ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

タカハシ・エリ

2023-01-30 01:34:37 | 生活
タカハシ・エリとは、タカハシの家庭教師の教え子であり、キャバ嬢でもあり、タカハシが思いを寄せていた女性でもある。最近は若い人の “キャバクラ離れ” が加速しているというニュースから、ふと筆者が初めてキャバクラに行った日のことを思い出し、孤独で暇な週末にニヤニヤしたのだ。それはタカハシに連れられてタカハシ・エリに会いに行った時で、今回はその思い出を書こうと思う。筆者やタカハシが20代非モテ大学生であったときの話だ。人生で一番楽しく悶々とする時期だ。2023年二人目の大物の死亡ニュースがYMOのタカハシユキヒロさんだったことも何かの縁に違いない。



この思い出の詳細は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。



①タカハシとタカハシ・エリ
苦学生のタカハシは長く某衛星予備校にてチューターバイトをしていた。そこの予備校生タカハシ・エリのキュートな瞳に心をときめかせたタカハシは、ついには生徒名簿からタカハシ・エリの個人情報を入手して連絡を試みたのだった。露見すれば赤っ恥をかいてバイトをも馘になりかねないその行為は意外にも功を奏し、タカハシ・エリは好印象なメールを返信してきた。そのときのタカハシの浮かれる様は今も鮮明である。筆者の記憶が確かなら、タカハシ・エリは田舎から美容師か何かを目指して町へ出てきたものの、心変わりをして大学を目指し始めたという割と苦労人だった。生活費を稼ぐために夜はキャバクラで働いていた。そんな都会の孤独さが、タカハシの魔の手に引っかかるきっかけを与えたに違いない。タカハシはあの手この手を駆使して、タカハシ・エリの“家庭教師”として宅に上がり込む関係にまでこぎつけていた。タカハシ・エリは気持ちの浮き沈みの激しい部分があったようで、タカハシはそれに振り回されながらも野心的・献身的な家庭教師ぶりを発揮していた。人生で一番楽しく悶々とする時期である。



②タカハシが大量のVHSデッキを入手する
そんなおりタカハシのバイト先の某衛星予備校が、設備のDVD化のため20台ほどのVHSデッキを処分するという話を聞きつけ、“それを引き取って一儲けしようか”という話になった。当時はレンタルビデオ屋でもVHSとDVDの比はまだ五分五分で、成人ビデオの視聴を求めた一人暮らし大学生からのVHS需要がまだかなりあると見込んだのだ。果たしてタカハシがバイト先からコツコツと小出しに運搬したビデオデッキは、二人でキャバクラで遊ぶに足る金に変わったのであった。秋の深まるキャンパス内で勝手に店を広げて行商行為をしたことは、とてもよい思い出である。



③タカハシ・エリの勤めるキャバクラへ行く
もうどこの駅だったか忘れたが、そこは高架下の雰囲気すらある場末のキャバクラで、その安づくりに筆者らは逆に安心したものだ。呼び込みの男にタカハシ・エリの在否を確認し、ずんずん入店した。場末のキャバクラに居たワンピース姿のタカハシ・エリは、タカハシが好きになるだけあって幼くも聡明な雰囲気を持つショートカットの女の子で、廻りにいた画にかいたようなキャバ嬢とは違っていた。“指名を受けたことはない”と言っていたし、着ぐるみを着て呼び込みもしているということだったりと、おそらくは他のキャバ嬢とは違うかたちで雇われていたのだろう。同時の筆者はバンコクのゴー・ゴー・バーでワイワイやってすっかり勘違いしていたので、そのノリで場末キャバクラでも割と盛り上がることができたのだった。



 確かタカハシはタカハシ・エリの大学受験まで献身的なサポートを続け、一緒に合格発表を見に行ったのだと思うが、これはタカハシの毎夜の妄想トークを筆者が思い出変換しただけの可能性がある。そしてその後タカハシはフラれたはずだ、それは確かだ。もう昔の話だし、タカハシは別のタカハシと結婚もしているので、このことをタカハシに根掘り葉掘り聞くこともないだろう。ただ初めて行ったキャバクラと、その資金を稼いだ思い出をここに残しておきたかっただけである。

