ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

アジア系スーパーで売られているゲテモノ肉

2021-02-26 12:48:54 | 食材
 アジア系スーパーで売られているゲテモノ肉とは、ベイエリアでもニューイングランドでも、アメリカの都市ならどこにでもあるアジア系スーパーマーケットで売られているモツ肉やタンなどの部位のことである。米国のアジア系スーパーの精肉コーナーには様々な部位の肉があって、見ていて楽しいものだ。日本のスーパーでもそういったいわゆるゲテモノ肉を見ることはあるが、たいていは陳列棚の端っこの方に佇むばかりで、こちらほど豪勢には陳列されていない。(日本以外の)アジアの人々の食生活はモツ肉に支えられているのだ。それらは普通の肉に比べれば随分と安いし、たとえ陳列風景が前日と同じに見えたって、ラベルに記載されている“パックされた日”は何故かいつでも新しいので、新鮮であるに違いない。筆者はずいぶんと昔からこのゲテモノ肉を酒のつまみにして過ごしてきたので、ここでほんの少し紹介しようという企画です。



詳細は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。



①豚ミミ
アジア系スーパーでは切り落とされた豚の耳がそのまま数枚パックされて売られている。これがすこぶる安い。部分的にやや黒ずんでいたりするところが見た目にリアルで少し気持ちが悪いが、乾いた感触なので触るのに不快感はない。とにかくカンタンな調理で極上のつまみになる。調理方法は、檀一雄の“檀流クッキング”を参照されたい。檀一雄の影響で料理を始めた日本男性は少なくないようだ。長崎在住の40代長身イケメン既婚料理人もその一人で、彼は檀一雄の名著“檀流クッキング”内の料理を全て再現して自身のホームページで紹介しているので、参考になるだろう。湯をたっぷり張った大鍋で豚の耳をそのままグラグラ煮ていると、何だか中華料理の達人になった気分になれる。



②牛スジ
“テンドン”という名で売られている牛スジ肉もたいそう安い。筆者はこれまで調理前の牛スジは見たことが無かったが、細長くて白く筋張っており、“足の腱”であることが如実にわかる外見だ。こいつは固くて安い包丁ではなかなか切れないし、圧力鍋がなければ二時間ほどぐつぐつ煮込まなくては柔らかくならないので、光熱費を鑑みるとコスパは悪いのかも知れない。だがじっくり煮込んで柔らかくなった牛筋はホロホロでたいそう美味であり、細かく切って串に刺し、おでんの具材にすれば見た目も非常によろしいし、醬油やみそで野菜と一緒に煮込んで牛スジ煮込みを作っても保存のいいつまみなる。栄養だって思いの外豊富のなようだ。




③豚レバー
プリンプリンの豚レバーはゲテモノ肉の中でも特別に安く、パウンドで二ドル未満だ。ケチな30代独身日本式サラリーマンには魅惑の商品である。こいつでは檀流クッキングに従って“前菜用レバー”をこしらえるのだ。といってもこれも適当な野菜と一緒に茹でるだけだ。茹でられて固くなったレバーは周りがこげ茶色になり、薄く切ると中は薄い肉色でまるでハムのようだ。檀先生は針ショウガと一緒に食べるようだが、筆者はからし醤油で食べる。これがまた臭くて酒に合うのである。だがこれを欲張ってたくさん食べるとしばらく口の中がレバー臭く、なかなか消えないので、伝染病などが流行って在宅勤務になった場合など、しばらく人に会わないときに食べるのがよいようだ。




④豚タン
豚タンはだいたい二本入りでパックされている。1本が15センチほどと牛タンよりもずいぶんと小さいので30代独身日本式サラリーマンは買いやすい。閻魔様の気分でパックから舌を取り出して、1㎝くらいに薄切りにし、塩コショウを振りかけたり、タレに漬け込んだりしたあとでフライパンで焼くのがよい。そのまま食べてもよいが、焦げ目が付いてきたらいったん取り出して、野菜などを醬油やナンプラーなどで適当に炒め、それに再度豚タンを入れてもうまい。舌先と根元で脂の量や歯ごたえが異なるので、気分に合わせて食べ分ける。ほどよい食感と臭みのバランスが良く、ビールにとてもよく合うのです。




