ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

サンジュアン・バティスタからサリナス

2021-06-27 09:02:40 | 生活
 サンジュアン・バティスタからサリナスとは、2021年の初夏に筆者が行ったドライブのことである。米国はワクチンの接種率が進んだこと、それに感染が広がって集団免疫が進んだこともあるのか、コロナウイルスの被害が減少方向にあり、カルフォルニア州ではコロナに関する規制はほぼ撤廃になったという。マスクを着用しない人も目立ち始めた。筆者も暇な休日には外出する気分になってきた。そこでなんとなくグーグルマップを眺めていたら、ベイエリアの南方に“サンジュアン・バティスタ”という長たらしい地名の小さな町があったので、行ってみることにした。



このドライブの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①サンジュアン・バティスタに着く
カリフォルニアの青い空の下、101号線を南に向かい、ギルロイを通り過ぎてしばらく行けば156号線と接し、それを少し東進するとサンジュアン・バティスタの町に着く。筆者のサンノゼの長屋からだと小一時間のドライブだ。サンジュアン・バティスタの町は低い乾いた山に囲まれた盆地にあって、長閑な雰囲気だ。筆者は路地に車を停めて散歩を始めた。



②メインストリートを歩く
この町の歴史は古く、18世紀末にスペイン人カトリック宣教師がネイティブアメリカンの人々への布教のために教会を建てたことから始まったそうだ。その教会はメインストリートの隣の通りに遺っており、それがちょっとした観光地になっている。そのためメインストリートにも古い町並みが残され、南欧風のアーチ形状が目立つ家屋や瓦屋根が施された邸宅と、西部劇に出てきそうな木製の家々が混在し、そこにはアンティークや雑貨屋などのテナントが入っている。ガス灯風の街灯や樽をあしらったゴミ箱など細部にも雰囲気作りがなされ、ところどころにある空地にはサボテンが茂り、パンパンに張ったそのつぼみから今にも噴火しそうな様子で花が咲きかけている。とても雰囲気のある通りだ。この日はまだ店が開店するかしないかの時間帯で通りは静かだった。ただ、メキシコ料理屋の前にはハーレーダビッドソンがずらりと停めてあって、大勢のアメリカ式バイク野郎たちが朝食を食べていた。



③メインストリートをさらに歩く
とはいえそんな観光客相手のメインストリートも数ブロック程度しかないのですぐに歩き終わる。筆者はストリートのはずれにあるTHRIFTSTOREを覗いてみた。古い馬の鞍や家具など面白い商品があったが、特に何も買わずに店を出て再びメインストリートを歩く。通りのひときわ立派な石造りの建物には『田舎』という名の日本料理屋が入っていた。あいにく店はまだ準備中だったため、中の様子を見ることはできなかったけれど、窓の近くに胡蝶蘭が飾られていたりと比較的高級店のように思われる。貼られたメニューは豊富で、こんな小さな観光地でもそこそこ本格的な日本料理屋がやっていけるものなのだと感心するとともに、果たして人々は、“スペイン人カトリック伝導の町”を訪ねて日本料理を楽しみたいものなのかと不思議にも思った。田舎の隣にもレトロな建屋があった。そこはベーカリーで、大きな窓の下壁にはカラフルなタイルが貼られ、そこに半円系の小さな可愛らしい卓が据えてある。やや空腹だったので入ってみれば、内装もいかにも昔ながらのパン屋といった様子で、レトロなクッキー缶などの雑貨が飾られている。奥の調理場入口には大きな絵画が掛けられてあって、サンジュアンの地に十字架を建てるカトリック修道士が描かれている。しかし何故か店の入り口には成田山新勝寺の風鈴がぶら下がっていたのも印象的だ。筆者はハム&チーズクロワッサンとコーヒーを注文した。パンを受け取ったとき通りに爆音が鳴り響き、朝食を終えたアメリカ式バイク野郎達がど一斉にどこかへ出発して行ったのを見て、店員の白人女性は苦笑いをしていた。




 ベンチに腰掛けてパンを食べたならもうすることはなくなった。だがまだまだ時間があったので、筆者はサリナス方面へ行こう思いたった。ナビを入力すると101号線に戻る経路と山道をウネウネと越える経路が出てきた。暇な筆者は当然後者を選択する。だが紙幅が尽きてきたのでここからサリナスへの旅は次ブログへの持ち越しだ。成田山新勝寺と言えば、筆者は二度ほど訪れたことがある。二度目はちょうど今くらいの初夏だった。女性二人と筆者という人生でもなかなかないメンバー構成での参拝で、筆者は気が大きくなって二人にうな重をご馳走したものだ。一度目は初詣だった。参拝途中で祖父が死んだと母から電話があり、すぐに引き返した。そんな出来事をサンジュアン・バティスタ来訪で思い出すとは、だから人生はマカマカフシフシである。

