ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

たかし歯科

2021-08-30 04:08:53 | 生活
 たかし歯科とは、ベイエリアにある歯医者のことである。日本人の“たかし先生”が直接治療にあたってくれるため、筆者の務める会社の駐在員はたいていここを利用している。一部に“タカハシ歯科”と勘違いしている人がいるのだが、先生の苗字はタカハシなどではない。筆者は高校卒業とともに歯の矯正治療を放っぽりだして以来、歯科には近づかずに生きてきた。しかし左上あごの親知らずが欠け、舌の感触で歯の真ん中にポッコリと穴があるのがわかるほどになり、そこに食いカスがたまって定期的に炎症を起こすようになったので、ついに歯医者へ往く決断をしたのだ。2021年の夏の記録である。



この抜歯の記録は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①2021年夏のたかし歯科
たかし歯科は朝の7時40分から開院しているので、働き盛りの30代独身日本式サラリーマンにはありがたい。予約をとった平日の朝にビルの3階にあるたかし歯科を訪ねたらば、まずは入口でビニル足袋、ビニル手袋、エプロンを着用する。治療台に上がる際には帽子に保護メガネまで着用と、徹底した飛沫対策が取られていた。実際に治療に当たる人々もまさに完全防護であり、頭部をすっぽり覆う保護帽からはホースが延びていて、背中の空気供給ボンベ(のようなもの)に接続してある。それを見た筆者は地下鉄サリン事件で地下鉄霞ヶ関駅へ降りていく防護服をまとった人々のことを思い出した。



②アメリカ式歯の治療
アメリカ式歯の治療は日本とは異なり初診はクリーニングと検査で終わってしまう。それは半年に一度のクリーニングと検診に保険が適用されるために、多くの人がそれを利用して、その時に治療の有無を判断するからだ。筆者はてっきり、『今日はどこが悪いのですか?』『はい、実は右奥の歯が先日欠けまして、それ以来時折痛むことがあるのです』『どれどれ・・ややっ。これはさっそく抜きましょう!』といったやりとりがすぐに開始されるものと思っていたのでやや拍子抜けした。しかしながら筆者はそのクリーニングと検査にて目的の親知らず以外にも虫歯を発見されてしまったために、合計3回もたかし歯科へ足を運ぶ羽目になったのだ。




③たかし歯科の人々
たかし歯科の人々はみな優しい。初診のクリーニングを担当してくれた歯科助手の方は日本人女性で、機械音に怯える筆者に“にぎにぎクッション”を手渡してストレスの低減をはかってくれた。クリーニング中、この人は明るく語りかけてくれるのだが、口を開けたままでは上手に返事ができないので困惑した。どことなく不安げな顔をした中国系と思しき歯科助手の方もとても気遣いが丁寧で安心する。もうひとり、防護服の所為でことさらに大柄に見える女性歯科助手の方もおり、この人もたいそう明るく、甘いものが好きだと言ってユーモラスに接してくれる。



④たかし先生
だが一番優しいのはたかし先生だ。たかし先生のお陰で勇気をもって抜歯することができた。 ただ、“はい、今からちょっと注射打つけどごめんね、大丈夫だよ”“はい、今から引っ張ってみるからね、痛かったら手を挙げてね”“最後ちょっと力入れるよ、もう出てきてる”とあまりに丁寧でこまめなインフォームドコンセントが災いし、“あ、これから痛いことが始まる”と明確に判ってしまうことで恐怖感が募り、痛みを錯覚させている可能性がある。



