まるみのあっちこっち巡り

ー32,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

バルト三国 ラディソンBLUラトビアホテル(ラトビア)

2017-05-31 14:15:58 | 2016 バルト三国


「ラディソンBLUラトビアホテル」にチェックイン。
リガ中心部の世界遺産の旧市街から400mの
4つ星ホテルとなります。







スタイリッシュなインテリア、
スーツケースも床に広げられるスペースもあり、
寝に帰るだけの場所には申し分ないでしょう。
もちろん、無料Wi-Fi付。







シャワーブースはありませんが、
清潔で広々としたバスルーム、湯量もタップリ。







ミニバー、紅茶/コーヒーも揃っています。







レストランEsplanadeでは種類豊富なビュッフェ、
リガで唯一の24時間営業のレストランです。
ディナー、朝食もこちらを利用しました。







ランチが軽かったのでちょっと欲張りました。
リトアニアのホテルよりずっと味が良くなりホッ。







デザートの種類も豊富で助かります。







和食を提供している「将軍」というレストラン、
「スカイバー」、カジノもあります。
クルーズの旅に慣れてしまったのでしょうか、
バスで長距離の団体ツアーは疲れてしまい寝るだけです。







フロントは広々とスッキリしています。

ラトビア・リガ

2016.9.22
コメント (2)

バルト三国 ラトビアの首都リガへ

2017-05-30 14:01:54 | 2016 バルト三国


バスは国境を越えてラトビアへと入っていきます。
正式名称はラトビア共和国、
公用語はラトビア語、EU加盟国です。







車窓から虹が見えていました。

北ヨーロッパに位置し、バルト海に面する小さな国、
北海道の77%程の面積に約200万人の人々が暮らしています。
平坦な国土の大半を森が占めています。







ラトビアの首都リガのホテルに2連泊となります。
この日のバスの移動距離は約390km。
チェックインも午後7時頃となりました。







リトアニア同様にラトビアもトロリーバスが
街の中を走っていました。
排気ガスを出さない環境に優しいトロリーバスは、
広い道路での少量の輸送に向いています。

日本では市街地を走るトロリーバス路線は全て廃止されてますが、
社会主義国・旧社会主義国の都市には今も多く残されています。
バス、トラム、ミニバスもあり、毎朝5時頃から
深夜近くまで運行しているのだそうです。







リガの人口は約70万人、バルト三国では最大の都市で、
旧市街全体が世界遺産に指定されています。

ラトビア・リガ

2016.9.22
コメント

新緑と野球とグルメと メットライフドームオーナーズレストラン

2017-05-29 14:21:26 | 埼玉西武ライオンズ戦球場観戦


今回は待ち時間もなくオーナーズレストランへ。
前回は満開の桜と野球とグルメを楽しみましたが、
目にも優しい青々とした新緑を楽しみながら
両軍の練習を見ながらグルメも楽しみます。







試合開始時間は午後2時、晴天、気温も上昇。
運動不足のためか上り坂が厳しいメットライフドーム。







ライオンズがリードしたらサワーを飲むのがマイルール。
試合前だし、ビールにしてしまいましょう。
(普段と違うことをしたら勝てるのではという勝手な解釈)
ツレは運転があるのでアイスコーヒー。







前回もオーダーしたシーフードサラダですが、
ドレッシングを変えてきましたね。
あれ、こんなにツナが入っていたかしら?







おつまみにピッタリのフライドチキンは700円。







やはり、ミックスピザは外せませんでした。
お隣のテーブルも同じものをオーダーしていたようです。







天井に目を向けると1993年、辻選手(現監督)の写真です。
この年に日本シリーズ第2戦(10月24日)を球場観戦、
5対2で敗戦、泣きました。

3勝4敗でヤクルトスワローズが15年ぶり2度目の優勝。

1993年、辻選手が首位打者、最高出塁率、ベストナイン、
ゴールデングラブ賞を受賞しました。
この年のドラフト3位で現在も楽天で活躍の
松井選手が指名を受けています。

1993年、初めてライオンズ後援会に入会したまるみでした。
ここへ来ると過去へも戻ってしまうのです。

メットライフドーム

2017.5.20
コメント

勝てるとは思えなかった試合ですが・・・

2017-05-29 01:17:31 | 埼玉西武ライオンズ
岸投手のホーム初勝利とか、最多動員数を更新したとか、
景気の良い話は楽天ばかりなのですが、
敗因は先発投手、誤算とは言えず想定されたことです。

