ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

HIDEKO

2018-04-24 22:38:38 | 生活
 HIDEKOとは、筆者がタイ王国スコータイで出会った人だ。筆者が20代日本式大学生だった頃だ。本名は知らない。30数年の間には随分と沢山の人に出会った。そのうちの幾人かは心許せる友達として、またはお互いのフェイスブックに居るだけの関係として、あるいはフェイスブックで「知合いですか」と出てきてもどうしていいか分からない関係として繋がっていたりするものの、ほとんどの人とは関係が途切れている。だがその中にもよく覚えている人があり、HIDEKOもその一人だ。できればHIDEKOが今どうしているのか知りたいのだが、いかんせん本名を知らないので伝手がない。 愚かなグーグルで“HIDEKO スコータイ”と検索しても何も出てこない。いつかHIDEKOを忘れたときに思い出す手段として、また庄助の回のように有志が「私もHIDEKOに会ったよ」や「HIDEKOなら今ここにいるよ」と教えてくれるのでは・・という期待を込めながら書くことにする。


この人の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①スコータイ
“大学生はバックパッカーをせねばならん” そんな妙な強迫観念に駆られて出かけたタイ王国であったが、特に目的地がなかった。皆のように国境を超えたりする勇気はないし歩き疲れるのは嫌だったので、どこか比較的静かで、でもちゃんと観光客がいる安心の場所を探したときに目を付けたのがスコータイであった。長距離バスの停留所のすぐ近くのゲストハウスに2週間ほど滞在したのだ。市場を歩いたり、出会ったフランス人と山に登ったり、市民プールでビキニパンツをレンタルして泳いだり、遺跡に腰掛けて格好つけて読書したりして過ごした。HIDEKOとはそのフランス人と飲みに出かけた夜に出会ったのだ。


②HIDEKO
HIDEKOはメインストリートの外れの交差点にある屋台バーの店主だった。タイの若者がいつも5,6人たむろしているので、20代日本式大学生が一人で席に着くのは気後れする雰囲気であったが、フランス人がいたので気が大きくなっていたのだろう。2人でカウンターに座ったのだ。HIDEKOは色の白いタイ人で、美川憲一を少しだけ女性らしくしたような残念タイプの元男性であり、「私は・・・ヒデコ」と言って自分で吹き出していた。おそらく当時20代後半から30代前半くらいだったであろう。何を話していたかすっかり忘れたが、ひょうきんでユーモアのある人の反面、あまり下品な下ネタの話題になると「もうやめましょう」とたしなめられたような記憶がある。流暢な英語を話す人で、筆者の英語の間違いをよく正してくれた。


③HIDEKOの仲間たち
たむろしていた若者たちもすこぶるいい奴らだった。彼らもまたゲイや女装しているだけのノンケやその妹など、セックスが半ば崩壊したようなメンバーで、毎日HIDEKOの店に来ては少しだけお酒を呑んでHIDEKOとダラダラと世間話をしているようだった。彼らとの珍妙な出来事もいくつかあるのだが、それは割愛する。皆で飲んでいるときにまさにバケツをひっくり返したような雨が降ってきて、“今年初めての雨だ!雨季の始まりだ!”と皆が通りに飛び出してずぶ濡れになってはしゃいでいたことをよく覚えている。



④HIDEKOと英語学校
HIDEKOは “昼間は英語の教師をしている” と言っていたが、筆者が全く信じないので “証拠を見せる” と昼に彼女の教室にお邪魔することになった。どうやらアダルト・スクールらしく、教室には20人くらいの大人がおり、真面目にHIDEKOの講義を聴いていた。普通にニューハーフが講義している様子に笑ってしまいそうになったとともに、タイ王国の人々の性的マイノリティへの理解の深さに感心したのを憶えている。そして真面目に生きているHIDEKOを見て、自分のような阿呆学生が、陳腐な強迫観念だけでこの国にやってきて、安い物価をいいことに飲み歩いている行為を恥ずかしく感じたのだった。


