ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

パオ・フア寺

2022-01-30 02:13:39 | 生活
 パオ・フア仏教寺とは、サン・ホゼ市にある仏教寺院である。暇な休日などにベイエリア南部を目的もなくドライブしていると、仏教寺院めいたものを見かけることがままある。移民として米国にやってきた不安な人々にとって、毎週日曜日に教会へ通う現地白人の生活を見ればなおのこと、祖国の宗教心やコミュニティの団結心に火がついて、寺院などの建物を作ろうと考えるのは想像に難くない。筆者はそんな施設を訪ねてみることも、週末の暇つぶしにはちょうどよかろうと気が付いたのだった。グーグルマップで調べると、サン・ホゼエリアだけでもけっこうな数の寺がある。二ンゲンの冒険心と科学技術により宇宙や遺伝子のことがあらかた判明しつつあっても、人権や自由の名のもとに古い宗教的価値観が駆逐されようとも、宗教自体がなくなる様子は今のところ見られない。そして訪ねたのがこのパオ・フア寺である。




このお寺の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらい。



①立地・アクセス
パオ・フア寺はサン・ホゼ市の東端にある。割と交通量の多く、埃っぽいマッキー通りにを東に行けば、ふいに右手に立派な瓦屋根の山門が見えてくるのですぐにそれとわかる。門前に広幅の縦列駐車スペースがとられていたので、筆者はそこに車を停めた。山門や塀には行書体の漢字で文言が大きく書かれているため、どうやら中国系の仏教寺院のように見受けられる。立派な石造りの山門はまるで三国志に出てくる中国都市の城壁門のようだ。



②中の様子
山門をくぐるとそこは広い石畳のスペースで、立派な柳の木がポツンとあって中国らしい趣がある。実はこの広いスペースも駐車場であり、20台ほど駐車スペースがある。境内には立派な本堂の他に、観音様や関羽公(のような神)などを祀る小さなお堂、経を唱えるための建屋などがある。それらの瓦屋根やその軒先にあるサルなどの動物の像、それに竹林や金魚が泳ぐ池、熟した柿がぶら下がる柿の木や本堂裏の小さな畑など、細部に渡って中国風に誂えてあるので、まるで本当に中国の片田舎を訪ねたような気分になって楽しい。また、本堂の脇には“飯堂”という名の厨があり、女たちが中で料理をしている。どうやら時間帯が合えば、無料で精進料理がふるまわれるようだ。厨の傍にある池のほとりで金魚を見ていると、調理の音や女たちの会話が聞こえてきて心地が良い。



③本堂や観音堂
本堂はとても立派だ。広い堂内には豪華絢爛な仏壇があって、そこに立ち姿の菩薩風仏像が3体、座り姿のブッダ風仏像が1体祀られている。姿かたちは日本で見るそれと違いを感じない。仏壇の前のテーブルにはお供え物がこれでもかとわんさか並んでいる。それは主に果物なのだが、なぜかサラダオイルが多く供えられているのが目についた。また、本堂の壁にはぐるりと棚があって、そこにこぶし大の小さな仏像が無数に並んでいる。それぞれに名札がついているので、お堂建立時の寄付した人々のものか、死者の供養のものかと思われる。観音様を祀るお堂も果物と共にサラダオイルがたくさん供えられている。また、観音堂には無料のおみくじがあった。日本のものと同じく、円柱の籠から棒を1本選び、棒に記載されている番号の紙を棚から取るシステムである。せっかくなので挑戦するも、筆者が引いた5番の棚にはもう用紙がなかった。まさしく、“運がない”というわけである。



④人々の拝み方
パオ・フア寺は大きな寺だけあって参拝客が多く、人々の参拝の様子を眺めるのも興味深いものだ。参拝客は本堂前にある無料の線香をわんさと手に取り火をつけてから、各々のお堂へ参る。そして仏前にて膝をつき、祈りを込めた後に線香を立てる。ちょうど膝をつく場所に少し斜めに傾けたマットが敷かれているのが面白い。また、どのお堂にも賽銭箱はなく、線香も無料なのでこの参拝でお金を使うことがない。昨今の日本の寺社仏閣のように『小銭は手数料がかかるから高額硬貨でお願い!』などと生臭い真似はしていないのだ。



