ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

黄金町

2019-12-22 09:04:56 | 食事
 黄金町は神奈川県横浜市中区にある町である。筆者は横浜とは縁の少ない人生を送ってきたように思う。うんと頑張って横浜との思い出をひり出したところ、就活面接で鶴見にやってきた際に初めてサンマーメンなるものを食べたこと、そのとき見たみなとみらいビル群の近未来感に圧倒されたことなどぐらいしか思い出せない。しかし今回の一時帰国中に、横浜に家族を持つ郷里の友人に会うことになったのだ。そこで筆者は静かで、でもいい飲み屋があるに違いないと思われる黄金町での会合を所望したのだった。そしてその会合に宇都宮からももう一人旧友が駆けつけてくれることになったので、筆者の心は久方ぶりにウキウキしていた。


以下が黄金町での会合の詳細だ。参考にしてもらいたい。



①一件目 和泉屋
大岡川の川辺のホテル前で旧友と落ち合う。宇都宮からの旧友は相変わらず間抜けなところがあり、『財布を忘れた』という理由で遅れるとのことだったので、2人で和泉屋に入って待ち、必要であれば河岸を変えることにした。京急黄金町駅のすぐ近くにある和泉屋は老舗らしい作りで筆者の好みに合う門構えだ。扉を開けると1階の席はほぼ満室だったので不安になったが、“二階が空いている”と案内され、祖父母の宅のような急な階段を上り、座敷の席に着いた。赤貝、いか、いわしの刺身をつついているとほどなくして宇都宮もやって来たので、本格的な飲み会のはじまりだ。



②一件目 和泉屋のつづき
米国帰りの30代独身日本式サラリーマンにとって刺身や白子鍋やタコ唐揚げなどが美味なのは至極当然の話だ。それに加えてこの和泉屋は接客店員が素晴らしい。もう随分年増の女性店員が幾人か居るのだが、黄金町の元小料理屋の女将たちなのだろうか、“待って待って、ここはまだ昭和だから、注文はメモなの”“瓶ビールの方が生ビールよりお好きなの?”“白子鍋、何人前にする? 二人前くらいがいいかしらね”“待ってね、今お鍋持ってくるからね”“じゃ、今日は私アガリだから、またいらしてね”などやけに親し気な口ぶりで対応してくれるのがやけに心地よく、微かな色気を感じる。近年の接客教育などでは決して培われない温かみが、30代独身日本式サラリーマン(旧友2人は既婚子持ち・・)の心を癒やしたのだ。


③二件目 上州
和泉屋に閉店まで居座ったズッコケ三人組はすぐに二件目を探した。大岡川を渡り小路をふらついていると見つけたのが上州だ。扉を開けて閉店時間を尋ねると0時とのことだったので、閉店まで少しだけお邪魔することにした。店内の一階はカウンター数席と小上がりが一卓あるだけの小さな酒場で、我々の両親よりも少し若いくらいの夫婦が経営している。ここではかわはぎ丸々一尾のお刺身とウドぬたを頂きながら、たぶん冷酒を飲んだと思う。閉店間際で主人と女将もリラックス状態で話しかけてきてくれ、5人で楽しく語らいながら飲み続けた。ここもまた人情味あふれる素敵な酒場だ。



 二日酔いの朝、黄金町周辺を少しだけ歩いてみたら、ふと何だかとっても懐かしい、でも何だか痛い気持ちに襲われた。そう、ここには一度来たことがあった。あれは毎日がとても辛かった渡米前の初夏、休日にウディ・アレンの映画が上映される唯一の映画館といういことで、一人でここの映画館へ行ったのだった。あのスラム・元娼窟街から新しいサブカル町へと変貌しようとする独特な雰囲気が、とても印象的だったことをすっかり忘れていた。2019年11月の黄金町はまだ温かく、二日酔いと食べすぎと時差ぼけで胃が重く、頭が重く、身体が重かったが、心は軽やかであった。

