ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

葉提菩 ミーチャイ

2019-03-28 16:44:42 | 食材
 葉提菩ミーチャイとは、筆者がまた新たに見つけたインスタントラーメンの銘柄である。かつて野球界の救世主ともてはやされたハンカチ王子こと斎藤祐樹選手は今年で30歳となり、晴れて30代独身日本式野球選手になった。彼が昭和63年生まれとのことなので、つまり来年には平成生まれの30代独身日本式サラリーマンが世の中に現れる。時の流れは速くなるばかりだ。そして平成も終わりが近づき、新しい元号の発表を今か今かと待ちわびれている今日この頃に、筆者は素敵なインスタントラーメンに出会いましたのでここで紹介します。


①葉提菩ミーチャイとの出会い
いつものように亜東超級市場のインスタント麺コーナーをウロウロしていると、棚の一番下にひっそりとこの葉提菩ミーチャイはあった。黄色い袋の前面にはサツマイモの葉のかたちに似た葉っぱが大きく二枚描かれているのみで、一見したところでは何味なのか全く分からない。“これはきっと外れラーメンに違いない”と思いながらもその不思議な絵柄に惹かれて思わず手に取り、さらにエリアを物色していると、ベトナム人と思しき男性に『もしもし、そのラーメンは一体どこにありましたか』と尋ねられた。その場所を教えると彼は嬉しそうに礼を言い、ガバっと10袋程を買い物かごに入れたのだった。それを見た筆者は、“これはまさかの当たりラーメンかも知れない”と思い直し二袋ほど購入した。


②葉提菩ミーチャイ概要
葉提菩ミーチャイは、ベトナムにあるビン・タイ・フード社による商品だ。設立年は1963年で、それは奇しくも以前紹介した同じくベトナムのインスタントラーメン会社VIFON社と同じ年であり、1960年代にベトナムでインスタトラーメンブームが起きたことが想像される。とはいえ1960年代のベトナムといえばホーチミンの北ベトナム政権と、南のアメリカから支援を受ける政権間、さらに政権内の権力闘争に明け暮れ非常に不安定だったはずで、一体全体そんな時期に何故インスタントラーメン会社が盛り上がっていたのかは謎だ。もしかしたら元はと言えばゲリラ兵用の戦中食として受け入れられたのか・・とも想像してしまう。またビン・タイ・フード社はベジタリアンのためのインスタントフードに力を入れているとのことで、よく見ると葉提菩ミーチャイもベジタリアン用のインスタントラーメンとの記載があった。草食だが肉食の30代独身日本式サラリーマンにすれば、 “これはやはり外れラーメンだったかも” と不安を憶える。


③葉提菩ミーチャイ作り方・楽しみ方
葉提菩ミーチャイの作り方は鍋要らずの日清チキンラーメン方式だ。袋を空け、お椀に乾麺と、同封されている調味粉とオレンジ色のパームオイルを入れて湯を注ぐ。蓋をして3分待てば食べてもよい。そして味が何とも美味なのだ。まず麺。それはチキンラーメンさながらのちぢれ面で、細いのに心地よい歯ごたえがあり嬉しい。これは成分にタピオカが入っていることが理由と考えられる。またスープの味がとにかく優しい。あまじょっぱい野菜スープの中にもインスタントラーメンに欠かせない適度なジャンキー臭があり、長屋で一人食べていても違和感がない。生卵を入れて湯を入れると尚おいしい。



 瞬く間に2袋を食い終え、“これは箱買いだ”と思い立ち、亜東超級市場に向かったが、葉提菩ミーチャイはもう姿を消していた。筆者はたいそう悔しがった。しかし欲望と逆境こそがニンゲンの進歩の源だ。“待てよ。この広いハートフォード界隈でベトナム系スーパーが亜東超級市場一件のみというはずはない。どこかにまだ店があるはずだ”と思いつき天下のグーグルで丹念に調べたところ、それはあった。もうすぐ平成が終わるというのに、昭和生まれの日本式独身サラリーマンはインスタントラーメンを求めて週末のアジアスーパーを一人彷徨い続ける。