 パオ・フア寺のホームページによれば、この寺は凌春法師によって1976年に建立されたものらしい。漢字では寶華禪寺と書く。米国の宗教法人のシステムを全く知らないが、それでも目立った営利活動をせずにこうして物価の高いベイエリアで活動を続けられるのだから、この残酷な世界の拠り所として多くの人々に支援されているに違いない。筆者もまたパオ・フア寺にいらっしゃる神々に日本風合掌と黙想方式で祈りを捧げておいた。図らずも2022年の初詣である。それにしてもサラダオイルをお供えするのはどういった意味であろうか、去ってしまった中国人同僚女にテキストで聞いてみようかしら、やはり止めておこうか。そんなことを考えながら帰路についた。

ソーセージ鍋

2022-01-23 02:16:40 | 食材
 ソーセージ鍋とは、筆者が米国で30代独身日本式サラリーマンにお勧めする鍋である。そう、鍋の季節なのだ。気のせいかもしれないが、今年の冬は生暖かく、鍋を積極的に求める気持ちにならない。だが世の中はオミクロン株とかいう新型コロナの新株が広まって、再びマスクだの、ブースター接種だの、マンボウだの、そんな話で盛り上がっている。そんなときは長屋一人、社会から十分すぎるディスタンスをとってまったりと、グツグツした鍋でもつつきながら、熱燗で温まったり、ビイルで潤したりして楽しみたい。そこで今日は、アメリカで売られているソーセージを使った鍋を紹介する。


この鍋料理の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①米国のソーセージは大きい
カリフォリニアであればセイフ・ウェイやホール・フーズ、コネティカットであればストップショップやホール・フーズの精肉コーナーにはソーセージが売られている。しかしそれは日本のシャウエッセン風のソーセージとは異なる。まず大きい。男がソーセージの大きさを何かに例える場合、どうしても卑猥なものを対象にしてしまいがちで安易で悔しいのだが、10分ほど考えてもそれより適切な喩えが思いつかないので仕方がない。アメリカのソーセージは、比較的大きなアジア人が元気な状態のときの大きさと言ってよい。



②それに具材の質が全く異なる。
それに具材の質が全く異なる。日本のソーセージは練り物と呼んでよいほどに細かくなった肉やその他の添加物がぎっしり詰まってプリプリしているのに対して、米国のソーセージは普通のミンチ肉が入っているので空気を多分に含み、感触がけっこうフニャフニャだ。これを見たときに筆者は、『お、このソーセージを鍋に入れればつみれ鍋のようになるかな』と思い立ったのだった。これらのソーセージはパウンド6ドル程度で比較的安価なので、財布にもやさしい。



③ソーセージを購入する
さて、アメリカのスーパーマーケットで売られているソーセージは大きく2種類しかない。豚か鶏のイタリアンか Bratwurstである。筆者の偏見によればイタリアンはコショウや唐辛子が強すぎて鍋には合わないので、ドイツソーセージ(と思う)のBratwurstが好ましい。だが購入にはちょっとしたストレスがある。ホールフーズではこれらソーセージはパックされておらず、精肉コーナーの店員に“Bratwurstを2本おくれ”と告げなくてはならない。お分かりのようにBratwurstの発音が難解なのが何ともストレスだ。“ブラゥトゥワスト”とそれっぽく発音しても理解されず、『ハァ!?』と返されると泣きたくなる。何とか理解を得た場合も、店員がどことなく笑いを堪えているように見えるのは筆者の被害妄想だろうか。一方でセイフ・ウェイではパックされたものを籠に入れるだけでよいのだが、最低でも1パック5本入りなので、必要以上の本数を購入しなくてはならぬ。



