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まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

平家滅亡の哀話を秘める海辺の史跡 壇ノ浦古戦場跡

2025-05-05 06:50:59 | お出かけ 山陰・山陽



1185年、源平の最後の合戦となった古戦場跡。
両軍4,000艘ともいわれる軍船が
関門海峡に集結していました。
その頭上を関門橋が跨いでいます。

源義経像(左)と平知盛像(右)







海岸べりは「みもすそ川公園」になり、
「壇の浦古戦場址碑」がたちます。
目の前の海は潮の流れが急速で、
潮流の変化が激しい海の難所。







壇ノ浦古戦場を一望できるこの場所は、
『今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ
波の下にもみやこありとは』(長門平家物語)という
二位の尼時世の歌から地名が生じたといわれ、
当時を偲ぶ石碑や、歌碑があります。







牛若丸として鞍馬山で過ごした義経は、
天狗とともに修行したといわれるだけあって、
壇ノ浦でも舟から舟へと飛び移った。
義経の八艘飛びは有名な話とか。







この場所は、幕末の蝦夷戦で、
外国船に砲撃した砲台跡でもあります。

山口県下関市みもすそ川町1

2024.5.18


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関門海峡と関門橋(福岡県側)

2025-04-29 02:53:15 | お出かけ 山陰・山陽



関門海峡は、日本の本州(山口県下関市)と
九州(福岡県北九州市)を隔てる海峡。
西は響灘(日本海)、東は周防灘(瀬戸内海)に通じる。

約6000年前に本州と九州が分断され、
関門海峡が形成されたといわれる。
Wikipedia






諸外国との交流交易や防衛の拠点、
国内交通では本州と九州の結節点、
日本海と瀬戸内海をつなぐ海上交通の要衝、
しばしば歴史の舞台となってきました。







新平家物語によると、壇ノ浦合戦前夜、
神宮橘魚彦による祝詞と神酒で
戦勝を祈願し、平家一門の願分を
奉上したとある和布刈神社。







関門橋は、山口県下関市と福岡県北九州市門司区の間の
関門海峡を跨ぐ全長は1068メートル道路橋。
1973年11月14日に開通しました。
この橋梁を含む区間の高速道路の通称です。