 日本人はいつぞや以来、牛馬などの家畜の肉を食べることを長く“穢れ”とし、食べていない、もしくはこっそり食べていたようだ。西洋の文化を積極的に取り入れ始めた明治時代に、かの福澤諭吉は日本国民に対して牛馬の肉食を奨励すべく文章を書いている。『食用のために牛馬を殺すのが忍びないというのはおかしな話だ。クジラを殺すのとどう違うのか。牛馬の肉が穢れというのも不可思議なものである。日本橋の蒲鉾は死人を食べる鱶の肉だし、日本人が大好きな黒鯛などは人糞が大好きだ。対して牛馬が食べるのは草ばかり。穢れはむしろ少ない。』『慣れたるを善とし、慣れざるものを悪しといふのみ』と喝破している。“クジラを殺すのとどう違うのか”の質問は、今や日本国民から欧米人に尋ねたい内容になっているのが興味深い。さて、アジアンスーパーには上で紹介した肉以外にも胃袋(ハチノス、センマイ)や腎臓、腸、子宮などの部位が売られている。“福澤先生、30代独身日本式サラリーマンはしっかり肉を食べております”と、胸を張って天国で答えるべく、近いうちにそいつらも食べてみるつもりです。

ロシアン・カフェ&デリ

2021-02-22 01:32:47 | 生活
 ロシアン・カフェ&デリとは、サンノゼ市にあるロシア人用の小さな商店のことだ。このブログを始めたのはもう4年も前になる。筆者はその頃ベイエリアのサン・マテオ周辺に潜伏していた。最近ベイエリアに舞い戻ってきたので、当時世話になったレストランの様子を調べてみたのだが、潰れてしまっていたり、店の名前が変わってしまったりしているものが多く見られてとても残念に思っている。その中でもレッドウッドシティの“ロシアン・ファミリー”がなくなっているのは特に寂しい。すこぶる美味なロシア料理にロシアンビール、そして個性的なお店の人々などが懐かしく思い出される。だが悲しんでばかりはいられない。別れの無い人生などないのだから。なので早速サンノゼ周辺でロシアン・ファミリーの代わりになるお店を探したところ、このロシアン・カフェ&デリがすぐに見つかったのだった。



このお店の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①アクセス・外観
ロシアン・カフェ&デリは正確にはキャンベル市にある。ウィンチェスター通りというサンノゼから南に延びる割と道幅の広い道路に面しており、ロシア国旗の白・青・赤の背景にマトリョーシカ人形が三つ並んだポップな看板が目印だ。同じ建屋にはカリビアンフードのお店が入っていてこちらにも筆者は興味を惹かれたが、今回はロシアン・カフェ&デリに入店した。なんでもこの辺りで最も古いロシア人用の商店らしく、1987年にできたのだという。当時はまだソ連の時代だ。表にはロシアン・カフェ&デリの客専用の駐車場が7、8台分確保されている。



②店内
店内は日本のコンビニを二回り小さくしたほどの大きさしかない。入り口から左側はテーブルが数卓並び、中で食事ができるようになっているが、今はコロナの影響で使用されておらず薄暗く、テーブルには書類や飲みかけのワイングラスなどが雑然と置いてあり、ロシアっぽさを醸し出している。右半分はロシアや東欧から直輸入したお菓子、缶詰、ビールやウォッカ、ソーセージ・チーズ、冷凍食品などがずらりと並んでいる。たいていの客と店員は顔なじみのようで、ロシア語で会話をしている。清涼飲料水が置かれた小さな冷蔵庫の上には何故か松の木の盆栽が飾られており、“さて、この店は日本と所縁のあるのかな”と淡い期待を抱くも、店員から“アナタ、モシカシテ日本人ネ”などと声を掛けられることは今のところない。