④ソーセージ鍋
調理方法は簡単だ。大き目なアジア人の元気な状態ほどの大きさのソーセージを一口大に切って、野菜などと共に鍋に入れてグツグツすればよいだけだ。熱い湯で茹でられたBratwurstの中身のミンチ肉は膨張し、皮ははち切れんばかりにパンパンになる。こいつをポン酢につけて食べると、プリプリでジューシーでとてもうまい。切り口から出る肉汁で鍋の汁の風味も豊かになる。だが、他の野菜等の味を邪魔するほどではない。大成功である。




 昨日は同僚の中国人女性がついにフィアンセの住むシアトルへ転勤するということで、限られたメンバーでの送別会があった。中国では送別される側が支払いをするのだろうか、パル・アルトの小じゃれた寿司屋での会の支払いは全て彼女がした。筆者は悲しくて手取川をごくごくごくごく飲みたかったのだが、それはこちらでは高級酒であるし、支払いが彼女なのでできるだけ控えめにしていた。だがこの限られたメンバーに入れてもらえていたことは喜ぶべきことだ。つまらぬ仕事でも、つまらぬ相手でも、いちおう腐らずに真面目に対応していれば、世界は悪い方向には向かわない。そんなことを思うと同時に、なかなか元気になることが少なくなってきた30代独身日本式ソーセージのことを考えていた。どうやら食べごろが過ぎようとしているようだ。

焼くだけでよいメキシコスーパーの肉 その2

2022-01-21 13:33:45 | 食材
焼くだけでよいメキシコスーパーの肉その2とは、メキシコスーパーの精肉コーナーで手に入る肉のことであり、以前に“その1”を紹介した続きである。このほどトンガ王国にて火山の大規模な噴火があり、三重県伊勢市に住む古くからの知り合いによれば、津波警報のメールがひっきりなしで眠れなかったそうだ。情報技術が発達してからというものの、ニンゲンは知らなくていいことを知らされ続けているように思うのは筆者だけであろうか。体操の内村航平のモラハラ離婚情報など、我々庶民にとって何のご利益があるのだろう。そんなことより、ベイエリアで燻っている30代独身日本式サラリーマン諸氏は、メキシコスーパーの肉について知る必要がある、ということを誰も知らないから、ここで筆者が紹介します(その2)。



この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①セシーナ その1
“その2”の一つ目に紹介するのがセシーナである。スペインではセシーナとは“生ハム”のことのようだが、こちとらメキシコ・スーパーのものは明らかに加熱が必要な生肉である。薄くスライスされた状態で売られていて、脂身のような白い部分は見られず、赤身肉のようだ。それにところどころ黒んずんでいるところに熟成肉のような趣が感じられ、不安と好奇をもたらす。パウンド7ドル程度と割安だが、雑巾ほどの大きさのスライス毎の購入になるので、1枚でも1.5パウンドほどになってしまう。



②セシーナ その2
調べたところ、メキシカン・セシーナとは赤身肉を塩漬け、さらに天日干しにしたものとのこと。だが完全には乾燥させないのだという。先述したとおり薄いスライスなので加熱しやすいのがよい。細切れにしたものをそのままホットプレートにおいて焼肉にしてもよいし、フライパンで野菜と共に炒めてもよい。天日にさらして濃度を増した赤身肉の臭みと強めの塩気、そして逞しい嚙み応えが相まって、野性味のある風味に仕上がっている。赤ワインと甚だ相性がよく、幸福になること請け合いだ。




③アラチェラ その1
“その2”の二つ目に紹介するのがアラチェラである。これは日本でいうところの『ハラミ』である。米国駐在を始めてからもうずいぶん経ったが、これまでこのアラチェラを知らずに生活してきたことを恥ずかしく思う。それほどに美味い。メキシコスーパーでは、味付けされたものや、薄くスライスされたもの、ブロック肉のままのものなど複数の状態でこのアラチェラが売られている。やはり希少部位だけあって比較的高級で、パウンド11~13ドルする。そのため“清貧”を気取る30代独身日本式サラリーマンにとっては、メキシコ人店員に“このブルジョアが!”と思われるのが嫌なので購入頻度は極力抑えている。



