食べている。筆者が“むぅ、通ぶった客だな”と思ったそのとき、その男が空席を待つ筆者に気が付いて“俺、もうすぐ終わるよ”と店員に伝えていた。


③待ち時間
筆者が空席を待つ間に客がさらに増え始め、入り口付近はソーシャルディスタンスを保つには窮屈なほどの混雑になった。その所為でガラス1枚向こうの30代独身風白人男性客は、まるで動物園のパンダのように皆に見られながらラーメンを食べる状態になっていた。彼はすでにあらかた食べ終わっていたので良かったが、次にその席があてがわれるであろう筆者は腰が引け、“どうか他の席に案内されますように”と久々に神に祈ってみたのだが、数分後にニコニコ顔の店員にやっぱりそのパンダ席に案内されたのだった。パンダ席について広々とした店内を眺めれば、バーカウンターの正面には“学”の文字とラーメ椀のロゴが飾られている。GAKUは押尾の方で、椎名(または柴崎や濱田)の方ではないようだ。


④メニュー・味
通ぶったさっきの白人客に負けじと筆者はすぐに熱燗を注文し、『ラーメンは後で頼むから』と強気に店員に言ってギョーザと唐揚げのみを注文した。熱すぎて持てないほどの熱燗をちびちびとやりながら、“ラーメンはあくまで〆、これが本当の熱燗の楽しみ方よ”とパンダ見物客に見せつけていたが、さっきの混雑の人たちはテイクアウトだったようで、注文を終えたらさっさとどこかへ行ってしまい、ガラスの向こうにはもう誰も居なかった。さて続けてやってきた豚骨ラーメンは獣臭が強い本格的九州ラーメンで、アメリカに来てからは食べたことがないホンモノ志向だ。チャーシューは最近の厚切りジューシーなやつじゃなくて本来の焼き豚風でこれも美味しい。きくらげまで入ったホンモノっぽい九州スタイルだったので筆者は感動したのだった。もちろん麺が柔らかすぎることもなかった。『バモント州では何が良かったの?』と聞かれたら『ん? あぁ、ラーメン』と答えようと決めた夜であった。


 元TOKIOの山口達也さんが飲酒運転をしてしまった。ジャニー喜多川さんの逝去以降、ジャニーズ事務所の勢いが急激に落ちているようだ。人気グループの活動休止や退所が相次ぐし、メンバーの不祥事やスキャンダルも後を絶たない。実は筆者のもともとの苗字はとある人気ジャニタレと同じであり、10代日本式高校男児の頃にそれがもとであらぬ勘違い事件が起きた。筆者の心の中には“『え?何?これ俺の事?』『え・・・違うよ・・そんな訳ないじゃん、きもい』”事件という名の黒歴史として深く残っている。今思えばこうして30代独身日本式サラリーマンになってしまったのもこの事件が発端かも知れない。いや、その前から十分に素質はあったか・・・そんなことを思いながらバモントの夜は更けていった。

山下つとむ

2020-11-14 05:11:03 | 生活
 山下つとむさんとは、筆者が20代日本式大学生だった頃に出向いたインターンシップ先の方である。ずんぐりとしたメガネの小男なことは憶えているものの、同じような雰囲気の人にそれ以降も随分と出会った所為で、顔を思い出そうとしても別人が現れる。インターンシップはたったの2週間であったし、その2週間をずっと山下つとむさんと共にした訳でもないので、何処かで奇跡的に同じ空間に居合わせたとしてもお互いに判別せず、『おぉ、山下つとむさん!』『おぉ、あの時のインターン生!』なんてやりとりにはまずならないはずだ。



山下つとむさんとの思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①インターンシップに参加した理由
筆者の学科では夏休み中にインターンシップに参加することで単位がひとつもらえた。留年ギリギリとは言わないまでも、取得単位数に不安のあった筆者は是非ともインターンに参加しようと決めていた。ろくなサークル活動もしていなかったので夏休みは暇でもあるのだ。さらに当時の筆者の両親は、父親の仕事の関係で筆者の全く知らない町で暮らしており、帰省しても暇になることが確実だったのでインターン先を帰省先の町から選べば暇つぶしにもなるし好都合だという安直な理由で参加したのだった。



