小田原城は、難攻不落で真っ向から
攻め落とせない城ですが、その起源は定かではなく、
1417年の室町時代の頃に大森頼春が
築城した城ではないかとされています。
その後、北条早雲に城を乗っ取られ、
その早雲が難攻不落の大城に
変貌させたと言われます。

天守閣の高さ比べのようですが、地下から測ったもの、
土台から測ったものなど高さの測定基準があいまいであったり、
現存する天守か復元天守かによっても
そのランキングに相違はあるようなのですが・・・。

築城当時は、天守の裏にある丘陵地の八幡山周辺だけでしたが、
上杉謙信と武田信玄に攻め込まれた経験から領域を広げ、
土塁で囲み、城塞が完成し、天守と城下町を備えた
総構の城郭としては当時日本一のものであったそうです。

豊臣秀吉の策略によって落とされることになり、
秀吉から家康に与えられ、家臣の大久保氏に城主を任せ、
中世の規模から石高も城郭も縮小されることになりましたが、
東海道の要衝を守った堅城であったのです。

天守最上階の5階、展望デッキからの眺望は圧巻、
箱根の連なる山々と相模湾を眺めることができます。
平成の大改修により、外装とともに展示が一新され、
一部江戸時代の天守も再現されていました。

別名:ー
種別:平山城
築城年:15世紀
築城者:大森氏、後北条氏、大久保氏、稲葉氏
神奈川県小田原市城内6-1
2019.4.6