関門海峡には関門橋とは別に
3本の海底トンネルも設けられています。







再び関門トンネル人道を下関に向かって歩きます。
鉄道用に山陽本線の関門トンネルおよび
山陽新幹線の新関門トンネル。
関門トンネル(国道2号)があります。

福岡県北九州市

2024.5.18


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海底を歩いて渡る関門トンネル人道

2025-04-21 15:38:18 | お出かけ 山陰・山陽



関門トンネル人道下関側にある駐車場に
車を止めて、今回こそは本州と九州を結ぶ
海底を歩いて渡ろうと思います。







先ず、「関門プラザ」で知識を得ることに。
関門トンネルは、全長3461.4m、
1958年3月9日に開通しました。
東京タワーの竣工と同じ年ですね。







下関側から門司側に向かいます。
本州・九州間を歩いて渡ることができる
歩行者用海底トンネルです。







山口県と福岡県の県境を歩いて渡る日が来たことを
どれだけの人が喜んだことでしょう。

ちなみに歩行者は無料ですが、
自転車や原付は20円かかり、
軽車両の場合は押して歩きます。







門司まで、あと200mです。
下関側の御裳川(みもすそ川)から対岸の
門司めかりとの間が780mあります。







監視カメラが設置されており、
乗車して通行すると、
トンネル内の拡声器で注意されるとか。







目安はおよそ15分程、門司側に到着。
通行時間:6時から22時まで。







エレベーターホールに設置している
記念スタンプを両方押して、
観光案内所等で提示しアンケートに答えると
「関門TOPPA!記念証」がもらえます。








下関側と門司側では、地図の向きが変わります。







地上と地下の人道トンネルの間は、
下関側・門司側とも
専用エレベーターを利用します。







さて、門司側も散策してみましょう。

山口県下関市・福岡県北九州市

2024.5.18


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平家一門の霊を弔う赤間神宮

2025-04-14 12:34:17 | お出かけ 山陰・山陽



関門海峡を望む高台に朱塗りの
竜宮造りの水天門は国登録有形文化財。
「海の中にも都はある」という二位の尼の
願いを映したものといわれます。







源平壇ノ浦の合戦に敗れ、わずか8歳(満6歳4か月)で
関門海峡に入水された平清盛の孫である
安徳天皇を祀っています。

戦乱で落命したと記録されている唯一の天皇であり、
歴代の天皇の中で最も若くして崩御した安徳天皇。







明治維新までは阿弥陀寺と称されていました。
毎年5月3日には安徳天皇を弔い
平家一門を偲ぶ「先帝祭」が盛大に開催。

壇ノ浦合戦で生きながらえた平家の女官たちは
遊女に身を落としながらも、毎年安徳天皇の
命日には、身を清め参拝したとか。
以来、連綿とこの行事は続いています。







小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の
物語の舞台ともなっています。

七盛塚入口にある芳一堂には、
盲目の琵琶法師「耳なし芳一」の
像が奉られています。







有料の宝物殿には重要文化財に指定されている
「長門本 平家物語」をはじめとした書物や
絵図、琵琶などが公開されています。

山口県下関市壇ノ浦3-4

2024.5.18


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食事と喫茶 つくし

2025-04-07 10:58:52 | お出かけ 山陰・山陽



食事ができるところを探し求めてドライブ。
できることなら駐車場付きが望ましい、
探している時にはなかなか見つかりません。
もうここしかないと入ったのが「つくし」です。

店内は昭和レトロな感じではありますが、
ゆったりと落ち着いています。
関門海峡の美しい景色を楽しめる
絶好のロケーションでもありました。







店一番の人気のメニューがエビフライ定食。
外はサクサク、中はぷりぷりに仕上げられています。
手作り感あふれる付け合わせの煮物なども絶品。
本当に美味しかったです。







こちらは、かつ定食です。

こちらの店に辿り着くための時間はかかりましたが、
下関に来たらこちらで食事をしようと思うほど。
お会計は、税込み1,900円で満足度も







建物の隣にも駐車場があります。

壇ノ浦古戦場や関門海峡の遊歩道など、
観光スポットがたくさんあります。
本日はまだまだ観光するので、
きちんとした食事ができて良かったです。

山口県下関市壇ノ浦3-4

2024.5.18


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心ひかれる城下町長府 そぞろ歩きを誘う町

2025-03-31 07:07:07 | お出かけ 山陰・山陽



乃木神社の近くにある松嘯館跡は、
江戸時代に長州藩医を務めた松岡家の家屋跡、
七代目はシーボルトとも交流があり、
各地から弟子が教えを受けに集まったとか。

薬草園の所在については不詳ですが、
当時の医者は庭を薬草園にしていた事例が多い事から、
薬草園に見立てて整備した場所もあります。







いくつものそぞろ歩きしたい小路がある長府。
古江小路の北にある細道は横枕小路。
緑に覆われた練塀と細道が、
そぞろ歩きを誘うのです。







平成25年度都市景観大賞で城下町長府は、
大賞(国土交通大臣賞)を受賞しています。
葉擦れの音が聞こえてくるようです。








律令時代、長門国の国府、江戸時代は毛利家の城下町。
土塀や武家屋敷が続く侍町や国宝仏殿を持つ功山寺、
長府毛利旧邸、菅家長屋門など城下町の面影が、
色濃く残り、歳月を重ねた街並みに心ひかれます。







古江小路は練塀が続き、
城下町らしい風情を醸し出します。
下関駅からバスでも30分足らず、
足を延ばしてみませんか。

山口県下関市長府

2024.5.18


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心ひかれる城下町長府 乃木神社

2025-03-30 00:28:19 | お出かけ 山陰・山陽



軍人として広く知られ、明治天皇に殉死した
乃木希典を文武両道の神として祀る
1920年に創建された神社です。







1849年11月11日江戸麻布の長府毛利藩邸
(現在でいう六本木ヒルズがあるあたり)に生まれ、
10歳の時、長府へ帰り集童場で学びました。

東京都港区赤坂にある乃木神社とは、
趣も少し異なるようです。







乃木夫妻の銅像が鎮座しています。
遺品や遺墨などが展示されている宝物館があります。







「乃木の名水」は、乃木家の「梅の井」より
汲み上げられた井戸水で、乃木家を支えた命の源。
御祭神ゆかりの名水をいただいて、運気上昇・
健康増進・学業向上・ボケ封じに。