フォー・サイゴン

2019-03-24 15:34:39 | 食事
 フォー・サイゴンとは、ウエストハートフォード市にあるベトナム料理屋だ。ハートフォード地区も御多聞に漏れず多くのフォー店がある。日本人にもたいへん食べやすく感じるフォーの存在で、30代独身日本式駐在員の食生活は随分と救われている。しかし米国中どこでもこうやってフォーを気兼ねなく啜れるのは、ベトナム戦争終結とともに南ベトナムを脱出してきたボートピープルの苦難と、それを受け入れたアメリカの懐の大きさのお陰であることを忘れてはいけない。とはいえ筆者がこのフォー・サイゴンでお勧めしたいのはフォーではなく、“粥”そして“フライドチキン”である。


このお店の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①粥のうれしさ
“食欲がないのに胃が寂しい”“二日酔いで何も食べる気がしないのに元気がない”そんなときに熱々の粥は嬉しい。ベイエリア30代独身日本式サラリーマン時代にはフォスター・シティのナインティナインマーケット脇やミルブレーのCHEUNG HINGといった中華料理屋で豚肉とピータンの粥を食べたものだったが、ハートフォード地区にはまともな中華料理屋がないので粥のことは半ば諦めていたし、ベトナム料理屋ではメニューを吟味することもなくもっぱらフォーを選んでいたため、長く粥の存在に気が付かなかった。


②アクセス
亜東超級市場のあるウエストハードフォード市南部のエルムウッド界隈はベトナミーな香りが強めなエリアで、バーミーのお店や潰れたベトナム系スーパーの廃墟、複数のフォーのお店が散見される(中華系の同僚によると亜東超級市場も中華系スーパーというよりはベトナム系なのだそうだ)。フォー・サイゴンも亜東超級市場のある商業エリアと車のパーツ屋を挟んで隣接している。だが店の建屋は街路樹で隠され、建物自体もまるで貸倉庫のような風貌なので気が付きにくい。店の入り口にはロングヘアの女性の肖像画に“PHO”と描かれたポスターが貼られていて、気持ちが悪い。


③店内
店内は安作りな木製テーブルが狭苦しく並び、ゆっくりと食事を愉しむというよりはササっと食ってササっと金を払って帰る安食堂風な雰囲気だ。戦前の文豪のような風貌の中年の眼鏡中華系ベトナム男がホールを仕切っていて、ホールのテレビにはいつ行ってもベトナムの紅白歌合戦のような歌謡ショーの様子が流れている。一昔前の雰囲気の衣装を身に纏った歌手やバンドマンたちの演奏を、最新LEDテレビのとてもクリアな映像で見ていると不思議な気持ちになる。

④メニュー
お粥にはいくつかの種類があってどれも基本的に具沢山だ。豚モツ粥は豚のモツ各種に血液の塊までふんだんに入れられていてモツ大好きニンゲンでもやや食傷気味になるが、生姜や香草で臭みは抑えてあって食べやすい。豚肉とピータン粥は味が濃い目でピータンがどっさり入っているてこれもまたやや食傷気味になった。プレーン粥に胡瓜というあっさり系の粥もあるので次回試す予定だ。酒は置いていない。


⑤フライドチキン
モモ、足、手羽の部位別に1ピースから注文できる。30代独身日本式駐在員がアメリカのスーパーで時折購入するしんなりして衣がすぐにペロンと剥がれるかなしいフライドチキンとは異なり、注文してから揚げてくれるので嬉しい。熱々トロトロお粥にサクサクのフライドチキンの組み合わせは新しく、“食欲がないのに胃が寂しい”“二日酔いで何も食べる気がしないのに元気がない”という理由でやってきたのにガツガツ食べてしまって食傷気味になる。

 