③カフェ&デリ
さて、カフェ&デリと謳っているだけあって、ここではロシア料理を注文して作ってもらうことができる。ピロシキとスープのセットやロールキャベツ、ロシア風のポテトサラダなどである。髪の毛を青く染めた中年女性店員は、一見強面だが思いの外やさしくメニューについて丁寧に説明してくれる。ここのピロシキはコッペパンを平たくしたような細長い形状で、揚げパンの風味と脂っこさがロシアンビールと相性がいい。その他の料理も味はあっさりだがニンニク強めでパンチがあって、ロシアンビールと相性がいい。ロシアンビールの他にもチェコやウクライナ、ポーランドの瓶ビールが売られていて、どれも魅力的なデザインのラベルで、数種類買って昼間から飲み比べると幸せな気持ちに浸ることができる。



 小さな店にも関わらず断続的に客がやってきて買い物をする。サンノゼ周辺には思いの外多くのロシア系の人が暮らしているのだ。髪を青く染めたロシア人女性店員は、後ろで他の客が待っていてもいっこうに気にする様子もなくのんびりとした接客をする。客も後ろで待つ他の客のことなど全く気にせず追加でソーセージを注文したり、世間話をしたりとのんびりしている。そんなところもロシアらしいと呼ぶのだろうか。だから30代独身日本式サラリーマンは、空腹ですぐさま何か食べたいときなどは遅々とした接客にイライラが募るので、心に余裕があるときに来店することを薦める。尊敬するおぎやはぎの小木さんが“クラブハウス”という新しいSNNで、自身のラジオでの発言に関してソーシャル・アクティビストと名乗る人たちと対話を行ったというので、ピロシキを食べながら聞いてみた。一時間を超える対話(本当は30分しか聞いていないが・・)はついに噛み合うことはなかったが、『やっぱり小木さんはすごい』ということだけを感じました。

ポートランド

2021-02-17 12:00:45 | 生活
 ポートランドとはメイン州の町のことである。筆者のニューイングランド生活は2020年で終わり、今はカリフォルニアのサンノゼ市の長屋に居る。ニューイングランドと比べれば気温は断然サンノゼの方が高く、確かに日中は太陽がまぶしい。だが筆者はむしろ肌寒さを感じることが多くなった。というのもコネチカットの長屋の窓は断熱のために二重であったし、窓枠には隙間風防止のパッキンが取り付けられていた。それに公共の廊下や周辺住民の部屋では暖房がガンガン効いていたこともあって、たとえ外が氷点下でも部屋の中で寒さを感じることはほとんどなかったのだ。だがこちらの長屋は外が寒くなればどこからともなく冷気が侵入してきて、すぐに部屋まで寒くなる。だからポートランドのことを思い出したのだ。


この町の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①メイン州のポートランド
“ポートランド”と聞けば、ジャパンのお洒落女子やエコ意識の高い女子などはオレゴン州のポートランドを想像するに違いない。だが筆者が訪れたのはメイン州のポートランドである。こちらのポートランドもオレゴンのそれとは負けず劣らずの人気の町で、米国では“住みたい町”や“芸術の町”などとして知られている。ハートフォードからは車で3時間程度だ。沖合の大きな島々に囲まれて外洋からの波浪や外敵から守られていることや、フォア・リバーの広い河口が船の係留に適していたことなどから、入植の後には漁業や工業の町として発展したものと思われる。筆者はこのポートランドを二度訪ねた。一度目の訪問は2017年の大みそかで、ニューイングランドには寒波が襲来して大雪になり、ポートランドの気温も華氏で10度以下となかなかたいへんな状況下での訪問となった。二度目は2020年の秋、ニューイングランドを年内に去ることが決まり、コロナで大型旅行もままならなかったので再訪してみることにしたのだ。



