ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

浦賀

2023-12-11 05:07:49 | 生活
浦賀とは、神奈川県横須賀市にある地域である。三浦半島の東南部(かかとの部分)に位置する。溜池山王の米国領事館で書類提出と面接を終え、米国就労ビザ発給を待つ間は楽しい暇な時間である。筆者は浦賀へ行ってみることにした。開国の、明治維新のきっかけとなった黒船来航の地である。きっと面白いものがあるに違いない。京急線に乗り込み、途中で“雑色”という奇妙な名前の駅で降り、思いのほか賑やかな商店街でハムカツを食べたり、駅前喫茶“リベルテ”でモーニングを食べたりしたので、終着駅の浦賀に着いたのは午前10時頃だった。2023年の11月、天気が良い。


この日の思い出は以下の通りだ、参考になるだろうか。



①浦賀駅に着く
平日、京急線の終点浦賀駅の曲線状ホームで電車から降りる乗客はごく僅かで、観光客らしき人は全くいなかった。駅の改札に、『ようこそ開国の町へ』という手作り感のある看板、というより貼り紙に近いものがある以外は観光地を思わせるものすらなく、少し不安になる。それでも改札を出て階段を下りると入り江の景色が眼前に広がり、『お、海に来た。浦賀に来た』と感じることができる(駅のホームからは谷あいの景色しか見えないのだ)。そして駅前には小さな観光案内看板や、防波堤のようなブロック塀に地元の少年少女が描いた歴史場面の絵画があって、それなりに外からの観光客を迎え入れる準備を感じたので安心した。




②観音崎通りを南へ行く
案内看板を見ればこの京急浦賀駅は入り江の根に位置し、入り江の先端両側に寺社仏閣や碑などの史跡が多いことがわかる。入り江の先端には、東西を結ぶ渡し舟が出ているそうだ。そこで散歩がてら入り江の東側の観音埼通りを南下することにした。道の山側はほぼ垂直に切り立った崖がそびえていて、崖の間を縫うように砦のようなマンションが建っている。入り江側はコンクリート塀で囲まれて、有刺鉄線までついてる。ここは“浦賀ドッグ”といい、この深い入り江を利用して江戸末期に造船所として整備されたようだ。ここで日本初めての洋式軍艦鳳凰丸の築造や、咸臨丸の整備が行われたのだ。明治~昭和時代に軍艦製造がおこなわれ、2021年に住友重工から横須賀市に文化遺産として譲渡されたという。だが背伸びして塀の中を覗くと、この東側のエリアは材料置き場のような殺風景な雰囲気で、観光に使われている様子はまだない。




③史跡エリア周辺
入り江の先端に近づくと平地が増え始め、住居エリアが見えてくる。この辺りが史跡スポットエリアである。歴史好きの老人男性共が書物を持ってエリアを探訪している。しかし基本的に案内が親切とはいえず、東林寺では中島助三郎の墓がどこか分からなかったし、中島助三郎についても説明を見つけることができなかった。“勝海舟の断食の碑”があるとのことだったが、“勝海舟が断食のときに使った井戸”しか見つけられなかった。その他案内にはない記念碑が突然現れたりもする(日スペイン貿易の碑など)。入り江の両側にある叶神社はどちらも応神天皇(誉田天皇)を祭る神社で、21世紀に入り宮司が西と東のコラボのお守りを作って縁結びパワースポットとして売り出しているらしく、ちらほら若い男女がいた。



浦賀、今日では静かな漁村と小さな都心へのベッドタウンとして機能する地域のようだ。観光というより散歩スポットだが、漁村の雰囲気や入り江の地形は楽しいし、のどかな渡し舟やふいに現れる石碑など宝探しのような楽しみがある。しかし筆者は大事なことを忘れていることに気が付いた。それはペリーである。西叶神社の山門にある“ペリー歯科”以外にペリー提督にまつわるものがない。これはおかしい。『浦賀と言えばペリーでしょうが!!』と思い、すぐにネット検索すると、久里浜方面に“ペリー公園”があるという。筆者は浦賀駅へは戻らずに、久里浜行きのバスに乗り込んだ。そのためこの浦賀地区最大の見どころ、浦賀レンガドッグを見そびれたのだった。人生である。

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