 恐怖の抜歯作業の間、筆者はえずいたり、麻酔の追加を要求したりとたかし先生を困らせたのだが、作業は20分程度で終わってしまった。『よく頑張った!』そうたかし先生に褒められたので、『いやいや、お恥ずかしいところを見せてしまい・・』と答えると、『大丈夫!そんなことない!みんな同じだよ!』とさらに励ましてくれた。“あぁ、これでたかし歯科ともおさらばか”と思うと少し寂しい気がしたものの、支払時に受付の女性に『えっと・・次の予約はいつにしますか』と聞かれたときには、『いや! もう来なくていいはずだが!』と強い口調で言ってしまった。『あ、治療ではなく半年後のクリーニングの予定ですが・・・』と冷静に返されたので恥ずかしかった。さて、痛み止めや化膿止めを処方してもらったおかげかその後の痛みは全くなく、その日も普通に職場へ行き業務をこなしました。ベイエリアで歯の不安に苛まれている30代独身日本式サラリーマンは参考にして欲しい。

ロス・ガドス・メモリアルパーク

2021-08-23 01:12:30 | 生活
ロス・ガドス・メモリアルパーク


 ロス・ガトス・メモリアルパークとは、ロス・ガトス市にある公共霊園のことである。ニンゲンは他の地球生物とは違い、同胞(あるいはペット)の死体を放っておくことができないために、世界中の町には必ずといっていいほど墓地がある。さらにニンゲンは、その墓には死者の『魂』みたいなものが残っていると考えるために、墓を訪れ花を手向けたりするのだ。“知らない町へ来たならば、まずは市場か墓を訪ねるのがよい”と言った高名な文化人類学者がいるように、町のことを知るには墓を訪ねるのは有効である。筆者がときどき墓を訪ねるのも同じ理由があるが、その他には①暇である、②たいていの墓地は散歩に適する、というのがある。日本は引き続き謝罪ブームが続いており、最近ではメンタリストのダイゴさん、『喝』の張本さん、そして『おみゃー』の河村たかしさんらが謝っている。



この公共霊園の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ロス・ガドス
ロス・ガドスはサンノゼ南の低い山の中腹にある町で、町並みは割と富裕層の雰囲気を持つ。サンタ・クルス通りに並ぶレストランは何となく白人が好みそうな高級っぽい店が多いし、30代独身日本式サラリーマンの筆者が住むエリアに見られる乞食たちを見かけることもなさそうだ。ウィキペディアには2010年の国勢調査結果が載っている。それによればロス・ガトス市の人口構成の80%が白人と、サンノゼ市とはほぼ真逆の構成であるとことからもそういった事実が見て取れる。“ロス・ガトス・メモリアルパークにも町の経済状況や人種構成が表れているに違いない”そんなことを思いながら現地へ向かってみた。



②ロス・ガドス・メモリアルパーク
アラメダ通りに面したゲートから公園内へ入るときれいに整備された庭園風景に目を奪われる。正面には葬儀などを執り行う建屋があって、その前に数台分の駐車スペースがあった。まだ葬儀には朝早いため駐車場はガラガラで、そこに車を停めて建屋の周りに広がる霊園を反時計回りに散策してみた。芝生が敷かれた園内はところどころ彫刻やドーム型のオブジェなどで飾られており美しく明るい雰囲気で、幽霊などは出そうにない。そして公共の霊園といえどもベトナム系や韓国系といった人種で墓石エリアで分かれていたり、同じ西洋名の故人でも墓石の形状がエリアによって異なっていたりするので、人種や宗教によってある程度の区分がなされているようだ。また、最近の墓石には故人の顔写真を張り付けてあるタイプが多く見られるのも面白い。

③ユダヤ教の人々の墓
霊園の右奥のエリアは六芒星をかたどった門構えがあることから、ユダヤ教徒の人々のエリアだということがわかる。シンプルな墓石にも六芒星や蝋燭立て(メノーラー)といったユダヤを象徴する模様が施されている。さらに面白いことに、自転車や楽器・ゴルフクラブなど、故人の生前の趣味と思われる絵がシンプルに墓石に描かれているのも特徴的だ。偶像崇拝を行わない宗教からか、顔写真入りの墓石が見られないのも興味深い。このユダヤタイプの墓石は園内でもけっこう多くの面積が確保されているので、ロス・ガドスにはユダヤ人が多いのかもしれない。