ファームでは良い成績を残していても1軍ではどうもです。
3回に交代した小石投手もあらまあといった状態。
それでも4回には立ち直りました。

こんな試合を見ていてもと思いながらも
用事を済ませながら観戦していれば、
9回に応援している永江選手にやっと初ヒット。
見逃さずに良かったです。
すぐにダブルプレーとなってしまいましたが、
ほんの束の間の幸せな時間だったのです。

Koboパーク宮城

西2-13楽

コメント (2)

バルト三国 十字架の丘を目指して

2017-05-28 13:09:08 | 2016 バルト三国


ランチの後はバスはラトヴィアのリガを
目指して緑の中を進んで行きました。

車内では2005年に放映された反町隆史主演テレビドラマ
『日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ』の
ビデオが流されました。
眠りたいところですが、久しぶりに見ることに。







途中、十字架の丘を目指します。
ここでまるみも十字架を選んで購入しました。







迷いに迷ってこちらの十字架に決定
十字架を購入する日があるとは思ってもいないことでした。







十字架を持って丘を目指して歩きます。
もちろん強制されるものではありませんが、
折角来たので世界の平和を願いましょう。







リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する
巡礼地である十字架の丘は、リトアニアの観光名所。

シャウレイという街は、北部リトアニアの
経済、文化の中心地ですが、2度の世界大戦で
旧市街や建物は破壊されました。







初めてここに十字架が建てられたのは1831年の
ロシアに対する11月蜂起の後であると
考えられているそうですが、今では十字架だけではなく
イエスの受難像、聖母マリア像、ロザリオなども。







そして、色々な国の言葉で
祈りや願いが書かれていました。







十字架の正確な数は分かってはいないでしょう。
今では誰でも自由に出入りし、十字架を立てることができます。
この日だけでも多くの人が訪れて十字架を立てました。
朽ち果てそうなものもありました。







リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、
十字架の丘は特別な意味を持っていたそうです。

丘へ行き十字架を捧げることで、
リトアニアの人々はリトアニアの宗教や遺産への
忠誠心を示し、非暴力による抵抗を表していたのです。







ソ連は3度にわたりブルドーザーで
この丘にある十字架を撤去しようとしました。







ある本によると教科書で杉原千畝氏の人道的な行動を学び、
世界有数の親日国になったリトアニア。
天皇皇后両陛下のご訪問も他国の王族とは
どこか違うと尊敬の念を抱かれたとか。







複雑な歴史の中で痛みに耐えたリトアニアの人々
だからこそ理解してくださるのでしょう。
若年層は日本のアニメの影響かもしれませんが、
親日国の期待を裏切らないようにできたらと思います。

リトアニア・シャウレイ

2016.9.22
コメント

映画 エルミタージュ美術館 美を守る宮殿

2017-05-27 13:48:54 | 映画(劇場鑑賞)
今、最も行ってみたいと思っている美術館の一つがエルミタージュ美術館。
現在も六本木で「大エルミタージュ美術館展」を開催中ですが、
何度となく開催されているエルミタージュ美術館の展覧会は、
最も行った回数の多い展覧会の一つです。

世界三大美術館の一つ、世界最大で最古の美術館の一つ、
その膨大な所蔵品も世界一で約310万点を誇るそうです。

エルミタージュ美術館には2000の部屋があるといいます。
その所蔵品を1点1分ずつ、1日8時間観ても17年以上かかると
プログラムに書かれていて改めて驚きました。

ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」「ブノワの聖母」
ミケランジェロの彫刻、ラファエロの絵画、
カラヴァッジョにベラスケス、レンブラントもこんなに・・・。

ロシアへ行っても見られないエカテリーナ二世のコレクション。
至宝の数々に出会うことができます。

第二次世界大戦下、レニングラード包囲戦の最中に
美術品を守るためウラル山脈に疎開させたり、
過酷な歴史を生き延び、所蔵作品を守っていきました。
美術館職員も100人以上の犠牲者を出しましたが、
命を懸けて次の時代へ繋ぐために奔走したのです。

映画の最後の館長の言葉
「エルミタージュはロシアの歴史そのもなのです」
その言葉に尽きるようなドキュメンタリー映画でした。

監督・脚本・製作:マージー・キンモンス
声:トム・コンティ
出演:ミハイル・ビオトロフスキーエルミタージュ美術館館長/
レム・コールハース/アントニー・ゴームリー他
2014/イギリス/英語、ロシア語/83分