アルバニー

2019-12-14 17:43:40 | 生活
 アルバニーはニューヨーク州の州都の町だ。ハートフォード地区からは車でだいたい2時間ほどの位置にあり、小旅行するには丁度いい距離なのだが、グーグル地図で周辺を調べていても特段筆者の気を惹くものはなく、訪れる機会はないものと思っていた。それがこの程どうしても行かなくてはならない事情が生じたのである。それも2度も。


以下は筆者のアルバニーの思い出だ。参考にしてもらいたい。


①行かなくてはならなくなった経緯
筆者は2019年11月中旬に日本に一時帰国する必要が生じ、最安のシカゴ経由の便を予約していた。だが寒波が近づいたため、ハートフォードからシカゴへ向かう便がキャンセルされてしまったのだ。どうしても翌日のうちに日本に到着しておく必要があった筆者は代替の便を探したところ、アルバニー空港からシカゴへ向かう便に乗ればシカゴから東京の便に間に合うかも知れないとのことだった。その便の出発時刻まで3時間。筆者はそれに間に合うことに賭け、車に荷物を放り込んだ。


②アルバニーまでの道
ニューイングランドの91号を北上しスプリングフィールドを過ぎるとやがて90号線と交わる。その90号を西進するとアルバニーへと繋がる。この90号線が有料道路で、支払い方法が現金のみでカードは使えない(筆者はATCを持ち合わせない)ので注意したい。辺りはまだ昼下がりなのに何だか薄暗く、いかにも“これから寒波がやってくるよ”というような鋭い風が吹きすさび、背の高い木々にわずかに残る葉がパラパラと落ちていく。91号線に乗ってから一時間ほどでハドソン川に架かる橋に辿りつき、左前方の対岸にアルバニーの街並みが見えるが、空港へ向かう道は橋を渡ると街から離れる方向に逸れていく。


③アルバニー空港
あと15分ほどで空港に着くといった頃に、筆者が狙うシカゴ行の便も大幅に遅れることが判明したため、筆者に急ぐ理由がなくなった。格安の駐車場に車を停め、シャトルバスで空港へ向かう。シャトルバス運転手の中米系の男は白人男女にはとても愛想が良いが、30代独身日日本式サラリーマンにはあからさまに不愛想だ。だが空港カウンターの白人中年女性は非常に親切に、筆者がどうにか日本へ辿りつく手段を時間をかけて見つけ出してくれた。結局アルバニーからワシントン、ワシントンからサンフランシスコ、サンフランシスコで9時間待ち、そしてサンフランシスコから東京と、予定よりは24時間遅れるが何とか予定には間に合うフライトを確保したのだった。筆者は安心してアルバニー空港のバーに入り、フライドチキンをつまみにビールを飲んだのだった。



 さて一週間後に日本から米国へ戻って来た。帰り便の目的地をアルバニーに変更することができなかったので、今度はレンタカーで、再び同じ道を辿りハートフォードからアルバニーへ自分の車を引き取りに向かう。この日は快晴で、すっかり葉の無くなった木々の背景は青々としている。だが筆者は日本での連日の暴飲の疲れかすっかり体調を崩し、悪寒がしていた。レンタカーを空港で返し、シャトルバスで駐車場へ移動、駐車場で車を取り返す。駐車料金支払受付ボックスの黒人女性は30代独身日本式サラリーマンにはあからさまに不愛想だし、身体は苦しい。筆者は“T字路ズ”の“泪橋”や“これさえあれば”を聴きながら必死な思いで運転し、長屋に着いたらすぐに寝込んでしまった。これがアルバニーの思い出だ。

ベンジーズ・ジャマイカン・レストラン

2019-12-04 02:16:57 | 食事
 ベンジーズ・ジャマイカン・レストランとは、ハートフォード市にあるジャマイカ料理レストランのことだ。サン・スプラッシュ・ジャマイカン・レストランで初めてジャマイカ料理の美味しさを知った筆者は、ジャマイカ旅行も敢行し、ジャマイカ料理への愛をさらに深めた。そこでこの町にあるその他のジャマイカレストランにも足を踏み入れようとずっと思っていたものの、どの店も長屋からはなかなか遠い場所にあるので実行できずにいたのだが、ついに暇な週末に遊びに行ってみることにした、という訳だ。



