まるみのあっちこっち巡り

ー32,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

日本100名城 名護屋城

2024-08-11 00:19:16 | 日本100名城



豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、
(朝鮮出兵の足がかりにするため)
国内拠点として築いた城です。







わずか5ヶ月で築城され、当時の大阪城に
次ぐ規模を誇った名護屋城。
安土桃山時代の貴重な
技術を示す石垣が残っています。







周辺には全国から参集した大名の陣屋が
150以上も建てられ、人口20万人を超える
城下町が出現したと言われます。







国内でこれほどの名だたる武将が
一堂に会した城、陣跡はありません。
関ヶ原の戦いの後、唐津城を築城した際に、
その一部の遺材を使用したとか。







本丸の広さは東西130m、南北125mで、
西北の隅に天守がおかれていました。
この天守台からの玄界灘の眺望は素晴らしく、
壱岐、対馬も望見できます。







陣城でありながら、本丸、二の丸、三の丸を中心に、
多くの高石垣で構築された曲輪が配され、
城域は約17万㎡にも及ぶ壮大なものでした。







別名:ー
種別:平山城
築城者:豊臣秀吉
築城年:1592年
主な城主:豊臣氏

佐賀県唐津市鎮西町名護屋1938-3

2023.12.9


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日本100名城 大野城

2024-08-03 00:08:26 | 日本100名城



白村江の戦いで大敗した大和朝廷が、
新羅・唐連合軍の襲来に備え、
太宰府を守るために築いた山城が大野城。







標高410メートルの四王寺山(大城山)の
山頂を中心に馬蹄形状の尾根から谷を廻る土塁と
石塁の外周城壁は、約6.8kmあります。







南側と北側の土塁が二重となり防備を固め、
城域は東西約1.5km×南北約3kmの、
日本一の大規模な古代山城です。







城は亡命百済人の指導による朝鮮半島の
築城方法によって造られました。

天智政権は白村江の敗戦以降、
唐・高句麗・新羅の交戦に加担せず、
友好外交に徹しながら、防衛体制を整えたとか。







万が一の場合には、城内に太宰府の機能を
移すことも考えて設計されていたといいます。







城壁の総延長は約8㎞にもおよびます。
城内に残る多くの礎石建物群からも
そのスケールの大きさを実感できます。







別名:ー
種別:山城(朝鮮式)
築城者:大和朝廷
築城年:665年
主な城主:ー

福岡県太宰府市・大野城市・宇美町

2023.12.8


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日本100名城 福岡城

2024-07-31 00:21:47 | 日本100名城



関ヶ原の戦いでの功績により筑前に入国した
黒田孝高・長政父子が築いた城です。







丘陵の先端に本丸を築き、北・西・南の守りを
東の二の丸、二の丸、南の二の丸が固めていました。
その外側に三の丸があり、これらを囲む水堀は
幅50メートルを超えていたとか。







城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、
復元された櫓や城門が点在し、
南二の丸多聞櫓と続く南二の丸南隅櫓は
国の重要文化財に指定されています。







城跡の主要部分は国の史跡に指定され、
舞鶴公園と大濠公園になっています。
本丸御殿、武具櫓、本丸裏御門、太鼓櫓、
松ノ木坂御門などの復元計画もあるようです。







東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門。
門を入ると右手に直角に曲がる階段があり、
攻め手が簡単に攻められない構造になっています。
三の丸には黒田二十四騎と呼ばれる
重臣たちの屋敷がありました。







別名:舞鶴城
種別:平山城
築城者:黒田長政
築城年:1601年
主な城主:黒田氏

福岡県福岡市中央区城内

訪問日 2023.12.8他


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日本100名城 仙台城

2024-05-29 00:07:51 | 日本100名城



独眼竜政宗が築いた天険の城である仙台城は、
1600年から2年余りで一応完成しました。
大手門は桃山様式の豪壮華麗な城門でしたが、
戦災で焼失し、写真は復元された脇櫓です。







城は、東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、
西が険しい山に囲まれた天然の要塞、
石垣は主に本丸の周りに築かれました。







天守はあげませんでしたが、本丸には御成門、
大広間(およそ430畳)などの御殿を建てました。
平山城になるのは二代忠宗が二の丸を造営、
藩制の中心となってからです。







仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城。
仙台城跡のうち仙台市が所有している区画の
青葉山公園はごく一部で、護国神社や東北大学が
所有している区画が多く、車で石垣などが見て回りました。







5歳の頃、疱瘡を患い右目を失明、
「独眼竜」の異名をとる伊達政宗の銅像。

戦国時代を生き抜き、仙台藩62万石の
礎を築き、能、和歌、茶道、香道、料理などを
趣味とし、人をもてなすことを大切にされたとか。







仙台城には御殿や櫓は残っていませんが、
石垣や堀跡・土塁などの遺構を見ることができます。

こちらの施設はガイダンス施設の
「仙台城見聞館」(無料)です。
100名城スタンプはこちらで押印。







地震や雷火などで度々被害を受けた仙台城。
東日本大震災でも被災しましたが、
石垣復旧工事は完了しています。

別名:青葉城
種別:山城⇒平山城
築城者:伊達政宗
築城年:1600年
主な城主:伊達氏

宮城県仙台市青葉区川内

2023.10.31


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日本100名城 金山城

2024-03-18 19:52:30 | 日本100名城



群馬県太田市のほぼ中央にそびえる
標高235.8メートルの独立峰、
全山アカマツに覆われた
金山にあった金山城。







頂上の本丸を中心にそこから延びる
尾根を削平して曲輪を造り、
堀切・土塁で固く守った
巨大な戦国の山城です。







山を登っていくと馬場下通路が見えてきました。
この通路は防御上、土橋から見通せないよう
曲がった通路となっています。








馬場曲輪は上下二段の曲輪からなり、
それぞれ石垣が設けれれています。
四阿が建てられ、排水路も見えます。







復元された大手虎口は、石で埋め尽くされた通路。
両側は脇曲輪、その奥が土塁石垣です。







「戦国時代の関東の山城には本格的な
石垣普請の城はない」という
従来の定説が発掘調査で覆されたほど、
多くの石垣が多用されています。







越後の上杉氏や甲斐の武田氏など
名だたる武将たちに攻められましたが、
落城することが一度もなかった
堅固な城だったといいます。







三の丸の下にある「日ノ池」は、出土品から
祭司的な場であったと考えられています。







本丸跡とされている地点に新田神社があります。

別名:新田金山城、太田金山城
種別:山城
築城者:岩松家純
築城年:1469年
主な城主:岩松氏、由良氏、後北条氏

群馬県太田市金山町40-98他

2023.9.19


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日本100名城 今治城

2023-11-20 23:59:19 | 日本100名城



瀬戸内海に面し、「吹揚の浜」と呼ばれた
砂丘地帯に築城の名手として名高い藤堂高虎が、
1602年に築城を開始、約6年の歳月をかけて
ほぼ完成されたという今治城。

武将の像としては珍しく平服姿の騎馬像。
時代を先取りし、平和な時代の城づくりを
考えた高虎に相応しい姿、今治城のシンボル。







海水を取り入れた水堀を曲輪の周囲に巡らせ、
内堀・中堀・外堀の三重の水堀で囲う
広大な城であった今治城は、
日本屈指の海城で、来島海峡の監視基地。







今治城の正門にあたる鉄御門は、
扉や柱に鉄板を使用した
最も堅固は枡形虎口の門で、
格式の高い城にしかない特別な門。







今も満潮時になると堀の北側にある水門から
海水が流れ込むそうですが、
かつて舟入には軍船が出入りできたとか。

別名:吹揚城、美須賀城
種別:平城(海城)
築城者:藤堂高虎
築城年:1602年
主な城主:藤堂氏、松平(久松)氏

愛媛県今治市通町3-1-3

2023.4.28


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日本100名城 宇和島城

2023-10-06 01:32:46 | 日本100名城



宇和島の中心部に位置する標高約80mの
丘陵に築かれた宇和島城は、
江戸時代以降の姿をとどめる
現存十二天守のひとつがそびえ立ちます。







1615年に伊達政宗の長男、秀宗が入城後、
明治を迎えるまで"西国の伊達"9代の居城でした。







近世城郭は築城家として名高い武将の藤堂高虎によって、
1596年から1601年にかけて築かれたのち、
現在の天守は伊達家の居城になってから再建、
城構えは藤堂高虎が創建した当時のものを引き継いでいます。







各階の装飾性の高い破風や懸魚などから
太平の世を象徴するものとして評され、
小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、
非常に格式を重んじた造りとなっているそうです。