ヒューマントラストシネマ有楽町

2017.5.18
コメント

バルト三国 カウナスでのランチ

2017-05-26 14:32:05 | 2016 バルト三国


カウナス市内観光も終了して、
ホテルでのランチタイムとなりました。







国内旅行では昼からビールは飲まないのですが、
海外では甘いジュースを飲むよりビール、
あるいはミネラルウォーターをいただきます。
それにしても量が多いです。







リトアニア料理の中で一番有名な食べ物が黒パンで、
「聖なる食べ物」とも呼ばれるそうです。
その黒パンを使ったおススメ料理が、
黒パンをくり抜いた容器に入ったスープ料理。

こちらはお皿に盛りつけられただけのスープですが・・・







こちらはじゃが芋を使った伝統料理で
「ツェペリナイ」という料理です。
品質改良が進んでいる日本のじゃが芋とは違い、
素朴な味わいとでもいうのでしょうか。







デザートはフルーツ。







ツアー料金に見合ったお食事なのだと思います。
お隣のポーランドを訪れた時は、グルメなツアーで
ランチでも食べきれないほどの料理が出ましたが、
それを思い出す旅でもありました。

リトアニア・カウナス

2016.9.22
コメント

バルト三国 カウナス市内観光(リトアニア) 

2017-05-25 14:40:50 | 2016 バルト三国


広場の中心にある白い教会のような旧市庁舎、
建物の様子から「白鳥」とも呼ばれるようです。

市庁舎の建設は1542年に始められ、その建築様式は
主にゴシック、バロック、初期古典様式の3つから成り、
塔の高さは58m、現在は結婚登記所であり、
ミュージアムでもある存在感のある建物です。

カウナスの見どころは、ヨーロッパでよく見かけるように
市庁舎前広場の近くに点在しています。







「ペルクーナスの家(雷神の家)」
リトアニアの貿易の拠点であったと考えられている
ペルクーナの家は、オリジナルのゴシックの
モニュメントで15世紀後半に建てられたそうです。

「ペルクーナス」という名前はリトアニアの
多神教の伝統を敬うためにつけられたといわれます。







聖ペトラスと聖パウリュスの大聖堂は、
カウナス市で最初の石造りの建物の一つで、
1413年頃にヴィタウタス大公の命により
設けられた大聖堂です。







残念ながら修復中ですが、ゴシック及び
ルネサンス様式の建築です。






1946年3月24日にこの町を襲った洪水の水位表です。
大きな被害を被ったことが想像できます。







アリとキリギリスのオブジェが気になり目を止めました。
機器や道具などを展示した通信に関する博物館とか。
カウナス市は美術館や博物館も多い街です。







目に留まるアートギャラリーもあったり、
豊かな歴史と若さに満ちた街を感じました。







学園都市カウナスの雰囲気が漂うようでしょう?







リトアニアでショッピングといえば、琥珀が有名です。
「リトアニアの金」とも呼ばれているようです。
かつてリトアニア人は琥珀を魔除けとして身に着けていました。
今では琥珀のセラピーも人気が高まりつつあるとか。







第一次世界大戦時、カウナスは9つの砦に囲まれていたとか。
逃げ隠れできない道でちょっと怖いところに出てしまいました。







1503年完成のゴシック様式の教会は、聖ゲオルギ教会。
17世紀の戦時中は3度の火災に遭い、
ナポレオンは倉庫にし、ソ連占領時代は薬品庫と
数奇な運命を辿るものの現在は本来の教会として活躍しています。