⓶インターン
インターンには筆者とは別にもう一人学生が参加しており、彼と共に各部署をたらいまわしにされながらいろいろと体験するというスケジュールであった。丁寧で盛り沢山の企画をしていただいたのだが、この地方都市が他所から来た人に比較的冷たい県民性を持つことや、インターン先は筆者と共に参加した学生の大学閥が強かったこと、さらには彼の父親がこのインターン先のお偉いさんという点などから、筆者と彼との扱いに違いを感じることがままあり、若干の疎外感を味わったのだった。今思えばインターン参加の動機が不純であることが見て取れるほどに生意気な態度をとっていたことが最も影響していたかも知れないと反省できるのだが、当時はそう思わなかった。そんな中で山下つとむさんは屈託なく接してくれたのだった。



③山下つとむさん
山下つとむさんの部署での体験の日は、山下つとむさんの車で各所を外回りして説明をうける行程になっていた。山下つとむさんの説明はとてもわかりやすく、楽しい。それにくだらない話で車内はずっと明るかった。当時30代になりたての山下つとむさんが車を降りて煙草をふかしながら、『そろそろ結婚しないといけないなぁ』と呟いた。筆者が『結婚とはしなくてはいけないものなのですか』と尋ねると山下つとむさんは“ふぅ”とため息をつき、“お前らにはまだわからないだろうがな、社会的にまずいんだよ、長く独身ってのはな”と言った。比較的方言の強いこの地方で、割と標準語を話す山下つとむさんに筆者は親近感を憶えた。



④山下つとむさん
インターンの終盤には皆さんが送別会を開いてくださった。その後に山下つとむさんに二次会として駅前なのか駅裏なのか分からない場所の中国スナックに連れて行ってもらったのだ。山下つとむさんは煙草をふかしながら悠然と千円札を中国女に渡し、彼女の胸元に手を入れたまま焼酎を飲む。これは記憶違いかも知れないが、組織内の大学閥について不満を口にしていたような気もする。家にタクシーで帰ったのは0時を過ぎてからだった。筆者はこのずんぐりの山下つとむさんの中に“大人の男”を見ていた。学生は大人と接する機会が本当に少ないのだ。



 後に山下さんは仕事を通じて偶然筆者の父親と協議する機会を持ち、そのとき父親が急に『息子がお世話になりました』と言ったので仰天していたということだ。さて、不純な動機で参加とは言いつつも、筆者はこのインターン先のような場所への就職に興味があった。だがインターンを通じて筆者はこういうところに就職するのは止そうと思った。もっと風通しの良い、ずっと同じ場所に居なくていい、遊牧民のような生活が望ましいと思ったのだ。同時に山下つとむさんのような明るくて剽軽で、それでもどこか反骨めいた雰囲気を持つ、魅力ある大人になりたいと思った。そうして今、30代独身日本式サラリーマンをしているのだ。独身であることはあの頃に比べるといくらか“社会的にまずいもの”ではなくなってきていると思うのだが、どうでしょうか。

パブス・アフリカンレストラン

2020-11-12 07:42:19 | 食事
 パブス・アフリカンレストランとは、イーストハートフォード市にある西アフリカ料理の店である。以前の記事でも何度か述べたが、イーストハートフォード市にはアフリカ系の人々のコミュニティがあるようだ。特にアフリカスーパーは、ハートフォードレベルの都市にも関わらず、筆者がサンノゼで訪れたカンブイ・アフリカン・フードの数倍の規模があって、東海岸のアフリカ大陸からの近さが感じられる。とはいえアフリカ文化はオスマンサンコン依頼脈々と続いているアフリカタレント(及び政治家秘書)の努力の甲斐なく、日本人には定着していないのが実情で、なかなか近づきにくい。しかも最近はボビーオロゴンの不祥事や、アメリカ出身黒人の勢いに押され気味で少々心配している。そこで今回は、パブス・アフリカンレストランを紹介する。



