読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

早熟の天才作家の半生、「カポーティ」(アメリカ/2005年)

2007-07-17 03:14:04 | 映画;洋画
監督:ベネット・ミラー
原作:ジェラルド・クラーク
脚本・製作総指揮:ダン・ファターマン
音楽:マイケル・ダナ
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、クリス・クーパー、クリフトン・コリンズJr.、ブルース・グリーンウッド

「1959年11月15日。カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見される。翌日、NYで事件のニュース記事を見た作家トルーマン・カポーティは、これを次の小説の題材にしようと決心。幼馴染みで彼の良き理解者の女流作家ネル・ハーパー・リーを伴い、すぐさま現地へ向かう。小さな田舎町は前例のない残酷な事件に動揺していたが、やがて2人の青年が容疑者として逮捕された。カポーティは事件の真相を暴くべく、拘留中の彼らに接近していく」。


「わずか23歳で作家デビューを果たし、“早熟の天才”と呼ばれたカポーティ。社交界でマリリン・モンローの親友となるなど華やかな話題を振りまいた彼は、同時にホモでアル中・ヤク中というゴシップでも時代の寵児となっていく。そんな彼が6年を費やしたのが、最高傑作『冷血』だった」。

「この一作でカポーティの名は一気にアカデミックなものに高まるが、彼自身はそれ以降、本格的な小説をひとつも完成できなくなってしまう。一体、『冷血』執筆中のカポーティに何があったのか?本作はその謎を静かに、じわじわと解き明かしていく。華やかな表の顔とは裏腹な、カポーティの孤独と苦しみが痛いほど伝わってくる。第78回アカデミー賞主演男優賞、受賞作」。(goo映画)

本作で主演男優賞を受賞したフィリップ・シーモア・ホフマン(1967年7月23日生)が好きです。特に「リプリー」(1999)、「マグノリア」(1999)、「フローレス」(1999)、「レッド・ドラゴン」(2002)あたりのバイプレーヤーぶりは見事ですね。本作では18kgも減量したといいますが、私にはなぜかジョン・マルコヴィッチと重なってしまいました。

トルーマン・カポーティのことを今回初めて知りましたが、「ティファニーで朝食を」(1958)の原作者であったとは。この作品から6年間費やして書いたのがこの「冷血」ということになります。ちなみにカポーティは「ティファニーで朝食を」の試写を見終えた際に原作との差異に驚き、椅子から転げ落ちたという話があるそうですが、この辺の逸話については本編でも少し描かれています。

そして助演女優賞を受賞したキャサリン・キーナー演じるネル・ハーパー・リーがカポーティと幼なじみで、1962年に映画化された「アラバマ物語(To Kill A Mockingbird)」の作者であることも初めて知ることになります。原作中の登場人物ディルは彼がモデルだそうです。カポーティが6歳、アラバマ在住当時の1930年の夏 モンローヴィルの母の親戚(三人のオールドミス姉妹と一人の独身の兄)の家に預けられますが、その隣家の末娘がハーパー・リーだといいます。

また、カポーティと怪しげな関係を匂わす、ブルース・グリーンウッドが演じるジャック・ダンフィーなる男が気になるところですが、愛人関係にあった作家だとしかわかりませんでした。カポーティが23歳のとき1948年に二人は出会って生涯その関係は続いたようです。


トルーマン・ガルシア・カポーティ(1924年9月30日- 1984年8月25日)は、「アメリカの小説家。誕生時はトルーマン・ストレックファス・パーソンズだった。ルイジアナ州ニューオリンズで、父アーチ・パーソンズ、母リリー・メイ・フォークの息子として生まれた」。

「両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなどアメリカ南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、その当時の思い出では、『誕生日の子どもたち』という短編集に収められている。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚した。彼女は後年自殺した」。

「17歳で『ニューヨーカー』誌のスタッフになり、23歳で出世作『遠い声、遠い部屋』を発表し、若き天才作家として注目を浴びた。1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にも出演し、ノーマン・メイラーとともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になるなど、公私の両面で話題を振りまいた」。

「晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、未完となった遺作『叶えられた祈り』で上流社会の頽廃を描いたことにより、彼が懇意にされていたセレブリティからの反発を招くなど公私共に没落していく。1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死し、カリフォルニア州ウェストウッドのウェストウッド・ヴィレッジ・メモリアルパーク墓地に埋葬された」。

「ちなみに彼は1957年にマーロン・ブランドが日本で映画を撮影していた時、ブランドに会見をするために来日を果たしている。その時に三島由紀夫とも会っている。後に彼は三島を『おもしろい人であった反面、大変傷つきやすい人であった』と評している」。(ウィキペディア)


ネル・ハーパー・リー(1926年4月28日-)は、「アメリカの小説家。アラバマ州モンローヴィルで生まれて、アラバマ大学で法律を学び、次にイギリスのオックスフォード大学に一年間留学した。ニューヨークで航空会社予約係として働き自活したが、作家として身を立てようと決心していた。彼女は仕事をやめ、南部の生活に関する一連の短編小説を書いた。それらは1957年に出版の為に提出された。編集者に励まされ、彼女はそれらの短編小説から『アラバマ物語』を書き上げた」

「60年代中頃に、彼女は幼なじみのトルーマン・カポーティと共に彼の小説『冷血』の取材助手として旅行した。カポーティは同作品を彼女に献呈した。カポーティは『アラバマ物語』の中の妻に先立たれた中年の弁護士、アティクス・フィンチの娘、スカウトの初恋の相手、ディルのモデルでもある。なお、アティクス・フィンチは2003年アメリカ映画協会が発表した『映画の中の最大のヒーローとはだれでしょうか』というアンケートで、インディ・ジョーンズ、ジェームズ・ボンドを抑えて1位に選ばれた」。(同上)

昨日取り上げたサリンジャー(1919年1月1日生れ)とこの二人はほぼ同時代の作家ということになりますね。


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