天守の最上階からは伊達十万石の城下町が望め、
本丸の先に宇和島港と海が見える景観は、
かつて城が海辺にあった時代をイメージさせます。







かつては大半が海に面し、堀も築かれていたとか。
その名残は今の町割りや道路に見られます。







石垣は高虎から伊達家のものまで
新旧様々な積み方を見ることができます。

別名:鶴島城
種別:平山城
築城者:藤堂高虎
築城年:1596年
主な城主:西園寺氏、戸田氏、富田氏、藤堂氏、伊達氏

愛媛県宇和島市丸之内1

2023.5.1


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日本100名城 大洲城

2023-09-24 01:25:13 | 日本100名城



大洲城の始まりは、1331年に宇都宮豊房が
地蔵ヶ岳に城を築いたことによります。
近代城郭に改造したのは藤堂高虎といわれ、
天守を築いたのは脇坂安治の時代です。







天守は、1888年まで残されていましたが、
取り壊されることとなりました。
しかし、4棟の櫓は解体を免れ、
いずれも国の重要文化財に指定されています。







4層4階の天守は、明治期の古写真や
「天守雛形」と呼ばれる江戸期の
木組模型などの史料をもとに
2004年に木造で復元されました。







復元天守の内部を見ましょう。
1階、2階は他の城にない吹き抜けの
構築が施されています。







使用した木材はすべて国産材。
城郭建築特有の迫力ある
木組みが見られます。







清流肱川の畔に城が築かれ、
(前日の雨で濁っていますが)
多くの武将達が主となった大洲城。

別名:地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城
種別:平山城
築城者:宇都宮豊房、脇坂安治
築城年:1331年、1609年
主な城主:宇都宮氏、戸田氏、脇坂氏など

愛媛県大洲市大洲903

2023.4.30


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日本100名城 湯築城

2023-09-17 00:27:00 | 日本100名城



16世紀前半、伊予国の守護であった河野氏が、
館型の城だった湯月城を整備し、
戦国期拠点城郭へと転換させました。
主な遺構は土塁と堀です。







この地を支配していた河野氏の歴史、
城のジオラマや鎧などが展示されている
湯築城資料館は無料で見学できる施設。
日本100名城のスタンプはこちらにあります。







展望台から城の大きさを確認してみましょう。
QRコードから復元CGで映像と解説を聞きます。

1587年には廃城しており、松山城で湯築城の
瓦等の建材が流用されたことが
発掘調査により判明しているそうです。








城は丘陵部とその下の平地部からなり、
比高約30mの丘陵部を二重の堀と
土塁で囲んでいます。







内堀と外堀の間に河野氏の屋敷や
直属の武士の屋敷などが建ち、
平地部は、庭園を伴う上級武士と
その他の武士と居住地が分かれていたとか。







城内に居住区も有するという近世城郭の構造を
安土城より40年も早く築き上げていました。
戦国時代中頃の大規模な堀や土塁が良好に残る
稀な遺構として歴史的価値も非常に高いものです。







別名:湯月城
種別:平山城
築城者:河野通盛、河野通直(弾正少弼通直)
築城年:南北朝期、1535年
主な城主:河野氏

愛媛県松山市1

2023.4.30


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日本100名城 水戸城

2023-02-25 00:35:22 | 日本100名城



近世水戸城は、水戸藩35万石を治めた
徳川御三家の一つ水戸徳川家の居城です。

正門にあたる最も格式の高い大手門は、
江戸時代初期の様式を残す古風な城門です。
1601年頃に建てられ、何度か建て替え、
解体され、2020年復元されました。







現存する唯一の遺構が、薬医門。

石垣を用いず、土塁と堀のみで
守りを固めている水戸城。







本丸跡と二の丸跡の間を走るJR水郡線。
こうした深い堀底を見ると、
防衛力の高さを実感できます。

土塁と堀によって、東から「下の丸」「本丸」
「二の丸」「三の丸」の4つの区画(曲輪)を構築。
土造りの平山城としては国内最大級の規模です。







2021年に復元された水戸城二の丸隅櫓
櫓本体は、2階建の角櫓と、その北側・東側に
接続される2つの多聞櫓から構成されており、
全体でみるとL字型をしています。

城内には4基の角櫓が建てられていましたが、
城下から武士や町人が水戸城を見上げたときの
眺望を意識して作られたと考えられています。







三の丸にある藩校・弘道館は国の特別史跡。
儒学だけでなく、医学、兵学、武芸など
実用的な科目も備えた総合大学ともいえるもので、
国内最大規模の藩校、他藩にも大きな影響を与えました。