④幼くして亡くなった人の墓
幼くしてなくなった方の墓石は日本と同様に小さく、そして白い石が使われている。



⑤大田亀吉氏とその家族の墓
霊園の左奥には日系人の墓を数体見つけることができた。西洋風の墓石にしっかりと日本人の苗字がアルファベットで記され、中には家紋が彫られたものもある。眠る人の生まれた日や亡くなった日を確認すると、概ね20世紀前半に生まれた人々であることから、所謂二世の人かと思われる。そしてOTA Kamekichiさんとその妻Haruさん・娘Matsuyoさんの墓石の裏面には彼らの本名と故郷が漢字とカナで記されており、これが筆者の故郷と非常に近いものであったために少し縁を感じたのだ。ハルさんとマツヨさんはまだ若い時分に同じ年(1927年)に亡くなっており、亀吉さんは1879年生まれで二つの大戦を生き抜き、1952年に亡くなっている。



 ニンゲンは墓に死者の『魂』みたいなものが残っていると考えるために、筆者はやや心を動かされた。長屋へ戻り、大田家の故郷の町のホームページに一応情報を送ってみることにした。『遠く離れたアメリカでそちらの町の方のお墓を見つけました。私も近い出身地であることから縁を感じ、“万一誰かがお探しの人がいたなら・・”と思い連絡したまでです』と書き添えた。今のところ返事はない。日本はコロナウィルスデルタ株の感染者が急増していて、今年も里帰りできない人々が多くいるそうだ。筆者もずいぶんと長く地元の墓参りができずにいる。“帰らないのが普通になる前に、一度帰っておきたいものだ”大田家の人々のお陰でそう思ったのだった。

ジュバ・ソマリ・レストラン

2021-08-14 22:38:58 | 食事
 ジュバ・ソマリ・レストランとは、サンノゼ市にあるアフリカレストランである。その昔トロント市を探訪した際に、夜遅くに空腹に耐えきれずたまたま駆け込んだ食堂がソマリアレストランだったことがある。そのとき顔の大部分を隠した女性店員の美しさや料理の味にたいそう感動したのだが、いかんせん突発的な出来事であったために記憶があいまいなのだ。最近そのことをふと思い出し、グーグルマップでアフリカ料理を調べていたところ、ベイエリアで唯一のソマリアレストランが比較的近所に見つかったので早速出かけてみることにしたのだ。2021年7月の終わり、日本ではメダルラッシュの盛況と医療崩壊の不安が四つ相撲を続けている。


この食堂の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ソマリア
ソマリアとはアフリカ大陸にある国である。地図でその位置を確認すればアフリカ大陸の東端に位置し、紅海のアラビア海側出口に面しているため、地政学的には交通の要衝都市として発展しそうな場所である。しかし残念ながら90年代に始まった内戦以来政治的な不安定が続き、世界でも最貧国・最も治安の悪い国としてランク付けされる。そのため昨今は交通の要衝であることがかえって海賊出没問題につながってしまっているそうだ。ウィキペディアによればソマリア国内には6つの構成国があって、北端のソマリランドは事実上独立しているのだという。しかしそれでも2020年東京オリンピックには男子陸上と女子ボクシングで二名の参加があり、筆者はやや嬉しく思ったのだ。



②ジュバ・ソマリ・レストラン 立地
ジュバ・ソマリ・レストランはサンノゼ市の南端の87号と85号が交わるあたりにあり、ライトレールのオーロン/チノウェス駅ロータリーに面した建屋に入っている。筆者が訪ねるのはたいてい週末だからだろうか、この駅は閑散としており駐車場もガラガラだ。建屋には駅前ビルらしく時計台があり、ジュバ・ソマリ・レストランの店舗はちょうどその時計台の下のテナントで、円形上のつくりが珍しい。店舗前の広い歩道に敷かれた点字タイルが非常に細いのも印象的だ。