Harvest Wine & Spirits Elmwoodのドイツ缶ビール

2023-01-28 14:30:52 | 生活
Harvest Wine & Spirits Elmwoodのドイツビールとは、コネチカット州ハートフォード地区にある酒屋と、そこで買えるドイツ缶ビールのことだ。2023年の新年はケンタッキー州ルイビルで迎えた。 “バーボンの町”ルイビルで格好をつけてバーボンロックを飲んでいたが、やはり筆者は醸造酒の方が好きなようで、ビールやワインが恋しくなる。さて、コネチカットに長期出張中の筆者は、遅ればせながらAIRBNBの楽しさを覚えたこともあって、宿場を転々として生活を楽しんでいる。そしてたまたまいい酒屋でおいしいドイツビールを見つけたので、ここで紹介するという企画である。


この酒屋とドイツ缶ビールの特長は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①Harvest Wine & Spirits Elmwood
ニュー・ブリテン・アヴェニューを、ハートフォード地区にお住いの日本人にはお馴染みのアドン・スーパーマーケットから数ブロックほど西進すれば、Harvest Wine & Spirits Elmwoodがある。たまたま入ったこの店の品ぞろえは、このエリアの一般酒場とは一味違い、なかなか楽しい酒屋になっている。特にビールは見かけない銘柄が多く売られ、デザインの楽しさが際立つドイツ缶ビールが並ぶ冷蔵庫は目を引き、ついつい手に取ってしまう。缶ビールはシングル缶を4本以上購入すると1割引いてもらえるので、適当にデザインの良いものを購入した。ちなみにHarvest Wine & Spirits Elmwoodの店員は初老の男性かゲイ風の中年男性で、ゲイ風の店員は日によって接客態度に波があり『この前優しかったから・・』と思いニコニコしていると冷たくされるので恐ろしい。




②ヴェイヘンステフナー(weihenstephaner)社の缶ビール
ヴェイヘンステフナー社のベージュ色の缶ビールは、レトロなラベルが格好いい。左上に金色で描かれた王冠と獅子の紋章はバイエルン王国のもので荘厳だ。醸造所名やビールの種類を書いた文字のレタリングがまた、いかにもドイツっぽくてよい。下部には“1040年からの世界で最も古いビール醸造所”と書かれている。Harvest Wine & Spirits Elmwoodには“ヘフェウェシビア”と“フィストビア”の二種類の缶が売られていて、前者が緑色ラベル、後者が青ラベルとなっている。筆者の見識不足かもしれないが東海岸は欧州びいきな風習が残っていて、欧州直送品が多くみられる(ような気がする)ので楽しいものだ。

③ヘフェヴァイスビア
青ラベルのヘフェヴァイスビア(HefeWeissbier)は、ドイツでは小麦ビール(Wheat Bear)に分類されるそうだ。日本のビールの多くが大麦の麦芽で作られているのに対して、約40%ほどの小麦麦芽が含まれているものをそう呼ぶようだ。本商品のアルコール度数は5.4%で日本の有名ラガーと変わらないが、苦味指数14IBUはかなり低めだ。一口目は『あれ?味がない』と思うほどのすっきり味で、その後に嫌みのないフルーティーテイスト、そして最後にスモーキーな燻製臭が広がる飲みやすくも薫り高いビールである。コップに注いだ時のクリーミーな泡立ちも、アメリカビールではなかなか見られないもので、注ぐたびに『おっとっと』と楽しくコップに口をつけることができる。小麦であることの効果は筆者には分からなかった。



④フェスビア
緑ラベルのフェスビア(Festbier)は、美しい透明感のある黄色いビールで、ソリッドで雑味がほとんどなく飲みやすさが抜群で、それでも苦味がずしん(26IBU)とある素敵なビールだ。アルコール度数も6%弱とやや高めである。酒類はカテゴリー手法が複雑(土地だったり成分だったり)で調べるのがとても大変だ。どうやらこのフェスビアは、『ミュンヘンの上面発酵のアンバービール醸造業者が、フェスティバルでゴクゴク飲めるような軽いビールを求めて作った下面発酵ビール』ということらしい。ちょっとそれ以上のことは面倒なので調べることは止めてしまった。



うんちくはともかく、週末にドイツビールを買い込んで宿でグビグビゴクゴク飲みながら、ピザやチキン・ウイングといった不健康な食べ物をパクつく行為を幸福と思えるほどの若さを、まだ30代独身日本式サラリーマンは持っているようだ。筆者の長期出張も終わりを迎えようとしている。思いがけず再訪したニューイングランドには、まだまだ楽しいものがあるの違いない。昔、割と遊び人の筆者の叔父(当時40代)に『うらやましい』と言うと、『いやいや、こっちは必死になって遊んでいるんだから』と言っていたのを思い出す。