②ダウンタウン周辺
一度目の訪問ではダウンタウンの外れの安ホテルにチェックインし、まずは港の方へ歩いてみることにした。雪で真っ白になった緩やかな下り坂を慎重に歩き、フォア・リバーの河口に面した港へ向かう。港からは桟橋がたくさん延びていて、漁船が整然と係留され、ロブスターやカニを取るための網かごなどが置かれていたり、漁師の道具が入っている小さな小屋などがあったりと、生きている港のにおいがする。だが今は観光産業がメインの都市だけあって、桟橋の根元付近には獲れたてのシーフード料理を出す食堂やビール醸造所などで賑やかだ。いくつかのお店は大晦日ということで休業していたが、大衆食堂っぽい雰囲気で一人でも入りやすいところが開いていたので、さっそくビールとフィッシュアンドチップスをいただいたのだった。



③ポートランド灯台へ
ダウンタウンの建物はどれも数階建ての赤茶色の煉瓦作りで、歩道にもレンガや石畳が敷かれ、レトロな雰囲気がとても楽しい。ニューイングランドのこういった古い町並みが残る場所には、たいてい空き家や廃墟が多く見られて寂しいのだが、ここは雑貨屋やカフェなどのテナントがたくさん入り、街が活き活きとしているのを感じる。ハートフォードでは見られないホンモノっぽい日本料理屋も散見され、入ってみたくなる。筆者はそんな洒落た街の雰囲気に酔わされて、通りの小さな古着屋で茶色いスゥエードコートを買ってしまったのだった。だがとにかく寒いのでホテルに戻り、一度暖を取った後に少し南方の灯台を見に行くことにした。



④ポートランド灯台
ポートランド灯台はダウンタウンから南へ車で20分ほど走り、ちょうど沖合の島の遮断がなくなった、外洋から見えやすい小さな半島の先に建てられている。低い岩礁の上に立つ灯台と、それに隣接する建物は白を基調とした可愛らしいデザインで趣きはあるものの、筆者に大きな感動はなかった。だがこの灯台はジョージ・ワシントンの指示によって建設され、完成したのは1790年とたいそう歴史のある建物ということだ。悪天候にも関わらず多くの観光客が訪れているのは、この灯台に建国の歴史を感じるのも理由のひとつなのだろう。だがこの日は駐車場から灯台までの遊歩道がカチンコチンに凍っていてすべりやすく、すってんころりと転んでしまう中年女性なども見られた。筆者は灯台のそばで大西洋をしばらく眺めていたが、とにかく寒いのでホテルに戻ることにした。




⑤ポートランド美術館
二回目の訪問の目的地はポートランド美術館であった。特に予備知識があったわけではなく、“ポートランドの美術館なのだから素敵な展示があるに違いない”と期待したのだ。美術館はダウンタウンの南の外れにあるが、よくある美術館と違って建屋に主張が少なく、周辺のレトロなレンガ調の風景に溶け込んでいるので目立たない。コロナの影響で入場は完全予約制になっていた。予約時間前に到着した筆者は薄ら寒い小雨の中、入り口前で待つ羽目になったため、向いの三叉路の細い建物に入ったスターバックスで温かいカフェモカを注文して寒さを凌いだ。展示はなかなか素晴らしかった。特にホーマーのアメリカの生活を描いた作品が楽しいものだった。だが残念なことに筆者が「いいな」と思った作品に限って絵葉書になっておらず、記念品を買う意欲が失せてしまった。展示を見終わりふらふら町を歩いていると、ファンシーな雑貨屋風の店があったので入ってみればそれは画材屋だった。良く見れば向かいには美大があり、美大生ご用達のお店のようだ。店員のおばさんたちに『あ、この30代独身日本式サラリーマン風の男、ただの旅行者が土産物屋と間違って入ってきたのだな』と思われたのが癪なため、知った風に店内を回ると日本製の文具がけっこう売られているのを目にした。だから『これこれ、これを探していたんだ!』という体で物差しを1本買いました。




