ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ハンコックスーパーマーケットで買える酒の肴

2021-05-31 23:49:49 | 食材
ハンコックスーパーマーケットで買える酒の肴


 ハンコックスーパーマーケットで買える酒の肴とは、韓国系のスーパー、ハンコック・スーパーマーケットで筆者が見つけた大変旨いつまみのことである。さて、そんなことより読者諸氏は、自分より年下の女性から下の名前で呼ばれた経験があるだろうか。最近筆者は20代中国人女性と仕事をしている。米国では至極当然のファーストネームでの呼びかけだが、経験のない筆者は、若いアジア女性から『かんち!』のように呼び捨てで呼ばれるとどうやらときめいてしまうようで、実は密かに恋をしている。不惑も近いというのにまったく情けないことだ。


この酒の肴の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①ハンコック・スーパーマーケット
エルカミノ通りのコリアンタウンにあるハンコック・スーパーマーケットは、外観はコンクリート製の古びた建屋だが入ってみるとなかなかどうして洗練されたコリアンスーパーで、安くて品揃えが豊富なので、筆者はしばしば利用する。漢字表記では“韓国超市”とあるので、“ハンコック”とは“韓国”のことのようだ。つまり韓国スーパーだ。米も韓国人向けのものは日本人向けより少し安いし、魚介が比較的豊富なのもありがたい。周辺の韓国人たちにも人気のスーパーのようで、休日は午前中の早い時間でないと駐車場が混雑している。



②干しイワシ
韓国スーパーの品揃えで特徴的なのは魚介類の乾物だ。小魚やイカタコなどの乾物が山のように積まれている。韓国の人々がこれらをキムチ作りに使うのか、スープを作るのか、ただの酒のつまみにするのかわからないが、筆者は『ただのつまみ』に使う。特に気に入っているのが小指ほどのサイズの干しイワシが袋詰めされた商品だ。サイズ感があるので、こいつをひとつかみ皿に並べると見た目はもう主菜だ。塩気が少なくイワシの旨味を感じられる。こいつをガンジガンジと噛みつつ、ビールや日本酒を飲むのだ。



③ホラ貝ワサビ
こいつが二つ目のヒット商品である。ホラ貝のワサビ漬けが、ちょうど居酒屋で出されるタコワサの分量ほどのプラスチック容器に入れて売られている。30代独身日本式サラリーマンに嬉しいお一人様サイズなのが高得点の理由のひとつだ。韓国からの輸入商品らしく、成分表示は全てハングルなので詳しい内容物は不明だが、味はいたって普通のタコワサのタコがホラ貝になったものである。ホラ貝は以前本ブログでも紹介したとおり、ヌルヌルの中にもしっかし歯ごたえのある楽しい食べ物で、これもよい酒のつまみなのだ。同じ商品でタコワサとカニ味噌があるが、筆者はいつでもホラ貝ワサを手に取る。




④マルトモのイカそうめん
大正7年に愛媛県伊予市で創業された海鮮加工品会社マルトモのいかそうめんが太平洋を渡りハンコック・スーパーの店頭に並んでいる。こいつがミツワなどの日本スーパーで見ることが少ないのに、ハンコック・スーパーでは常備されているのが不思議なのだが、とにかく旨い。醬油などつけなくてもイカの甘味が口いっぱいに広がって幸福に包まれる。また、備え付けのワサビが静岡の万城食品製であるのも嬉しい。上記のホラ貝わさびと同様で小ぶりのパックなので30代独身日本式サラリーマンに優しい商品でもある。



 以上の3つのつまみを並べてのんびりと飲酒を楽しむと、夢見心地の休日になるので是非ためしてみて欲しい。どの商品も糖分・油分は控えめで栄養豊富なので健康的でもあるだろう。ハンコック・スーパーには他にもニンニクたっぷりの韓国おつまみが豊富だが、中国女性に『臭い』と思われたくないので、最近はそれらを控えています。元韓国代表のサッカー選手安貞桓さんもかつて同僚から『お前はニンニク臭い』と言われて傷ついたそうですし、気を付けないと・・・