別名:馬場城、水府、
種別:連郭式平山城
築城者:馬場資幹
築城年:建久年間(1190年 - 1198年)
主な城主:大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏

茨城県水戸市三の丸

訪問日 2023.2.20他

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日本100名城 佐倉城

2023-02-24 00:07:01 | 日本100名城



佐倉城は、戦国時代中頃(1532~1555)に
鹿島幹胤が築いたといわれる中世城郭を原型として、
土井利勝によって1611年~1617年頃までの間に
築城された平山城になります。







城郭は石垣を一切用いず、土塁と深い空堀と、
水堀で守られた土造りの近世城郭である佐倉城。
德川家康により、江戸の東を守る要として
重要視されました。







干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にして
三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としています。







幕末の日米修好通商条約の交渉にあたった
老中首座・佐倉藩主の堀田正睦の像。

歴代佐倉城主のうち9人が老中となっており、
これは全国最多で、「老中の城」と呼ばれています。







北に印旛沼、西と南に川が流れる低地に
西向きに突き出した「馬の背」と呼ばれる台地。
地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて
守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と
町家、仏閣を配して城下町の守りを固めたそうです。







別名:鹿島城
種別:平山城
築城者:鹿島親幹
築城年:天文年間(1532~55)
主な城主:鹿島親幹、千葉邦胤、土井利勝、堀田氏

千葉県佐倉市城内町

訪問日 2023.2.21

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日本100名城 鉢形城

2023-01-22 00:34:08 | 日本100名城



正喜橋を渡り、信号を右手に
見えてきたのが鉢形城復元地形模型です。
1/250スケールの鉢形城の全貌を
一望することができます。







鉢形城は、戦国時代の代表的な城郭跡として
1932年に国指定史跡となりました。
2006年には日本100名城にも選定されています。







荒川の向こうには街並みが広がっています。
この荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上にあり、
曲輪が連なる錬郭式の平山城です。
荒川の急流を堀とし、断崖を防壁としていました。







寄居町の花、カタクリの群生地があり、
3月下旬から4月上旬までカタクリの
可憐は花が楽しめるようです。







樹木展示林では、約680種もの
国内・外国産の樹木を見ることができます。







交通の要衝にあたり、上州や信州方面を望む
重要な地点であったこの地に1476年、
関東管領であった山内上杉氏の家臣
長尾景治が築城したと伝えられています。







1590年の豊臣秀吉の小田原城攻めの際、
後北条氏の重要な支城として、
前田・上杉等の北国軍に包囲され、
攻防戦が展開され、城兵の助命を条件に
開城されますが、城の堅固さを実証。







以前来た時にはなかった鉢形城歴史館へ。
入口入って左側に100名城の
スタンプが設置されています。







鉢形城の歴史を中心に地域の文化や歴史を
学習・体感することができる歴史館。

三つの曲輪や伝秩父曲輪には、
発掘調査の成果をもとに戦国時代の築城技術を
今に伝える土塁や門、池などを復元。







四季折々の花や紅葉を楽しみながら
散策するのにも良い歴史公園です。







別名:ー
種別:平山城
築城者:長尾景治、北条氏邦
築城年:1476年、1558年~1570年
主な城主:長尾氏、北条氏、後北条氏

埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2

訪問日 2022.12.27

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日本100名城 箕輪城

2023-01-19 00:04:08 | 日本100名城



箕輪城跡は榛名山の東南麓に広がる
独立丘陵上の中心部に位置します。

1987年に群馬県の戦国時代を代表する
城郭跡として国史跡に指定、
2005年に「日本百名城」に選定されました。







城の西側を流れる榛名白川や白の南側に存在した
椿名沼と呼ばれる湿地帯など自然の地形を
巧みに利用した構造になっています。

城域面積約36haと戦国時代の上野国において
屈指の規模を誇る城郭だったそうです。







発掘調査をし、最後の井伊直政期を中心に
門跡、石垣、石組の排水溝、土塁、堀、
掘立柱建物跡が見つかりました。








箕輪城を象徴する城門の一つであったと
想定される郭馬出西虎口門が2016年に復元。
(一番上の写真)

