ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ポンテギの缶詰

2021-07-27 10:00:29 | 食材
 ポンテギの缶詰とは、韓国で親しまれているポンテギを缶詰にしたものである。筆者は一般的な30代独身日本式サラリーマンであるからして、政治的にはどちらかというと“反韓”の立場をとることが多いのだが、韓国の人々や文化を嫌っていたり、見下しているわけでは決してない。現に同僚のミンサム君とは友好的な関係にあるし、韓国系スーパーにも足しげく通ってネタになるものを買い込んでいる。そもそも筆者は立場や建前にいつも邪魔される政治に世界をよくすることを期待しない。個人の普段の何気ない行動こそがゆっくりと、でも確実に世界を変えているのだというのが筆者の持論である。今回のポンテギなどがまさにそれなのである。


この食材の特徴は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ポンテギとの出会い
最近のカリフォルニアはコロナ渦から解放され、筆者は残念ながらリモートワークではなくなったので、職場に弁当を持って行っている。弁当といえどもタッパーに米を入れ、ふりかけをかけたものの上に缶詰サバやイワシを載せた簡素なものだ。青魚は高血圧によいとのことだし、サバ・イワシ缶詰は30代独身日本式サラリーマン生活にちょうど良い大きさだし、何せ安いのでよい。いつものようにその青魚の缶詰を、ハンコック・スーパーマーケットで物色していたところにポンテギの缶詰が見つかったのだ。



②ポンテギとは
ポンテギとは蚕の蛹(さなぎ)の佃煮である。英語表記ではシルクワーム・ピュパと書かれ、缶には堂々とそのものの画像が貼られているので韓国の人々にはこの見た目にアレルギーはないものと思われる。それにサバ缶やイワシ缶に引けを取らないくらいの量が売られているので、韓国では至極一般的な食用品のようだ。ウィキペディアによれば、ニンゲンには絹を作り終えた蚕にもはや用事はなく、一般的にそれは家畜の飼料となっていた。しかし日本でも海から離れた場所などでは、貴重なタンパク源として食されてきたらしく、長野県などでは今でもスーパーで蛹の佃煮が売られているとのことだ。韓国の人たちは家畜の肉も魚介もよく食べるし、どこでも比較的海に近いであろうに一体全体なぜ蚕の蛹などを必要としたのかはわからないが、とにもかくにも手に取ってみた。





③ポンテギの缶詰
購入を前にわが同胞のミンサム君にテキストを送り、このポンテギの調理法を確認してみた。すぐに返ってきたミンサム君のテキストによれば、この商品は既に加熱済みであるためそのまま食べられるとのこと。筆者としては“このまま食べられるのか、否か”ではなく、“どうやって食べるのか”を尋ねたつもりだったのだが、どうやらそのまま食べるのが通常な食べ方のようであった。



④味など
缶の蓋を開けると小指の爪ほどの蛹がぎっしりと入っていて、見た目にはやはり抵抗がある。透明感のある汁は甘みが豊富で、これもまた日本人の好みには合いそうにない。独特の臭みはあるものの、強くはない。筆者は蛹を一匹爪楊枝にさし、臭みを消すべくワサビをちょいとつけて口に含んで嚙み締めた。それには『ミュ!』という食感と風味がある。薄い蛹の殻の歯ざわりと中身の少しだけ柔らかい肉の味のせいだろうか。それは不味くないが、決して旨くはない。だがお猪口に注いだ微炭酸のマッコリを飲みながら少しずつ食べるとなかなか味わい深く、ヤンパンになったかのような高貴な気分に浸れるというものだ。



⑤元気がみなぎる。
不思議なことにポンテギを食べた日の翌日は、疲れや二日酔いがなく、寝覚めもよかった。コアな栄養素が得られているのかも知れない。



 日本では1年延期されたオリンピックが開催された。すったもんだあった開会式だが結局は稀に見る高視聴率だったようで、全てはJOCによる壮大な炎上商法だったのかと思うほどだ。筆者はひとり出社した土曜日にハイライトを見てみたが、正直感動してしまった。開催の是非への議論もあるだろうし、内容の評価にもいろいろあるだろうが、『開催できた』というひとつの事実のために積み重なった、すべての人々(中止を唱えた人も含めて)の努力が見えたような気がした。だから感動したのだ。この開催を黒歴史にするのか、誇りあるものにするのかもまた、これからの個人の頑張りにかかっているのだと思います。とりあえず我ら30代独身日本式サラリーマンは、たまにはポンテギをワサビにつけて頬張って、“ミュッ、ミュッ”とした奇妙な感覚を楽しみながら、明日への英気を養うべきだろう。

