読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

経営書としても価値を持つ「国境の南、太陽の西」(村上春樹/講談社文庫)

2007-01-13 16:58:23 | 作家;村上春樹
これまで読んだ著者の小説なかで最も「グッ」とくる作品だ。バブル絶頂期(1988年 - 1989年頃)の東京が主な舞台。この時期に書かれながら、バブル経済の盛り上がりを主人公は冷静に眺めていて、「巻き込まれるのはごめんだ」と突き放しているところが凄い。この時期に本書を読んでいれば救われた経営者が少なくないのではないかと思ったりもする。

この時期に著者が日本にいなかったことも冷静さを保ちえた要因かもしれない。1987年1月にイタリアのシシリー島パレルモに移り、1991年1月に客員研究員として在籍することになったプリンストン大学のある米国ニュージャージー州へと居を移している。本書の単行本は1992年に刊行されている。

本書のキーワードは「国境の南」、「スタークロスト・ラヴァーズ」、「赤と青」、「空中庭園」、「太陽の西とヒステリア・シベリアナ」「砂漠は生きている」。著者の副読本として愛用している「村上春樹はくせになる」(清水良典著)と今回見つけた大変オシャレなサイトである「KATZLIN’S DELIGHT」(http://www.ne.jp/asahi/katzlin/delight/index.htm)の中の「村上春樹で聴くジャズ」という記事を参考にこれらを見ていきたい。

「国境の南」「スタークロスト・ラヴァーズ」;ジャズのスタンダードナンバー

「ピアノ・トリオがオリジナルのブルースの演奏を終えて、ピアノが『スタークロスト・ラヴァーズ』のイントロを弾き始めた。僕が店にいるとそのピアニストはよくそのバラードを弾いてくれた。僕がその曲を好きなことを知っていたからだ」。


「学生時代にも教科書出版社に勤めていた頃にも、夜になるとデューク・エリントンのLP『サッチ・スウィート・サンダー』に入っている『スタークロスト・ラヴァーズ』のトラックを何度も何度も繰り返して聴いたものだった。そこではジョニー・ホッジスがセンシティヴで品の良いソロを取っていた。その気だるく美しいメロディーを聴いていると、当時のことがいつもいつも僕の頭によみがえってきた」。(本書)


「この曲は羊をめぐる冒険にも登場することから、村上春樹自身にかなりの思い入れがあるのだと思う。しかし実は Nat King Cole は "South Of The Border" を録音したことがなくて、これは彼の勘違いなんだとかいう話をなにかで読んだことがある」(村上春樹で聴くジャズ)。清水氏によれば、この曲で有名なのはフランク・シナトラなのだそうだ。

「赤と青」;

「この物語で二人の女性、島本さんとイズミは身につける衣装が青と赤の二種類あり、島本さんは子どものときに青いセーターを着ていた。そしてハジメの店に会いに来るときは、いつも雨の日に青い服をまとっている。彼女は雑誌『ブルータス』に載った店の記事とハジメの写真を見てやってきたのだ。しかし、ハジメが二十八歳のときに一度渋谷の雑踏で見かけて後をつけていったときの彼女は、まったくそのイメージから遠い赤いオーヴァーコートを着ていた」。

「一方、イズミは初めて裸を見せたとき淡いブルーのパンティとブラをつけていたが、その上に着ていたのは赤いセーターである」。

「ハジメはといえば「青」山墓地が窓から見える家に暮らし、妻は赤いジープ・チェロキーを買った。店の名はジャズの古い『ロビンス・ネスト』で、すなわちコマドリの巣である。コマドリは亜種名が「Akahige」、英語の雅名は『Redbreast』という。その名の通り上体の赤い鳥だが、その卵は青い色をしている」。


「いってみれば赤は身を覆って世間を生きていくためのペルソナの色であり、青は秘められた内部の色である」。(清水氏)


「空中庭園」;

「僕は今の仕事が好きだよ。僕は今二軒の店を持っている。でもそれはときどき、僕が自分の頭の中に作り出した架空の場所にすぎないように思えることがある。それはつまり空中庭園みたいなものなんだ」(本書)

「これをたんにバーの経営方針を主人公が語っている言葉として読み過ごすことはできない。・・・つまりここで語られている『空中庭園』とは、明らかに作者自身が小説という精妙でリアルな『架空の場所』を作りつづけてきた仕事そのもののメタファーなのだ」。(清水氏)


「『太陽の西』と『ヒステリア・シベリアナ』」;シベリアの農夫がかかる病気

「東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩き続けて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ」(本文)

「太陽の西は、歩き続けて確かめることはできない。地球をひと回りして追いかけても、太陽はあいかわらず西も沈むだろう。これがもし教訓的な寓話だとしたら『ヒステリア・シベリアナ』は『やっても無駄な努力』という意味に他ならない。・・・(しかし)島本さんの話の意味は、かなりはっきりと次のように読み替えることができる」。

「『あなた』つまりハジメが、そして村上春樹が、現在している仕事は、シベリアの農夫のような仕事なのである、あなたはそれをいつまでも続けていられなくなるだろう。店をたとえどんなにリニューアルして『飽きられ』ないいように改善したところで、それはどこまでもシベリアの農夫と同じなのだ・・・」。(清水氏)


「砂漠は生きている」(アメリカ/1953年)


監督:ジェームズ・アルガー、原題:「The Living Desert」
「終盤で主人公がディズニー映画『砂漠は生きている』について説明するくだりがある。この説明を読めば『ノルウェイの森』(あるいは『蛍』)で語られた『死は生の対極としてではなくその一部として存在する』という言葉の意味がより一層理解できると思われる」。(ウィキペディア)ここでは終盤のそれではなく、ハジメの店に現れた高校時代の同級生が語るくだりを引用する。

「雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でもいずれはみんな死んでいく。死んでからからになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとってかわる。それが決まりなんだよ。みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。あとには砂漠だけが残るんだ。本当に生きているのは砂漠だけなんだ」。(本書)

本書は次作になる「ねじまき鳥クロニクル」の最初の部分として書かれたもで、同居している奥さんに読ませたところ、「もう少しすっきりさせた方がいい」というアドバイスにしたがってカットすることになったのだという。

一年間書いてきた努力が無に帰して茫然自失になっていた著者を見かねた夫人が「その切り取った部分を使って、今あるものとはまったく別の小説を書いてみればいいじゃない」という再度のアドバイスから産まれた作品とだという。奥様もたいした文学者だといっていい。


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