ネグリルとはジャマイカ島西端にあるリゾート地だ。ここはナイン・マイル・ビーチという名の夕日の景色が有名な長い砂浜があり、それに面してリゾートホテルが延々と並ぶ。筆者は“オール・インクルーシブ”という“食べ放題・飲み放題”のシステムの宿を選んだので、朝昼晩、気兼ねなく呑んだくれていた。運よく天気は快晴で、暑さが心地よい。これまであえてエアコンなし、テレビなし、ベッドのみの木賃宿に泊まっていたのでリゾートホテルでの幸福感は倍増していた。しかも朝食が7時半から食べられる。
以下もまた前回に引き続き旅行の記録である。
①リゾートホテル
だが、退屈だった。そして気後れしていた。ホテルの従業員はよく教育されていて愛想よく接してくれるが、どこか虚しい。朝食で潰したマカレルのソテー等と味わった後、部屋に戻り本を読んでいてもどこか居心地がよくないので、町に出て散髪をすることにした。星野文夫の『旅をする木』を読んでいたら、彼が旅先で床屋へ出向くという話が出てきたので、“なら筆者も行こうかな”と思ったのだ。さっそくホテルのゲートに居るガードマンに部屋番号を告げて外に出してもらい、筆者はリゾートから解放されたのだ。
②床屋へ1
床屋はリゾート街ではなく、町にあるに違いない。宿は町から随分と北に位置しているので、タクシーに乗らなくてはいけないのだが、とりあえず南へ向かってスタスタと歩いてみた。欧米からネグリルへやってくる人々はリゾートから外へ出ることはほとんどなく、出るとしてもホテルが組むツアーで各地へ出かけるため、ずらりとリゾートが並ぶ通りには誰も歩いていない。時折タクシー運転手が声をかけてくるが、しばらくは無視を決め込んで歩くことにした。
③床屋へ2
やがてガソリンスタンドに着いたので、そこで働いている赤い服のおばさんに「髪を切りたいのですが、近くに床屋はありますか」と尋ねた。安全な旅のコツは、身元がしっかりしている人に“こちらから”尋ねることだと筆者はタイで学んでいた。おばさんは「あら、ちょっと待ってなさい。」と言って仲間のおばさんと相談し、そして「ついておいで」とタクシー運転手のところまで連れていかれた。痩せた小男の運転手はおばさんと話して筆者の依頼を理解したようで、“20ドルで床屋まで行って、ホテルまで戻ってやる”と言った。筆者はそのタクシーに乗り込み、町へ向かったのだ。小男の運転手はジョーダンと言う名で、明るく親切な男だった。筆者が連れていかれたのは浜辺にある掘っ立て小屋が並ぶエリアで、その掘っ立て小屋のひとつが“ラスタ・バーバー・ショップ”という名の床屋だった。その掘っ立て小屋は、赤青白の世界共通の“床屋カラー”でストライプに塗られたケバケバしい外観で、髭もじゃでうつろな目をした店員が店の前に腰を掛けて客を待っていた。
うつろな目をした髭もじゃは床屋らしく床屋道具がプリントされた黒いシャツを着ていた。その風貌と物言いが面白かったのと、店の外観も面白かったので、店の前で二人一緒に写真を撮ってくれないかと依頼した。髭もじゃは“いいだろう”とポーズを決め込んだのでなお面白かったのだ。筆者はさっぱりした髪で宿に戻ったところ、ゲートのガードマンに“お、髪を切ったね”と声をかけられた。やはりリゾートでぐうたらよりは、どこか生活じみたところを出歩く方が面白いものだ。そんな縁で帰国の空港までの移動はジョーダンに任せることにした。翌朝、ジョーダンは約束通りに8時にホテルの前に現れ、筆者はおそらく人生最後のジャマイカの景色を眺めていた。
以下もまた前回に引き続き旅行の記録である。
①リゾートホテル
だが、退屈だった。そして気後れしていた。ホテルの従業員はよく教育されていて愛想よく接してくれるが、どこか虚しい。朝食で潰したマカレルのソテー等と味わった後、部屋に戻り本を読んでいてもどこか居心地がよくないので、町に出て散髪をすることにした。星野文夫の『旅をする木』を読んでいたら、彼が旅先で床屋へ出向くという話が出てきたので、“なら筆者も行こうかな”と思ったのだ。さっそくホテルのゲートに居るガードマンに部屋番号を告げて外に出してもらい、筆者はリゾートから解放されたのだ。
②床屋へ1
床屋はリゾート街ではなく、町にあるに違いない。宿は町から随分と北に位置しているので、タクシーに乗らなくてはいけないのだが、とりあえず南へ向かってスタスタと歩いてみた。欧米からネグリルへやってくる人々はリゾートから外へ出ることはほとんどなく、出るとしてもホテルが組むツアーで各地へ出かけるため、ずらりとリゾートが並ぶ通りには誰も歩いていない。時折タクシー運転手が声をかけてくるが、しばらくは無視を決め込んで歩くことにした。
③床屋へ2
やがてガソリンスタンドに着いたので、そこで働いている赤い服のおばさんに「髪を切りたいのですが、近くに床屋はありますか」と尋ねた。安全な旅のコツは、身元がしっかりしている人に“こちらから”尋ねることだと筆者はタイで学んでいた。おばさんは「あら、ちょっと待ってなさい。」と言って仲間のおばさんと相談し、そして「ついておいで」とタクシー運転手のところまで連れていかれた。痩せた小男の運転手はおばさんと話して筆者の依頼を理解したようで、“20ドルで床屋まで行って、ホテルまで戻ってやる”と言った。筆者はそのタクシーに乗り込み、町へ向かったのだ。小男の運転手はジョーダンと言う名で、明るく親切な男だった。筆者が連れていかれたのは浜辺にある掘っ立て小屋が並ぶエリアで、その掘っ立て小屋のひとつが“ラスタ・バーバー・ショップ”という名の床屋だった。その掘っ立て小屋は、赤青白の世界共通の“床屋カラー”でストライプに塗られたケバケバしい外観で、髭もじゃでうつろな目をした店員が店の前に腰を掛けて客を待っていた。
うつろな目をした髭もじゃは床屋らしく床屋道具がプリントされた黒いシャツを着ていた。その風貌と物言いが面白かったのと、店の外観も面白かったので、店の前で二人一緒に写真を撮ってくれないかと依頼した。髭もじゃは“いいだろう”とポーズを決め込んだのでなお面白かったのだ。筆者はさっぱりした髪で宿に戻ったところ、ゲートのガードマンに“お、髪を切ったね”と声をかけられた。やはりリゾートでぐうたらよりは、どこか生活じみたところを出歩く方が面白いものだ。そんな縁で帰国の空港までの移動はジョーダンに任せることにした。翌朝、ジョーダンは約束通りに8時にホテルの前に現れ、筆者はおそらく人生最後のジャマイカの景色を眺めていた。