ルイビル

2023-01-21 23:36:12 | 生活
ルイビルとは、米国ケンタッキー州の都市である。2022年はケンタッキー州ルイビルで年を越した。AIRBNBでダウンタウンの東側にとった宿はオールドフォレスタのバーボン醸造所のすぐ隣で、付近のバーは大晦日でもそこそこの賑わいを見せている。だが何だか気持ちが晴れにくい天候だ、雲が低くて重苦しい。南部の臭いがするディナーを食べようと、グーグルでMerle's Whiskey Kitchenという店を見つけて入ったが、メニューにあるのはハンバーガーなどばかりで不審に思った。仕方なくナチョスを摘まんでバーボンを1杯飲んだらすぐに店を出て、二軒目はもっと東へ歩いてDasha Barbour'sという店に入った。ここはしっかりとした南部料理で満足だがさっきのナチョスで胃が既に重い。どうやら一軒目は間違えて隣のバーに入ってしまったようだ。“2022年最後の失態” である。



二日目(元旦)の記録は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①エジソンの家
元旦の朝のルイビルはオハイオ川方向からやってくる霧でもやがかかっていた。ダウンタウンを東方向へ離れ、野球場を越えると低層住宅や町工場が並ぶエリアになり、人影も少ない寂しい雰囲気がある。そこにポツンと小さなレンガ造りの家屋があって、植え込みに立つ小さな看板によれば、あの偉い人(そんなの常識)エジソンが二十歳前後の頃にこの宅の一室を借りていたのだという。まだ駆け出しの電信係の頃だ。家屋の中は小さなミュージアムになっているのだが、残念ながら元旦は閉まっていた。たったの2年しか住んでいないところがミュージアムになっては、さすがの エジソンも困惑ではないかと思いつつ、数枚写真を撮って後にした。



②ビッグ・フォー橋
次に訪ねたのが“ビッグ・フォー橋”だ。これはオハイオ川に架かる1895年に完成した旧鉄道橋で、現在は歩行者と自転車用に改造されて市民の憩いの施設になっている。エジソンの家からオハイオ川へ向かって北上すると、周囲は生コン工場や打ち捨てられたような空き地ばかりで、『本当に憩いの橋に着くのか』とやや不安になるが、高速道路のランプをくぐると立派な黒い鉄橋が見えてくる。橋の下を船舶が往来できるようにかなりの高さで作られた橋は、川岸で大きくらせんを描く新たな橋と接続されて歩行者や自転車でアクセスができるようになっている。らせん部も併せてソリッドな黒い橋全体が曇り空を塗りつぶした様でやけに映えていて、なかなかの見ものである。元旦の“渡り初め”なのか、橋上には多くのツーリストやジョガー、散歩者が見える。筆者も渡ってみることにした。日が高くなるとオハイオ川の靄は消え失せ、川面が見える。緩やかな流れに土砂を載せた工業用いかだが曳かれて下っていく景色もなかなか壮観で、気持ちがいい。この橋を渡りきるとインディアナ州ということだったので、筆者は頑張って10分ほど歩いて州をまたいだのだった。年明けのどんちゃん騒ぎの後だろうか、橋の真ん中には酒瓶やクラッカーの屑などで散らかっていた。何故“ビッグ・フォー”なのかは橋を渡りつつ考えたが判明せず、ウィキぺディアを見ればもともとの鉄道橋時代の鉄道会社の名前が由来のようだ。森田、北野、明石家、あともう一人のビッグ・フォーは全く関係ない。



ビッグ・フォー橋からリバーサイドを歩いてダウンタウンへ戻ると、割とモダンなアパートが並んでいて都会の雰囲気がある。その後も南へ下ってオールドルイビルの雰囲気を味わったり、ダウンタウンのメインストリートを歩いたりして、それなりに楽しかったのだが始終気持ちが晴れやかにならなかったのは、年末年始で開いてる施設が多くなかったこと、とにかくあまりグルメ運に恵まれなかったこともあるが、大きくは重苦しい天気のせいだったと思われる。帰りの便では空港のKFCで朝食をとった。いろいろありますが、今年も自分と近しい人が健康でありますようにと、ベンチに腰掛けるサンダース氏に願をかけておいた。