 日曜の昼下がりに、ふと“自分もまた関係の途切れた誰かに探されていやしないか”とこっそりと愚かなグーグルで自分の名前を検索してみたが、今のところまだ誰にも捜索されていないようだ。同姓同名別人の司法書士の方やスタイリストさんが活躍されているようで、嬉しく思いながらIPAビールを飲みました。30代独身日本式サラリーマン諸氏もたまには自分の名前を検索して、同姓同名の人の応援をしてみてはどうでしょう。

餃子棲

2018-04-22 14:28:49 | 食事
 餃子棲はカナダトロント市にある中華料理食堂だ。トロント市は世界中のあらゆる国の人々が暮らしており、初めて訪ねると自分がどこの国に来たのか戸惑うほどだ。筆者はかつてちょっとした出張でトロントに足を踏み入れる機会があったが、そこではソマリア人やスリランカ人、さらにはモーリシャス人、アルバニア人などといった世界でも数百万人しかいない貴重な人々と会うことがあった。ワーキングホリデーなどで日本の女学生もわんさかとおり、日本のような居酒屋も沢山あって、“ないものを探す方がむつかしい”世界がある。今回筆者は陸路でカナダ入りし、“しばらく食べていないものを食べに行くツアー”を敢行した。そこで見つけたのがこの餃子棲だ。


このお店の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①アクセス
ダウンタウンのヤングストリートから直角西へ20分ほど歩くと、路面電車が走るスパデイナ・アベニューと交差する。この通り界隈がチャイナタウンであり、アジア系の人々で満ち満ちている。中華料理屋や商品が歩道にはみ出るように並べられた雑貨屋などが立ち並び、いかにもな中華街な雰囲気はあるものの、通りの落書きや貼られているポスターなどに妙な前衛的な雰囲気があり、サンフランシスコの中華街とは少し様子が異なる。餃子棲もこのスパディナ・アベニューにあり、多国籍な雑多なお店が並ぶケンシントン・マーケットへ入る路地との角に面している。隣に味千拉麺があり、懐かしい気持ちにさせられた。


②外観
赤い大きな看板に店名が白抜き行書体で書かれていて、目立つので見落とすことはない。表のガラス窓の中では白い調理服にマスクや帽子を被った中年女性が数人でせっせと餃子の皮にネタを詰めており、その様子が通行人から見えるようになっていて、時折写真を撮る人々も見られた。とにかく餃子を売りにしているお店なのだ。表にあったメニュー看板には“焼き餃子”があるとのことであった。北米大陸に来て以来がっかり焼き餃子ばかり食べてきていた筆者は、期待を胸に店に入った。



③中の様子
奥行きのある店内は簡素な卓が並び、サンマテオの北京麺食館と同じ雰囲気を感じる。壁には中国風の化粧を施した男の面がいくつも飾られている。また、飾られている掛け軸には騎馬の文字があり、やはり蒸し餃子が美味しい北京麺食館と同様に北方騎馬民族系の人々のお店なのだろうと予想された。餃子のネタは地下で調理しているらしく、男たちがネタの入った大きなビニル袋せっせと階下から表の餃子作成場へ運んでいる。



④メニュー・味
豚肉とニラの焼き餃子と、海老の蒸し餃子、そして白米を注文する。15分ほどで運ばれてくる。プラスチックの安い食器も北京麺食館と同じだ。1皿12個づつの餃子を嬉しく平らげた。12個の焼き餃子は仕上げにフライパンの中に投入されたであろう片栗粉液の薄皮で繋がって出てくる。皮はパリパリ、ネタはジューシー。日本で“おいしい”とされている焼き餃子そのもので、最初の1個を口に投入したときには感動で箸が止まり、『うまい!』と叫ぶところであった。蒸し餃子も美味しかったが、これは北京麺食館と互角であろう。



⑤酒
このお店にはどうもお酒は置いていないようだ。というのもメニューに酒類はなく、グーグルの写真にも酒を呑む人々はいなかった。筆者は店を出た後になって、夕食時に再び来店しビールと焼き餃子を愉しもうかとも思ったのだが、酒類の有無を確認し忘れたので止めることにした。「ここ、お酒あります?」「ウチハ酒オイテナイネ」「あ、そうですか。じゃあ出直します」というやりとりをするのは気後れするものだ。