レッド・シェフブランドのインスタントラーメン

2021-06-19 11:43:10 | 食材
 レッド・シェフブランドのインスタントラーメンとは、筆者がライオンスーパーマーケットで見つけたインスタントラーメンである。さて、最近は青空文庫で読書をして時間を潰すことが多い。青空文庫内にはプロレタリア文学系の作品が目立つ。おそらく転記活動をしている方の中に、かつて社会主義世界を夢見た人があるのだろうと予想する。筆者は島木健作という人の『生活の探求』という作品を読んだ。これは“転向小説”というジャンルらしく、社会主義思想の勃興と挫折を経験した青年らが、故郷の農村生活の中で再生していく日々のお話しだ。当時のベストセラーだけあって話はあまり小難しくなく、それに当時の農村の生活の様子が上手に書いてあってなかなか面白い。読書をしつつ、そして腹が減ればインスタント麺を食う。最近買ったのはこのレッド・シェフブランドのインスタントラーメンなのだ。


このインスタントラーメンの特長は以下のとおりだ参考にしてもらいたい。


①レッド・シェフブランド
レッド・シェフブランドのインスタント麺は黒色の袋で梱包されている。ライオンスーパーマーケットにずらりと並ぶアジアンインスタント麺のほとんどは、赤や青色の袋で梱包されているので、ソリッドな黒色には高級感が出ていて目を惹く。この商品はYEELEE社というマレーシアの会社が製造している。暇なのでそのホームページを覗いてみると、“YEE”とは『義』を、“LEE”は『利』との説明があるので、マレーシアと言っても華僑の企業のようだ。もともとはパーム油のパッキング会社だったものが事業を拡げ、今は食品、不動産、パームやし畑などの農業と事業展開しているということだ。さて、この商品には4種の味があり、黒色のパックの縁は味ごとに赤、青、黄、緑で分けられている。


②青酸辣汤面(グリーン・トムヤム スープヌードル)
まずは緑色の青酸辣汤面だ。これが本格トムヤムクン味の深みがあり、パンチの効いた酸味とほどよい辛みが美味しい。ただ、スープと麺との相性が良いとはいえず、麺の代わりに野菜をゴタゴタ入れて、普通にトムヤムクンとして食べた方が旨いかも知れない。でもまぁいつもの“醬油・みそ・とんこつ”に飽き、変わり種が欲しいときには嬉しい逸品だ。最近の高級インスタント麺の特徴として、粉末スープとは別にペースト調味料を用いていることが挙げられるが、レッド・シェフブランドのインスタント麺もそれだ。塩や砂糖に各種化学調味料の入った粉末スープに加え、ペースト調味料には、玉ねぎ・レモングラス・チリ・ガランガルなどトムヤムクンに使われる野菜ペーストが入っている。これをムギュムギュとラーメン丼にひり出して、湯を注ぐのだ。



③蒜香芝麻清汤面(セサミ クリア スープヌードル)
次が青色の蒜香芝麻清汤面である。これは英語表記では“セサミ”と胡麻を強調しているものの、漢字で“蒜香”とあるように、ペースト調味料にはニンニクがたっぷりだ。豚骨などの動物系の素材が一つも入っていないのに、胡麻とパーム油とニンニクのコンビネーションと甘じょっぱい粉末調味料が相まり、濃厚な家系ラーメン風味になっていて不思議に美味しい。ニンニク臭が強く残るので、一杯食べるとしばらくは食べる気がしない。だがしばらくするとちゃんと食べたくなる美味しさだ。




③班兰白咖喱面(パンダン・ホワイトカレーヌードル)
3つ目は黄色ラベル、班兰白咖喱面である。“兰”はあまり見ることのない文字だがれっきとした漢字であり、訓読みでは『あららぎ、ふじばかま』と読み、蘭科の植物を指す。“班兰”を画像検索するとニラのような植物が出てくるので、それが入ったカレー味なのだろう。こいつはカレーペーストと粉末スープの袋の他にもうひとつ袋がある。それはスープにクリーミーさをもたらす純白のクリームパウダーだ。これにより濃厚な、それでいてやさしいカレースープができあがる。日本人の知るカレー味に近く、口に含めばけっこうな甘みの後にほどよい辛さが波打ち、おいしくいただける。だが、やはり“麺よりも白米の方が合うんじゃないのかな”という感はぬぐえない。



 カレーといえば和歌山毒入りカレー事件の林真須美死刑囚に、無罪の根拠となる新たな証拠が見つかったと再審請求がなされたとの報道の直後に、娘親子の無理心中や虐待疑惑などの事件が起きた。筆者はあのカレー事件当時多感な思春期を迎えていたものの、顔がやや林真須美さんに似ているとクラスメイトにからかわれたのにショックを受け、やけになって『水、かかりますよー』などと彼女の真似をしたりもしたものだ。当時の彼女が37歳と、現在の筆者とだいたい同じ年というのだから感慨深いものがある。彼女の子供たちはかなり苦しい人生を送ってきたことだろう。実際に罪を犯していないのに、犯罪者の家族ということだけで苦しんでいる人の心境を思えば、“加害者の実名報道”の是非に関して見方が変わる部分もある、そう思いながら麺を啜った。