パブス・アフリカン・レストランその2~バンクーとオクラスープ~

2023-01-15 02:26:46 | 食事
パブス・アフリカン・レストランその2~バンクーとオクラスープ~とは、コネチカット州ハートフォード市のアフリカ食堂、パブス・アフリカン・レストランの“バンクー”と“オクラスープ”のことである。コ州長期出張中の筆者は惰性的なホテル生活に陥りはじめ、外食といえばもっぱらフォーサイゴンでP9を食べるばかりの日々を過ごしている。『これではイカン』と思ってグーグルマップで楽しそうな食堂を探してみても、特段面白そうなところが見つからない。そこで久々にパブス・アフリカン・レストランを訪ねてみることにした。ここも特別美味い訳ではないのだが、先日のハーレム探訪でアフロ料理に少し詳しくなったので、再度挑戦してみることにしたのだ。2023年の最初の大物の死亡ニュースはジェフベックさんだった。


この食堂、メニューの詳細は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。


①パブス・アフリカン・レストラン
パブス・アフリカン・レストランはイーストハートフォードにあるアフリカ料理の食堂だ。詳細は以前の日記を見てもらいたい。確か前回訪ねたのはコロナ禍の最中で、店内の椅子や卓はすっかり片づけられた状態だった。寂しい建屋の駐車場、開いているか全く不明な外見は相変わらずだが、店に入ればイートイン設備が整えらえていた。だが客は誰もいないし、注文レジにも誰もいない。しばらく待っていると若くて細い黒人女性店員が奥から出てきた。筆者は主にDMVなどで黒人女性に高圧的な態度をとられたトラウマを抱えているため、すぐに脇がじんわりとする。前回来訪時は穏やかな大きな黒人老人男性だったはずなのだが・・・。勇気を出して『オッ、オッ、オクラスープをお願いシャッス!』と言うと、優しい黒人女性店員は、『何故、Soul'd outみたいな喋り方なのかい?』とは言わず、『バンクーも付ける?』と尋ねてきた。筆者はバンクー挑戦歴があり、あまり好きではなかったが退屈な毎日の刺激を求め、注文してみたのであった。


②客との会話
イートイン設備は整えられていたものの、テイクアウトしかやっていないのだという。レジ脇の椅子に腰を掛けて調理を待っていると、中年男性黒人客が入ってきた。その男は女性店員とは顔なじみのようで、聞き取れない言語で親しげに会話したのちに筆者に気が付き、『○○語が分るのか!?』と英語で尋ねてきた。その後もしきりに筆者に話しかけてくる。彼との会話から、この店がガーナ料理の店であることが判明した。ハートフォードにはガーナからの移民が多いとのことだ。そのうちあの優しい男性店員が奥から出てきて男性客と会話を始める。男性客は『おい、この中国人はガーナ料理を知ってるぜ!フーフーも食べたことあるってよ、驚きだぜ!』と始終はしゃいでいた。


③バンクーとオクラスープ
テイクアウトを済ませ、滞在先のエクステンドステイアメリカに戻り袋の中を出してみると、大男のこぶしほどの大きさの白いバンクーがサランラップに包まれている。バンクーとはキャッサバとトウモロコシを発酵させた生地で作る練りもののような食べ物だ。見た目と感触は餅のようで食べやすそうなのだが、独特の酸味と酸味臭とがやはり筆者の味覚・嗅覚に合わないし、中までモッチモチと思いきや微妙な繊維質があって、食感も心地よくない。これをちぎってはオクラスープに漬けて食べるのが現地のやりかたのようだ。この店のオクラスープはヘルシーなベジタブルスープを期待すると裏切られる。白身魚の細切れがたっぷり入り、そのうえ香料がたっぷりついた揚げ魚とヤギ肉の細切れまで入ったジャンクなスープだ。でも味はあっさり薄味塩味で食べやすい。



バンクーかオクラスープか不明だがほのかに駅の便所のような香りがし、ちょっと嫌だったのだが食べ進めるうちに何だか平気になってきて、ついには美味に感じ始めた。バンクーは醤油を少しかけて食べても旨い。ガーナに滞在した人々のネット記事を見ても、バンクーに対して『クセになる!』との記載が多くみられることから、けっこうな魅惑の食べ物のようだ。そういえば前述のガーナ人客にハーレムで食べた“サカサカ”についても尋ねると、『あぁサカサカね、あれはセネガル』と急にトーンダウンした。筆者が外国の人に、『このまえ青椒肉絲を食べたよ!おいしいよね!』と言われたときと同じような感覚が、アフリカ諸国同士にもあるほどには食文化に違いがあるようだ。サカサカとオクラスープは似たような料理だと思ったのだが・・・・タモリ曰く、今年は“新しい戦前”になるのだそうだ、くわばらくわばら。