④アラチェラ その2
アラチェラはいたって普通のハラミ肉であり、赤身と脂身の絶妙なバランスが何とも美味である。日本での焼肉店のマナーとしては、ハラミばかり注文するのは野暮とされている。だが実はハラミだけで腹いっぱいになるのは非常に幸福度が高く、カルビのように胃もたれしないし、ニンニクに漬け込まれたモツ肉のように翌日にまで臭いが残らない。数少ない友人や会社同僚とのバーベキューなどの際にもハラミをたっぷり持参すれば、『これは一体どこで手に入れたんだ?!』などと、なかなかの注目を集め、自慢になるというものだ。




 さて、先日読み終えたスエンソン氏の幕末日本滞在記では、日本人は火事で家屋が全焼したのにも関わらず極めて立ち直りが早く、悲嘆に暮れることもなくせっせと復旧工事を始めだすと、驚きを示していた。長い歴史において天変地異による生活の破壊にすっかり慣れてしまっている日本人の死生観は、やはりどこか西欧のものとは異なるようだ。“忙しいときは神を恨む暇などない”そんな乾いた絶望感が心の底にあるように思う。だから“暇なとき”は逆に何でも拝むのだと思う。日本人の軽薄な信仰心(謂れも知らずに祝日を祝う、信じてないのに祈る)もまた、スエンソン氏やシドモア女史に指摘されている。トンガの人々の無事をアラチェラを齧りながら祈っています。

ホームレスの女

2022-01-15 21:35:07 | 生活
 ホームレスの女とは、筆者の長屋周辺にいる一人の女ホームレスのことである。彼女は筆者がベイエリアに舞戻ってきた2021年1月にはすでにここにいたので、おそらくこの1年をずっと宿無しで生きていることになる。だが決まったねぐらや居場所を持っていないようで、見かける場所はいつも違う。コインランドリーの前で寝ていたり、スシ屋前のバス停横に居たり、セブンイレブンの前に居たりする。悲しいことに彼女はほとんど気が狂っているので、誰も彼も彼女を相手にせず素通りする。だから時々、実は彼女は筆者にしか見えていない妖怪なのかという気になってしまうが、れっきとした実在するニンゲンだ。



この女ホームレスとの思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①カリフォルニアのホームレス
筆者の長屋周辺はホームレスが多い。自動車専用道路の橋の下や防音壁の裏の植栽帯にはたいてい彼らの住処らしきものがある。スーパーマーケットや交差点にはだいたい物乞いをする人々が立っている。2021年の統計調査によれば、カリフォリニア州には16万人ものホームレスがいるとのことだ。調査の方法や基準などが違うので正確な比較とはいえないが、日本全国のホームレスが4千人弱(厚生省調べ)ということだから、アメリカの惨状が伺える。とはいえ寄付文化やキリスト教文化(教会による援助活動)などがあるので、日本よりもホームレスに生きやすい環境があるのも事実であろう。それでもその日の食うものに困り、夜露を凌ぐ場所もないといった人々を目にするのは辛いものだ。あまり語られない、自由の国の陰の部分である。



②ホームレスの女
ホームレス女の年齢は不詳だ。だがおそらく40~50代で、まだ老いを感じさせない風貌をした、あまり黒くない黒人だ。小柄で筋肉質のがっしりとした体形で、歯が無い以外には不健康さはない。ゴミと区別がつかないもので山盛りになった買い物カートといつも一緒だ。そして彼女の周辺はとても臭い。彼女はまともに会話ができないのだが、ニンゲンの接近には敏感だ。ニンゲンの接近を察知すると、きまって空に向かって大声で喚き始める。でも決して目を合わせない。本当は何かを伝えたいのだろうか、かつてニンゲンに与えられた恐怖とそれでもニンゲンに期待する救済の狭間でパニックになっているのか、ただ単に存在を誇示しているのかはわからない。が、とにかく彼女の狂った反応が、 “ニンゲンの存在” に反応して起きていることに何かもやもやするものが筆者にはあった。