 「働く男の長靴が好きでした」という悲しい性癖を持つ50代男性が、14足ものゴム長靴を鶏肉加工場から少しずつ盗んでいたことが発覚して逮捕されたそうだ。彼に対する世間の反応は、女子高生の体操服を盗むマジョリティ変態に比べて妙に同情的で、勇気づけられたり、中には尊敬しだす人までいて面白い。普通と呼ばれる性癖を持ちつつそれが満たされない30代独身日本式サラリーマンにしてみれば、長靴で欲望が満たされるなら安上がりで、プライドが傷つくこともなく、好きなように相手(長靴)と寄り添えるのでむしろ生きやすいのではないかと思ってしまう。ニンゲンが異性でなく長靴を愛するようになれば、犯罪は減り、ハラスメントはなくなり、平和が訪れ、そしてニンゲンは滅びる。

多吉

2019-03-15 14:08:49 | 食事
 多吉とは東京都五反田駅東にある小さな居酒屋のことだ。30代独身日本式サラリーマンの一時帰国休暇の最終日の夜は帰便の空港近くに宿をとる。2019年。いくらグローバル社会になったとはいえニンゲンが“生活”する範囲は別段広がった訳ではなく、そこを離れたり再訪したりする際には昔と変わらない感慨があるのではなかろうか。数少ない会いたい人々にはほとんど会ったし、数多い会いたくない人には会わずに済んだ。それに食いたいものもあらかた食ったので、いつ米国に戻ってもよいと思える気分であっても、最終日となると感傷的になり、思い出さなくてもよいことを思い出したりするので酒場へ行くことにした。それが多吉だ。



この居酒屋の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①アクセス
こんなときは鄙びた酒場に限るので、五反田駅から歓楽街とは逆方向へ向かう。山手線と目黒川に挟まれた小さな界隈もそれなりに酒場やラーメン屋などが並んだエリアになっていて、そこをふらふらと歩いていたときに多吉を見つけた。茶色のワンルームマンションの1階には多吉の他にも焼肉屋や中華料理屋などが並んでいる。多吉は“粋人 居酒屋 多吉”と書かれたたいへんシンプルな看板でいかにも小ぢんまりした風貌が漂うのですぐに入ることにしたのだ。


②多吉の中
引き戸をガラガラと開けてのれんをくぐると木製の卓が定食屋のように狭苦しく並んでいて、その向こうに厨房がある。厨房と客席の境に3,4席程度のカウンターがあって、そのカウンター席に初老の男が一人いた。筆者は彼の居るカウンターへ行くか、それともテーブル席にするか迷ったが、これまた初老の主人が厨房から穏やかな顔を覗かせたのでカウンターにすることにした。多吉は夫婦で経営しているようで、さらにまた感じの良い初老の婦人が注文をとりにきてくれた。


③メニュー
筆者はアジの叩き、タコ酢、目抜け焼き、そしてハムカツをいただいた。旨い。昔ながらの粋な居酒屋の雰囲気が尚いっそう味を引き立てるのか、酒もすすむ。瓶ビール、チューハイ、名前を忘れたが山口県の冷酒、そして熱燗へと手が伸びる。主人によれば訪れる客は馴染みばかりだそうだ。この日にやってきたもう一人の白髪の客は慣れた風に手前の狭い卓につき、その後来店した若いサラリーマン2人組も勝手知ったる風に厨房の奥の席へと入って行った。カウンター席の男と白髪の男は知り合いではあるものの、かつて何かあったのか妙な余所余所しさを保っており、居酒屋ならではのニンゲンドラマを垣間見ることができた。客数が5人になって小さな酒場の厨房はやや慌ただしくなった。



 筆者はカウンター席の男と他愛もない話をすることで、孤独を紛らわしていた。『アメリカに住んでいる』ということをできるだけ控えめに、恥ずかしそうに言えば話は勝手に盛り上がっていく。店内の壁には直木賞作家の下田景樹先生が煙草を片手に主人と婦人と楽しそうに写っている写真、それにサイン色紙が飾られていた。30代独身日本式サラリーマンにとって生まれて初めて見た“奇人”は、小児の頃に“笑っていいとも”に出ていた下田景樹先生ではなかろうか。色紙には見覚えのある字で“ゆっくりと かしこく 生きる”と書かれていた。それを見て筆者は、下田先生のサイン入り本をとある人から拝借したままであることを思い出し、店を出て五反田の夜に消えた。

