読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

ダブリンの名優「ガブリエル・バーン」

2007-05-12 11:22:54 | Weblog
「シエスタ」(1987年)、「欲望」(1993)、「エネミー・オブ・アメリカ」(1998)、「仮面の男」(1998)、「スティグマータ 聖痕」(1999)、「エンド・オブ・デイズ」(1999)、好きな映画ですが、特に最近の彼の出演する映画にははずれがありません。個人的には「ユージュアル・サスペクツ」(1995)での彼の演技光りました。この作品で私はファンになりました。

「アクターズ・スタジオ」(2000年12月10日放送)のインタビューでアクターズ・スタジオ永久会員兼副学長のジェームス・リプトンの演技についての質問に対し次のようの語っています。

ジェームズ・リプトン: きみの人生で、演技が魅力あるものになったのはいつのこと?

ガブリエル・バーン:俳優は畏れ多いものと、僕はいつも思っていた。いつもだよ。なぜだか俳優というと魔法の力を連想した。僕は演技のプロセスに畏怖の念を抱いていたから、俳優としてのいちばんの試練は、自分を信じることだった。自尊心と演技は密接につながっているからね。一人前の俳優になるまで、僕には相当の時間がかかったから、実際に俳優になるということがすごく勇気のいることだと、まじで言える。

僕のデビューは28のとき、いや実際29にもなっていたんだ。俳優はある意味でいつまでも子供だと思うし、その多くは傷ついた子供だ。深いレベルで認められたいし、ある種普遍的な承認を求めている。アーティストになりたいという欲求がある一方、どこかで自意識を持ち続けていたいとも思う。僕の自意識はすごくデリケートで脆かったから、俳優になろうと決意するまでにすごく時間がかかった。俳優になって良かったと思えるようになるまでにも、相当の時間がかかったよ。言いたいこと、わかってもらえるかな?

ガブリエル・バーン(Gabriel Byrne、1950年5月12日 - )は、「アイルランド・ダブリン出身の俳優である。教師をしていたときに校内で舞台に立つ機会があり、俳優を志すようになる。演技を始めたのは29歳の時なので、遅咲きであると言える。教師をしながら劇団に所属し、その後俳優活動に専念するために退職した。俳優になる前は教師以外にも通訳、闘牛士、コック、考古学の発掘などをして働いていた」。

「アイルランドのテレビシリーズで役を掴み、人気を博した。ダブリンの舞台に立っていたところを映画監督のジョン・ブアマンに見出され、1981年の『エクスカリバー』で映画デビュー。1993年の『父の祈りを』ではプロデューサーを務めている。また、近年ではブロードウェイの舞台にも立っている。1987年結婚した女優のエレン・バーキンと1993年に離婚している」。(ウィキペディア)


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