このレストランの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ダウンタウンの北にあるジャマイカン・コミュニティ
ジャマイカンレストランはハートフォード地区の各地に点在しているが、ヤードゴートの野球場の北側周辺に最も多く集中している。その周辺はジャマイカ人のコミュニティになっているようで、以前紹介したフランクリン・アヴェニューなどよりもずっと多くの黒人が、明確な目的もなさそうに歩いていたり佇んでいたりしているのでやや恐ろしく、夜中には発砲事件もままあるそうだ。だがそれでも学校や教会、スーパーなどがある普通の地区で、昼間はお尻の大きな黒人のお母さんが子供を連れていたり、女学生グループがジュースを飲みながら談笑しているので、30代独身日本人サラリーマンも大通りを歩く限りは問題ないようだ。ベンジーズ・ジャマイカン・レストランもここにある。


②コネチカットのジャマイカ人
ニューイングランド地方はカリブ諸島からの移民が多い。それは第二次世界大戦期にコネチカット川の河川敷で行った大規模なタバコ栽培の労働力として、移民を積極的に受け入れたことに由来するようだ。米国は当時のジャマイカの統治国であった英国政府と協定を結び、期間労働者としてジャマイカ人を受け入れていた。その期間労働者の多くがジャマイカの独立後にニューイングランドに残り、その伝手を頼りにその後も移民が続いたようだ。


③ベンジーズ・ジャマイカン・レストラン
ベンジーズはアルバニーアヴェニューに面しており駐車場はなく、雑然としたエリアに路上駐車しなくてはならない。あまり奥まった通りには入ることが躊躇われるため、筆者はたいてい店の対面に数件並ぶ民家の前に路上駐車し、車道を横断して入店する。このお店はレストランとは言ってもテイクアウト専門のお店である。黒い肌の男女が店内に列を作っており、黒い肌の店員に欲しいものを注文し、既に調理されている料理が入った大きな金属の器からプラスチックのトレイに入れてもらう。ハートフォード地区のジャマイカレストランはこのようなシステムのお店がほとんどで、イートインのお店は少ないようだ。店内にはやはりボブ・マーリーの肖像画が飾られ、レゲエイベントのフライヤーが所かしこに置かれている。蠅も元気に飛び回っているが誰も気にしない。


④メニュー・味
ジャーク・チキン、オックステイル、カレー・ゴートなどの定番ジャマイカ料理が豆ご飯の上に豪快に盛られ、脇にキャベツのサラダが載る。やはりややしょっぱずぎるのが残念だがその分豆ごはんが進むし、長屋に持ち帰ってビールと一緒に豪快に肉に食らいつくと幸せを感じる。器の大きさにスモールとミディアムの二種類があって、ミディアムは一度の食事では食べきれない量だ。筆者は二種類のメニューを注文し、数日に分けて楽しむようにしている。さらにこのお店は朝7時頃から開いていて、ジャマイカン朝食のアキーやオクラを塩漬けの魚と炒めた料理が注文できる。実はこちらの方が焼酎とよく合う肴であるから休日の朝などに買い付け、昼間から飲酒を楽しむのが幸せだ。一緒に出される蒸したタロイモ類の食べ方を試行錯誤していたが、これらはカツオだし汁に漬けておくとよいつまみになる。


 何かの理由で首が曲がらないため、背骨をまげて視点を変える中年女性の店員は、ぶっきらぼうに見えたが初めての30代独身日本式サラリーマン客に対してとても親切で、丁寧に注文の仕方を教えてくれた。幾度目かの来店時にはややうつむき加減の姿勢から「ぐっ」と背骨を曲げてこちらを見あげ、「ぬっ」手をかざして挨拶をしてくれた。 もう少し塩分控えめのお店を探そうかと思っていたが、「まぁ、もう一回ここに来るかな・・」と筆者はこのとき思った。