マルカイで買う魚のアラの塩コショウ焼き

2021-07-18 04:51:30 | 食材
 マルカイで買う魚のアラの塩コショウ焼きとは、日本スーパーマルカイで購入できる魚のアラを使った料理のことである。2021年の独立記念日連休前の金曜日、仕事帰りの車中で電話が鳴った。相手はとうの昔に当社を辞めたインド人のITエンジニアのアモル君であり、彼としばらくとりとめのない会話をした。ずんぐりとした風貌とインド人特有のか細い声が可愛らしく、当時は仲良くしていたのだ。今はアリゾナで新たな仕事をしているそうだ。読者諸氏には知られていることだが筆者には友達がとても少ない。そのためそうした旧友からの電話だけでいたく感動し“嗚呼、生きててよかった”と思い、車内で感慨にふけるのである。“生きててよかった”と思うためには、できるだけ友達を少なくした方がよいのかも知れません。


この調理法の概要は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①マルカイ
マルカイはクパティーノにある日本スーパーである。ミツワやニジヤなどに比べてやや雑多な感じがあって、庶民派スーパーの香りがする。品物の値も随分と安く、モノによっては中華系や韓国系スーパーよりのお買い得なものもあるので楽しい。ウィキによればこのマルカイは1965年にハワイで設立されたそうだ。設立者はリチャード・マツとヒデジロー・マツなので、日系ハワイアンの人であろう。このヒデジローなる人物はまだご存命のようだ。だが2013年にこのマルカイは、田舎風のヤンキーがたむろするディスカウントストアでお馴染みのドン・キホーテに100%買収されているとのことだ。



②魚のアラ
そのマルカイの鮮魚コーナーの端っこにはいつでもパックされた魚のアラが並んでいる。きっと刺身などにされた魚の切れ端だろう。魚の種類は記載されていないが、ハマチかマグロか、それにスズキっぽい白身魚などの数種があって、どれもパウンド2.9ドルほどでたいそうお買い得なのだ。これを見逃す30代独身日本式サラリーマンがあったなら、それは偽物の30代独身日本式サラリーマンと呼ぶべきだ。そそくさと買い物かごに入れ、そそくさと持ち帰る。




③魚のアラをクッキング・シートを使ってホットプレートで焼く
魚のアラはたいてい脂っこいので焼いて食べたい。しかしアメリカ式キッチンでの焼き魚はなかなか厄介なのだ。少量の焼き魚のためにごっついオーブンを使うのは大変億劫だし、コンロを使って簡易式焼き魚用フライパンでの調理は火災報知器との闘いになる。すったもんだのあげく筆者が最終的に落ち着いたのがホットプレート+クッキングシートによる焼き魚である。油が飛び散ることもない、火災報知器は鳴らない、ホットプレート自体は汚れないので洗わなくていい、そしてうまく焼ける、さらにはメインディッシュ風に前菜とは間隔をあけ、目の前でアツアツに仕上げることができるという完ぺきな調理法なのだ。この調理法こそが、30代独身日本式サラリーマンのアメリカ式キッチンにおける理想的な焼き魚の調理法であり、それはこの数十年は変わらないだろうと筆者は確信する。



④マルカイの魚のアラ
マルカイの魚のアラは割と肉厚で可食部が多いので、1パックで数回の食事が楽しめる。脂ののった魚はなかなかの美味で、週末の昼などには白ワインやビールと一緒に贅沢なシーフードバーベキューが楽しめるというものだ。あらかじめ塩コショウをふったり、焼き上げたらわざび、ポン酢などを使ったりして、脂っこさをごまかすと飽きが来ずに楽しめる。それに比較的傷みやすいので、保存する際にはラップでしっかりとくるんで空気に触れないようにたいし、必要であれば冷凍保存をすべきである。