乃木家が16年間過ごした旧宅(1914年に復元)、
港区にある旧宅とはかなりの相違があります。
大きな風呂敷包みが天井に吊り下げており、
空間を上手に使う工夫が印象に残ります。

山口県下関市長府宮の内町3-8

2024.5.18


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下関市立歴史博物館 企画展幕末群雄伝ー下関に集った志士たち

2025-03-28 00:14:05 | お出かけ 山陰・山陽



「下関海峡」は、瀬戸内海、東シナ海、
日本海への海の道が交わり、山陽道、赤間関街道、
長崎街道などの陸の道を結ぶ十字路でした。

この海峡に育まれた下関の歴史と文化を
メインテーマにした歴史博物館。







玄関正面の光庭に設置された時代を拓く‐群像。
先ず目に留まりますが、長府藩士たちに
スポットが当てられています。
坂本龍馬とお龍さんの姿もあります。

長府毛利家13代元周は、龍馬の死後、
お龍さんに生活費を出してあげたとか。







外圧をきっかけに、国内政局や社会が揺らいだ幕末。
国の行く末を憂えた多くの志士たちが各地で立ち上がり、
幕末には蝦夷戦や薩長戦争の舞台ともなった下関には、
吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛ら、
多くの志士たちが訪れています。

志士たちの直筆資料や愛用品など多数展示。
新規収蔵資料の高杉晋作が諸隊へ伝えた想いの
書状が展示されていました。

達筆とは言い難いのですが、文字のかすれもなく、
目標に向かって突き進むような正義感と
頑固さも伺えるような感じがしました。







長府毛利家の遺品や幕末資料を中心に
収蔵・展示している博物館です。

山口県下関市長府川端2-2-27

2024.5.18


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心ひかれる城下町 長府毛利邸

2025-03-27 00:04:56 | お出かけ 山陰・山陽



長府毛利邸は、長府毛利家14代当主の
毛利元敏公が東京から下関に帰住し、
この地を選んで建てた邸宅です。







1898年に起工、1903年に完成した後、
1919年まで長府毛利家の
邸宅として使用されました。







長府藩祖 毛利秀元公銅像

1579年毛利元就の四男元清の次男として生まれ、
幼い頃より毛利宗家の後継者として期待され、
武勇と知略に優れた名将として名を馳せました。
長府藩の初代藩主として下関の礎を築きます。







武家屋敷造りの重厚な母屋と
白壁に囲まれた日本庭園の妙は、
新緑や紅葉の季節に一段と映えます。







池泉回遊式の庭園が往時をしのばせ、
しっとりとした風情を感じさせてくれます。







1902年に、明治天皇が熊本で行われた
陸軍大演習をご視察の際にご宿泊されました。
部屋は当時のまま残されています。







母屋の各所に生けてある野の花、
奥様の部屋には、季節を感じる小物が並びます。







紅葉の季節にも訪れてみたくなります。







約1万平方メートルの敷地は、
石垣と白壁に囲まれており、
城郭的な構造をしているようです。

山口県下関市長府惣社町4-10

2024.5.18


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高杉晋作が挙兵した功山寺

2025-03-26 00:15:45 | お出かけ 山陰・山陽



二重門の山門や、わが国最古の禅宗様建築の
国宝の仏殿が1327年創建の由緒を語る
曹洞宗の寺院で長府毛利家の菩提寺。







春は桜、秋は紅葉が美しく、国宝の仏殿と
真っ赤な紅葉のコントラストは、
秋を感じる風光明媚な眺めだそうです。
紅葉が遅いことでも有名とか。







新緑のこの時期も味わい深いものがあります。
境内の見学は自由ですが、
都落ちした五卿が滞在した書院見学は有料。







唐様建築特有の美しさをもつ国宝の仏殿は、
1320年の建立で、入母屋造、檜皮葺き。
一重裳階(もこし)付き。
堂内には本尊千手観音坐像を安置。







国宝仏殿の周辺は湧き水が多く、病災消除、
延命の名水として昔から多くの参詣客に愛飲され、
高杉晋作始め、諸隊士も、愛飲したとか。
近年では小泉純一郎氏のお名前も。







