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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「狭き門より入れ」

2014-07-14 14:53:07 | 言葉
「狭き門より入れ」という言葉の意味は

幸福になる一番の近道のことなんじゃないかと思った。

相対的に物事を捉えることを超えて、絶対的な処から自分を観る方法。

他はどうで在れ・・・と云った考え方で自分を観、実践する方法。

いろんな物事が今そのような姿で在るのは時間的空間的全体の動きでそうなった、

というのは勿論なんだけど、

自分の身に起こることは自分が引き起こしたと、

そうなったプロセスを納得できる自分になること。

幸福になるのも不幸になるのも自分。世界は自分。

青い本に、…自分に一番きびしい事で・・・

という箇所があったけど、

その意味はこういうことなんだとこれを書いて思った。


「狭き門より入れ」は、新約聖書の言葉で、

天国に至る道のけわしさのたとえ、と広辞苑にあった。

なるほどと思った。

食べる量について

2014-07-14 10:43:04 | 日々の暮らし・思い出
最近ぐっと少食になった義父。

五木寛之さんのエッセイに、

腹八分目というけど、70代になったら腹七分目、

80代になったら腹六分目、90代になったら腹五分目・・

・・そういうのが望ましいんじゃないか・・・だっけかな?

そんなふうなことが書かれてあるのを読んだことがある。

もっと少ない数字だったかもしれない。

それが自然に枯れていく道筋・・

そういうニュアンスだったかと思う。

自分もそんなふうになって行きたいと思っている。

五分目どこじゃない義父の今の姿もそういうものなんだろうとは思う。

私から見るとほんのちょっとでも、

「満腹満腹」と言う。

今の彼にとってはそれが腹十分目なんだろうと思う。

なのに、もっと食べてほしい・・みたいな気持ちが湧くことがある。

食べることって原始的で生命力を表わす現象のようにも思うから、

義父にそういう姿でいてほしいっていうのが自分にあるんだなぁと思う。

食欲があると嬉しくなる。

そういう自我(自分の気持ち優先)がある今の自分なんだと思う。





決 という字

2014-07-14 08:28:24 | 言葉
今朝の新聞に「決河」は何と読むか。というのが出ていた。

週に一度掲載される漢字の読み方欄だ。

元々「決」という字の意味は堤防を切って水を流すことだという。

なるほどと思った。

迷っていたことや、とても出来ないと思うことなんかを

よし!やる!と覚悟する気持ちで決心すると、

それまで停滞していた物事が思ってもいなかった方向に生き生きと動き出す、

という感触を持っていたけど、

「決」という字の元々の意味を知って、

そういう現象になるに相応しい言葉なのだと思った。

「決」を広辞苑で見てみたら覚悟するという意味もあった。

言葉は不思議だ。不思議に思ってしまう私なんだけれど、

不思議でもないようにも思ってしまう私もある。


目に見えない世界を表わすものとして最初に言葉があった・・・

最初に言葉があった 言葉は神であった

この言葉が抵抗なく入ってくる。