烏賊の煮汁でインスタントラーメンを味わう

2021-05-30 01:50:03 | 食材
 烏賊の煮汁でインスタントラーメンを味わうとは、烏賊の煮汁をインスタントラーメンに足すことで奇跡の旨味を作り出す所業のことを言う。30代独身日本式サラリーマンにとって、休日の昼飯や晩酌の〆などにインスタントラーメンは欠かせない。筆者は読者諸氏へ向けて美味いインスタントラーメンを紹介すべく、ことあるごとに目新しい商品を購入し続けているのだが、いかんせん失敗が多く、その処理に困っていた。そして“ふと”この手法を思いつき試すに至ったのだ。今回それを紹介しよう。


この技の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①烏賊の煮汁
烏賊の煮汁は小さい烏賊の丸煮を調理すればできる。小さい烏賊の丸煮は筆者の得意料理であり、これについてはかれこれ数年前に、“小ヤリイカ”というタイトルで本ブログに紹介している。この当時は米国でよく売られている小さな烏賊のことを勝手にヤリイカだと決めつけていたが、本当はよく知らないので今回は単に“烏賊”と呼ぶことにした。この小さい烏賊を何の処理もせずに鍋にぶち込んで、酒少々、醬油、砂糖と水で煮るとけっこう上等な酒の肴ができ、その煮汁には濃厚な烏賊の旨味が抽出されているのだ。これをインスタントラーメンに使う。



②烏賊の煮汁ラーメン 作り方
この煮汁をラーメン丼にあらかじめ大さじ3杯ほど入れる。本格的なラーメン屋も、たいていスープとは別に何か濃い液体を丼に入れているものだ。だからその真似をする。そしてインストラーメンのスープの粉の使用は7割程度に減らす。これは『不味い』ラーメンスープの味を薄める効果もさることながら、30代独身日本式サラリーマンの塩分過多を気遣った措置でもある。もうひとつ別の工夫として、麺を茹でる水(スープの水)に日本酒を混ぜてやる。これは“令和の道鏡”小室圭君にどことなく似ていると評判のイケメン料理人ユーチューバー、リュウジさんが紹介していた技であり、筆者独自のアイデアではない。



③烏賊の煮汁ラーメン 味
アジア系スーパーで購入し、『あ、失敗した。』と感じるインスタントラーメンのうち、海老味や帆立味といった海鮮系のものには、気味の悪い甘みや人口調味の風味が強いもの、また日本人に不慣れなスパイスが入るものが多い。そういったものにこの烏賊の煮汁ラーメンの技を適用すると非常に効果がある。もともとの海鮮スープに烏賊の出汁は違和感なく溶け込み、雑味を消しつつも深みのある濃厚な旨味スープへ変貌する。くわえて日本酒が烏賊の出汁に柔らかさを加えるので、スープに優しさを与えてくれるのだ。もちろんサッポロ一番などの安心安全の普通ラーメンにも烏賊の煮汁ラーメンの技は使えます。劇的に美味しさが増すので、皆さん是非とも試してみてくださいね。



 さて、筆者の長屋の近所に気が狂った黒人の女ホームレスがいる。気が狂っているので食べ物やお金を乞うことができない。だから乞食ではない。たくさんの何かを買い物カートに入れていつも喚いている。家はなく、夜はバス停の脇で寝ている。土曜の朝、ちょうど着古したトレーナーをグッドウィルに持ち込もうと思っていたものを、ふと思い立ってその女にあげようと思った。女はまだバス停の脇で寝ていたので、布団のわきにそっと畳んで置いてみた。午後になって買い物に出ようと車で表へ出たならば、その女がそのトレーナーを着て歩いていたので、筆者は『よかったよかった』と思い、その日はハッピーな気持ちで〆の烏賊ラーメンを啜った。

