ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

KOJI IZAKAYA

2019-06-22 07:48:44 | 食事
 KOJI IZAKAYAとは、ニューヨークブルックリンにあるバーである。チャイナタウンで小籠包、もち米が入った点心に青島ビールをいただいた筆者は、マンハッタン橋を歩いて渡りブルックリン方面へと戻った。橋のたもとから見える、ペイント落書きが施されたレンガ作りの古いチャイナタウンの家屋たち、そしてその後ろにそびえる世界都市のビル群の景色が面白い。橋上からイーストリバーを見下ろせば観光クルージング船やモーターボートの運転に興じる人々で賑わい、河口側を眺めるとブルックリン橋の向こうに自由の女神が小さく見えた。ホテルに戻ると昼寝をし、空腹を憶えて起きてからはブルックリンの町で古着を物色して時間を潰し、夕方にはこのKOJIのカウンターについた。



このバーの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①アクセス・外観
メイシーズやエイチ&エムやバナナ・リパブリックなど、アメリカの都市ならよくあるデパートやショップが並ぶフルトン通りから北に延びるローレンス通りは、床屋・ネイル屋や煙草屋、中華食堂が並ぶやや雑多な通りで、KOJI居酒屋もそこにある。黒っぽい外壁には目立たない看板がついているばかりで、外観はアイリッシュ・パブのようだ。周辺にはもっと洗練された外観の、日本人が経営していそうなレストランがいくつかあったのだが、食事を楽しむというより、バーテーブルに腰掛けて物思いにふけりながら過ごしたい気分であったのでKOJIを選択したのだった。



②中の様子・店員
メモリアル・デーの夕暮れ時のバーは閑散としており、筆者以外にはこれから街に繰り出すであろう白人の若者が一人、友人との待ち合わせのためにカウンターに腰掛けてビールをチビチビ飲んでいるだけだ。内装の壁にサムライや着物の日本女を描いて何とか日本風を醸し出そうとしているが、カウンターの雰囲気はやはりアイリッシュパブで、居酒屋の感じはまるでない。まだ時間が早いせいか、店員は中年のアジア人女性が一人しか居ない。


③メニュー、味
だがメニューはハートフォードではなかなかお目見かかれない日本食が並ぶ。鯖の塩焼き、鯵フライなどは、注文したらすぐに出てくるので少し不安になったが、味はベイエリアの“舞”に比べても遜色ない。また、枝豆が新鮮で茹で具合が丁度よいために食感がよく、非常に満足がいく。おでんもあったので嬉しくなって注文したが、これはいまいちだった。そうして〆に握り寿司を頂くころには十二分に腹が膨れていたので、数貫しか食べられなかったが、これもまたなかなか美味であった。厨房では比較的日本食をよく知る人が調理しているに違いない。



④酒
お酒の種類も充実しているようだ。ハートフォードではまず売られていない焼酎もある。日本酒の種類も豊富だったので、聞いたことのない少し高い日本酒を注文してみたところ、中年店員はしばらくそれを探した後に困ったような笑顔を見せ、“ハッピーアワーだから、こっちの酒にしたらどうか”と安酒を勧めてきた。メニューに載っているからといって常備している訳でもないらしい。なぜか安酒は徳利の代わりに化学用フラスコに入れられて出てくる。そしてぐい飲みは小さいビーカーを使う。理科の授業で触れて以来の化学実験用具での飲酒は、イケナイコトをしている感じがして面白いものだった。



 30代独身日本式サラリーマンのニューヨーク探訪の最終日はこうして終わろうとしていた。5月末のニューヨークの日は長く、酩酊して店を出ても外はまだ明るい。ホテルまで歩くとビルの間の道には涼しい風が吹き、街路樹がざわざわと揺れる。筆者の前には太った黒人の女が幼女の手を引いて歩いていた。メモリアルデーとはもともと南北戦争、第一次世界大戦以降はあらゆる戦没者を追悼する日だとのことで、多くの人々はこの日に墓地や記念碑を訪れるのだそうだが、筆者にとってはニューヨークを来訪記念日になった。

ニューヨーク探訪3日目

2019-06-15 20:27:27 | 生活
 ニューヨークとはアメリカ合衆国の都市である。30代独身日本式サラリーマンのニューヨーク探訪はついに三日目、メモリアルデーの月曜日である。昨日はミッドウッド探訪の後、マンハッタンのコリアンタウンを探索したり、再びブルックリンに戻ってアトランティック・アヴェニューのムスリム系地区を練り歩いたりして遊び、疲れ果ててホテルに戻り昼寝をした。空腹で目を覚ますと外は夕立のような激しい雨だったので遠出は諦め、ホテル近くのペルー料理屋でセビチェと牛ハツ焼きを白ワインでいただき、スーパーでドイツビールを買い込んでホテルで映画を観ながらゴクゴク飲んで、酔っ払って寝てしまった。贅沢である。