白米を注文したのだが、最後まで出てこなかった。中国の人々にとって餃子は主食であり、米と食べるなどという行為は関西人のお好み焼き定食のようなものらしい。注文時にやや怪訝な顔をされた。餃子で腹がいっぱいになったし、「あの・・白米来てないのですが」「アレ。忘レテイタネー、今カラツクルネ」「いや、もういいので値引きを・・」というやりとりが面倒なので留め置いた。この餃子を食べられただけで、トロントへ来た甲斐があったというものだ。いつかトロントにゆかりのある人と会ったなら、「トロントといえば何といっても餃子ですね」と言うことにした。

シータウン・スーパーマーケット

2018-04-19 17:36:15 | 生活
 シータウン・スーパーマーケットは、ニューイングランド地方でちょいちょい見かける中南米系のスーパーマーケットだ。ベイエリアで言うところのチャペス・スーパーマーケットといえば、ベイエリア独身日本式サラリーマン諸氏には判っていただけるだろう。筆者はオアハカチーズを無性に食べたくなったために、ハートフォード界隈でメキシカンスーパーを探していたところ、このスーパーを見つけて早速訪ねたのだ。しかし残念ながらここにオアハカチーズはなかった。ニューイングランドにはメキシコよりも、南米とジャマイカやドミニカなどのカリブ諸国からの移住者が圧倒的に多い。このお店もその人々を主な対象とした商品があり、チャペスとは違った雰囲気があり興味深く、最近よく出入りしているのだ。今回はこのお店で見つけた30代独身日本式サラリーマンへのおすすめ商品を紹介しよう。


このお店の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①シータウン・スーパーマーケット
ハートフォード地区を車で流していると、やはり人種や所得層毎に居住区がうっすらと分かれていることに容易に気が付く。ニンゲンは同種のニンゲンで集まり、寄り添い生活する方が居心地がいいのだ。そしてシータウン・スーパーマーケットはたいていホールフーズ・マーケットなどがあるエリアからは随分離れた比較的ごみごみした場所にある。赤と黄色のストライプのけばけばしい建屋は楳図かずお先生の邸宅が霞んで見えるほどで、一見してラテン系の市場であることが窺える。


②チーズ
中南米の諸国は乳製品が好きなようで、コロンビアやドミニカ、ペルーチーズやエルサルバトルなどの国々のチーズが売られている。ひとつひとつが大き目なので、独り暮らしの30代独身日本式サラリーマンが購入するのはやや勇気がいるが、ペルーの熟成チーズは味も脂肪分も濃厚で、薄切りにしておつまみにするとなかなかによい。ドミニカ風チーズは真っ白のチーズ。素朴な塩味で、ワインと共にぼそぼそと食べるのがよいように思われる。


③イカのイカスミ漬け缶詰
中南米がスペインに侵略・占領された甲斐あって、スペイン製の製品が豊富だ。AJAMAR、DELSOLといった聞きなれないメーカーが、イカをイカスミごと煮て缶詰にした商品が山積みにされている。1缶1ドルと大変なお買い得商品で、大量に購入する。これはそのまま食べてもたいへん上等な肴であるし、炊飯器の中に白米と共にぶち込んでそのまま炊けば、イカスミピラフが出来上がるという優れものだ。パスタなどにもいいだろう。


④惣菜コーナー
店内に惣菜コーナーがあり、メキシカンスーパーとは少し異なる食材が調理されていて、食欲をそそる。店員はスペイン語主体で注文するのにやや苦労する。惣菜コーナーについては今はまだ調査中なので、今後お勧め惣菜を諸氏に報告していきたい。


