HIDEKOとは、筆者がタイ王国スコータイで出会った人だ。筆者が20代日本式大学生だった頃だ。本名は知らない。30数年の間には随分と沢山の人に出会った。そのうちの幾人かは心許せる友達として、またはお互いのフェイスブックに居るだけの関係として、あるいはフェイスブックで「知合いですか」と出てきてもどうしていいか分からない関係として繋がっていたりするものの、ほとんどの人とは関係が途切れている。だがその中にもよく覚えている人があり、HIDEKOもその一人だ。できればHIDEKOが今どうしているのか知りたいのだが、いかんせん本名を知らないので伝手がない。 愚かなグーグルで“HIDEKO スコータイ”と検索しても何も出てこない。いつかHIDEKOを忘れたときに思い出す手段として、また庄助の回のように有志が「私もHIDEKOに会ったよ」や「HIDEKOなら今ここにいるよ」と教えてくれるのでは・・という期待を込めながら書くことにする。
この人の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①スコータイ
“大学生はバックパッカーをせねばならん” そんな妙な強迫観念に駆られて出かけたタイ王国であったが、特に目的地がなかった。皆のように国境を超えたりする勇気はないし歩き疲れるのは嫌だったので、どこか比較的静かで、でもちゃんと観光客がいる安心の場所を探したときに目を付けたのがスコータイであった。長距離バスの停留所のすぐ近くのゲストハウスに2週間ほど滞在したのだ。市場を歩いたり、出会ったフランス人と山に登ったり、市民プールでビキニパンツをレンタルして泳いだり、遺跡に腰掛けて格好つけて読書したりして過ごした。HIDEKOとはそのフランス人と飲みに出かけた夜に出会ったのだ。
②HIDEKO
HIDEKOはメインストリートの外れの交差点にある屋台バーの店主だった。タイの若者がいつも5,6人たむろしているので、20代日本式大学生が一人で席に着くのは気後れする雰囲気であったが、フランス人がいたので気が大きくなっていたのだろう。2人でカウンターに座ったのだ。HIDEKOは色の白いタイ人で、美川憲一を少しだけ女性らしくしたような残念タイプの元男性であり、「私は・・・ヒデコ」と言って自分で吹き出していた。おそらく当時20代後半から30代前半くらいだったであろう。何を話していたかすっかり忘れたが、ひょうきんでユーモアのある人の反面、あまり下品な下ネタの話題になると「もうやめましょう」とたしなめられたような記憶がある。流暢な英語を話す人で、筆者の英語の間違いをよく正してくれた。
③HIDEKOの仲間たち
たむろしていた若者たちもすこぶるいい奴らだった。彼らもまたゲイや女装しているだけのノンケやその妹など、セックスが半ば崩壊したようなメンバーで、毎日HIDEKOの店に来ては少しだけお酒を呑んでHIDEKOとダラダラと世間話をしているようだった。彼らとの珍妙な出来事もいくつかあるのだが、それは割愛する。皆で飲んでいるときにまさにバケツをひっくり返したような雨が降ってきて、“今年初めての雨だ!雨季の始まりだ!”と皆が通りに飛び出してずぶ濡れになってはしゃいでいたことをよく覚えている。
④HIDEKOと英語学校
HIDEKOは “昼間は英語の教師をしている” と言っていたが、筆者が全く信じないので “証拠を見せる” と昼に彼女の教室にお邪魔することになった。どうやらアダルト・スクールらしく、教室には20人くらいの大人がおり、真面目にHIDEKOの講義を聴いていた。普通にニューハーフが講義している様子に笑ってしまいそうになったとともに、タイ王国の人々の性的マイノリティへの理解の深さに感心したのを憶えている。そして真面目に生きているHIDEKOを見て、自分のような阿呆学生が、陳腐な強迫観念だけでこの国にやってきて、安い物価をいいことに飲み歩いている行為を恥ずかしく感じたのだった。
