サンジュアン・バティスタからサリナスとは、2021年の初夏に筆者が行ったドライブのことである。米国はワクチンの接種率が進んだこと、それに感染が広がって集団免疫が進んだこともあるのか、コロナウイルスの被害が減少方向にあり、カルフォルニア州ではコロナに関する規制はほぼ撤廃になったという。マスクを着用しない人も目立ち始めた。筆者も暇な休日には外出する気分になってきた。そこでなんとなくグーグルマップを眺めていたら、ベイエリアの南方に“サンジュアン・バティスタ”という長たらしい地名の小さな町があったので、行ってみることにした。
このドライブの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①サンジュアン・バティスタに着く
カリフォルニアの青い空の下、101号線を南に向かい、ギルロイを通り過ぎてしばらく行けば156号線と接し、それを少し東進するとサンジュアン・バティスタの町に着く。筆者のサンノゼの長屋からだと小一時間のドライブだ。サンジュアン・バティスタの町は低い乾いた山に囲まれた盆地にあって、長閑な雰囲気だ。筆者は路地に車を停めて散歩を始めた。
②メインストリートを歩く
この町の歴史は古く、18世紀末にスペイン人カトリック宣教師がネイティブアメリカンの人々への布教のために教会を建てたことから始まったそうだ。その教会はメインストリートの隣の通りに遺っており、それがちょっとした観光地になっている。そのためメインストリートにも古い町並みが残され、南欧風のアーチ形状が目立つ家屋や瓦屋根が施された邸宅と、西部劇に出てきそうな木製の家々が混在し、そこにはアンティークや雑貨屋などのテナントが入っている。ガス灯風の街灯や樽をあしらったゴミ箱など細部にも雰囲気作りがなされ、ところどころにある空地にはサボテンが茂り、パンパンに張ったそのつぼみから今にも噴火しそうな様子で花が咲きかけている。とても雰囲気のある通りだ。この日はまだ店が開店するかしないかの時間帯で通りは静かだった。ただ、メキシコ料理屋の前にはハーレーダビッドソンがずらりと停めてあって、大勢のアメリカ式バイク野郎たちが朝食を食べていた。
③メインストリートをさらに歩く
とはいえそんな観光客相手のメインストリートも数ブロック程度しかないのですぐに歩き終わる。筆者はストリートのはずれにあるTHRIFTSTOREを覗いてみた。古い馬の鞍や家具など面白い商品があったが、特に何も買わずに店を出て再びメインストリートを歩く。通りのひときわ立派な石造りの建物には『田舎』という名の日本料理屋が入っていた。あいにく店はまだ準備中だったため、中の様子を見ることはできなかったけれど、窓の近くに胡蝶蘭が飾られていたりと比較的高級店のように思われる。貼られたメニューは豊富で、こんな小さな観光地でもそこそこ本格的な日本料理屋がやっていけるものなのだと感心するとともに、果たして人々は、“スペイン人カトリック伝導の町”を訪ねて日本料理を楽しみたいものなのかと不思議にも思った。田舎の隣にもレトロな建屋があった。そこはベーカリーで、大きな窓の下壁にはカラフルなタイルが貼られ、そこに半円系の小さな可愛らしい卓が据えてある。やや空腹だったので入ってみれば、内装もいかにも昔ながらのパン屋といった様子で、レトロなクッキー缶などの雑貨が飾られている。奥の調理場入口には大きな絵画が掛けられてあって、サンジュアンの地に十字架を建てるカトリック修道士が描かれている。しかし何故か店の入り口には成田山新勝寺の風鈴がぶら下がっていたのも印象的だ。筆者はハム&チーズクロワッサンとコーヒーを注文した。パンを受け取ったとき通りに爆音が鳴り響き、朝食を終えたアメリカ式バイク野郎達がど一斉にどこかへ出発して行ったのを見て、店員の白人女性は苦笑いをしていた。
ベンチに腰掛けてパンを食べたならもうすることはなくなった。だがまだまだ時間があったので、筆者はサリナス方面へ行こう思いたった。ナビを入力すると101号線に戻る経路と山道をウネウネと越える経路が出てきた。暇な筆者は当然後者を選択する。だが紙幅が尽きてきたのでここからサリナスへの旅は次ブログへの持ち越しだ。成田山新勝寺と言えば、筆者は二度ほど訪れたことがある。二度目はちょうど今くらいの初夏だった。女性二人と筆者という人生でもなかなかないメンバー構成での参拝で、筆者は気が大きくなって二人にうな重をご馳走したものだ。一度目は初詣だった。参拝途中で祖父が死んだと母から電話があり、すぐに引き返した。そんな出来事をサンジュアン・バティスタ来訪で思い出すとは、だから人生はマカマカフシフシである。