探訪3日目の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①ミュージアム巡り
せっかく都会に来たのでミュージアムにも立ち寄るべきだろう。芸術作品を見ると博識な都会人になったかのような気分になれるからだ。イサム・ノグチ美術館などへ行けばアート好き日本人女子との出会いの可能性もある。ブルックリン美術館は浮世絵の所蔵も多いようだ。などと調べるも、多くのミュージアムが月曜を定休日にしており選定が困難であった。そのとき見つけたのがナショナル・ミュージアム・オブ・ザ・アメリカンインディアンである(以下、NMA)。マンハッタン島の南端付近にあって、近くに911跡やウォール街の金融ビル群なども見られるので行ってみることにした。


②NMAへ
ホテルからの地下鉄移動は祝日ダイヤで営業しない路線があったり、車両内で若い黒人が手すり支柱を使って激しいダンスパフォーマンスを始めたりとなかなかスリリングであったが、何とかNMAに辿りついた。ブロードウェイ通りの南端に位置するNMAは日本の国会議事堂のような石造りの豪奢な建物であり、正面には三角公園がある。付近はニューヨークのビル群の写真が撮れるスポットでもあるのか観光客で賑わっているが、筆者は屋台でホットドッグを買って朝食を済ませ、その賑わいを素通りしてミュージアムへ入った。


③NMA
NMAの入場は無料で手荷物検査を受けて中に入る。中央がドーム型に吹き抜けて休憩スペースになっており、1階から3階までの外周部に展示がある。いわゆる元インディアンのネイティブアメリカンだけでなく、コロンブスが最初に接触したタイノ族の人々や南米の先住民、アラスカのエスキモーらの生活用具や祭祀用具、彼らの血を受け継ぐ人々の現代芸術などが展示されていて面白い。アラスカ海峡に近い民族になるにつれて日本の文化に近くなることが如実にわかる。展示の文章をもっと読めば時間を潰せて理解も深まるのだろうが、面倒くさいのでスキップしてしまうため、小一時間で鑑賞は終わる。特別展はT.C.キャノンの作品を特集しており、アートな気分に浸れた。T.C.キャノンの作品を見るのは2度目のような気がしているが、何処で見たのか全く思い出せず、思い出せないままミュージアムを後にした。


 昼食はチャイナタウンで小籠包と青島ビールと決めていたので、ビーバー・ストリートを北上し、ウォール街周辺の高層オフィスビル群の間を行く。オフィスの営業時間外の祝日を狙ってか、電気工事や上下水の配管工事があちらこちらで行われている。ビルに挟まれた狭い青空や、交差点でまさにビル群に押しつぶされそうに佇む古いダイナー食堂の写真を撮りながらテクテクと歩く。パール・ストリートへ出ると急に住宅マンションやスーパーなどが見られ、歩く人にも観光客臭がなくなったので、筆者もすぐにニューヨーカーのふりをして慣れた体で颯爽とウォーキングを開始した。

ニューヨーク探訪2日目

2019-06-08 20:09:15 | 生活
ニューヨークとはアメリカ合衆国の都市である。30代独身日本式サラリーマンのニューヨーク探訪は二日目だ。昨日は夕刻に目が覚め、腹が減ったので、バークレーズ・センター付近の日本料理屋に行ってみることにした。地下鉄でたった一駅の距離であったが、ニューヨークでのウーバーの乗降りに慣れておきたいと思い、あえてウーバーで行ってみることにした。ギニア出身の運転手に“なぜ地下鉄で行かない”と明らかに不審そうな顔をされ、気まずかったが笑ってごまかす。そして5番街の“和参”というお店でウニラバーと漬物三種と、刺身定食、“慎太郎”という名の高知県のお酒を味わい、再びウーバーでホテルに戻った。帰りの運転手はインド人であった。




探訪2日目の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ウディ・アレンの暮らした町
観光客が多い場所を訪ねても孤独感が募るばかりなので、生粋のニューヨーカー、ウディ・アレンが育った町を訪ねることにした。彼がブルックリン育ちであることは彼の映画から知っていたが、さらに愚かなグーグルで調べると、幼少期をミッドウッドという地区のK通りのアパートで暮らし、その建物はまだ残っているということであった。幸いホテルから近いデカルブアヴェニュー駅から地下鉄Qラインに乗れば、K通りから2ブロック離れたJ通り駅へ乗り換えなしで簡単に行けることがわかり、さっそく訪ねることにしたのだ。筆者が20代大学生の頃から敬愛して止まないウディ・アレン監督を近くに感じ、孤独感が薄まる。そして天気がよく、散歩日和である。