日曜の昼下がりに、ふと“自分もまた関係の途切れた誰かに探されていやしないか”とこっそりと愚かなグーグルで自分の名前を検索してみたが、今のところまだ誰にも捜索されていないようだ。同姓同名別人の司法書士の方やスタイリストさんが活躍されているようで、嬉しく思いながらIPAビールを飲みました。30代独身日本式サラリーマン諸氏もたまには自分の名前を検索して、同姓同名の人の応援をしてみてはどうでしょう。
この人の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①スコータイ
“大学生はバックパッカーをせねばならん” そんな妙な強迫観念に駆られて出かけたタイ王国であったが、特に目的地がなかった。皆のように国境を超えたりする勇気はないし歩き疲れるのは嫌だったので、どこか比較的静かで、でもちゃんと観光客がいる安心の場所を探したときに目を付けたのがスコータイであった。長距離バスの停留所のすぐ近くのゲストハウスに2週間ほど滞在したのだ。市場を歩いたり、出会ったフランス人と山に登ったり、市民プールでビキニパンツをレンタルして泳いだり、遺跡に腰掛けて格好つけて読書したりして過ごした。HIDEKOとはそのフランス人と飲みに出かけた夜に出会ったのだ。
②HIDEKO
HIDEKOはメインストリートの外れの交差点にある屋台バーの店主だった。タイの若者がいつも5,6人たむろしているので、20代日本式大学生が一人で席に着くのは気後れする雰囲気であったが、フランス人がいたので気が大きくなっていたのだろう。2人でカウンターに座ったのだ。HIDEKOは色の白いタイ人で、美川憲一を少しだけ女性らしくしたような残念タイプの元男性であり、「私は・・・ヒデコ」と言って自分で吹き出していた。おそらく当時20代後半から30代前半くらいだったであろう。何を話していたかすっかり忘れたが、ひょうきんでユーモアのある人の反面、あまり下品な下ネタの話題になると「もうやめましょう」とたしなめられたような記憶がある。流暢な英語を話す人で、筆者の英語の間違いをよく正してくれた。
③HIDEKOの仲間たち
たむろしていた若者たちもすこぶるいい奴らだった。彼らもまたゲイや女装しているだけのノンケやその妹など、セックスが半ば崩壊したようなメンバーで、毎日HIDEKOの店に来ては少しだけお酒を呑んでHIDEKOとダラダラと世間話をしているようだった。彼らとの珍妙な出来事もいくつかあるのだが、それは割愛する。皆で飲んでいるときにまさにバケツをひっくり返したような雨が降ってきて、“今年初めての雨だ!雨季の始まりだ!”と皆が通りに飛び出してずぶ濡れになってはしゃいでいたことをよく覚えている。
④HIDEKOと英語学校
HIDEKOは “昼間は英語の教師をしている” と言っていたが、筆者が全く信じないので “証拠を見せる” と昼に彼女の教室にお邪魔することになった。どうやらアダルト・スクールらしく、教室には20人くらいの大人がおり、真面目にHIDEKOの講義を聴いていた。普通にニューハーフが講義している様子に笑ってしまいそうになったとともに、タイ王国の人々の性的マイノリティへの理解の深さに感心したのを憶えている。そして真面目に生きているHIDEKOを見て、自分のような阿呆学生が、陳腐な強迫観念だけでこの国にやってきて、安い物価をいいことに飲み歩いている行為を恥ずかしく感じたのだった。
日曜の昼下がりに、ふと“自分もまた関係の途切れた誰かに探されていやしないか”とこっそりと愚かなグーグルで自分の名前を検索してみたが、今のところまだ誰にも捜索されていないようだ。同姓同名別人の司法書士の方やスタイリストさんが活躍されているようで、嬉しく思いながらIPAビールを飲みました。30代独身日本式サラリーマン諸氏もたまには自分の名前を検索して、同姓同名の人の応援をしてみてはどうでしょう。