このレストランの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①アフリカ料理とパブス・アフリカンレストラン
アフリカ料理の中でもエチオピア料理は米国でもなかなか人気があるようで、当ブログで紹介したサンノゼのワリヤ・エチオピアンレストランのように白人客の来訪も多いようだが、パブス・アフリカンレストランは西アフリカ料理とのことである。同様に西アフリカ料理にカテゴライズされているレストランをグーグルマップで斥候していたところ、たいていの場合は黒人コミュニティに位置し、主に現地出身の人々に利用されているようだ。ただ、パブス・アフリカンレストランは、グーグルマップからリンクされる写真を見ると調理の写真が非常に綺麗で、食器にもこだわりが見え、一見フランス料理のような雰囲気に食欲が掻き立てられ、期待してしまう。人々の書き込みの評価はとても高く、白人客らにも人気の店のようにも見える。



⓶アクセス・外観
さっそくイーストハートフォード市の44号線沿いの現地へ行ってみると予想通りその期待はすぐに裏切られる。店があるはずの場所には広大な駐車場があるものの、それはまるでガラガラで、奥の大きな建屋に並ぶ4、5件の店は暗くてどれもやってるのかやってないのか判らない。駐車場にまばらに止まる車の中ではたいてい黒人が座って何かしているが、“あまり見ない方がよい”と何となく察知できる雰囲気だ。パブスは建屋の一番右に位置し、他の店に比べても特に真っ暗なので“つぶれている”と確信するほどだ。だが一応接近しておそるおそるドアをあけると「ぽーん」とブザーが鳴り、どうやら開いているらしいことがわかる。




③内装・店員
コロナの影響だろう。店内は暗く、テーブルは全て片付けられて閑散としている。奥に注文コーナーがあるが基本無人で、カウンターのベルを鳴らすと奥から中年の黒人店員が出てくる。この人がとにかく草食動物のような朴訥としたやさしい雰囲気の持ち主で、これまでの雰囲気からの不安が払しょくされる。「初めてのアフリカ料理なのです」と伝えると、「あぁ、それならフライドライスwithチキンがいいと思いますよ。アメリカのチキンとは少し違います」と教えてくれる。グーグルにリンクされる写真にはきれいなメニュー表があってかなりの献立があるのだが、実際はカウンターに書かれた小汚いホワイトボードに数種のメニューが載っているだけだ。




④メニュー
フライドライスwithチキンのフライドライスはジンジャーが効いたパンチのある味で、白ご飯が欲しくなるほどだ。それに確かにチキンは独特な香辛料の味がする。フライドライスwithチキン以外のメニューは30代独身日本式サラリーマンには全く馴染みのないものばかりなので、注文するのも勇気がいるが、休日の昼下がりの安上がりな冒険と思っていろいろと挑戦してみるのがよい。フーフーwithライトスープのライトスープはヤギの肉がゴロゴロ転がる結構ヘビーなスープで、ビールとよく合う。フーフーはコクがあってほんのり甘く、醬油をつけて食べても美味しい。ワーカイは豆ご飯のことだがこれも濃厚で、白ご飯が欲しくなるほどだ。ワーカイの上には魚と肉のグリルがこんもり乗っていて、これもビールと合ってしまう。本当はオクラスープにも興味があるのだが、オクラスープには必ずバンクーが付いてくるのでこれは頼めない。バンクーはその昔件のアフリカスーパーで購入し、一口食べて棄ててしまった。アフリカ好きの人々によればバンクーは慣れれば病みつきになるとのことだが、筆者はそこまで到達できそうにない。だが、店員がとにかくやさしいので次はバンクーでなくフーフー+オクラスープができないか聞いてみようと思う。ちなみにテイクアウトオンリーで営業中なので、洒落た食器の凝った盛り付けの料理を拝むことはできなかった。