②地下鉄Qライン
ニューヨーク地下鉄駅のホームは薄暗く、タイル貼りで示された駅名看板や、年季の入ったソリッドな木製のベンチなどがレトロで可愛らしい。デカルブアヴェニュー駅Qラインの島式ホーム上で、行先を間違えないようにしっかりと確認し電車に乗り込んだ。電車はフラットブッシュ地区の辺りで地上に出る。すると低層住宅が並ぶ景色が延々と続き、下町らしさが出てくる。“もうすぐ着くかな”と思い、行き先が表示されている電光掲示板を見ると、目的地のJ通り駅、次のM通り駅が赤色で点滅しており、“ここには止まりません”と表示されていて、筆者はニューヨーク地下鉄にも快速があること、そして散歩のスタート地点がキングスハイウェイ駅になることを悟った。日曜日の郊外行きQライン車内はピクニックの準備をした家族連れが多く、平和だ。



③キングスハイウェイ駅周辺
キングスハイウェイ駅に降り立った筆者はまずコンビニに立ち寄りミネラル・ウォーターを入手するとともに、売られているビールの銘柄を確認した。それで地域で暮らしている人々の出身地があらかた判るからだ。そこには米国で一般的なビールと共に、見慣れないロシア産やポーランド産のビールが並んでいたので、このエリアは東欧系の人々が多いようだ。ウディ・アレンもロシア系ユダヤ人であったことを思い出す。キングスハイウェイ通りの商店街を一回りしてみると、質屋のような宝石店にはあの小さな皿帽子(キッパーと呼ぶそうだ)を被ったインテリ風の店員がおり、黒ずくめ衣装にもみあげ三つ編みの正統派ユダヤ紳士ともすれ違う。ここはアシュケナージ系ユダヤ人の町だ。読めない文字の看板のお店がいくつもあったが、これはきっとヘブライ文字なのだろう。



④E13通りからK通りへ
E13通りを北上し、目的地へと向かう。通りには小ぢんまりした前庭に、正面に7、8段程度の階段があって玄関が少し高くなったレンガ作りの家々が並ぶ。レンガブロックの配置で凹凸を作ったり縦横を変えたり、斜めにカットしたりする方法で壁に模様を作っていてお洒落だ。そして日曜の朝の礼拝に向かう人々なのか、黒を基調とした衣服の家族らを多く見かける。正装した幼児らは特に可愛らしいのでにんまりと凝視してしまい、ユダヤ人両親に不審な目で見られる。30代独身日本式サラリーマンの宿命だ。5月のニューヨークは日差しも風も気持ちがよく、街路樹や庭の植木の緑は鮮やかで、P通りから目的地のK通りまでの6ブロックの散歩はあっという間だった。




 そしてK通りでウディ・アレンの育ったアパートを見て、J通りの駅前でアイスコーヒーを飲み、往路では降りられなかったJ通り駅からマンハッタン方面へ戻った。ホテルに戻りネットサーフィンしていると、YOUTUBEで“ウディ・アレン、故郷ブルックリンを訪ねる”という動画があったので見てみれば、彼はまさに筆者が通った経路を通って町を紹介しており、筆者がアイスコーヒーを飲んだ店も映った。これは嬉しい。筆者は運がいい。もしも就活生に戻ることがあり、面接で“あなたの長所は何ですか”と質問されたら、“運がいいところです”と答えるのが適切だと思った。

ニューヨーク探訪1日目

2019-06-06 17:20:25 | 生活
 ニューヨークとはアメリカ合衆国の都市である。令和1年、メモリアル・デーの連休に、ハートフォードの30代独身日本式サラリーマンは満を持してニューヨークを旅することにした。ホテルはブルックリンにとり、長距離バスの予約をとる。3泊4日の旅である。財布や小物を入れるための小さなバックを先日ウェストハートフォードのバーに置き忘れて紛失してしまったので、グッドウィルで5ドルの手さげ鞄を入手した。タツノオトシゴのロゴがついた高校生の通学用鞄のようなかたちで気に入ったし、持ち帰って荷造りしていると奇跡的に筆者のノートパソコンがぴたりとおさまった。神々もまた、筆者のニューヨーク行きを後押ししているのだと感じた。