リトアニア・カウナス

2016.9.22
コメント

西武vsソフトバンク 8回戦観戦記録

2017-05-24 13:08:24 | 埼玉西武ライオンズ戦球場観戦


“埼玉西武”10周年アニバーサリーシリーズの2戦目。
睡眠不足ではありますが、試合前の練習風景も
見るために早めに球場入りしました。







記念品をもらいたいから観戦しに行くのではないのですが、
ゲットする確率は高いと思います。
西川産業製のしっかりとしたタオルです。







先発オーダーの水口選手に喜びましたが、
栗山選手の名前が今日もないことにショック。







初回にデスパイネ選手のタイムリーで1点先制されるものの
2回裏、木村文選手が逆転2ランホームラン。







どこへボールが落ちたのかは見失ったのですが、
ライオンズファンのいるレフトスタンドへ。







四球を選んで出塁していた外崎選手と
木村文選手が生還して1点リード。







水口選手もヒットで出塁し、盗塁成功2塁。
秋山選手が四球、中田投手の暴投で1,3塁。







2アウトで浅村キャプテンが3ランホームラン。
この回一挙に5点が加わったライオンズ。







そして、そのホームランは記念すべき100本目。







レフトスタンドのファンに一礼。







3回表、柳田選手に犠牲フライで1点返され5-2。
外崎選手が二塁打、岡田捕手が死球を受け1,2塁で
木村文選手がレフトへのタイムリーヒットで6点目。







交代したばかりの飯田投手から水口選手が
タイムリーツーベースで7-2とリードを広げます。
小柄ですが、身体能力の高さはピカ一。
内野手ですが、外野手の練習も始めるようです。







3年目の佐野投手が先発し、
5回を投げて4失点、もう少し頑張りましょう。







貴重な中継ぎの武隈投手は、6回を三者凡退。







地を這うアンダースローの牧田投手は7回、簡単に2アウト。
しかし、柳田選手にホームランを打たれてしまいました。
内川選手もヒットで出塁させてしまうとドキドキしますが、
デスパイネ選手は変化球で空振り三振に。







8回は新外国人右腕のシュリッター投手。
195㎝の長身から投げ下ろす速球で三者凡退。







2点差に迫られて追加点が欲しいライオンズ。
秋山選手がライトへ出塁し、期待も高まりましたが、
残念ながら追加点ならずでした。







しかし、心配は無用でした。
ライオンズの守護神増田投手が三者三振とピシャリ。






勝利投手:西武・佐野投手(2勝0敗0S)
敗戦投手:ソフトバンク・中田投手(4勝3敗0S)
セーブ:増田投手(0勝1敗6S)

観衆数:31,661人
試合時間:3時間28分

メットライフドーム

2017.5.20
コメント

バルト三国 アレクソタスの展望台・カウナス城

2017-05-23 14:04:53 | 2016 バルト三国


リトアニア第二の都市カウナスは、
ソビエト連邦併合以前のリトアニアの首都であり、
リトアニアで唯一のハンザ同盟の古都で、
600年以上もの歴史がある街です。







リトアニアのほぼ中央に位置し、
ネムナス川とニャリス川の合流点にある
市の中心部は歴史的な町並で有名です。

このアレクソタスの展望台からも複雑な地形、
沢山の緑地があることがわかります。







学園都市でもあり、24の高等教育機関があり、
毎年4万人以上の学生が学ぶ、若さに満ちた街です。
バスケットボールの首都と言われるほどで、
有名な選手を生んでいるのだそうです。







急な丘の斜面に作られたケーブルを進むケーブルカーは、
ヨーロッパで最も古いケーブルカーの内の一つとされています。







ケーブルカーの速度は秒速2メートル、
一度に36人の乗客を運ぶことができるそうです。

このケーブルカーでカウナスの旧市街を一望できる
展望台に上ることができるわけですが、残念なことに
私達はバスで上ってきたので乗車してはいません。







カウナス城は、リトアニアで一番古い石で作られた城で、
13世紀にドイツ騎士団の侵攻に備えるために建造されました。
昔話では、ポナ女王の軍隊はカウナス城の地下で
消えてしまったと伝えられています。