瓦の出土がなく屋根は板葺と推定されました。
伝統的工法で復元を行うため、
多くの工程があり、2年の歳月をかけて
最初の写真の郭馬出西虎口門が完成しました。







巨大な堀と土塁、巧緻な縄張りの堅固な
土造の城でしたが、最後に入った徳川家康の
譜代井伊直政によって石を多用した
近代城郭に大改修されています。







見どころの一つ二の丸から鍛冶曲輪の
南側に掘られた大堀切です。
幅30m、深さ20m、
城を南北に二分しています。







本丸から御前曲輪にかけて東側は土塁で防御、
土塁の右側は深い空堀です。







搦手口から二の丸を望みます。
長野氏・武田氏の時代はこちらが
大手口だったようです。







長野氏は武田氏の西上野侵攻の際、
この箕輪城を本拠に最後まで抵抗するも
武田信玄に落とされ、後に、武田氏、織田氏、
北条氏、徳川氏といった戦国大名の拠点として、
各大名の有力家臣が配属されました。

1598年、井伊直政は城を高崎に移し、
箕輪城は廃城になりました。

別名:ー
種別:山城⇒平山城
築城者:長野業尚
築城年:1587年
主な城主:長野業正、北条氏邦、井伊直政

群馬県高崎市箕輪町

訪問日 2022.9.24

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日本100名城 岡山城

2021-05-03 00:20:11 | 日本100名城



父の宇喜多直家が金光氏から奪った城を
豊臣秀吉に厚遇されて大大名となった宇喜多秀家が、
8年の歳月を費やし1597年に完成した岡山城。







外観は黒漆塗の下見板が特徴的で「烏城」とも呼ばれます。
城跡は烏城公園として整備されており、
隣接する大名庭園の後楽園は、偕楽園、兼六園とともに、
日本三名園として並び称されています。







西向きの城構えのため、旭川を城の東背後を
流れるように改修し、天然の外堀に活用しています。
最上階からは眼下に旭川を望み、
岡山後楽園と市街地を360度見渡せるのです。







1996年に 築城400年記念事業として、
創建当時の天守には金の鯱が載っており金烏城と
呼ばれていたとの伝承から鯱に金箔を施しています。







築城当時の天守閣は1945年の空襲で焼失しましたが、
1965年に鉄筋コンクリート造で再建されました。
復元天守の内部は博物館となっています。

宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての
望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して
発展し始めた時期の構造的特徴を伝えています。







関ヶ原合戦に敗れた秀家の後に入城した
小早川秀秋や池田氏によっても拡張整備が続けられ、
現在の姿になったのだそうです。

別名:烏城、金烏城
種別:平山城
築城年:1521~1527年、 1570年、 1597年
築城者:金光氏、宇喜多直家、宇喜多秀家

岡山県岡山市北区丸の内2-3-1

訪問日 2003.7.14

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日本100名城 多賀城

2021-04-14 15:41:33 | 日本100名城



宮城県のほぼ中央に位置する多賀城市に
東北に築かれた律令国家の要の城がありました。
11世紀中頃までの東北地方の
政治・軍事・文化の中心地であったのです。







奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、
創建は724年、按察使大野東人が築城したとされ、
その間大きく4回の造営が行われたそうです。







奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため設置し、
平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能しました。
日本の古代城柵で、国の特別史跡に指定されています。







城柵は朝廷が蝦夷の居住地域に支配を及ぼすための
拠点となる官衙であると同時に、
柵戸と呼ばれる住民を付随する施設でもあり、
兵を駐屯させる軍事的拠点でもある Wikipediaより







訪問した当時は、ボランティアガイドさんがいらして、
資料などを示して熱心に説明してくださいましたが、
現在は、アプリをB.Cで読み込みAR、VRで楽しめるようです。







約900m四方に築地がめぐり、中央に重要な政務や儀式を行う政庁、
その周囲に役所や兵舎、工房などが配置されていました。
平安時代には城外に道路により区画された街並みが形成され、
そこから国司の邸宅などが発見されているそうです。

別名:ー
種別:平山城(城柵)
築城年:724年
築城者:大野東人

宮城県多賀城市市川字城前

訪問日 2005.4.30
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