奥豊後の山深く、稲葉川と白滝川に挟まれた
断崖絶壁の地、天高くそびえ立つ高石垣。
広大な敷地に広がる山城『岡城』は、
難攻不落の堅城でした。
総役所跡は、駐車場及び受付に利用されています。
総役所は、岡藩の行政機関・裁判所としての
機能を持っていた曲輪で、藩内からの
様々な案件を処理していた場所です。
岡城の城内には、在りし日を思わせる
数々の遺構を見ることができます。
写真などを撮るのに夢中になっていると
転落する危険があり注意が必要です。
岡城跡の名所の一つ「瀧廉太郎像」
少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた
彫刻家の朝倉文夫により、
昭和25年に作られています。
廉太郎は、少年時代に遊び場にしていた
岡城をモチーフに、名曲『荒城の月』を
作曲したと伝えられています。
瀧廉太郎は、明治12年東京市芝区(港区)生まれ、
明治25年竹田高等小学校に転入しています。
明治27年東京音楽学校(現・東京芸大)に入学。
明治30年に脚気のため竹田に戻り静養、
翌年、東京音楽学校を主席で卒業。
創めて西洋音楽の旋律を大衆に押し広げた
歴史的な歌曲『荒城の月』
春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松が枝えわけいでし むかしの光いまいずこ
1993年の映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」、
『荒城の月』を聴くとこの映画を思い出すのですが、
ドイツへ留学、結核を患い帰国、
音楽への激しい情熱を持ち続けながら、
病気という運命に行く手を阻まれ23歳の若さで
世を去った瀧廉太郎を思い出し、切なくなるのです。
映画の封切りから30年、ロケ地ともなった岡城。
没後120年にこの地を訪れるとは、感慨深いものです。
音楽を身近に感じるとともに、
瀧廉太郎に想いを馳せてもらおうと、
岡城跡の二の丸便益施設内に
ピアノが設置されています。
ストリートピアノなので、自由に弾くことができます。
私も子どもの頃、ピアノのレッスンをしましたが、
ピアニストを志していた廉太郎像の前では
とても弾くことはできませんでした。
『荒城の月』は、JR九州豊後竹田駅の列車到着時に
おけるメロディーとして採用されている他、
国道502号線のメロディロードでも
車が通る度にメロディを奏でます。
岡城跡を一周すると1時間半程かかりますが、
通行量はとても少ないですが、
その間、何度も聞こえてきました。
大分県竹田市大字竹田2761
2023.12.13
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