都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2024年10月 記事一覧

2024-10-31 | 記事一覧 

10/03 旧カフェー「錦水」・旅館錦水
10/06 小泉邸
10/09 青葉交番
10/12 日通森下倉庫
10/15 清水港貯木場
10/18 路地の呑み屋街・城東閣
10/21 尚美学園大学 上福岡キャンパス
10/24 旧 松崎理容所
10/27 旭湯
10/30 旧関根平蔵邸/板倉家住宅

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旧関根平蔵邸/板倉家住宅

2024-10-30 | 埼玉県  
板倉家住宅/旧関根平蔵邸
所在地:川越市 中原町1-8-1
構造・階数:木・2
建設年:1923(大正12)
解体年:2023(令和5)
備考 :2023.6.6に焼失
Photo 2022.11.18

 西武新宿線本川越駅の北方、市立中央小学校の北にあった洋風住宅。時の鐘を建てた関根松五郎という大工の息子で、大工棟梁の関根平蔵が自宅用に建てたものという。

 洋風建物でときどき使われる半切妻屋根(寄棟屋根と切妻屋根の中間のような形の屋根)で銅板葺き。窓はアルミサッシに替えられていたが縦長の洋風窓。壁面は少し光沢のあるタイル張りで、コーナー部は明るいグレーのタイルがコーナーストーン状に張られ、また窓台部分にも同様のタイルが張られていた。

 南側のはなれも同様のタイル張りだったが、こちらは切妻屋根で日本瓦。

 北東側から。表通りのひとつ裏側の通学路に面した洋風住宅で、川越市の景観重要建築になっている建物だったが、昨年6月に焼失してしまい失われてしまった。2024年4月のGoogleストリートビューでは更地になっている。

参考『小江戸ものがたり -第四号 川越の洋風建築特集』川越むかし工房 編集・発行、2003.4

思いつくまま 埼玉県
川越 小江戸ものがたり 2003年春夏 第4号
景観重要建築が全焼…住人2人は無事 大正末期建築、川越の「板倉家」|埼玉新聞

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旭湯

2024-10-27 | 埼玉県  
旭湯
所在地:川越市 元町1-8-6
構造・階数:木・2
建設年:1950年代後半に改築
解体年:2020〜22(令和2〜4)
備考 :1943(昭和18)創業、2020(令和2)廃業
Photo 2019.6.21

 ネット情報では、川越市内に唯一残っていた銭湯だったそうだが、この写真の翌年2月に廃業したという。


 Photo 2019.6.21

 戦時中の1943年に創業した歴史のある銭湯だったが、建物自体は1950年代後半に改築されたもの。そのためかどうかは判らないが、いわゆる宮造り型の建物ではなく、比較的簡素な切妻屋根の建物だった。高窓が多くとられた造りで、前半分が脱衣所、後方が湯舟や洗い場。


 Photo 2004.12.3

 開口部が多いため、夜に通り掛かると明るく、脱衣場の折り上げ天井が見えたりもしていた。

旭湯 惜しまれ77年の歴史に幕 川越唯一の銭湯 建物跡地は貸店舗に:東京新聞 TOKYO Web

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旧 松崎理容所

2024-10-24 | 埼玉県  
旧 松崎理容所
所在地:川越市 松江町2-2-12
構造・階数:木・2
建設年代:?
解体年代:2004〜11(平成16〜23)
Photo 2004.12.3

 川越市内、観光地化した中心部からは少し離れた静かな場所にあった旧理髪店。普通の2階建て住居の道路側を改築して店舗にしたようなつくり。撮影時は既に仕舞屋になっていたらしく、理髪店の店先で回る「クルクル」もなかった。ただ、1990年の住宅地図にはまだその名が記されているので、90年代までは営業していたようだ(ただ2000年の住宅地図には店の名がない)。

 なお、左後方に見えている「あがのや」は材木屋さんの材木置き場の建物。これも現在は無くなっている。

 道路沿いの1階部分だけを見ると洋風にも見えるデザイン。2階までは覆われていないが、一応看板建築ということにしておく。床屋の入口は片開きのドアが多い気がするが、ここは引き戸。ガラスには「松崎理容所」「RIYO」と金文字で書かれていた。
 1階の軒先や壁は、タイル状の凹凸目地がある薄緑色のトタン張りで、錆び付いた様子がなんとも言えない味わい。窓の下はモルタル塗り。玄関扉はアルミサッシだったが、左側の窓は木製枠。ただ老朽化のせいか全体にやや歪んでいるように見えた。