アメリカン時計博物館

2019-03-10 16:26:38 | 生活
 アメリカン時計博物館とは、コネチカット州ブリストル市にあるミュージアムだ。紀元前の昔からずっとニンゲンは不老不死を願いその術を探求してきたが、未だにいつ訪れるか分からない死を待ちながら生きている。米国における日本文化研究の第一人者ドナルド・キーン氏もまた先日亡くなった。ドナルドさんのエッセイ“二つの母国に生きて”を読むと“あぁ、この人に日本を研究してもらって本当によかった”と思うものだ。知識があり、冷静な批評家の目があり、そして日本への深い愛がある。筆者の本ブログも30代独身式サラリーマン諸氏への愛の深さついては負けていないと自負していますがいかがでしょうか。


 このミュージアムの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①ブリストル市
ハートフォードの南東部に位置する静かなこの町は、大きな商業エリアもなく、特定の人種のコミュニティがあったりするわけでもないようなので特に足を運ぶことがなかった。しかしとある曇天模様の休日にいつものように愚かなグーグル地図でミュージアム探しをしていると、この町には今回の時計博物館や、ハロウィンシーズンの週末にしか開かないクラシック映画ミュージアム、それにカルーセルミュージアムといった一風変わったミュージアムがいくつかあったので、探検してみることにしたのだ。


②アクセス
アメリカン時計博物館はブリストル市内のフェデラルヒルと呼ばれる小高い丘の住宅街にある。広々とした庭付きの立派な家が並ぶ住宅街で、古めの教会などもあるので、なかなかに歴史のある高級住宅街のようにも思われる。


③アメリカン時計博物館へ入る
そんな高級住宅街の交差点の角にアメリカン時計博物館がある。一見新しめの教会のような作りの白い建物だ。中に入ると品の良い白人中年女性が受付に座っている。『ここは初めてか』、『案内は必要か』などと親切に声をかけてくれるが、丁寧に『英語が不得手なので案内は遠慮させていただきます』と答える。すると『最初の口上だけでも聴いていって下さい』と言われ、ミュージアム設立の経緯や歴史について数分の講義を受けることになる。口上によれば19世紀はニューイングランド地方は世界有数の時計生産地であり、ブリストル市にもイングラハムという大きな時計メーカーがあったそうだ。そんな時計産業もヨーロッパやアジアに押され、より利益が得られる電気機器産業へと移っていったものの、社長のイングラハム氏はこの地の歴史遺産としてミュージアムを作ることとにした・・・といったとこまで何とか筆者は理解したのだった。

④アメリカン時計博物館を観賞する。
19世紀の機械式の柱時計や掛け時計、懐中時計にポップな目覚まし時計などが綺麗に展示されている。構造がむき出しにされて時を刻む構造がわかるようにしてあるものは、ぜんまいが歯車を動かし、歯車が次の歯車を、そして最後の歯車で針が動く様をじっくり眺めることができ見ていて妙に気持ちがいい。そして沢山の古時計が動いていたり、止まっていたり、あさっての時間を指していたり、ふいに時を告げる音が鳴ったりする空間は、普段の生活では “今” の時間しか見ないニンゲンにとっては大変不可思議で時を忘れる。とはいえ小ぶりなミュージアムなので1時間もあれば全て見終わってしまうだろう。


 時計の音は妙に落ち着き、ミュージアム全体が癒しの空間になっていたので、筆者は時計を沢山集めててんでばらばらの時間を示す喫茶店を作れば、物好きなメガネ風婦女子共が集まるのではないかとふと思いついた。しかしそんなカフェは日本各地にもう在るようだ。所詮平凡な30代独身日本式サラリーマンが思いつくようなことは、もうずっと前から誰かが実行に移している。それに万一誰も実行していなかったとしてもそれをやってみる気概はない。そんな30代独身日本式サラリーマンは、時間を自由に操れるマシンに乗って過去に戻ったところで自分の未来を変えるほどの勇気もなく、また30代独身サラリーマンになって現在に戻ってくるに違いない。