 一度目も二度目も夕食はサッポロで食べた。サッポロは港の通りにある日本食屋で、割と老舗に見える。他にももっと高級そうだったり、よりホンモノっぽい店名の日本レストランがいくつか見られたが、総じて30代独身日本式サラリーマンが一人で入るには敷居が高めだ。サッポロには失礼なのかもしれないが、安心感があった。だが寿司は日本人好みのネタが豊富で酢飯がしっかりして非常に美味であった。コネチカットではなかなか食べられない味で、“さすが”と思って店内を見れば、やはりカウンターには日本人の方がおられ、少し話を聞くことができた。敢えて日本の寿司に近いものを出すようにしているとおっしゃっていた。生ビールの後に一度目はにごり酒を、二度目は熱燗を飲んで気持ちよく宿に戻ったのだった。ポートランドは好きな町だが、好きだと言うのはお洒落女子みたいで恥ずかしいので、ここだけの話だ。それに筆者が好きなのは、メイン州のポートランドだ。

ランチ・タウン・リサイクルセンター

2021-02-13 00:09:31 | 生活
 ランチ・タウン・リサイクルセンターとは、空き缶やペットボトルなどを持ち込むことができるサンノゼにあるリサイクル施設のことである。30代独身日本式サラリーマンが夜な夜なビールやウイスキーを飲んでいると、当然空き缶・空き瓶が部屋にたまってくる。現代社会の暮らしはゴミなしでは成り立たない。適切に再生ごみがリサイクルされれいればよいのだが、筆者の場合ゴミは長屋の前に置いておけば特に分別することなく回収されてしまい、自身にも高いSDGsを設定している30代独身日本式サラリーマンとしては不安になる。たとえ直系の子孫は残せないとしても、いや残せないからこそ、次の世代にできるだけ迷惑をかけずに死にたいものである。筆者はベイエリアでのリサイクル方法を検索し、ランチ・タウン・リサイクルセンターに行きついた。



この施設の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ベイエリアの水道水
序章では“SDGs”と最近知った言葉を使ってみたが、実は筆者がリサイクルの必要性を感じたのはエコ意識の高さからではなく、小銭をケチりたいと思ったからというのが大きい。コネチカットからベイエリアに戻ってきてややびっくりしたのが水道水の不味さであった。『これでは旨い水割りが作れない』と思い、ペットボトルの水を大量に買ってみたところ、24本で3ドルのはずがレジでは4.2ドル請求される。不審に思ってレシートを見れば“デポジット代金”なるものが上乗せされており、空きボトルを適正に処理しないと1.2ドルをどぶに捨てることになるというのだ。筆者は長屋へ帰るとすぐにベイエリアでのリサイクル方法を検索し、ランチ・タウン・リサイクルセンターに行きついた。2021年現在、ニンゲンは未だに貨幣のパワーに振り回されている。



②ランチ・タウン・リサイクルセンターへ行ってみる。
とある空が青い土曜日に、筆者はたったの数ドルを取り返すべく、ベイエリアならいとも簡単に手に入るアサヒスーパードライ、そして99ランチマーケットで買った台湾ビールの空き缶、さらには件の水のペットボトルを持ってランチ・タウン・リサイクルセンターへ乗り込んだ。筆者の想像のリサイクルセンターは、大きなコンテナがずらりと並んでいて、そこに勝手気ままに放り込むような場所だと思っていたが、実際は違った。280号線の高架のすぐ脇にあるランチ・タウン・リサイクルセンターは日本で言うところの少し土地の安い場所によくあるスクラップ工場のような様相で、プレスされた廃材の山が並び、フォークリフトが構内を行き交い、機械音がガタガタとやかましく、あまり一般人が入るような雰囲気はない。そこに一般人と思われる人たちが大量の空き缶やペットボトルが入った袋を抱えて出入りしているのだ。仕方なく筆者も路駐して、一般人のふりをしてセンターへ入ってみた。