このドライブの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①サンジュアン・バティスタに着く
カリフォルニアの青い空の下、101号線を南に向かい、ギルロイを通り過ぎてしばらく行けば156号線と接し、それを少し東進するとサンジュアン・バティスタの町に着く。筆者のサンノゼの長屋からだと小一時間のドライブだ。サンジュアン・バティスタの町は低い乾いた山に囲まれた盆地にあって、長閑な雰囲気だ。筆者は路地に車を停めて散歩を始めた。
②メインストリートを歩く
この町の歴史は古く、18世紀末にスペイン人カトリック宣教師がネイティブアメリカンの人々への布教のために教会を建てたことから始まったそうだ。その教会はメインストリートの隣の通りに遺っており、それがちょっとした観光地になっている。そのためメインストリートにも古い町並みが残され、南欧風のアーチ形状が目立つ家屋や瓦屋根が施された邸宅と、西部劇に出てきそうな木製の家々が混在し、そこにはアンティークや雑貨屋などのテナントが入っている。ガス灯風の街灯や樽をあしらったゴミ箱など細部にも雰囲気作りがなされ、ところどころにある空地にはサボテンが茂り、パンパンに張ったそのつぼみから今にも噴火しそうな様子で花が咲きかけている。とても雰囲気のある通りだ。この日はまだ店が開店するかしないかの時間帯で通りは静かだった。ただ、メキシコ料理屋の前にはハーレーダビッドソンがずらりと停めてあって、大勢のアメリカ式バイク野郎たちが朝食を食べていた。
③メインストリートをさらに歩く
とはいえそんな観光客相手のメインストリートも数ブロック程度しかないのですぐに歩き終わる。筆者はストリートのはずれにあるTHRIFTSTOREを覗いてみた。古い馬の鞍や家具など面白い商品があったが、特に何も買わずに店を出て再びメインストリートを歩く。通りのひときわ立派な石造りの建物には『田舎』という名の日本料理屋が入っていた。あいにく店はまだ準備中だったため、中の様子を見ることはできなかったけれど、窓の近くに胡蝶蘭が飾られていたりと比較的高級店のように思われる。貼られたメニューは豊富で、こんな小さな観光地でもそこそこ本格的な日本料理屋がやっていけるものなのだと感心するとともに、果たして人々は、“スペイン人カトリック伝導の町”を訪ねて日本料理を楽しみたいものなのかと不思議にも思った。田舎の隣にもレトロな建屋があった。そこはベーカリーで、大きな窓の下壁にはカラフルなタイルが貼られ、そこに半円系の小さな可愛らしい卓が据えてある。やや空腹だったので入ってみれば、内装もいかにも昔ながらのパン屋といった様子で、レトロなクッキー缶などの雑貨が飾られている。奥の調理場入口には大きな絵画が掛けられてあって、サンジュアンの地に十字架を建てるカトリック修道士が描かれている。しかし何故か店の入り口には成田山新勝寺の風鈴がぶら下がっていたのも印象的だ。筆者はハム&チーズクロワッサンとコーヒーを注文した。パンを受け取ったとき通りに爆音が鳴り響き、朝食を終えたアメリカ式バイク野郎達がど一斉にどこかへ出発して行ったのを見て、店員の白人女性は苦笑いをしていた。
ベンチに腰掛けてパンを食べたならもうすることはなくなった。だがまだまだ時間があったので、筆者はサリナス方面へ行こう思いたった。ナビを入力すると101号線に戻る経路と山道をウネウネと越える経路が出てきた。暇な筆者は当然後者を選択する。だが紙幅が尽きてきたのでここからサリナスへの旅は次ブログへの持ち越しだ。成田山新勝寺と言えば、筆者は二度ほど訪れたことがある。二度目はちょうど今くらいの初夏だった。女性二人と筆者という人生でもなかなかないメンバー構成での参拝で、筆者は気が大きくなって二人にうな重をご馳走したものだ。一度目は初詣だった。参拝途中で祖父が死んだと母から電話があり、すぐに引き返した。そんな出来事をサンジュアン・バティスタ来訪で思い出すとは、だから人生はマカマカフシフシである。