 20代一橋大学大学院生の奥田愛基さんが、再び日本を変えるために新たなイベントを立ち上げ、「大変だけど、今が一番楽しいです。等身大でいられるから」と力強く述べたようだ。 “第二幕が始まる”そう言って彼のインタビュー記事は締めくくられている。自分の人生の第一幕が開けたのかどうかも知らずにのんべんだらりと30年以上生きてきた我々にとって彼は光り輝き、それゆえに下衆な嫉妬心を持ち、正直ついつい不幸を祈ってしまうこともあるが、そんな筆者の醜い心を打ち負かして日本に新しいムーブメントを起こしてくれることを願いながら、おとなしく長屋でペルービールを飲んでいます。

ミスティック

2018-04-16 10:33:26 | 生活
 ミスティックは、コネチカット州南部の古い港町だ。17世紀の港や造船所が残されたミュージアム、水族館などがあり観光産業が盛んなようだ。30代独身日本式サラリーマンは概して観光地で孤独を味わいがちで、訪れるのに多少の覚悟が必要になる。ミスティックの町はハートフォード市からは車で1時間程度で行けるので、日帰りでも十分楽しめるのであるが、孤独に散策し、孤独なまま帰路につくと車内で涙がちょちょ切れ、長屋に戻ったところでなお孤独な続き、枕をぐっしょり濡らすことになる。それは辛い。愚かなグーグルで町を調査すると、オイスターが食べられるバーが数件あったので、観光の後に現地で酩酊して孤独を紛らわし、そのまま一泊することにしたのであった。


この町の特長は以下のとおりだ。


①ミスティック
ミスティックは、ミスティック・リバーが大西洋に流れ込む河口の町である。狭い河口の上流は大きな入り江になっていて、川というより穏やかな湖に近い。そのため舟の係留に適していたのであろう。17世紀の入植以来、漁業、造船、水産加工の町として栄えたようだ。


②ダウンタウン
狭い河口には鋼製の重々しい跳開橋が架かる。橋より下流側は橋の開閉を待たずに海へと出られるため、小型漁船やレジャー船がびっしりと係留されている。橋の通りが小さな町のメインストリートだ。S字に曲がるメインストリートには観光客目当てのカフェやレストラン、土産物屋などが並ぶ小ぶりながらお洒落な通りで、歩いていて楽しい。中でもジュリア・ロバーツが主演した映画“ミスティック・ピザ”のピザ屋などが賑わっているが、30代独身日本式サラリーマンが楽しむことができるお店はあまりないので、雰囲気を味わう程度になるだろう。小一時間あれば暇を持て余す。


③ミスティック・シーポート
ダウンタウンからミスティック・リバー沿いを数分北上すれば、17世紀の港町をそのまま残したミスティック・シーポートがある。20ドルほどの高い入場料を支払い港町に入ると、古い町並みが復元・保全されており、少しだけタイムスリップしたような心持ちになる。かつてその油を燃料にするために乱獲されていたクジラ漁に関する博物館や、歴史的製法の鍛冶仕事を見学する施設など、中年男性が独りで興味深そうな表情で歩いていてもいたって普通な施設で安心する。また係留されたかつての捕鯨船の中を見学することもでき、ものの200年前に一攫千金を狙って鯨船に乗り込んだ男たちの匂いを嗅ぐことができる。ここはじっくり見れば半日時間を潰すことができる有用な施設であった。



④ホエーラーズ・イン
メインストリートの東外れにあるホエーラーズ・インは白とネイビー色のいかにも港のホテルといったデザインであり、そこで一泊することにした。1階はバーにもなっている。運よく予約もなく宿泊したが、120年の歴史がある人気のホテルだということだった。ミスティックシーポートや水族館周辺には多くの宿場があるが、ダウンタウンにはこのホテルしかないようなので、本気で泊まりたい独身日本式サラリーマン諸氏は予約した方がよいようだ。