③空き缶・ボトルの引き渡し
リサイクル品を持ち込むために入れるエリアは入り口付近の限られた区画だけだ。一般人と思われる人たちは、普通の生活でため込むには随分と時間がかかるのではないかというほど大量のリサイクル材を持ち込んでいる。“確かにたった数ドルを回収するためにわざわざガソリン車でここまでやってくるのはむしろエコじゃないな”とは思いつつも、来てしまったのでとりあえず筆者も彼ら混ざって列に並ぶ。行列の先にはペットボトル用と空き缶用の大型コンベアがあり、ヘルメットをかぶった作業員が各コンベアについていて、自動で計量されたペットボトルや缶の数量を黄色い用紙に記載して、手渡してくれる。それを入り口の脇にあるカウンターに持って行って現金と引き換えるシステムである。筆者の前に並んで大量のペットボトルを持ち込んでいた黒人青年は、何度か作業員に大声で呼び戻されて黄色い用紙に上書きをされていたが、どうやら中身が残っているものを持って行くと貰いを減らされるようだ。




 入り口脇のカウンターはまるで競艇場の換金コーナーのようで、そこで黄色い紙を現金に引き換える。犯罪などの利用を防止するためだろうか、換金コーナーでは身分証明の提示を求めらた。筆者が受け取った現金は3ドルちょいだが、やはりいくらであっても銭を貰うというのはとても嬉しいものだ。特にカリフォリニアの土曜日の青い空の下ならなおさらである。それに休日のリサイクル運動は、何だか幼少のころの町内廃品回収作業を思い起こさせて、何か特別いいことをした気分になる。筆者は気分がよくなって、そのまま酒屋へ直行してビールを買い込んだのだった。ニンゲンはやがて土に還り、土を頼りにニンゲンが育つ。小さな世界でどんなに孤独であっても大きな目で見れば、必ず“環”の中に居るのだ。

ムーンフィッシュ、ラビットフィッシュ、そしてカツオ

2021-02-07 09:47:30 | 食材
 ムーンフィッシュ、ラビットフィッシュ、そしてカツオとは、筆者が最近フィリピンスーパーのシーフード・シティで購入した魚のことである。筆者の2021年の長屋はサンノゼになった。3年前に暮らしていたサンマテオ周辺に戻り、当時ブログに載せた店や施設を再訪してみるのも楽しいかと思ったが、やはり“戻る”ことを考えると老け込むような気がする。それにどうせしばらく仕事はリモートのため通勤時間を気にする必要がないことも追い風となり、サンノゼを選んだのだった。サンノゼはサンマテオ以上にアジア系のスーパーが多くて楽しそうだ。そしてまたフィリピンスーパーに行ってみたのだ。


魚の詳細は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。



①シーフード・シティでの魚の買い方
シーフード・シティの鮮魚コーナーは人気なのでいつも人だかりができている。ここでは買いたい魚をビニル袋に自分で入れ、それをカウンターに持って行き、「クリーンのみ(鱗と内臓を取るだけ)、クリーン&カット(ぶつ切りまで)」などと好きなように調理してもらうシステムだから、調理不要なイカや貝などを買う場合をのぞけば、真っ先に鮮魚コーナーへ行って注文し、調理を待つ間に他のコーナーで買い物をすませないと無駄な待ち時間が発生するので注意したい。調理を注文すると番号札が貰え、それを受取り時に店員に見せる仕組みだ。調理コーナーの店員は次から次へと注文される魚を延々と捌いている。



②ムーンフィッシュ
ムーンフィッシュと表記された魚は平べったく、マンボウのようなかたちをしている。大きさは15センチ程度と、30代独身日本式サラリーマンの夕食の主菜に丁度よいサイズなので買ってみた。表面はツルツルで銀ギラでウロコはないようだ。こいつが海に優雅に泳いでいると月に見えるからそう名付けられたのであろうか。詳細を調べようとアルファベットでMoonfishと検索したのだが、どうやらMoonfishとは特定の魚を指すものではないようで、マンボウ状の魚がわんさか出てくる。シーフード・シティで売られているのは男らしく額がでっぱり、かつ腹が膨らんでいる。こいつは1パウンドで4ドル程度と、他の魚に比べると安く売られているので、人気がないのか、もしくはよく獲れるのであろう。さて、長屋に持ち帰り早速醬油、酒、生姜と砂糖で煮付けてみると、まず平べったいので煮汁が少なくて済むため非常に経済的である。味は淡泊な白身で悪くない。薄っぺらくいため肉付きがよくないが、盛り上がった額の肉は弾力があって特に美味であった。次は塩焼きにしてみてもよいと思った。