③ジュバ・ソマリ・レストラン 雰囲気
ジュバ・ソマリ・レストランはネット上では概ね“ジュバ・レストラン”と呼ばれているので、すぐにソマリアレストランとは気づけない。だが正式名称はジュバ・ソマリ・レストランだし、注文カウンター脇の壁には水色に白い星をかたどったソマリア国旗が掲げられているので、確かにソマリアン・フードのお店だ。注文カウンターに立つ女は顔をほとんど隠している。それは最近流行りの顔を全部出す女より圧倒的に美しい。その美しさは本当に圧倒的なので、筆者は近いうちに女は“美しさ”を求めて顔を隠し始めるのではないかと思ってしまうほどだ。円形の建屋にそった客席テーブルはコロナウイルスのために閉鎖され、現在はテイクアウトのみになっている。だがムスリム国家だけに酒類の提供は当然ないので、30代独身日本式サラリーマンはいずれにせよテイクアウトして家で酒とともにソマリアン・フードを楽しむことになるだろう。



④ジュバ・ソマリ・レストラン 料理
メニューは豊富に見えるがどれも基本的には肉と野菜の炒め物である。肉の種類(鳥・ビーフ、ヤギ)と、それをライスに載せているか、“ケイケイ”という名のホウトウのような米風のパスタと和えているか、はたまたクレープのような生地で巻いているかの違いでしかない。しかし美味である。隣国のエチオピア料理とは違って珍妙なスパイスは少なくて食べやすいし、黄色いライスなどはインド料理に近い雰囲気を持つ。コショウがきいて安定しているし、肉がしっかりとグリルされているのも嬉しい。サイドメニューの小さなパンやミートパイなどもすこぶる美味で、ビールとよく合う。最近は他の食堂に行くのが馬鹿らしいほどこのお店に夢中である。店員の女性が美しいし。




 付近はアフリカンのコミュニティがあるのかも知れない。注文を待つ間に入った隣りのテナントのコンビニには少なからずアフロテイストの商品が並んでいたり、通りでは細いアフロ少女がふたり並んでテクテクと歩いているのを見たりする。さて、東京五輪の男子マラソンの銀メダル(オランダ)と銅メダル(ベルギー)の選手は、共にソマリアからの難民の人だということで、レース中に励まし合う二人の姿が今回の五輪のメモリアルな出来事のひとつとして取り上げられている。筆者もそれなりに感動しましたし、オリンピックが国単位で競い合うこともこれから議論されることになっていくかも知れないとも思いましたが、まずはソマリアの志ある人たちが、“彼らを母国代表として出場できるようにしなければ”と立ち上がって政治的安定を目指せるきっかけになればよいと思いつつ、ケイケイを頬張ったのだ、ビールをごくごく飲みながら。

ジャックダニエル・ライ

2021-08-09 00:54:32 | 食材
 ジャックダニエル・ライとは、テネシー州に本社を置く酒造メーカーのジャックダニエル社が作るライ麦ウィスキーのことである。筆者がカリフォルニアに舞い戻ってからというものの、酒関連の記事がめっきり減っていることに気が付いている読者もいるのではないだろうか。理由はごく単純で、『ビールが安い』からである。特に日本のメーカーのビールはアジア系スーパーマーケットに行けば一缶1ドル未満で購入できる。そのため他種の酒を探検・発見する気持ちがやや失せていたのだ。しかれども、久方ぶりに西海岸に戻った筆者の健康診断の結果が芳しくなかったため、これ以上のメタボリック、それに糖尿や脂肪肝防止のため再び蒸留酒生活への移行を試みている。そこでコネティカット時代からの密かな愛飲酒であったジャックダニエル・ライ麦ウィスキーの出番となったという訳だ。