 ミスティックの夜。通りは静かだがお店の中はどこも賑やかだ。イタリアンレストランやバーは暖かな人の輪で満たされており、30代独身日本式サラリーマンにお似合いなうらぶれた酒場はない。オイスター・クラブというお店に何とか入り、賑々しいバーのカンターで独りスマートフォンをいじりながらオイスターとハマグリを堪能しました。人生100年時代と言われている。歩けなくなっても、耳が聞こえなくなっても、お酒を呑めなくなっても、お金がなくなっても、記憶が薄まってきても、数少ない友が先に死んでも、それでも笑って過ごすには、もうきっと思い出し笑いしかない。たとえその瞬間がつまらなくても、老後に思い出して笑うために今のうちにできるだけ材料を記録しておくのだ。とはいえさすがに水族館は行けませんでした。

2018-04-13 02:00:30 | 生活
 畳とは日本固有の伝統的な床材である。昨今の日本の建築様式では和室の無い家も増えてきているそうだが、洋間ですらその面積を“〇畳”と表現するほど畳とは縁の深い生活をおくっている。ソファーやベッドと呼ばれる決められた範囲でしか横になれない西洋風の生活環境では、ぐうたら30代独身日本式サラリーマンは一人身でありながら居心地が悪く、気づかぬうちにストレスが溜まり、脱毛や倦怠、さらには不安症由来の夜尿・頻尿に悩まされる人もあるときく。実は筆者は早くから北米で畳を取り入れ積極的にゴロゴロするようにしてきた。そのため畳生活を当然のもの思っていたが、昨年ベイエリアからニューイングランドに転勤する際に引越業者から珍しがられたことから、“これは諸氏らに紹介できるな”と感じたのだ。そしてそれを今しがた思い出したのだ。


この畳の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①畳を購入する
畳を使う靴を履かない生活様式は西洋人にも注目されているようで、“TATAMI”と検索すると意外に多くの販売業者がヒットする。筆者はチョパ・ゼン・ホーム&ギフトという会社のサイトで1畳190ドル程度で4畳半購入した。京都府京田辺市の小林畳・ガラス店さんのサイトに依れば日本だとかなりの高級品につける値段であったため、期待に胸が膨らんだのを記憶している。


②畳が届く
長屋の3階に暮らしていた筆者の下に畳が届く。が、運送屋は上まで持ってきてくれない。40ドルを積んだが頑なに断られた。長屋の住民に不審な目で見られながら自力で畳を運ぶことになったが、その確かな重量感に本物の畳を感じ、期待に胸が膨らんだのを記憶している。


③畳
チョパ・ゼン・ホーム&ギフトのウェブサイトによれば畳は中国製であり、畳床は100%藁で発泡スチロール系の素材は一切使用していないとのことだ。畳表は青々としたい草が施されている。柔道場にあるようなポリマー製畳が届いたら自殺しようと考えていた筆者は一安心したのを記憶している。また底には湿気を防止するためか青いビニルシートが貼られている。


④畳を敷く
好きに敷けばよい。リビングに4畳半を敷き並べると意外に広く、い草の豊かな香りの中でゴロゴロを楽しむことができる。また4枚半の畳を積み重ね、その上でどっかりと胡坐をかいて、牢名主になった気分を楽しむのも一興といえる。フローリングの場合は畳の四隅に薄いゴム板などを敷いてすべり止めを施すのがよいようだ。使用するうちに畳表は穏やかな藁色になり、味わい深くなっている。




 中国や朝鮮半島には見られない日本固有の床材であるが、筆者の購入したものがそうであったように、近年は中国産のものが増えており国内い草の生産農家は20年前の半分以下にまで減少していると、タタミ・ショップオカベさんのホームページに記載されていた。品質の価値を理解せずにやみくもに安いモノを求める我々にもその原因があるのだろうが、文化財などとして保護されながら細々と伝統工芸のようになってしまうよりは、多少質が悪くともTATAMIの良さが世界に少しづつ理解され、永く残っていくことの方が価値があるのかも知れない。ケント・デリカットさんのアメリカの自宅には和室があり、ケントの母は畳が大好きで、近所の人を招いて和室パーティーを開いてはTATAMIの普及に努めたそうだが、孤独な30代独身日本式サラリーマンには布教活動はハードルが高い。せいぜいこうして誰も見ないブログにあげることくらいしかできない。