 そういえば幾分前の話になるが、ナインティナインの岡村さんがついに結婚したとのことだ。ラジオでの『コロナでお金が必要になった若い子が風俗にやってくる』発言で、リスナーでもない人たちから叩かれまくっていたときには非常に心配していたが、やはり彼クラスになれば支えてくれる人も多かったようだ。発言に対して“思っていても言ってはいけない、言うべきではなかった”といった意見が、筆者の知る範囲のネットの世界での主流な意見であった。この意見の意味するところは、“(こんな酷いことを)考えること自体が差別なので人に隠さなくてはいけない”なのか、“考えることは差別ではないが言うことが差別なので言ってはいけない”なのか、“差別でも何でもなくただデリカシーがないだけ”なのか、よくわからなくなってくるのだが、ともかく結婚相手は精神的に繊細な岡村さんをその騒動のときに支えたということらしいので、筆者は『よかった』と思ってフーフーをパクついたのだった。

グラストンベリーリバーパーク

2020-11-07 05:47:13 | 生活
 グラストンベリーリバーパークとは、グラストンベリー市にあるコネチカット川沿いの親水公園のことだ。最近は職場にはにぎり飯を持って行って昼食にしている。すると白人の同僚、“でぶのロニー”が興味を示す。彼はおそらくは140Kgはあろう日本では末期でぶ患者なのだが、アメリカではまぁ普通レベルのでぶだ。先週、握り飯をひとつ彼にあげようと思い立ち、ラップに包んだ握り飯をひとつ、『おい、でぶのロニー』と声をかけて彼に放り投げると、少し方向が逸れたため彼の頭に“こつん”と当たり、そのまま地面に落ちてコロコロと転がって、ついには排水溝に落ちてしまった。なんだか昔話の光景を見たような気がしたので、記録しておく。さて、話題は公園だった。



この公園の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①アクセス・駐車場
この公園はグラストンベリー市の中心部に近い場所にあって駐車場も広いので利用しやすい。それもそのはず、ここは各種スポーツの競技場の他に大きな芝生のヤードがあって、そこでは野外コンサートやアップル祭りなどの催しものも開かれるけっこう規模の大きい公園なのだ。筆者は目標一日8000歩達成のため、車を公園入口から最も離れた場所に止める。昼下がり、駐車場付近のバスケットコートでは上半身裸の黒人がワン・オー・ワンをしていたり、芝生ではコロナの影響でソーシャルディスタンスを確保してアウトドア用の椅子に腰かけた老人たちが談笑している。そして少し行けばすぐに大きな建屋が目に付く。



⓶カヌー発着場
建屋の廻りにはムチムチ短パン姿の白人ティーンネイジャーが多数ウロウロしていて、カヌーを建屋から担ぎ出している。この建物の1階はカヌーやボート置場のようだ。ここから階段を下りて、河畔に設置された桟橋から船を出す。桟橋にもムチムチ短パン女子高生がタムロしている。ちょうどクラブ活動の時間だったようだ。ここから見るコネチカット川は大きく湾曲して、森に挟まれ、日光で水面がキラキラしていて眺めがとてもいいので、その景色を楽しむふりをしてムチムチ短パン女子高生を眺めていても怪しさはない(と思われる)。とはいえ筆者は最近小乗仏教に入れ込んでいるので、女子高生には目もくれず先を急ぐ。



③トレイルへ
建屋を抜けてさらに南下すればボート用桟橋がもうひとつあって、その先には森が広がり、トレイルの入り口っぽいものがある。このトレイルはしばらく川沿いを行く。両側に下草が繁茂したトレイルは平たんで歩きやすいが、本流に流れ込む小さな小川を幾度か飛び越えながら進まなくてはならない。コネチカット川の流れは非常に穏やかで、風が吹く方に波が立ち、流れの様子が水面に現れないほどだ。そのため時折下りることができる河川敷は石ころではなく砂が堆積していることが多く、これは日本の河川では見られない光景だろう。