 Googleストリートビューによれば、2011年4月時点で既に消失。

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尚美学園大学 上福岡キャンパス

2024-10-21 | 埼玉県  
尚美学園大学 上福岡キャンパス
所在地 :川越市 下松原655
建設年 :1981(昭和56)
解体年代:2013〜15(平成25〜27)
備考  :上福岡キャンパスは2013年に廃止・閉鎖
Photo 2002.4.9

 尚美学園大学の上福岡キャンパスは、東武東上線の上福岡駅からスクールバスで10分ほどの場所にあった。1981年に尚美音楽短期大学(1986年からは尚美学園短期大学)のキャンパスとして造られたもので、2000年に4年制の尚美学園大学が設立された際、上福岡キャンパス(芸術情報学部)となった。

 同大学は2000年の設立時に川越キャンパス(総合政策学部、川越市豊田本(現在の豊田町一丁目))を新設したため、2キャンパス体制になっていたが、川越キャンパスに芸術情報学部の校舎が増設されて2013年にキャンパスが一元化され、上福岡キャンパスは廃止された。

 私はこの大学で2001年から2023年まで非常勤講師をしていて、上福岡キャンパスにも2002年〜2012年までの11年間、春期に週1回だけ講義をしに訪れていた。

 上写真はキャンパス入口。校門を入ったところの広場には立体トラス構造の大屋根が架けられていた。


 Photo 2012.6.29 以下すべて同日

 上福岡駅とキャンパスの間はスクールバスが走っていたが、キャンパス側のバスのりばは校門を出て少し歩いた先の駐車場内だった。キャンパス入口内の屋根付き広場は、学生の憩い、待ち合わせの場所だった。

 立体トラスの大屋根は、恐らく水勾配のため、わずかに切妻屋根状に山型になっていた。
 また、校門を入った右側にはメディアセンターがあった。この建物には200人が入れる大教室があり、私はそこで100人ほどの学生に講義をしていた。

 校門を入って左へ向かうと事務棟。非常勤講師の控室などもここにあったので、私はいつもとりあえず奥の玄関へ向かっていた。

 大屋根奥から左へ向かうと、校舎群がならぶキャンパス中央の通路。教室を移動する学生や先生の多くがここを通るため、友人や担当の先生に会うことも多かった。通路わきの木陰のベンチで話す学生も多く、この空間は出会いの場、情報交換の場としてちょうどよいスケール感で、実は上福岡キャンパスで大切な空間だったのではないかと思う。

 上福岡キャンパスは北東から南西方向に延びる細長いキャンパスだった。川越街道と直交する方向で、昔からの土地所有形態が街道から短冊状に細長く延びるものだったからかもしれない。このため校舎は通路沿いに連なる形で建ち並んでいた。

 通路の奥の方には並木はなく、レンガタイル張り低層の校舎が両側に並んでいた。もともと短期大学で学生数もさほど多くなかったので、4年制大学になって以降も総合大学ではなく単科大学のようなスケール感と雰囲気となっていた。

 上福岡キャンパスの校舎からキャンパス北側の農地  Photo 2002.7.26

 キャンパスの東南側は戸建て住宅地で、南側には工場などが点在していたが、西北側は農地(畑)だった。初夏にはカッコウやキジ、トンビの鳴き声も聞こえてくるなんだかのどかな場所だった。

 2013年の廃止後は訪れたことがない。Googleストリートビューを見たところ、校舎群は解体されて2015年には更地になっていた。現在は戸建て住宅が建ち並ぶ住宅地になっている。

尚美学園大学 - Wikipedia

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路地の呑み屋街・城東閣

2024-10-18 | 青森県  
路地の呑み屋街・城東閣
所在地:弘前市 鍛治町11・新鍛冶町30
構造・階数:木・1〜2
建設年:1959(昭和34)
解体年:2018〜19(平成30〜令和元)
Photo 1998.8.25

 弘前市内の繁華街にあった呑み屋街。
 弘前市中心部は城下町時代の町割が残り、通りの両側が同じ町名で、街区の中に町界があることが多い。このためこの路地も鍛冶町から新鍛冶町へと抜けている。