探訪1日目の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ピーターパン・バス 乗り方
ハートフォードからニューヨーク行の長距離バスはユニオン駅から出発する。“ピーターパン”と言う名の夢が膨らむバス会社であり、チケットの購入はインターネットで簡単にできる。緑色のバスの後部に軽いタッチで描かれたピーターパンは、両手でどこかを指さし、顔はその指先とは全く関係なない方向を向いた奇妙なポーズでやや気味が悪い。バスターミナルには他にも数種のバスが止まっていたり、電光掲示板にあさってな時刻が表示されていたりと、自分が乗るバスがわからなくて不安になるので、うろついている黒人の係員に“ニューヨーク行きは?”と尋ねると確実だ。ネット予約時にメールで届くリンクからQRコードが表示でき、それを運転手に見せれば乗車できる。そして大きな荷物を客席下のトランクに入れる方式は日本と変わらない。



②ピーターパン・バス 乗り心地など
ピーターパン・バスは4列シートで、自由席なので空いている席にそそくさと座る。連休の長距離バスはほぼ満席で、誰かが隣にやってくる。今回は若い白人男だった。バスは定刻に出発する。車高の高いバスから眺める初夏のニューイングランドの景色は心地よく、 脳内には真夜中のカーボーイの曲が流れだし、アメリカバスの旅の雰囲気で心は自然と踊るものだ。座席は決して広いとは言えないが、マンハッタンまではものの2時間半のドライブであり苦行ではない。だが休憩はなく、水や菓子などのサービスもないので、乗車前に腹ごしらえしておく必要がある。



③マンハッタン到着
ピーターパン・バスはマンハッタンの中心地のタイムズ・スクエア付近の地下バスターミナルに到着する。ターミナルは地下鉄駅に隣接しているようであったが、とりあえず地上へと世界都市の空気を吸いに出ることにした。ブルックリンとマンハッタン島を結ぶ橋はここからはずいぶんと南にあるので、地下鉄に沿った8番街をとりあえずテクテクと南下することにし、疲れたら地下鉄に乗ろうと決めた。観光客やショッピング客でごった返す通りをいく。たいていの交差点にはニューヨーク名物ホットドッグの屋台がある、と思いきやそれらはハラルミートを使った中東系フードの屋台になっていて、ニューヨークの人口動静やニーズが少しずつ変わってきていることが見て取れる。用水路の水のように流れゆく観光客と、乞食も出来ないほどに精神をやられた人々が作るあちらこちらの淀みは、大坂の通天閣付近ののカオスに似ていて、街にはニンゲンの臭いがする。久方ぶりに都市の空気を感じた筆者の足取りは軽い。


④マンハッタン島を南下
観光客の流れを避けて8番街から7番街へ移動したり、また戻ったりしながら南下していると大型ショッピング店舗はなくなり、幾分生活感のあるブロックに差し掛かる。そこで空腹を憶えだしたので、洒落たオープンカフェや雑多なファスト・フード店などを無視しながら歩いていると、“故郷味”と看板のある中華食堂があったので、そこに入って小籠包と豚肉麻辣漬けに、青島ビールを2本注文した。前日は30代独身日本式サラリーマンらしく仕事であまり寝ていなかった所為か、ここで酔いと疲労を感じたので、地下鉄に乗る決断をした。



⑤ニューヨーク地下鉄
ニューヨーク地下鉄はいくつかの路線があるが、“Aライン、Bライン、4ライン”などとアラビア数字やアルファベットで区別されているので、素人でも乗るべき列車がすぐに判る。“半蔵門線・有楽町線”などと難しい用語が使われる東京とは大違いだ。地下鉄の乗り降りでちょっとした冒険を味合うことを覚悟していた筆者はやや拍子抜けした。券売機で一回分だけの乗車券を3ドルで購入し、筆者は地下鉄へと乗り込みブルックリンへと向かう。あらゆる人種が乗り込む地下鉄の中にも乞食がおり、自身の不幸を大きな声で主張し、車両を練り歩いては金や食料をせびるが、全体的にはいたって平和な雰囲気だ。30分ほど乗っていれば地下鉄はイーストリバーを渡り、ブルックリンに到着する。宿の最寄駅であるJAYストリート駅から地上へ出ると、官公庁らしい建物とともにやや小汚いたばこ屋や雑貨屋、黒人向けの洋服屋などが並んでおり“ブルックリンに来たな”という気分になった。


 ホテルに着き20階の部屋に入るとすぐにうがいをしたのだが、口に含んだ水道水が不味い。ニューヨークの水道水はきれいだとの話を聞いたことがあるので、これは高層ホテルの貯水槽の問題なのかも知れない。ミネラル水を買い忘れたことを後悔したが、疲労と酩酊のために睡魔に襲われ、キングベッドにごろりと昼寝をしたのだった。以上が“30代独身日本式サラリーマン、ニューヨークへ行く” の序章である