④トレイル2
やたら枝分かれしているトレイルを適当に進む(地図はない)とどうやら川沿いの道を逸れたようで、立派な砂利道に出てしまった。ここもまた公園から延びる整備されたトレイルで、中国人の家族や犬を連れた白人の老婆などとすれ違う。あまり面白みのない道であったので逸れようと他の道を探していたら、川の方向に戻る分かれ道を発見し、その先に大きな土手が見えたので向かってみた。“土手の先に川があるのだろう”と思い息を切らしながら芝生でできた土手を駆け上がると、そこにはこぶりな下水処理場が鎮座していた。なぜ処理場を土手で覆うのか不明だが、この処理場は小ぎれいで臭いも全くない。グーグルマップでこの処理場をちょいと調べると、コルトン・ドリーという人が“I had a beautiful time. it was... so beautiful. The smell was out of this world. Can’t wait to go again”と、おおよそ下水処理場のレビューとは思えない投稿を残しているのも頷ける。




⑤トレイル3
土手の先にさらに川に向かう道があり、ずんずん進めば再びコネチカット川を拝むことができた。だがそれを“よしっ”と進むも束の間で、すぐに広大な畑に突き当たり“私有地につき立入禁止”との看板であえなくゴール、戻るしかなくなる。帰り路はスタート地点の桟橋まで川沿いのトレイルを歩くことができた。“もう少し近くでムチムチでも見て帰るかな”そう思い立ち、往路ではやりすごしたカヌー発着桟橋へ下りてみれば人はまばらで、今度は上の方から大音量でブリトニースピアーズ風の暑苦しいアメリカンポップが聞こえてくる。見上げればずらりと並んだボート漕ぎ練習マシンに腰を下ろした短パンムチムチ女子高生がこちら側を向いてウンコラ・ヨッコラと状態を逸らしたり屈めたりしている。この景色はじっと見ていると明らかな変態なので、筆者はさっさと桟橋を後にした。




 日本のように毎日通勤電車に揺られることもないので、目にするのはもっぱら二次元(モニターという意味、アニメではない)の、しかも偽物女子高生ばかりの日々である。それも昔ほど“目にしたい”と思わなくなっていた。日米ですいぶん様子が違う女子高生ではあるものの、こうやって三次元で見ることができたのは、自分自身の若々しさを取り戻すよい機会になった。思うに事件を起こしてしまう寂しい男たちも、最初はこの程度で満足していたのが、自分の変態レべルが少しずつ少しずつエスカレートしていくのに気が付かず、捕まって初めて『あ、俺は変態だった』と思い直すパターンが多いのではないか。帰りの車中、『次は高校周辺でもハイキングしてみようかな』と普通に思った自分にぞっとし、帰ってすぐに飲酒した。

ワシントンDC探訪

2020-11-07 05:44:55 | 生活
 ワシントンDCとは言わずと知れたアメリカ合衆国の首都である。実はにわかに筆者のニュー・イングランド生活が終わるとのニュースが舞い込んできており、のんびりと地味なトレイルを歩いていると、“もっと訪れておくべき場所があるのでは・・”という現金な心配が心を包むようになってきた。ワシントンDCはハートフォード市から5時間程度のドライブで行けるので、完全週休二日の恵まれた生活をしている30代独身日本式駐米サラリーマンであれば小旅行ができる。これを敢行したのだ。


この旅行の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ワシントンDC
ワシントンDCの“DC”とは、“District of Columbia コロンビア特別区”のことであり、この特別地区は合衆国のどこの州にも属さず連邦政府が管轄する。いつも感じていた『なぜコロンビア? 南米?』という疑問を、本ブログ執筆を機会にウィキで調べて解決した。何のことはない、アメリカ大陸に到達したイタリア人のコロンブスさんに因んでいるだけで、南米コロンビアとは関係がなかった。というより南米コロンビアもまた、卵のコロンブス由来の国名なのだという。その響きや、コカインやコーヒーやイギータ選手らの所為でいつの間にか“コロンビア”の方が“コロンブス”よりパワーワードになってしまっており、コロンビア→コロンブスの連想が脳に働かなかった。