③菓子や水を恵む
筆者は勤務先の同僚たちと比べると明らかに職務能力(基礎体力等も含めて)が乏しい、それでも彼らと同級の給料をもらうべく、上役にはできるだけ媚びへつらい、雑事を引き受け、暇な時でも人の目を気にして働くふりに専念している。だから職場での嬉しいことも悲しいことも他人本位の部分が大きい。その所為だろうか、一見ニンゲンのしがらみから物理的にも精神的にも解放されたかのような彼女を、それでも尚ニンゲンの存在を意識している彼女を、興味深く思ったのだ。そして筆者はちょいちょい菓子や水を彼女に恵むようになった。とはいえ筆者が恵みものを持って近づいても、彼女はチラっとこちらを見ては空に向かって喚くばかりで、全くこちらに興味を示さないふりをする。だから筆者は彼女のゴミでいっぱいの買い物カートの傍にそれらを置いていくのだ。



④だが、あるとき
だが、あるとき筆者がいつものようにペットボトルの水を車の窓から差し出したとき、彼女はしっかりとこちらを見つめて歩み寄り、笑顔でそれを受け取ったのだった。筆者は何か心が救われたような気になった。しかしその翌日に、その嬉しい気持ちのままに今度は果物を持って行ってみると、彼女はあからさまな警戒の色を浮かべ、何かを呟いて決して受け取ろうとしなかった。筆者は急に拒絶されたことがショックだったが、よく考えればその拒絶行為もまた、『こちらに何かを伝えたい』という意思がある証左であるので、何か希望めいたものを感じたのだ。ただその翌日から彼女を見かけなくなった。“ついに施設にでも入れられたのだろうか”などと思っていた。1ヵ月後に裏通りの普段行かない酒屋で彼女と再会したときには、彼女はすっかり筆者のことなど忘れたようで、空に向かって喚いていた。




 最近聞いた社会学講義のYouTube動画によれば、ニンゲンは社会の中で“演技”に忙しいとのことだ。例えば電車の中で人は、周辺のニンゲンに不安を与えないために、『人に関心のないふり』や『何かしているふり』をしていなくてはならないという。人は“自分に関心を向けてくる人”には反応しなくてはならないし、“何をしてるかわからない人”のことをたいそう恐れるからだ。だがその一方で周辺のニンゲンに対して“気づいているよ”というメッセージも送らなくてはいけないという。隣に座られると意味もなく座りなおす行為をしたりするのがそれに当たる。車内で化粧を始めたり、携帯で話されたりして不快なのは、“存在を無視された(気づかれていない)”と感じるからだそう。社会の中でニンゲンは、無意識のうちにいつもそんな複雑な運転をしており、運転が下手な人は『空気が読めない』や『マトモでない』と認定される。だから社会で生きることは疲れるのだ。だがニンゲンは孤独の方をもっとずっと辛く感じるので、運転を疎かにしないのだという。筆者はまた空に喚く彼女のカートの傍にトルティーヤチップスを置いて、酒屋を後にした。

臭豆腐

2022-01-10 02:01:07 | 食材
 臭豆腐とは中国の食材である。その昔は臭い食べ物として有名であったが、韓国のホンオフェやスイスの缶詰チーズなど、動物性たんぱく質を発酵させたものの方がやはり圧倒的に臭いようで、昨今の臭い食べ物ランキングにはあまり登場していないようだ。それでもわざわざ“臭”と名付けるほどの食べ物は、単純に恐怖である。だから実は、ベイエリアの比較的低所得者用中華スーパーのライオンマーケットでこいつ(臭豆腐)を見つけたときも、見なかったふりをして過ごしてきた。しかし新たな年を迎え、新たなことに挑戦しようと思い手に取ったのだった。