①ライ麦
日本人なら誰でもライ麦に惹かれる。サリンジャーの小説の所為だろうか、日本人はその魅惑の響きに何だかお洒落なような、青春のような、そんな匂いを感じ取ってしまうようだ。インターネットで“ライ麦パン”を検索すれば、意識高い風の女たちの記事が腐るほど出てくる。だがライ麦はコムギパンに比べて食感が固く味もよくないとのことで基本はコムギに取って代わられており、東欧地域などの一部の寒冷で痩せた土地で仕方なく生産されているという現実だ。とはいえウォッカやウィスキーの原料としては積極的に利用されているようで、このライ・ウィスキーも一部の愛好家には根強い人気があるということだ。アメリカの酒屋には今回紹介するジャックダニエル・ライ以外にもたくさんの種類のライ麦ウィスキーが並んでいる。



②ジャックダニエル・ライ
ジャックダニエル・ライは日本で見る黒ジャックダニエルと同じかたちの角ばった瓶に、ベージュと緑色を基調とした装丁ラベルがライ麦っぽさを醸し出して具合がよい。実はアメリカには“連邦アルコール法”というものがあり、麦芽液(マッシュ)の51%以上がライ麦で作られているウィスキーのことを“ライ・ウィスキー”と称してもよいと規定されている。また、バーボンと同様に内側を焦がしたオーク樽で2年以上の熟成が義務つけられているとのことだ(以上、ウィキペディアより)。ラベルの説明書きによればこのジャックダニエル・ライは、70%をライ麦から取っている。ラベルにはさらに“職人の手で丁寧に選別されたライ麦をサトウカエデの炭でろ過されたのちに樽詰めされた、極上のウィスキーである”との口上書きが記載されている。




③ジャックダニエル・ライ 味
筆者は苦くてスモーキーな風味のウィスキーが好みなので、このジャックダニエル・ライの味は気に入っている。夏場なのでセイフウェイで缶入りの炭酸水を買ってきてハイボールにして飲む。炭酸多めでゴクゴクガブガブ飲めばとてもすっきりとした味わいで、口の中に樽の香りが残るのが気持ちいい。炭酸少なめにしてちびちび飲んでも甘すぎず、まったり感が薄いのでしつこさがなく飲み続けられ、何より料理の邪魔にならないのがよい。そしてライ麦ウィスキーを飲むことで、“通”な大人になった感が満喫でき、誰かに『私は最近はライ麦ウィスキーばかり飲んでいます』と言いたくなる点もおすすめだ。



 さて、ネット上の評価によればジャックダニエル・ライはライ・ウィスキーとしてはスパイシーさに欠け、ジャックダニエル独特の製法により甘みがついてしまう点で、本来のライ麦らしさが薄れ、いわゆる“軟派”なライ・ウイスキーとのことだったので、いささかショックを受けたところだ。東京オリンピックが閉会式を迎え、開会式での謎の演出で登場し話題をさらったなだぎ武さんのいわゆる“伏線回収”があるのでは・・と期待していたネット民らは少なくなかったようだ。だが期待に反してなだぎさんは現れず、ネット界では何となく“なだぎロス”が起きているのが可笑しかった。テロや災害が起こらずに終わってよかった。パラの方にもドラマを期待します。

サンノゼ日系アメリカ人ミュージアム

2021-08-06 10:07:59 | 生活
 サンノゼ日系アメリカ人ミュージアムとは、サンノゼ市のジャパンタウンにある日系アメリカ人の歴史文化をテーマにしたミュージアムのことだ。2021年7月の暑い土曜日、筆者はたまりにたまったビールの空き缶やマッコリの空きペットボトルをランチ・タウン・リサイクルセンターへ持ち込んだ。強い日差しの下でもランチ・タウン・リサイクルセンターは盛況だ。筆者は大柄の黒人女の後ろに並んで10分ほど待った後にプレス機にペットボトルを放り込み、慣れた体で換金所へ向かって8ドルの駄賃を手にした。思ったより大金が手に入ったことで、筆者は俄かに陽気になり、そのままサンノゼ日系アメリカ人ミュージアムを訪ねることにしたのだ。日本では東京オリンピックが無観客にも関わらずけっこうな盛り上がりを見せている。