ライオン・スーパーマーケットで魚を素揚げする。

2021-05-23 22:46:25 | 食材
 ライオン・スーパーマーケットで魚を素揚げするとは、ライオン・スーパーマーケットで購入した鮮魚を、その場で素揚げしてもらうことをいう。30代独身日本式サラリーマンは料理が嫌いなわけではない。とはいえ仕事から疲れて、腹を空かせて帰ってくる場合には料理は面倒である。だが出来合いの食い物は食べたくない。短い夜を旨い魚を食べながらゆっくりと楽しみたい。30代独身日本式サラリーマンはわがままなのだ。そんなときにはライオン・スーパーマーケットで魚を素揚げするのが良いようだ。今回はそれを紹介します。


この素揚げの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ライオン・スーパーマーケットで魚を買う
ライオン・スーパーマーケットでは魚や甲殻類などが丸ごと一尾、ぎっしりと敷かれた氷の上に置かれて売られている。可愛らしいライオンが描かれた赤いキャップが似合わない中年アジア人(もしくはメキシコ人)店員に欲しい魚を伝えると、彼らは『どうするのか?』と調理方法を尋ねてくる。このとき①頭を落として内臓を取り除く、②頭は残し内臓のみ取り除く、③内臓を取り除いてカットする、④内臓を取り除いて軽めの素揚げにする、⑤内臓を取り除いてしっかり素揚げする、の5つの調理方法を選択するのだ。どれも追加料金はかからないが、大量の魚の調理を依頼した場合はチップを払う方がよいだろう。とはいえ30代独身日本式サラリーマンは大量に魚を買うことはない。



②素揚げの注文
筆者はこれまで素揚げを注文したことはなかった。魚の素揚げが筆者にとってあまり慣れない調理法であったこともあるし、きっとずっと同じ油を使っているに違いないので何だかイヤだったのだ。だが素揚げを注文する人は少なくなく、何か新しいことを始めたい気分でもあったので挑戦したのだった。揚げて美味いのはカレイのはずだから、カレイを丸ごと一尾、『しっかり素揚げ』をお願いした。素揚げを注文すると、番号の書かれたチケットを手渡される。弁当屋でから揚げを揚げるような四角い金属の調理器に油がたっぷり入っていて、そこにちょうどおさまる四角いザルに内臓を取った後のカレイを入れて沈めると、『ジュワジュワー』と音を立てる。店員は“しっかり”と“軽め”をきちんと区別しているようで、タイマーで時間を設定してから揚げ始める。


③素揚げを受け取り、持ち帰って食べる。
店員は揚げ終わった魚をアルミホイルに包み、さらにビニル袋に入れて手渡してくれる。このときさっきの番号札で商品の確認をするのだ。ホクホクの魚を急いで持ち帰ってさっそく食べる。これが悪くなかったのだ。しっかり揚げられたカレイはヒレや骨もパリパリと香ばしく食べられる。身はホクホクだし、運が良ければ卵を孕んでいて、これがまた美味いのだ。酒が進む。カレイ1尾は一度では食べきれないので、残りは冷蔵庫に入れておき、翌日にレンジでチンして食べる。油ギトギトで不味くなるかと思いきや、衣無しの素揚げだからかそこまで劣化せず、パリパリ部分はパリパリのまま食べられる。




 “これは新発見だ”と思い、他の魚でも試してみようと赤いシャクレの酷い深海魚を買いに行った。このとき事件が起きた。番号札をよく確認せずに持ち帰ったため、帰って開けてみると全く違う魚(ティラピア)が入っていたのだ。商品を引き取るときには必ず番号を確認したい。さもないと自分だけでなく、他の客の心を傷つけることになる。自分が頼んだはずのティラピアがなくなり、代わりに真っ赤なシャクレの素揚げを渡された人の気持ちを思いながら、ティラピアを頬張った。ティラピアよりはカレイの方が素揚げに向いています。30代独身日本式サラリーマンは挑戦してみてください。