ポーランド王、リトアニア大公であったジグムント1世の
2番目の妃であるボナ女王は、
現在のポーランド料理の母といわれているとか。







さらに、16世紀にはカウナス城に刑務所があり、
城は未だに成仏できない囚人の霊に
取り憑かれているとの話もあるようです。







ワオ~!!
怖くて動けなくなっちゃったのかも

リトアニア・カウナス

2016.9.22
コメント

臨時特急「プラチナ・エクスプレス」で秩父へ行こう!! 秩父街巡り 後編

2017-05-22 14:46:39 | お出かけ 関東


秩父名物そばをツルッといきたいと「そば処入船」へ。
そばがなくなり次第終了してしまうので
並んだものの諦めることにしました。

摺り込んだくるみとつゆを混ぜながらのばした
つけ汁の風味豊かな「山くるみそば」が人気です。







このあたりはレトロな建物が並んでいます。







路地も魅力的な古い街並みです。







秩父ならいつでも行けると思いながらも
街歩きをしたのは数少なく、
並んでいる時間がもったいなくなりました。







京都祇園祭、飛騨高山祭とならんで日本三大曳山祭りの
一つに数えられる「秩父夜祭」の資料展示館である
「秩父まつり会館」は休館していました。







最初に訪れた秩父神社です。
この鳥居へ続く表参道が「番場通り」です。







かつては門前の商店街や歓楽街として
賑わいをみせたそうですが、今ではアニメの街







当時の面影を残す街並みが今も残されています。
秩父と言えば、肉の味噌漬けも人気ですよね。







広範囲に貨幣として流通した日本最古の貨幣とされる
「和同開珎」は、埼玉県秩父市黒谷にある
和銅遺跡から和銅が産出し、
「和同開珎」が造られたとされています。







天保年間に建築された薗田家住宅表門、
主家とともに登録有形文化財に指定されています。







昭和初期の装飾性に富んだ店舗兼用住宅の
小池煙草店も登録有形文化財です。

古い歴史や伝統が残るノスタルジックな
雰囲気がそこかしこに漂う秩父、
立ち寄りたいカフェや食事処も多い魅力的な街です。

埼玉県秩父市

2017.2.19
コメント

劇的なプロ16年目の初のサヨナラホームラン!

2017-05-22 01:26:58 | 埼玉西武ライオンズ
現地観戦で栗山選手の名前が
先発オーダーになかったのは寂しいことでした。
ライオンズストアでグッズを購入しようか迷っている
まるみのそばで、「栗山はもう引退だろうしな」の
声がしてとても悲しい思いをしたのです。

でも、9回の栗山選手のサヨナラホームランは、
映画でも芝居でも決して見られない劇的なシーン。
本物の筋書きのないドラマでした。
何度も繰り返してみたいシーンでもあり、
スポーツニュースをハシゴしました。

先発投手の発表があった瞬間は、勝ったなと思ったのです。
案の定、先発の寺原投手はコントロールが定まらず、
3回炭谷捕手への危険球退場となります。

6回4点のリードがあるものの好投していた
先発ウルフ投手に疲れが出始め、
1点リードで交代も逆転されてしまいました。
ああ、もっと早く交代しておけば・・・。

6回裏、5本目の3ベースヒットの源田選手。
浅村キャプテンの犠牲フライも
源田選手の足があればこそですぐに同点になったことも
この試合を決めた一つの要因でしょう。

毎日凄い試合を見せてもらって幸せです。

メットライフドーム

西7-6ソ
コメント

“埼玉西武”10周年アニバーサリーシリーズ勝ちました!!

2017-05-21 01:04:27 | 埼玉西武ライオンズ戦球場観戦


1点ビハインドで迎えた2回裏、四球で外崎選手が出塁、
見送りバントで2塁に進むと木村文選手が逆転となるツーラン。







水口選手のヒット、秋山選手が四球、盗塁、暴投があり、
ツーアウト1,3塁の3-0からレフトスタンドへの
3ランホームランが浅村キャプテンの記念すべき
100号本塁打となりました。







この大事な試合を佐野投手の先発で大丈夫、
勝てるわけないでしょうと思っていたのですが、
先にノックアウトしたのはホークス中田投手。
3回にも木村文選手、水口選手の連続タイムリーで
7失点とはホークスとしては大誤算でしょう。