このミュージアムの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①サンノゼ・ジャパンタウン
サンノゼ市にはジャパンタウンがある。それは19世紀後半、日本で言えば明治初期に希望を求め、勇気を持って太平洋を越えた日本人によって作られたコミュニティである。悲しいことに筆者のような30代独身日本式サラリーマン駐在員と、100年以上前に米国にやってきた人々との間にコミュニケーションは皆無である。それに移民の人々も2世・3世、さらには4世となり、自ずと人種の坩堝に取り込まれ、日本人としてのアイデンティは薄れているはずだ。しかしサンノゼジャパンタウンには少なからず日本カルチャーが生きづき、歴史を残そうとする人々の努力がこのミュージアムにある。その努力に応えられえるのは、実は筆者のような孤独かつ暇な30代独身日本式サラリーマンなのである。我らこそが微力ながら歴史を引き継ぐ、そういう強い思いで現地へ赴いた。



②ミュージアム~ロケーション・外観~
ミュージアムは五番通り沿い、ジャパンタウンのメインストリートであるジャクソン通りから少し南に外れた場所にある。建屋は日本建築風にしているが、比較的新しめの外観には何だかスーパー銭湯的な雰囲気が出てしまうのは仕方がない。隣接する駐車場の入り口のアスファルト舗装には色あせた女性の画が施され、『がんばろう日本』と日本語の台詞が書いてあった。震災の頃に描かれたものだろうか。正門の木製の荘厳な扉を開けば受付が二つある。ひとつはミュージアムショップのレジで、もうひとつが入館受付のようなレイアウトであったが、ミュージアムショップ側にしか係員がおらず、そちらで入館料を支払った。入館料は8ドル、ちょうどランチ・タウン・リサイクルセンターでもらった駄賃と同額なのにも縁を感じる。誰もいない入館受付窓口の下の小さな物置棚には“酒を飲む百姓男”の置き物があり、これがなかなか印象的であった。



③展示
展示内容の詳細をここでは述べない。大まかにいえば①ジャパンタウンでの人々の暮らし、②第二次世界大戦時の収容生活とニセイの人々の参戦。③強制収容に対する戦後の訴訟活動、④日系人の農業、⑤現代日系人芸術家の企画展などに分かれ、なかなかにボリューミーである。ただし展示は全て英語表記なので30代独身日本式駐在員には全て読み解くのは難儀する。特に二日酔いの土曜などは長い英語の説明書きを読む気は起らないので、どうしても素通りしがちな展示が増えてしまうのは仕方がなかろう。また、日系人とおぼしき身長の低い初老の方が展示のガイドを申し出てくれ、質問なども受け付けてくれる。



 先日筆者の職場にやってきた業者の男の名は『ナカシマ』であった。言われてみればアジア人の風貌があるが、ほぼ白人の彼は“先祖がいつ米国に来たのかは知らない”という。日系人の血は米国でそこまで広がりを見せているのだ。やってきた当時は政治的理由などから“帰化不能外国人”として欧米からの移民と区別され、厳しい差別や排斥も受けたことであろう。しかし勤勉で礼節を知る人々が地道に勝ち取ってきた環境が今に至る。筆者がこの国で気持ちよく暮らしているのも彼らのおかげなのだ。英語能力と二日酔いのせいで展示の内容を十分に理解することはできなかったが、当時のジャパンタウンでの移民たちの暮らしは思いのほか豊かに見えて嬉しいものだった。筆者はミュージアムショップで当時の生活写真を載せた20ドルほどの本を購入し、帰って読むことにした。