ルイビル

2023-01-10 00:04:58 | 生活
ルイビルとは、米国ケンタッキー州の都市である。Louisvilleと書き、“s”は発音しないようだ。2022年の年末は帰国するほどの休みはとれずに孤独なので、このルイビルを訪ねることにした。ケンタッキー州で年越しすれば、少しは思い出に残るであろうと考えたのだ。今回はそのルイビル探訪の記録である。普段は閑散としているハートフォードのブラドリー空港も、さすがに大晦日とあって混雑していた。2022年の日本の大みそかは、氷川きよしさんがついに“紅白”を超えた特別枠で歌合戦に出場を果たしたり、『笑ってはいけない』が前年に引き続き放映されないことでコクミンにストレスが溜まったりしたようだ。

この探訪の記録は以下の通りだ、参考にしてもらいたい。

①モハメド・アリ空港
フィラデルフィアで小一時間の経由を挟み、4時間程度でルイビルのモハメド・アリ空港に到着した。そう、ルイビルはモハメド・アリの生誕の地なのである。そういえば米国ではニューヨークのケネディ空港やサンノゼのノーマン・ミヤマ空港など、空港の名前にニンゲンの名を付けていることが多い。我が長期出張先のコネチカットのブラドリー空港の由来を調べてみると、ニューイングランドとはあまり関係のなさそうな、空軍の飛行訓練中に事故死した24才の若者(オクラホマ出身)の名前を使っているとのことだ。小さなモハメド・アリ空港のコンコースにはバーボンやケンタッキー・ダービー、モハメド・アリの看板が並んでいて、観光地として力を入れる様子が伺える。とりあえず空港からウーバーでケンタッキー・ダービーミュージアムへ行ってみることにした。曇り空の中、運転手がなかなか到着しないと思ったら、この辺りではウーバーに競合会社がおり、黒人運転手はそちらの会社のピックアップコーナーで筆者を待っていた。



②ケンタッキー・ダービーミュージアム
筆者は“飲む、打たない、少ししか買わない”30代独身日本式サラリーマンなので、競馬とは縁がない。だがそんな筆者でも聞いたことがあるほど高名なケンタッキー・ダービーの会場がルイビルにあり、ミュージアムが隣接しているということで、最初に訪ねた。まぁ、年末に開いている施設が少なかったのも理由だ。このミュージアムのメインは、楕円形のシアターでダービー当日を体感できる360度型ムービーと、その後に係員と行くチャーチルズタウン競馬場内のウォーキングツアーだ。その他にもシアター周りに様々な展示がある。馬の模型が3つ並んだ競馬ゲームでは、子供に混じって大の大人が盛り上がっていて面白いし、蹄鉄に関する展示なども興味深い。そしてやはり黒人差別と競馬産業の関係に関する展示などもある。大晦日のミュージアムはかなりの混雑で、人気の施設のようだった。果たして子供が楽しめる施設かどうかは疑問だが、シアター視聴中には車いすの知的障害の女の子と黒い犬を連れた女性がぐるぐる回っていたのが印象的だ。



③ダウンタウンへ
チャーチルズタウン競馬場正面にある、悲劇の馬バーバロ像の前で再びウーバーに乗り、ダウンタウンへ向かう。ダウンタウンはオハイオ川の南岸にあり、川の向こうはインディアナ州だ。ダウンタウン西端のスラッガー・ミュージアム付近に降り立ち、“まずは昼食だ”と思い周囲を見渡すも、一人で入りやすい食堂が見当たらない。テクテクと東方向へ歩いてみると、“OSAKA”という鮨屋があったので入ってみた。暗い店内には筆者しか客はおらず、BGMもないので寂しい雰囲気だ。店主は頬の長い韓国人風の風貌だったので、キムチロールを注文してみた。味は普通だが5切れほどしかなく物足りなかった。OSAKAを出てさらに東進し宿へ向かうと、宿周辺には賑わいのあるウイスキー酒場が並んでいたので『こっちにすれば良かった』とけっこう後悔したものだ。



チェックインを済ませ、再びダウンタウンを横断してスラッガーミュージアムの前にある歴史博物館を訪ねた。ここはケンタッキー州の歴史を割と楽しく学べて良い施設だ。良質なオークの木の産地であること、オハイオ川の水運、アイリッシュ移民の融合でケンタッキーやテネシーがウィスキー産業として発展したこと、バーボンについて、シビルウォー時の南北境界州としての立ちまわりなどが勉強できるし、何故かミニチュア人形がたくさん展示されていて、小一時間の時間潰しになった。何せ曇り空のせいか、町全体がどんよりしていて気持ちが晴れない雰囲気があるが、30代独身日本式サラリーマンらしい大晦日だったかも知れない。