片足打法の水口選手もヒーローにしても良かったのに。







“埼玉西武”10周年アニバーサリーシリーズ
今日はまるみもビジターユニホームで応援し、
記念のタオルもいただきました。

今日は負けを覚悟していただけにうれしいです。
今年の観戦はオープン戦も含めて
ホークス戦ばかりですが、3連勝なのです。

メットライフドーム

西7-5ソ
コメント

臨時特急「プラチナ・エクスプレス」で秩父へ行こう!! 秩父街巡り前編

2017-05-20 12:34:10 | お出かけ 関東


抽選券を持って真っ先に向かったのが「ほっとすぽっと秩父館」
景品は、イチローズモルト、秩父錦など秩父名産品です。







イチローズモルトが欲しかったのですが、
参加賞といった感じのクッキーをいただきました。
美味しかった、ご馳走様でした。







秩父が舞台設定のモデルになったアニメ「あの花」&「ここさけ」
ライオンズともコラボしたグッズがここにも。







まるみの秩父のイメージはこんな感じなのですが・・・。







マイカーで来ていれば買って帰りたいのに。







雲一つない青空のもと街歩きを楽しむには
荷物は軽い方が良いので野菜は諦めましょう。







築90年の土蔵を改築した「たべものや 月のうさぎ」
地元産の季節の山の実りと有機野菜にこだわった
オーガニック料理がいただけます。







大正時代に繁栄した銘仙問屋の店舗・主屋を利用した
「秩父ふるさと館」は、「観光・食品コンビニ」
お土産から食事、夜はお酒が楽しめる観光拠点です。







奥行があるので色々なお店が入っていて、
落ち着いた雰囲気に満ちています。







アニメ「あの花」&「ここさけ」のコーナーも。

埼玉県秩父市

2017.2.19
コメント

バルト三国 杉原記念館(旧日本領事館)

2017-05-19 13:56:59 | 2016 バルト三国


1939年9月第二次世界大戦が勃発、
ドイツと旧ソ連はポーランドを占領し、
約12000人のポーランド系ユダヤ人は当時まだ
独立国であったリトアニアに避難しました。

その年の11月23日、杉原千畝領事代理は、
カウナスに日本領事館を開設しました。
ここが、のちに何千という第二次世界大戦の
亡命者にとって新しい人生の門となる場所です。
(パンフレットより)







1999年にリトアニアとベルギーの知識人と実業家により、
設立された「杉原ー命の外交官基金」は、
何千ものユダヤ人を救い、市民社会と寛容さという
観念を広めた杉原千畝氏とヤン・ツバルテンディク氏の記憶を
不朽にする目的で設立されました。







杉原千畝氏の紹介映像を先に見ることになりますが、
日本の杉原千畝記念館が制作したもので、既に承知している内容、
この時間を利用して展示物などを鑑賞したかったと思います。
(ツアーの不便さを感じました







展示物をゆっくりと読む時間はありませんでした。
日本の旅行会社のツアーがこの狭い記念館に集中し、
長蛇の列の化粧室に並んだり、お土産を購入したためです。

前年の12月に唐沢寿明主演の映画「杉原千畝」の公開もあって
バルト三国のツアーは人気を博したようです。
ちなみにロケは全てポーランドで行われており、
こちらで撮影があったわけではありません。







杉原千畝氏の執務室です。

ナチスの迫害を恐れ、日本を通過するビザを求め、
ユダヤ難民が1940年7月領事館を訪れるようになりました。

当時日独伊防共協定を結んでいたため、
日本政府が許可するはずもなく、杉原氏は
「命のビザ」を発行することを決断するのです。
それは苦渋に満ちたものでした。







ソ連のポーランド侵攻でソ連領になっていたヴィリニュス。
それを一旦リトアニアに戻した時期に
多くのポーランド系ユダヤ人がヴィリニュスに移動、
各国の大使館が集まるカウナスを目指しました。

ナチスやソ連に捕まる前にどこかの国のビザを取得し、
安全なところへ逃れる、それが彼らが生き延びる
唯一の手段だったのです。







ペンが折れても、出発の汽車でも書き続けた貴重なビザ。
その日本通過ビザを手に受け入れ国を目指したユダヤ難民は、
モスクワ、ウラジボストークを経て海路、敦賀へと逃避行。

最終的には多くの難民が新天地へ渡航できたのですが、
杉原氏の意志を繋ぎ、強い絆でリレーした
日本人がいたからできたことなのです。







ここまで来たからには記念品を購入。
スタッフの日本語の美しいことといったら感激です。
リトアニアでは、中学校から日本語を選択できるとか。
(目的は日本のサブカルチャーのようですが・・・)







ご家族と共にこの領事館で過ごされた杉原氏。
「私達はどんな危険なところでもパパについていきます」
幸子夫人の支えも大きかったことでしょう。







杉原千畝氏のことを初めて知ったのは、
テレビ「知っているつもり」で放送された1991年。

杉原氏の功績は讃えられるべきものが多いのですが、
その功績を日本政府が長い間封印し続けたため、
私達は知ることさえできないでいたのでした。

彼らは人間で、助けが必要だった。
喜ばしいことは、自分のなかにその助けを与える
決定する力を見出したことである。

(パンフレットより)

リトアニア・カウナス

2016.9.22
コメント