鴻昌隆の干物

2019-03-03 04:14:11 | 食材

 鴻昌隆の干物とは、筆者がアドン・スーパーマーケットで見つけた干物商品のことだ。ホヤやホタルイカ、それにワラスボという有明海の珍魚などの干物を、日本の両親とのコミュニケーションを兼ねて送ってもらって酒と共に楽しんでいたが、このような干物をこちらでも手に入れられないものかと思い、早速暇な週末にアドンへ斥候に赴いたところ発見したのがこの鴻昌隆の干物である。乾ききった30代独身日本式サラリーマンの心のような水分ほぼ0%の魚介類が、店の出入り口から見て左1列目の野菜が陳列されるラインの妻側にアドンらしく雑然と置かれている。


この乾物の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①鴻昌隆
鴻昌隆はおそらく中国もしくはベトナムの海産物加工会社と思われる。鴻昌隆社自体のホームページは見当たらないが、非常に多種の干物が米国内で流通しており、かなり大きな加工会社なのではないかと思われる。尚、輸入業務を行っているのはブルックリンの会社であり、2016年に不衛生な環境でパックされた可能性のある製品を輸入したことで連邦政府から警告を受けている。その影響か、販売されている製品にはすべからく“よく洗って調理して食べるように”との記載がされている。以下に筆者が購入し美味であった商品を紹介しよう。



②章魚の干物
日本でもあまり売られていない章魚(タコ)の干物は、手のひらサイズでペチャンコになった褐色の蛸が一袋に7~8枚入って売られている。“よく洗って調理して食べるように”との記載があるが、干物を洗うのは何だか粋でない。だがそのまま食べると固いので、少し水に濡らし電子レンジで20秒ほどチンすると、残り6秒あたりから急激に縮み始めて丸くなる。そうすると柔らかみと風味が増す気がする。マヨネーズを付けていただくと上等なおつまみになり、ガンジガンジと噛むたびに口に広がる香りを楽しみながら飲酒する。普段はそんなに登板機会に恵まれないマヨネーズがこのときばかりは大活躍するのだ。


③烏賊の干物
こちらは小ぶりの烏賊が干されたものが30枚ばかり入った商品だ。表面に白く粉を噴いたやや不安を起こさせる風貌のこの干物は、青いパッケージに“鉛含有量が許容値を超えている可能性があり、発がんや妊娠に影響を与える場合がある”とのシールが貼られている。だが30代独身日本式サラリーマンが普段食べているものに比べて特段怯えるようなものではあるまい。これは烏賊の内臓を取り除くことなくそのまま乾燥されているようで、独特の苦みとイカ墨の甘味があり、すこぶる旨い。いっきに沢山たべると気分が悪くなる珍味であり、頭の先から少しずつ噛み切って味わう。



④魚の干物
複数の肴の干物も試したが、これはあまりにしょっぱすぎてそのままでは食べられない。パッケージの記載のとおり洗って調理する為のもののようだ。


⑤しらす干し
中国やベトナム料理でしらす干しを使ったものなど見たことないが、鴻昌隆はしらす干しも製造している。しらす干しは完全な干物ではないため要冷蔵扱いとなっており、上記の干物とは少し離れた野菜コーナーの隅に置かれている。そのまま肴にするのも結構だが、やはり白ご飯の上にふんだんに振りかけて、醬油を適度(この適度がなかなかに難しいのであるが)に垂らすと、“もう他には何もいらない”と食べているときは思う。



 と、これまで干し物についてだらだらと記してきたが、米国では電気式乾燥機の普及で物干し文化はすっかり衰退し、物干しざおを買い求めることすら困難なほどだ。電気式乾燥機は、天候に関わらずたった2時間で洗濯物はすっかり乾くし、高温乾燥で殺菌にもなるだろうし、天日干し中のノミ・ダニの付着の恐れもないし、ましてや下着泥棒の心配もないので非常に合理的だが、日本では昔から生活感の象徴とも考えられてきた物干し風景が見られないことは、洗濯物愛好家の円広志さんなどにとってはつまらないことだろう。“干す”ことをもう忘れつつある米国式30代独身日本式サラリーマンは、鴻昌隆の干物を楽しむとともに、いつ自分が干されてもいいように心の準備をしておいてもよいだろう