 下記、城東閣のサイトによれば、もともとここには天然氷を扱う藤田商店(藤田製氷所)があったという。そして戦後、1959(昭和34)年にその敷地に小路を作り飲食店街としたのが「城東閣」だという。店が替わったりして改装を重ねた姿だったのだろうが、路地のスケール感や雰囲気は古くからのものだったのかもしれない。

 20年以上前のことなので記憶が曖昧だが、かつての路地は少し折れ曲がっていて、途中からは建物の下を通り抜ける形だった。変則的な路地だったこともあり、なんとなく通り抜けるのがためらわれる感じで、昼間でもやや怪しい雰囲気の場所だった。

 同サイトによれば、写真の建物は全て取り壊され、2018(令和元)年に新しい城東閣が完成したという。現在も通り抜け小路の形態で、平屋の店舗が両側に建ち並び、途中にはイベントスペースがある形になっているようだ。Googleストリートビューでは、路地の両端に「城東閣」の文字を掲げたゲートが見える。

城東閣

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清水港貯木場

2024-10-15 | 静岡県  
清水港貯木場
所在地:静岡市清水区 清水港・折戸
設置年代:大正末期
廃止年代:2021(令和3)
Photo 1997.5.5

 かつては清水港の一角に貯木場があった。

 下記、『清水港ビジョン(概要版)』によれば、関東大震災後の復興に際し、輸入木材の供給拠点として開設されたそうだ。
 しかし平成期になると原木としての輸入が減少し、2006年には水面貯木場を利用する木材も無くなったという。スペースが空いたからだろうか、2002年からは民間マリーナの供用も始められた。2008年作成のこの資料では、今後は貯木場として使わないこととした、と記されている。その後、令和3(2021)年には貯木場の廃止が正式に決定された。

 写真の頃にはまだそこそこ多くの木材があったが、平成9年なので最盛期に比べればかなり少なくなっていたのだろう。当時、港のひとつの風景としてなにげなく撮ったのだが、数年後には貯留される木が無くなってしまうとは思いもしなかった。

『清水港ビジョン(概要版)』平成20.3(2008)、静岡市

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日通森下倉庫

2024-10-12 | 静岡県  
日本通運森下倉庫
所在地 :静岡市駿河区 森下町4-35
建設年代:?
解体年代:1996〜99(平成8〜11)
Photo 1995.11.30

 静岡駅南口のそばにかつてあった倉庫。いつ頃建てられたかは不明。かつてはこの倉庫の後ろのほうに日通静岡運輸(株)本社営業所もあったようだ。

 昔は貨物の鉄道輸送が多かったので駅の近くに倉庫があったが、現在はトラック輸送が中心になり、高速道路ICや幹線道路周辺に拠点が置かれるようになった。まちなかだと大型トラックの出入りにも不便で、土地代も高いからだろうか。90年代後半に倉庫は無くなり、現在は駐車場になっている。

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青葉交番

2024-10-09 | 静岡県  
青葉交番(青葉派出所)
所在地:静岡市葵区 常磐町2-1
階数 :2
建設年:1947(昭和22)?
解体年:1993(平成5)
Photo 1992.4.9

 下記、県警のサイトによれば、1947年に青葉通巡査派出所として開設されたとのこと。ただ、写真の建物が戦後すぐに建てられたものだったかどうか、確証はない。

 写真では、建物の1F軒先に「青葉交番」の文字が掲げられているが、信号わきのポールに取り付けられた蛍光灯看板には「青葉派出所」と書かれていて、更に建物1階角の柱に掲げられた看板には「青葉通幹部警察官派出所」と記されている。

 同サイトによれば、1994年3月に新しい建物が完成。現在は「青葉通交番」となっているようだ。

青葉通交番|静岡県警察

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小泉邸

2024-10-06 | 港区   
小泉邸
所在地:港区白金2-7-38
構造・階数:木・2
建設年代:明治〜昭和初期?
解体年代:2000〜03(平成12〜15)
Photo 1995.2.23

 野村邸の近くにあった2階建て出桁町家。1階の半分は車庫や倉庫になってしまっていたし、一部はトタン張りになっていたが、奥行きがあって大きく立派な家屋だった。前面の板塀や門も昔懐かしいつくり。

 戦前、1936年の火災保険特殊地図では「小泉精米所」とされており、かつては米店だったようだ。

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#失われた建物 港区  #木造店舗  #出桁造り 
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First Edition 2009.11.28

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