 2020年東京オリンピックはついに小山田圭吾の30年以上前の黒歴史まで表ざたにすることになってしまった。パクリロゴ問題から連綿と出てくる醜聞が、『だからオリンピックは中止すべきである』につながるのはロジカルでない気がするのだけれど、こうまで続くと “しらけムード” が漂い始めるのは無理もない。とはいえ小山田圭吾は30代後半独身日本式サラリーマンにとっては当時オシャレ音楽の最先端だった。筆者は久しぶりにコーネリアスのファンタズマを聞きましたが、やっぱりなかなかグルーヴィーで素晴らしい、これを機に若い人もコーネリアスファンが増えれば面白いと思いながら、魚のアラをジュージュー焼いている。

サンジュアン・バティスタからサリナス その2

2021-07-04 04:45:02 | 生活
 サンジュアン・バティスタからサリナスとは、2021年の初夏に筆者が行ったドライブのことである。サンジュアン・バティスタを後にした筆者は、山道を抜けてサリナスへ行く。“ニンゲンが永遠に無知であること”はイエスが生まれる遥か前にソクラテスさんが喝破したのに、それから2500年経った今もニンゲンは知った気になって歩いている。筆者といえば、密かに恋い慕う同僚の20代中国人女性に同棲する男がいることがひょんなことから発覚したり、もう木曜日だと思っていたらまだ水曜日だったりとショックな出来事が続いて気が滅入っている。しかし書き続けなくてはいけない。たとえ明日が木曜日でも、今日私はリンゴの木を植える。



このドライブの詳細は以下の通りだ。参照にしてもらいたい。



①サリナス・ロード
サンジュアン・バティスタからサリナスへ向かう山道はサリナスロードという名前だ。小説『二十日鼠と人間』では、ジョージとレニーが次の職を求めてサリナスへ向かう場面から始まっていたことを思い出し、“これがスタインベックが描いた風景なのかも知れない”と無理やり感情移入して高尚な感慨に浸ろうと、窓を開け、ゆっくりと車を走らせる。サリナス・ロードの舗装はつぎはぎだらけで、周囲から見えにくい陰になる箇所には不法投棄と見られるゴミが捨てられている。緩やかな山々が続き、その山肌は牧場として利用されたためなのか、それとも気候の所為なのか、樹木が茂る部分は少なく低草が茂り、ところどころに乾いた岩肌が露出する。



②サンジュアン・グレイド・ロード
道の名前はいつの間にかサンジュアン・グレイド・ロードに変わり、山道は下り始める。景色は変わらず、スタインベックに思いをはせるのもさすがに退屈になり、目的地へ向けてスピードを上げる。山道を降りきったところが丁字路になっていて、そこから道幅は急に大きくなる。車両の多くはサリナス方面からこちらの山道ではなく、北方面へ向かう。ここからサリナス市街へ向かうまっすぐな道の両側は広大な農場地だ。



③サリナス・バレー
サリナスバレーはアメリカでも有数の農業エリアで、“世界のサラダ・ボウル”と認識されている。その名の通りの果てしない農耕地は、日本の狭い平野での農業しか知らない筆者にとっては圧倒される光景が広がる。植え付けや水やりなどのほとんどの作業は大型の機械でなされるのだろうか、畑の面積に対して人の気配が圧倒的に少ない。ただ収穫だけは人の手が要るようだ。収穫時期と思われる畑にはたくさんの麦わらや傘をかぶった人たちがうごめいているのが遠くに見える。それに道路には仮設トイレをいくつも牽引したぽんこつバスがたくさん走るのを多く見るので、農業作業員らは毎朝どこかに集まって、そこから農場が所有するバスで移動するのだと推測される。作業員には感覚的にヒスパニックの人が多い。かつてはジョージやレニーのような白人労働者が従事していた農作業は、今は正規の手続きを経ない移民の人たちが従事しているのかも知れないと勝手に予想する。


 
 サリナスのダウンタウンに到着したときには筆者はもうけっこう疲れていたので、メインストリートを少し歩いただけですぐに車に戻って家路についた。だからあまり書くことがない。スタインベックのミュージアムもコロナの影響でまだ再開していなかったし、おそらくいつか再訪することになるだろう。 サリナスバレーの101号線沿いには高速道路にも関わらず、農産物の直売所が点在する。筆者はギルロイ市の手前ででガーリックワールドという店に立ち寄ってみたが、大したものはなかった。