1933年、日本各地から石を取り寄せて建設した
明治維新に殉じた志士を供養するための慰霊塔で、
有名・無名の勤王の士を、
当時の府県毎に祀っていた万骨塔。
名称は「一将功成って万骨枯れる」に由来。







高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、
明治維新の時には、隊士の陣営となりました。
功山寺挙兵をきっかけに、維新が大きく動きます。
境内には馬上姿の晋作の銅像も置かれています。







毛利家の防長経略の際に、大内家最後の当主・義長が
最後に逃れて来た場所として、戦場となって荒廃。
江戸時代になって、長府毛利藩主・秀元によって再建。

中世から近代にいたるまでの
数々の歴史を刻んでいる古刹です。

山口県下関市長府川端1-2-3

2024.5.18


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「西の京・山口」を代表する観光名所 瑠璃光寺五重塔が・・・

2025-03-22 00:34:51 | お出かけ 山陰・山陽



大内文化を代表する唐風・和洋折衷の五重塔、
まだ学割を使って旅をしていた時に来た
瑠璃光寺をこの日の最後の観光にと
駐車場に車を止めて山門をくぐります。







国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、
「西の京・山口」を代表する観光名所です。
「毛利家墓所」のうちの一つとして
国の史跡に指定されています。







公園内の出入りは可能でしたが、
国宝の五重塔は、約70年ぶりの檜皮葺屋根の
全面葺き替え工事中(2023年4月~2026年3月予定)
残念ながら見ることができません。







21歳の私は、五重塔の前で写真を撮っており、
その写真がどこかにあるのですが・・・。







大内氏25代の大内義弘は1399年に応永の乱を起こし戦死。
義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うため
ここに五重塔の建設を開始。
五重塔は26代死後の1442年頃に完成しました。

高さ 31.2m で屋根は檜皮葺、
二層にのみ回縁がついています。
大内氏全盛期の大内文化の最高傑作といわれます。







屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、
1442年頃(室町時代)の建立です。
京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび
その趣のある美しさから
日本三名塔の一つに数えられることも。

今回は見ることができなかった五重塔ですが、
「時代絵巻」のパネルは、
今しか見られない貴重なものかもしれません。







瑠璃光寺は、曹洞宗の寺院。
桜や梅の名所としても有名なので、
その時期に再訪したいものです。

山口県山口市香山町7-1

2024.5.17


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国史跡・名勝 常栄寺雪舟庭園

2025-03-21 00:08:17 | お出かけ 山陰・山陽



雪舟が作庭した室町末期の代表的庭園である
「常栄寺雪舟庭園」は、
禅味あふれる日本庭園の代表作として、
大正15年に国より史跡・名勝に指定されています。







小僧時代、涙で鼠を描いた逸話で有名な雪舟は
室町時代に活動した水墨画家・禅僧。
現存する作品のうち6点が国宝に指定されるなど、
日本の絵画史において別格の高い評価を受けています。







常栄寺は、現在の広島県安芸高田市にあり、
1563年に毛利元就が息子隆元の急逝を嘆き、
その菩提を弔うために創建されたとか。







1968年、「雪舟より良い庭を作られては困る。
恥をかくような下手な庭を作ってもらいたい。」、
「上手に下手な庭を作ってもらいたい。」と依頼され、
古典庭園の復元・修復や創作の大家重森三玲が
築庭した南溟庭(なんめいてい)です。

庭は雪舟が中国へ往復した海をイメージして、
つくられているそうです。







本堂から雪舟庭園を見てみましょう。







山口はおよそ600年前、大内氏が京の都にならい
町造りし、「西の京」と呼ばれた大内文化が
華開いた地に、別邸として建てたもので、
大内氏が雪舟に造らせた庭園です。

