3日目ホテルで朝食を済ませ、白河駅から街歩き。
7家21代の大名の領地となった白河は、
大名の転封ごとに寺院も入れ替わりがあったためか、
ほとんどの宗派の寺院があるのだそうです。
寺院めぐりが好きというわけではないですが、
訪ねてみたいところがありました。
臨済宗妙心寺派の天恩皇徳寺の
小原庄助さんのお墓です。
エンヤー会津磐梯山は 宝の山よで始まる
福島県民謡の「会津磐梯山」に出てくる
小原庄助さんは、実在の人物であった
墓地の中を歩きまわって辿り着いた小原庄助さんのお墓。
小原庄助さん 何で身上潰した
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで それで身上潰した
ハーモットモダーモットモダ
墓石はとっくりの上に伏せた杯を乗せた形といいますが、
まあ、見えなくもないけれど・・・。
「会津塗師久五郎」を本名とする「伝 小原庄助」の墓、
1858年に亡くなり、戒名は「米汁呑了居士」。
一日中お酒を飲んでいたらしいのですが、
それなら身上潰すのももっともなことです。
806~810年、法相宗の僧、勝道が建てた勝道寺が前身で、
平安時代末期には三十三間堂などの堂宇をもつ
寺院として再興され「大白山天恩皇徳寺」となったとか。
白河駅前から続く小峰通りを歩き、老舗通りに入ると
「本家富川屋染物店」の建物が見えてきました。
裏手には谷津田川が流れており、
川沿いに染物商店の蔵が数棟並んでいます。
こちらは大野屋染物店の建物です。
趣のある町屋建築などが街のあちらこちらに。
白河は奥州街道の宿場町として、
繁栄していた面影を感じることができます。
老舗通りを出ると新蔵通りとなります。
新蔵通りを道なりに歩くと門前通りになりますが、
鍵のように曲がった道である鉤形が見られます。
城下に侵入する敵の侵攻を遅らせる
防御の役割を果たすもので、
城下町に残るものです。
街歩きをすると小峰城を中心に町家、武家屋敷や
寺院を配置して、複雑な縄張りにより、
鉄壁の防御を固めていたことがよくわかります。
そうした古い街並みの中で見つけたのは、
リアルタイム線量測定システム。
地表面から1mの高さの空間線量率を測定しています。
複雑な気持ちになった一瞬ですが、
雨が降り歩いている人もいない街歩きでしたが、
また戻って来たいと思う魅力的な街です。
福島県白河市
2019.9.16