この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。




①ライオンマーケットに売られている臭豆腐 
それ(臭豆腐)は豆腐コーナーではなく、スナック菓子やおつまみ類コーナーにある。コンビニおつまみのようなアルミ袋に入れられていて中身が見えない。その白いシンプルな袋の前面にはでかでかと『臭豆腐』と書かれている。上には英訳が書かれており、見れば“Fried Pungent Beancurd”、つまり”揚げた(もしくは炒めた)刺激臭の豆腐“とのことだ。その下には『入口変香、越吃越有味』との宣伝文句が書かれている。この文章をグーグルに翻訳させたところ、『入口の変の香、食べれば食べるほど味がある』となった。筆者が密かに恋い慕うギリギリ20代独身中国女同僚にこの翻訳を訪ねたところ、“入口変香”には特に大きな意味はなく、単純に食べれば食べるほどに香りや味がよくなるとのことだった。また、袋には臭豆腐の写真も載っている。それは四角くて平たい褐色の臭豆腐4、5個に、唐辛子や八角などの香辛料入りのタレがかけられた、なかなか食欲をそそる画像である。産地は中国の湖南省ということだ。





②そもそも臭豆腐とは
ウィキペディアにて臭豆腐について調べてみると“豆腐を発酵汁に漬け込んだものだが、発酵しているのはほぼ表面のみ”とのこと。それに中国本土では屋台で串に刺されて売られているということなので、現地人にとってもおやつ・つまみに類するもののようだ。そして元来は湖南省の郷土色とのことだから、この商品(ウェイ・ロン社製)は本場で作られたものといえる。


③臭豆腐を持ち帰り、開封する。
臭豆腐を長屋に持ち帰り、おそるおそるアルミ袋の封をあける。すると中にはたくさんの小さなアルミ袋が入っていて、それに一口大の臭豆腐が小分けにされているのだった。中国製らしからぬ丁寧な包装である。『開けた途端にトンデモナイ臭気が漂い、長屋の住民はてんやわんらのオオサワギ! すぐにタッパーに移し替えて、さらにはラップでぐるぐるに撒いて冷蔵庫に放り込んだ!』などという記事をブログに書けるかと期待していたが、拍子抜けである。小さな袋は大袋と同様の白一色のシンプルなアルミ袋で中身が見えない。だがそれが臭豆腐であることがすぐに判るように、『臭豆腐』と大きく書かれている。



④臭豆腐を持ち帰り、開封し、食べる。
小さな袋の中には薄くて四角い臭豆腐が入っていることが手触りでわかる。こいつを開封し、袋から中身を押し出すと、ついに真っ黒い臭豆腐がポロンと現れる。袋に描かれた色とはずいぶんと異なるので不安になるが、ウィキには『真っ黒』と書かれていたのでここで挫けることはない。そしてあまり臭くない。糞便臭という記載もあるが、少なくともこのウェイロン社製のものは、悪く言って“剣道部の部室臭”といった程度である。味は以前紹介した五香干豆腐に納豆っぽさを加えて深みを与えた程度であり、普通に美味しい。加えてスパイスが効いており、後味にパンチがある辛さが残り、酒にも合うというものだ。筆者のつまみレパートリーに入れる商品であった。



 さてスエンソン氏の江戸幕末滞在記やシドモア女史の日本旅行記を読み終えた。昨今はトランスジェンダーや小児が『男湯に入るか、女湯に入るか』が密かな社会問題になっているが、ほんの200年前の日本市民は何も気にせず皆同じ湯舟に入っていたようだ。宣教師たちはその『罪深さ』に絶望していたというが、スエンソン氏もシドモア氏も、『慎みを欠いているのは、わざわざそれら裸体を見に行っては“みだらだ!”と叱責する外国人の方だ』と書いてる。常識はいつも変わり続ける。だが突飛な例ばかりが報道される世界では、逆になかなか変化しにくいのかも知れない。臭豆腐の袋には日付が記載されているが、これは製造日である。賞味期限はその日から9か月とのことなので、心配ない。