読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

あこがれの波乱万丈、冒険ロマン、「八十日間世界一周」(アメリカ/1956年)

2007-07-18 10:03:23 | 映画;洋画
監督:マイケル・アンダーソン
製作:マイケル・トッド
脚本:S・J・ペレルマン、ジェームズ・ポー、ジョン・ファロー
音楽:ヴィクター・ヤング
出演:デヴィッド・ニーヴン、カンティンフラス マレーネ・ディートリッヒ、シャルル・ボワイエ、フランク・シナトラ

原作は1873年のジュール・ヴェルヌの同名小説。「この小説は1956年、ハリウッドで"Around the World in 80 Days"(日本語題名はそのまま「八十日間世界一周」)として映画化された。大プロデューサーとして知られたマイケル・トッド(Michael Todd)がプロデュース、イギリス出身の若手監督マイケル・アンダーソン(Michael Anderson)が監督し、配給はユナイテッド・アーティスツ社であった。トッド自身の肝煎りで開発された『トッドAO方式』でワイドスクリーン撮影された大作で、日本を含む世界各国の多彩な風景をカラー撮影で楽しめる観光映画に仕上がった」。

「主演のフォッグ氏役には品の良い紳士的風貌の持ち主である名優デヴィッド・ニーヴン、パスパルトゥー役にはカンティンフラスのニックネームで知られたコメディアンのマリオ・モレノ、アウダ役は新進女優であったシャーリー・マクレーンがそれぞれ充てられた」。

「数十人の有名な俳優が部分部分に入れ替わり立ち替わり登場したので、俳優と観客にとっては『スターを探せ』ごっこを楽しむことができ作品の魅力を高めた(たとえば、端役に過ぎない酒場のピアノ弾きがフランク・シナトラであったというようなお遊びである)。ちょい役で出演することをこの作品以来「カメオ出演」というようになった」。(ウィキペディア)

デヴィッド・ニーヴンが46歳、フランク・シナトラ41歳という脂の乗り切ったときの映画です。シャーリー・マクレーンは22歳でした。1956年という時代はまだ日本にとって海外外旅行が夢のまた夢であった年です。小佐野賢治の国際興業がシェラトンホテルズから、ハワイで当時 550室のプリンセス・カイウラニホテルを買収したのは1963年です。まだ1ドル360円の固定相場制、何より、外貨の持ち出し制限という今の時代では考えられない規制があった時代です。

国内では初の週刊誌となる「週刊新潮」が新潮社から創刊。水俣病の第一号患者公式確認。横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市の5市が初の政令指定都市。日ソ共同宣言、そして日本の国際連合加盟の年です。日本が国家としていわゆる戦後復興の狼煙を上げたのがこの年といってもいいのではないでしょうか?

一方、海外では、 ニューヨークでブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」が公演開始、メルボルンオリンピック、スーダンがイギリスから独立。モロッコ、チュニジアがフランスから独立パキスタンが最初のイスラム教徒による共和国となった年です。

私が最初にこの映画を見たのはいつの頃だったか忘れてしまいましたが、確か小学校高学年か中学生だったと思います。当時は(今でもそうですが)世界を一周するという私にとっても夢のまた夢の出来事に大いに刺激されたものです。とは言え、内容をよく覚えていませんのでウィペディアから引用して再現してみます。

イギリス人冒険家フィリアス・フォッグ氏が執事のパスパルトゥーを従え、後期ビクトリア朝時代の世界を八十日で一周しようと試みる。刊行当時、既にトーマス・クック社主催による世界一周ツアーが行われるようになっており、ヴェルヌはこれに刺激されて本作を書いたと言われている。

その旅は、鉄道、蒸気船、帆船、象を使ってロンドン~スエズ~ボンベイ~カルカッタ~香港~横浜~サンフランシスコ~ニューヨーク~ロンドン。横浜に到着したときの映像は覚えています。原作が1873年とは言え、ほとんどそれは江戸時代の日本でした。日本の描き方は当時ではそれが「常識」でした。

<フォッグ氏は自らの全財産の半分、20000ポンドを旅費に当て、残りの半分は「リフォームクラブ」の仲間たちとの掛け金にした。もし八十日間で世界一周を果たせなかった際には、彼は全財産を失うことになる。フォッグ氏は10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを出発し結果的に賭けに設定した80日後にフォッグ氏は期限ぴったりにリフォームクラブへ到着し、賭けに勝利した>。

<しかし彼には莫大な出費により、得たものなど何もなかった、ただ一人彼をもっとも幸福な人間にした、美しい女性を除いて。しかし最後にこの作品は全ての計算を放棄する。そもそも人は得られるものがもっと少なかったとしても、世界一周の旅に出かけるのだろう、と>。


ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、小説家・SF作家・政治家。H・G・ウェルズとともにSFの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。『海底二万リーグ』(『海底二万里』1869年)、『二年間の休暇』(『十五少年漂流記』1888年)


デヴィッド・ニーヴン(David Niven、本名:James David Graham Niven 、1910年3月1日 - 1983年7月29日)は、「イギリス・ロンドン出身の俳優。士官学校卒業後、軍人になったが除隊。カナダに渡り職を転々とした後、最終的にアメリカ合衆国で役者となった。知的でありながらユーモアセンスも併せ持つ独特の雰囲気から、死後もファンが多い」。


シャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine,本名Shirley MacLean Beaty,1934年4月24日-)はアメリカ合衆国出身の俳優である。バージニア州の州都リッチモンドで生まれた。俳優のウォーレン・ビーティは弟。サチ・パーカー(Sachiko Parker)は娘。

「バレエ学校で学び、16歳でブロードウェイにダンサーとしてデビュー。映画デビューは1955年のアルフレッド・ヒッチコック作品『ハリーの災難』。コケティッシュな魅力で人気を博した。1983年には『愛と追憶の日々』でアカデミー主演女優賞を受賞。ヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭でもそれぞれ2回、女優賞を受賞している。輪廻転生に傾倒しており、本も何冊か書いている」

*彼女はどこか東洋的な風貌があってそのためでしょうか、「八十日間世界一周」(1956)ではインド人を演じたり、「青い目の蝶々さん(My Geisha)」(1962)で日本人、「泥棒貴族」(1966)では中国人を演じています。娘さんがsachikoさんなんですね。


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