メイプル寮

2021-05-02 00:37:24 | 生活
メイプル寮とは、筆者が過ごしていたとある地方都市にある大手予備校の寮のことだ。筆者の田舎にはローカル予備校しかなく、そこで高校時代と変わらぬメンバーと共に高校4年生のような1年を過ごすことに不安があったために両親に願い出て、この地方都市の大手予備校へ行くことを許してもらったのだ。そしてメイプル寮に入った。新幹線の車窓からこの寮を見ることができたので、何とか1年で浪人生活を脱却した後も帰郷の度に、『あ、メイプルまだある』などと思っていたが、いつからか無くなってしまっていた。少子化や情報通信化の影響だろうか。今日はそんな浪人生活を終えて二十年近い週末の昼下がり、その頃の思い出を身バレしない程度で書いていこうと思う。




メイプル寮の思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①寮のシステム
寮は6階建てで、屋上は洗濯物が干せるようになっていた。入り口は診療所のようなガラス扉になっていて、そこを入ると右手に受付のような窓口があり、寮長か寮母がいる。正面には寮生全員のプラスチック製の名札がぶら下げてあった。名札の表は黒字、裏は赤字で名前が書いてあって、これを外出するときは赤にして、帰ってくると黒に戻すシステムである。門限は午後8時だったと思う。と言うのも、午後8時になると寮内に放送が流れ、寮母が優しい声で『はい、八時です。八時になりました。』と言うからだ。2階から6階まで浪人生でぎっしりで、合計100人以上の浪人生が居たのだが、入寮から早いうちに何となくグループが出来上がってしまい、それに乗り遅れると輪に入るのは難しい。筆者は運よく比較的大きな輪に入ることができたので、わびしい思いはせずに済んだ。



②寮長・寮母
寮長と寮母は受付と繋がる1階の部屋で暮らしていた。寮長は姿勢のいい痩せた男で、掘りの深い顔をしていた。当時彼は喉頭がんか何かの手術後だったのか、始終マスクをしていてうまく言葉を喋れなかったのだが、それでも明るくよくしゃべるので、言っていることが判らずに戸惑うことがあった。寮の部屋には電話がなく、携帯電話の所有率もまちまちだった当時は、両親からの電話は寮本部にかかってくる。それが各階の洗濯室にある電話に転送されるのだ。その転送を知らせる放送が、。『206、タカハシ、電話!、206、タカハシ、電話!』と、寮長のフガフガ声で寮内に流れるので、『あ、またタカハシは親から電話だな』とわかるのだ。寮母はフランスパンが似合うジブリ映画に出てきそうな優しい雰囲気の女性で、“若いころは美人だったに違いない”など言う人もあった。




③かまど屋
寮の玄関を出て左手の細いビルの1階はかまどやだった。駅前の人通りの多い場所から随分と離れて、立地はよくないはずなのだがそこそこ客がいたようだ。そこでは40代位の苦労人風の女性が一人で働いていたのが記憶にある。今はこのかまどやもなくなってしまっている。



 ある夏の日の夕暮れ時に、予備校の夏期講習からの帰り道、寮の正面にある公園で夏祭りの準備をしている人々に出くわし、どういう訳だかその盆踊りのリハに加わって踊ったことがあった。ほとんど仕上がった祭りの会場で、数人の祭り関係者と浪人生のみで踊り狂い、妙な夢心地になっていた。浪人の不安や童貞の苛立ち、夏の匂い、薄暗さ、そんなものも影響したのだと思う。最後にはすっかり祭り関係者の人たちと打ち解け、『明日の本番も踊りに来て』と言われたのだが、筆者はそれには行かず、部屋でベットに寝転んで祭りの音を聴いていた。あの町内の祭りは今でもやっているのだろうか。