ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

フィラデルフィア探訪 その3

2022-11-24 05:24:55 | 生活
フィラデルフィア探訪とは、筆者が出張の合間を縫って探訪したペンシルバニア州フィラデルフィア市の記録である。司馬遼太郎氏の北米紀行“アメリカ素描”では、製造業の衰退による80年代のフィラデルフィア市の荒廃が、“打ち捨てられた都市”として驚きの目で記録されている。しかし2022年、少なくとも市の中心部に荒廃した様子は見られず、観光都市や学術文化都市として再生しているように見える。調べてみると、もともとの製造業の地盤を生かした情報や軍需産業、ヘルスケア産業なども盛んなようで、勢いのある都市のようだ。出張最終日、カリフォルニアへ帰る便までには時間があったので、最後に市内をウロウロしてみることにした。


この探訪の概要は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①市庁舎からジュエリー・ロウ
狭いチェストナッツ通りは、石柱や石造彫刻を誂えた古い西洋風デザインのビルが並び、古都の面影をあえて残している。豪華絢爛な市庁舎や教会を眺めながら東へ進むと、“ジュエリー・ロウ”という一画にたどり着く。ここは宝石や高級時計類の店舗がゴタゴタ立ち並ぶ、日本人にとっては奇妙なエリアだ。歴史的には“ダイヤモンド・ディストリクト”と呼ばれる、宝石類の加工・研磨や取引を行う市場のような区画であり、このような場所はニューヨークやアントワープなどの都市にもあるそうだ。筆者が思うに、宝石・貴金属関係を扱う特殊職人が政治的支配者によって集められ、集中的に生産・取引を行っていたような地域なのであろう。店舗は古めかしくて中の様子が見えにくいものが多く、ややもすればパッチモンを売り付けられそうな雰囲気があるが、フィラデルフィアのジュエリー・ロウは米国で最も古いダイヤモンド・ディストリクトということで、格式があるそうだ。とはいえ貴金属とは縁がない30代独身日本式サラリーマンは、外から様子を見て楽しむのみだ。



②独立革命ミュージアムからイタリアンマーケットへ
独立革命ミュージアムへ立ち寄るも、読み物が多く英語話者以外にはなかなか辛い展示物ばかりでほぼほぼ素通りしてしまった。ミュージアムを南下してイタリアンマーケットへ向かう途中には、“アメリカ初の銀行跡”や“トマス・ペインのコモンセンスが印刷された印刷工場跡”などの史跡を通り過ぎ、異国の歴史の中に立っていることを思い知る。この辺りは閑静で高級な都市住宅地のようで、歩く人も品の良い犬を連れている。南下すればするほど土地のランクが下がっていくのがわかり、じきにイタリアンマーケットの入り口に着く。イタリアンマーケットは、19世紀にクエーカー教徒のウィリアム・ペンが都市計画した区域の外にイタリア移民が住み着き始めたことに由来しているそうだ。カトリックのイタリア人は区内の居住が許されなかったのだろうか。掘っ建て小屋風の低家屋が軒を連ね、歩道に張り出したオーニングテントには雑貨や食料が並び、下町の空気が漂って活気がある。しかし今はイタリア色は薄れていて、中南米臭やベトナム臭が濃い。おそらくは絶えず移民が住みつくエリアになっているのだろう。筆者はせっかくなのでキャノーリというイタリアンスイーツを食べてみたが、クリームを食べているだけで特段美味くはなかった。



イタリアン・マーケットの9番通りを歩きぬき、さらにずんずん南下していくと大通りに出る。そこで時間切れになったのでウーバーに乗って空港へ戻る。運転手はインド人だ。『フィラデルフィアはきれいな町だと思ったよ』というと、『古い町だからエリアによる違いがはっきりしてるから、きれいなとこはすごくきれい。逆もまたしかりだよ』と言っていた。最近のフィラデルフィアは、ケンジントン通りのようなスラムばかりがクローズアップされてしまうが、それはニンゲンが生活できているがゆえの暗部にすぎず、どこの都市にも少なからずあるものだと思われる。また出張がてら都市を探訪したい。フィラデルフィアへ来たならば、Prohibition Taproomというバーがおすすめです。

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