ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

イースト・シエラ・ネヴァダの旅

2024-06-17 01:14:57 | 生活

イースト・シエラ・ネヴァダの旅とは、シエラ・ネヴァダ山脈の東側を辿る旅のことで、2024年のメモリアル・デーホリデー連休の2日目に筆者が敢行したドライブ紀行の記録である。アルバート・オオクラさんの尽力で残された、サン・ベルナディノのマクドナルドの1号店跡に立ち寄ったのち、筆者は今回の旅の目的地へ向けて395号線を北上した。それは乾いた低草がまばらに茂る砂漠の道だ。

 

この旅の記録は以下のとおりだ、参考にしたもらいたい。

 

①395号線の景色

しばらく砂漠を走ると景色はだんだんと山がちになってくる。通る車も少ない。地殻の変動で南北方向に隆起した火山由来と思われる岩々が荒々しく、その色も黒々した濃いものが多いため、砂漠と相まって荒涼感を増していく。そして西側にはシエラネバダ山脈の急峻な雪山が姿を見せる。シエラネバダ山脈はその東側の断層を境に隆起しているため、東側の方がはるかに傾斜が大きい。そのため山が近く、たいへんな迫力がある。道路のところどころに休憩所が設けられているので、立ち寄って景色を楽しんだり、小石に触れたり、トイレを済ませたりしながらいく。

 

②グレート・ベイジン

さらにしばらく行けば、湖が見られるようになる。このエリアは“グレート・ベイジン”と呼ばれる大きな盆地帯の南端部で、山々から流れてきた水は湖に留まり海洋へ到達しない。ロスからサン・ベルナディノへのドライブで、山を下る巨大なパイプ・ラインが見えたのは、このグレートベイジンに留まる水を強制的に都市へ供給する設備だったようだ。その施設の建設に際して、“カリフォルニア水戦争”呼ばれる、湖周辺の農業従事者と水道敷設業者の間で争いがあったようである。ロスで泊ったホテルのシャワーの水量の豊富さに驚いたが、そのような経緯があるようだ。

 

③マンザナール収容所

今回の旅の目的地はマンザナール収容所であった。太平洋戦争中、この荒涼とした場所に1万人もの日系アメリカ人が、日系という理由だけで収容されていた。施設は当時の様子がよく再現されている(よう)だし、資料館は立派なものだ。大変な人権の侵害であったのは確かだが、その目的は民族浄化のようなものではなかったようだ。特に嬉しかったのが、多くの人がこの施設を訪ねているところだ。白人の親子も多くいた。トルコから来たという女性が、“このような事実は初めて知った”と熱心に学芸員に質問をしているのを見た。終戦後も財産を失い行くあてのない人はこの地に残り、この地で亡くなった人もあるという。筆者はシエラ・ネヴァダ山脈をバックにする慰霊碑に手を合わせた。

 

マンザナールから395号をさらに北上すれば、登山やスキー客のキャンプ地のような様子の町が増えてくる。筆者はビショップという町に宿をとっていた。それは“山谷YAMATANI”という名の立派な日本料理屋を見つけていたからだ。夕日がシエラネバダに沈む様子も見られるだろう。イースト・シエラ・ネヴァダのドライブは、なかなか楽しいのでお勧めです。