⓶旅の計画
ワシントンDCの見どころは偉大な大統領の像やアーリントン墓地などが挙げられていたが、あまり面白そうでない。筆者の気を惹いたのはやはりナショナルモールにあるスミソニアンミュージアム群だった。特にアメリカインディアンミュージアムやアフリカン・アメリカンミュージアムは、米国でしか味わえない雰囲気があるに違いないと思い、それらを訪ねることにしていた。それにせっかくだからホワイトハウスも見ておこうと思った。2020年10月現在ホワイトハウスには、一期目を終えようとしているドナルド・トランプ大統領が住んでいるが、選挙活動に忙しく、コロナ渦に関わらず全米を飛び回っているようだ。そのコロナ渦の影響で州を越える旅行も下調べが難儀だ。というのも行政区(州・区)によって規制内容が異なり、いちいち関係各所のホームページを訪ねないといけないのだ。筆者の読解力によればコネチカットからDCへの旅は問題なさそうだったが、小心者の筆者は出発前にガソリンを満タンにし、途中のペンシルべニア州やニューヨーク州で下りなくてもよいようにしておいた。『あんた、コネチカットから来たのか?』などと役人などに詰問されたくなかったからだ。


③ジョージタウン
二泊三日の弾丸旅行なので、中心部へのアクセスがよさそうで、それに雰囲気が良いとされるジョージタウン・エリアに宿をとったが、宿に駐車場がなく、周囲の交通は混雑のうえ一方通行や三叉路など複雑で、初見者の車での来訪の場合はもっと郊外の宿でもよかったと後悔した。さらにホテルのカードキーが機能せず、何度もフロントに下りて黒人コンシェルジュに再設定してもらう羽目になったのもイライラが募った。再設定の度に『次は行ける!』と強気な発言をする黒人コンシェルジュにしびれを切らし、『こいつでも開くの?』とスマホがキーになるアプリを見せると、『イッツ ザ ベスト!』とノリノリで対応してきたときに、さらに後悔したのだった。そして覚悟はしていたものの、辺りは小洒落たレストランばかりで30代独身日本式サラリーマン向けの小料理屋が見当たらなかったのも、ジョージタウンを宿泊地に選んだことを後悔させた。だが前を向くしかない、タパスでワインを楽しんだ。



④ワシントン探索
確かミュージアムの開場は11時だったので、それまでは周辺を散策することにした。ホテルからナショナルモール方面へ南東方向に向かう。歩きながら地図を見ていて、前日に車で難儀した三叉路が異常に多い理由が、主要道路がホワイトハウスから放射状に延びているためだと気が付いた。碁盤状の都市では見られない三角の空白地帯には必ず綺麗に植栽が整備されて緑が多く、歩く分には心地よい。ところどころにある主要な交差点は回転式になっていて中央の円形の空き地も公園になっている。小ぎれいな住宅街にあるにも関わらず、その円形状の公園には立派なテントを立てたホームレスが暮らしているのだが、特に住民から恐れられている様子がないのはワシントンDCの人々の民度の高さだろうか。並ぶ家々は小ぢんまりして可愛らしく、普通の民家にマイナーな国の領事館が入っていたりするのも面白い。そんなことを考えているうちにホワイトハウス近くまですぐに着いた。



 BLM運動で怒れる人々が押し寄せたホワイトハウス周辺は警官だらけの物々しい雰囲気で、裏手の広場の柵にはBLM関係の貼り紙が無数に貼られている。それでも高速道路の測量基準点がある場所から遠く建屋を見ることができた。快晴のナショナルモールは広々と気持ちよく、ジョギングや犬の散歩をする人々で賑わう。筆者は木陰のベンチに腰を下ろし、ミュージアムのホームページで開館時間を確認したところ、どこもコロナで事前予約が必要であることが判明し、当日券はどこも売り切れていた。しかし実際にミュージアムに行ってみると開いている様子もない。どの美術館も数週間分の予約が埋まっていたので、もしかしたら選挙間際の政情不安の影響で営業を止めていたのかも知れない。筆者は事前に調べておかなくてよかったと思った。調べていたら来ていなかっただろうから。