③ラビットフィッシュ
ラビットフィッシュはパウンド5ドルだ。こいつもまた小ぶりサイズなので買いやすいし、かたちはいたって普通の魚なので安心感があった。丈夫そうな皮に覆われやや黒ずんだ風貌は鯛の親戚のようだし、筋肉質で美味そうだった。だが長屋へ持ち帰って詳細をネットで検索すると、これは日本ではアイゴと呼ばれる魚で、内臓は特ににおいが強くて一部地域を除いては食べられていないとのことだった。検索を続けると、“マサル”という名の離島で暮らすユーチューバーが現れた。教室に一人はいそうな陽キャ寄りだけどどこか痛々しい、憎めない風貌のマサル氏はアイゴの臭いに悶絶していた。さて、北米のラビットフィッシュをムーンフィッシュ同様に煮付けてみたが、調理中には悶絶するほどの臭さはない。見た目はよい肉質の白身魚で、身ばなれもよくて食べよいのだが、分厚く弾力のある皮がなかなか箸でさばきにくい。口に入れたときは『美味かも』と思ったが、後味の磯の香りがかなり強い。東南アジア人はニンニクと一緒に焼いたりしているようだが、筆者はよほど安くない限り再挑戦はないなぁと思ったのだ。





③カツオ
10センチ程度の小ぶりサイズのカツオが、尾だけちょん切られて血抜きがされた状態で売られている。。ここではボニートと呼ばれ、パウンド3ドル以下とお手頃価格だったので、『あまり美味くないだろうな』とは思いつつも購入した。いい機会なのでウィキペディアでカツオについて調べたところ、カツオは熱帯気候の魚で水温が暖かくなる時期に日本近海までやってくる。その頃には大きいサイズになっているので小ぶりなカツオは市場にはいないようだ。また、面白いことに海外ではツナとカツオは区別されておらず、“ツナ缶”はほとんどがマグロでなくカツオなのだという。日本で生食が主流なのは加熱するとパサパサになってしまうからとのこと。今回のカツオはフライパンで焼き魚にしてみた。確かに脂があまり乗っていないソリッドな味で、血合い部分が多くて生臭さはあるが、素朴な味で悪くない。熱燗をちびちび飲む際のつまみにちょうどよいように感じたのだ。




 筆者は2010年代前半に、錦糸町のマルイの裏の“マリン”というフィリピンパブにはちょいちょい世話になったものだ。格安で飲めるし、フィリピーナは明るいし、呼び込みの人や客のおっさん臭や場末な雰囲気がなかなか心地よかった。また、数か月前にはたまたま戦国時代にフィリピンとの貿易で財をなした堺商人、呂宋助左衛門の伝記小説を読む機会があり、筆者とフィリピンとの関係は少しづつ深まってる。そういえば高校の頃には物理の木村先生が、何故だか忘れたが彼の尊敬する湯川秀樹が死去したときの新聞の切り抜きをクラスで紹介したことがあった。そのときの切り抜きには別のスクープの見出しも入ってしまっていて、大きく“伊藤、マニラで逮捕”と書いてあり、木村先生は真面目な顔で、『今日はみんなに紹介したい記事があります。これです、“伊藤、マニラで逮捕”。あ、じゃなかった湯川秀樹先生の死去です』とボケてきたので皆で笑ってしまったのだった。思えばあれが、筆者とフィリピンの最初の出会いだ。