庭園は本堂の北面にあり、茂みのある
山を背景に心字池を配しています。







手前に芝生や石組、ツツジなどの刈り込みがあります。
雪舟の山水画を彷彿させる構成になっています。







庭園は約 900坪の広さで東西北の三方が山林、
南が開けた土地の中央に池泉を穿う
池泉廻遊式庭園ですから
その周りを一周して鑑賞します。







枯山水で、すべてが繋がるように工夫されています。
本堂から見る枯山水庭園は始まりであり、
もう一度戻ってくる終点地点でもあります。







「聴松軒」という東屋がありますが、
この近くで、心字池を見下ろしてみましょう。







毘沙門堂

毘沙門天はインドでは財宝の神で、
室町後期頃から七福神のうちの神として信仰され、
鎌倉時代には武士、大名の間で国を守る
神として信仰されるようになりました。

近くにモリアオガエルの生息地があります。







庭園には 3つの重要な視点が置かれています。
それぞれの視点からの三景は趣を異にしており、
廻遊することにより非常に変化に富んだ
景観を観賞することが出来ます。
(案内図の番号が書かれた視点から)







クマの目撃情報もあるようでしたが、
それさえも忘れてしまうような
心洗われる廻遊式庭園を楽しみました。

山口県山口市宮2001-1-1

2024.5.17


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ジョイフル安芸高田店と八千代湖

2025-03-20 00:39:34 | お出かけ 山陰・山陽



博物館へ行く前にジョイフルの看板が見えたので、
こちらでランチにしようと決めていました。
人口2万5千人弱の安芸高田市にも
「ジョイフル」がありました。

「ゆめタウン」と共用なので、駐車場も広いです。
店内は溢れんばかりの人でしたが、辛抱強く待ちました。
ここを逃したら店を探すのに一苦労するはず。







日替わりランチ 500円(税込み)
ランチドリンク 158円(税込み)

今時ワンコインでランチができるなんて
不平不満など言えるはずもなく、
有難く「ジョイフル」を後にしました。







店を出ると間もなくこの風景に出会います。
1994年の第12回アジア競技大会の
カヌー競技会場になったところのようです。







「ダム湖百選」にも選定されている
江の川本川上流部に建設されたダムの八千代湖。
サクラの名所として知られているそうですが、
この時期は鯉のぼりの姿がありました。

広島県安芸高田市

2024.5.17


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安芸高田市歴史民俗博物館

2025-03-19 00:56:59 | お出かけ 山陰・山陽



安芸高田市歴史民俗博物館へ、いざ入館。
毛利元就氏になりきって記念撮影!








第1展示室では、国史跡甲立古墳家形埴輪など
原始時代から古代、中世時代へ。







郡山城復元模型なども展示されています。
VRゴーグルをつけて当時の郡山城の地形を体験。
壁面スクリーンに山城跡のドローン映像も大迫力。
元就書状なども展示する毛利氏のコーナー。
そして、近世へ。







やはり西日本に多い日本100名城。
既に訪問した城が多いのですが、
スタンプ集めに東奔西走。
未達のところは、山城が多くて大変。







第2展示室は、近現代民俗を展示、
第3展示室は、だんじり屋台を展示しています。
江戸時代から続く清神社の例祭、
「市入り祭り」で行われる子供歌舞伎の舞台。







毛利氏や郡山城に関する貴重な資料が
豊富に展示されている博物館。

この時に安芸高田市長は、東京都知事選に
立候補した石丸伸二氏だったのです。

広島県安芸高田市吉田町吉田

2024.5.17


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ホテルルートイン三次駅前

2025-03-16 00:16:41 | お出かけ 山陰・山陽



夕食を済ませてからチェックイン。
中国縦貫自動車道三次ICより車で約5分、
JR三次駅より徒歩約5分とアクセスの良い
「ホテルルートイン三次駅前」です。

自走式立体駐車場198台
無料で利用できます。







総部屋数248室と大型ビジネスホテルのツインルーム。
全客室:Wi-Fi利用可能(ホテル館内全域・無料)、
WOWOW無料視聴、客室タイプも多く、
バリアフリールームもあります。







ラジウム人工温泉大浴場「旅人の湯」があり、
利用時間は朝5時から夜は2時までと長く、
チェックインが遅くても利用できます。







広島県の北部に位置する三次市は、
中国地方のほぼ真ん中に位置し、
中国自動車道・中国やまなみ街道・芸備線など
三次市を中心に放射状の交通網が整備されています。

古の時代から交通の要所であったとか。

広島県三次市十日市南1-5-5

2024.5.16


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