脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

PRIDE OF OSAKA IS DEAD ~13節 VS浦和~

2008年05月18日 | 脚で語るガンバ大阪
 
 帰りの車中では、ただただこの一日の出来事を整理することに時間を要した。選手が死力を尽くして掴んだ埼玉スタジアムでの初勝利。その余韻がいとも簡単に霞んでしまったことは残念でならない。報道にもあるように、試合後にG大阪、浦和両チームのサポーター同士が挑発の応酬から乱闘騒ぎに発展し、多くのG大阪サポーターが約3時間もの間、スタジアムに閉じ込められるという事態に発展してしまった。

 結果的に両サポーターの代表同士が話し合いの場を持って事態の収拾にこぎつけた(G大阪側が謝罪)ようだが、ただ一つ言えることは、個人的な見解としても、今回の騒動の発端としてはG大阪サポーターに非があるということだ。現地観戦組の一人として、また、一端のG大阪サポーターの一人として謹んで陳謝したい。誠に申し訳ないと思う。

 それはやはり、ほぼ一部始終をこの目で見ていたからであろうか。ブーイングの応酬は毎度のことながら、報道にもあるように水風船の投げ込み。あれがいけなかった。度が過ぎていたように思う。一部サポの過激なその行動をアウェイ側スタンド全体で抑止できなかったことが最大の要因ではないかと感じる。数多くのサポーターが集まった極度の興奮状態の中にありながら、我ながら情けなく思うのは正直なところだ。“自浄作用が無きに等しい”とも言われて致し方ない。その行為が試合後の選手の小競り合いにも煽られ、興奮極まった緩衝帯エリアで、物の投げ合いと緩衝帯を潰さんばかりのにらみ合い、そして乱闘騒ぎに発展してしまった。一部報道であるようにG大阪の選手が勝利の後にピッチで行う歓喜の円陣が、選手同士の小競り合いの原因になったとしても、それは後付けなのかなと思ってしまう。とにかく、喫煙場所のバリケードを突破して突進してきた浦和サポーターの前で、泣きわめく女性や子供の姿があったことが強烈に印象に残っている。そのタイミングでそこに残っている人たちを外に出すことに必死で、知らぬ間にゲートが閉じられていたその後は、中の状況は分からなくなってしまった。
 ただ、個人的にもその湧き出てくる贖罪の気持ちは、そういった全く関係ないサポーターが投げ込みの応酬時から、確実に巻き添えを食らっていた状況が自然と目に飛び込んできたからであろう。

 人間は群集心理において、“多勢に無勢”ということを時に忘れてしまうのだろうか。その後、野次馬も含め多くの人々に囲まれたスタジアムゲート付近の様子はそんなことを簡単に思い起こさせてくれた。おそらく浦和のクラブサイドも対応が大変だったであろう。それは容易に想像が付いた。次から次へと駆けつけるパトカーの台数が状況を物語っていた。
 火種のあるところに火を着けるのはいとも簡単だが、この場所では一度火が着いてしまえば、その火の大きさを垣間見るまで事態が飲み込めない。着火剤が充分に散りばめられたあのスタジアムでは、彼らの自重は群集心理からしてほぼ不可能だ。ただ目の前の一部の状況だけがさらなる興奮状態を煽り、視野を狭くさせてしまった。サッカーというスポーツは本当に人々の心理を良い意味でも悪い意味でも狂喜乱舞させる。それは選手のプレーとは全くかけ離れた所からでもある。一部サポーターの歪曲したプライドが大きく脱線して、大変な火事になってしまったと言えよう。いや、ここまでになるとプライドという言葉は最早“適用外”だ。今後、真の意味で一人一人のサポーターがプライドを取り戻していくことが求められる。

 数時間が経った後、ゲート付近を取り囲む浦和サポに対して、状況説明を施す運営部長らしき人の姿があった。しかし、その遥か後方には、柵に手をつき、苦悩の表情を浮かべながら耳を傾ける浦和の藤口社長の姿があった。最終的に東川口駅に向かうバスを数台段取りする形になった様で、サポーターの安全確保に取り組んでくれた浦和側の対応には感謝したい。バスが用意されたその時にはすっかり辺りは暗くなっていた。

 救急車で運ばれたケガ人が1名、スタジアム医務室に運ばれたケガ人の方が11名にも及んだという。重傷者はいないということだが、スタジアムを出る際のあの状況にPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥る方がいてもおかしくないかもしれない。大袈裟かもしれないが、一瞬頭をよぎった“ヘイゼルの悲劇”。大惨事にならなくて幸いだが、今後スタジアム観戦を控える多くのサポーターがいるのかもしれないと考えると、それはJリーグにとっては“惨事”と言えるのかもしれない。