ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

サンノゼ日系アメリカ人ミュージアム

2021-08-06 10:07:59 | 生活
 サンノゼ日系アメリカ人ミュージアムとは、サンノゼ市のジャパンタウンにある日系アメリカ人の歴史文化をテーマにしたミュージアムのことだ。2021年7月の暑い土曜日、筆者はたまりにたまったビールの空き缶やマッコリの空きペットボトルをランチ・タウン・リサイクルセンターへ持ち込んだ。強い日差しの下でもランチ・タウン・リサイクルセンターは盛況だ。筆者は大柄の黒人女の後ろに並んで10分ほど待った後にプレス機にペットボトルを放り込み、慣れた体で換金所へ向かって8ドルの駄賃を手にした。思ったより大金が手に入ったことで、筆者は俄かに陽気になり、そのままサンノゼ日系アメリカ人ミュージアムを訪ねることにしたのだ。日本では東京オリンピックが無観客にも関わらずけっこうな盛り上がりを見せている。


このミュージアムの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①サンノゼ・ジャパンタウン
サンノゼ市にはジャパンタウンがある。それは19世紀後半、日本で言えば明治初期に希望を求め、勇気を持って太平洋を越えた日本人によって作られたコミュニティである。悲しいことに筆者のような30代独身日本式サラリーマン駐在員と、100年以上前に米国にやってきた人々との間にコミュニケーションは皆無である。それに移民の人々も2世・3世、さらには4世となり、自ずと人種の坩堝に取り込まれ、日本人としてのアイデンティは薄れているはずだ。しかしサンノゼジャパンタウンには少なからず日本カルチャーが生きづき、歴史を残そうとする人々の努力がこのミュージアムにある。その努力に応えられえるのは、実は筆者のような孤独かつ暇な30代独身日本式サラリーマンなのである。我らこそが微力ながら歴史を引き継ぐ、そういう強い思いで現地へ赴いた。



②ミュージアム~ロケーション・外観~
ミュージアムは五番通り沿い、ジャパンタウンのメインストリートであるジャクソン通りから少し南に外れた場所にある。建屋は日本建築風にしているが、比較的新しめの外観には何だかスーパー銭湯的な雰囲気が出てしまうのは仕方がない。隣接する駐車場の入り口のアスファルト舗装には色あせた女性の画が施され、『がんばろう日本』と日本語の台詞が書いてあった。震災の頃に描かれたものだろうか。正門の木製の荘厳な扉を開けば受付が二つある。ひとつはミュージアムショップのレジで、もうひとつが入館受付のようなレイアウトであったが、ミュージアムショップ側にしか係員がおらず、そちらで入館料を支払った。入館料は8ドル、ちょうどランチ・タウン・リサイクルセンターでもらった駄賃と同額なのにも縁を感じる。誰もいない入館受付窓口の下の小さな物置棚には“酒を飲む百姓男”の置き物があり、これがなかなか印象的であった。



③展示
展示内容の詳細をここでは述べない。大まかにいえば①ジャパンタウンでの人々の暮らし、②第二次世界大戦時の収容生活とニセイの人々の参戦。③強制収容に対する戦後の訴訟活動、④日系人の農業、⑤現代日系人芸術家の企画展などに分かれ、なかなかにボリューミーである。ただし展示は全て英語表記なので30代独身日本式駐在員には全て読み解くのは難儀する。特に二日酔いの土曜などは長い英語の説明書きを読む気は起らないので、どうしても素通りしがちな展示が増えてしまうのは仕方がなかろう。また、日系人とおぼしき身長の低い初老の方が展示のガイドを申し出てくれ、質問なども受け付けてくれる。



 先日筆者の職場にやってきた業者の男の名は『ナカシマ』であった。言われてみればアジア人の風貌があるが、ほぼ白人の彼は“先祖がいつ米国に来たのかは知らない”という。日系人の血は米国でそこまで広がりを見せているのだ。やってきた当時は政治的理由などから“帰化不能外国人”として欧米からの移民と区別され、厳しい差別や排斥も受けたことであろう。しかし勤勉で礼節を知る人々が地道に勝ち取ってきた環境が今に至る。筆者がこの国で気持ちよく暮らしているのも彼らのおかげなのだ。英語能力と二日酔いのせいで展示の内容を十分に理解することはできなかったが、当時のジャパンタウンでの移民たちの暮らしは思いのほか豊かに見えて嬉しいものだった。筆者はミュージアムショップで当時の生活写真を載せた20ドルほどの本を購入し、帰って読むことにした。

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